ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

津軽海峡を渡る

f:id:shashosha70:20170904183308j:plain

(写真1 大間フェリーターミナルで出港準備中の津軽海峡フェリー大函丸)
大間~函館をフェリーで
 前夜泊まった八戸から大湊線、下北交通バスなどを利用して下北半島をひたすら北上、大間からフェリーに乗り津軽海峡を渡った。
 かつては津軽海峡はそれこそ渡るものだったが、この頃では、津軽海峡トンネルの開通によって列車で通り抜けたり航空機で飛び越したりすることばかりで、海峡を船で渡ることは稀になった。私自身当時は青函連絡船だったが船で渡ったのはもう50数年ぶりのこと。

f:id:shashosha70:20170904183359j:plain

(写真2 船首から見た航海の様子)
 9月3日日曜日。大間フェリーターミナル。むつからバスで向かうと大間崎を過ぎてほどなく。まだ新しいターミナルだった。
 フェリーは大函丸。なかなか大きな船で、総トン数が1,912トンあり、旅客定員は478名、積載車両台数はトラックで21台、乗用車で60台だということである。甲板で見ていたら約6割程度の乗船だった。フェリーとしては日本最大級の外洋船だという。運航は津軽海峡フェリー。この会社は青森~函館間も運航している。
 大間~函館間はノスタルジック航路と名付けられていて、海路40キロだということである。ちなみに青森~函館間が113キロということだから、三分の一近い距離ということになる。要する時間も、大間航路が1時間30分、青森航路が3時間10分~40分である。
 14時10分、ボーッと大きな汽笛を鳴らして定刻出港した。いかにも出航だという風情があっていいものだ。岸壁を離れると右手に見えていた大間崎灯台が後ろに下がっていく。また、右前方には恵山岬がくっきりと遠望できた。恵山は鉄兜を伏せたような独特の形状をしていてわかりやすい。私の大好きな岬の一つで寄ってみたい願望が強まったが、今回はパス。
 後ろを振り向くと、大間の漁港が見える。後背地に高い山がなく、灯台を大間崎のすぐ沖合の弁天島に建てなければならなかった事情がよくわかった。
 前方に目を転じると、もう函館山が大きく見えている。本州と北海道の距離は、下北半島大間崎と亀田半島汐首岬との間が18.7キロであり、津軽半島龍飛崎~松前半島白神岬間19.5キロよりわずかだが近い。しかるに、海峡トンネルが竜飛側になったのは水深が大間側で深く工事の難易度など種々の理由があったもののようだ。
 それにしても、津軽海峡は横に広い。その幅130キロにも及ぶらしい。船上から望むと、ぐるり陸地に取り囲まれているように思われた。
 私は、北海道側、本州側それぞれの両端の岬を訪れたことがあるが、断崖絶壁ということで、風の強さも含めた岬の魅力としては龍飛崎がやや勝るであろうか。もっとも、これは好き好きのことであり、温泉も含めると断然恵山岬ということにはなるが。
 船室は、グレード別に三段階に分かれていて、スタンダードクラスは靴を脱いで上がるカーペット敷きだった。この部屋では横になっている人が多かった。いかにも旅慣れたという様子がうかがえた。
 乗客は、旅行者とビジネス客それに地元で往来する人たちに分類できるようで、それぞれを三等分できるようだった。また、自動車やオートバイの人たちと歩いて乗船した人がいたが、歩いて乗った人は3割ぐらいで、数十人に満たなかった。
 デッキに上がって海を眺めているのは旅行者であろうか。私もあかず海を眺めていた。海上だから風は猛烈に強いのだが、この日は快晴だったせいか、とても気持ちのいいさわやかさが感じられた。
 船はスピードが速くて、平均して18ノットだということである。海面を見ているとその速さが実感できた。
 船の旅は独特の情緒があってとてもいい。それが海峡ともなればなおさらで、見渡す限りの大海原というわけではないから、刻々と陸地が変化するのも楽しい。
 そうこうして函館山に接近してきた。もう到着かと早とちりをしたが、到着予定時間までまで30分ほどもある。函館湾が大きいからで、船の正面に白い灯台がかすかに見えたが、あれは葛登支岬灯台だったか。この岬と函館山を結ぶラインが函館湾である。
 ほどなくして到着の予定が知らされた。函館のフェリーターミナルは五稜郭に近いところらしい。函館駅にはバス便があった。

f:id:shashosha70:20170904183445j:plain

(写真3 右手に函館山が見えてきたら到着が近い)