ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

01-03 東日本大震災と鉄道

宮古から田老そして島越へ

(写真1 防潮堤の上から見た田老の街) 大震災から10年目の被災地へ③ 宮古では1泊し、翌日さらに三陸鉄道(三鉄)を北上し、田老から島越へと向かった。前日の雨はやまず、かえって風雨は強まっている。しかも寒い。 (参考1 被災した工場には〝全員無…

陸前高田から大船渡そして宮古へ

(写真1 大船渡線BRTと三陸鉄道が接続する盛駅) 大震災から10年目の被災地へ② 陸前高田からは再び大船渡線BRTで大船渡へ向かった。雨は強まるこそすれ弱まる気配はまったくない。車窓から写真を撮ろうにも曇ってうまくいかない。 (写真2 風光明…

大震災から10年目の被災地へ①

(写真1 復興で生まれ変わった陸前高田の新市街) 岩手県沿岸部を北上 2011年3月11日に発生した東日本大震災からちょうど10年目。昨年こそコロナの影響で来られなかったが、震災直後から私は毎年欠かさず被災地を訪れてきた。今年もコロナは収まっ…

復興のシンボル石巻線女川駅

シリーズ 駅 情景 (写真1 震災から生まれ変わった女川駅=2016年7月4日) 行き止まりの終着駅 女川駅は、東北本線の小牛田駅を起点とする石巻線の終点であり、行き止まりの終着駅である。路線距離は44.7キロ。途中に石巻駅があるが、仙台-石巻間を…

部分復旧を重ねて運転再開した常磐線

特集 常磐線復旧への軌跡③ (写真1 原ノ町駅では前後ともに不通となり構内には取り残された特急車両。後方には普通列車車両も留置されていた) 原発事故と津波 異なる二種の被害 常磐線の復旧は少しずつ進んできた。直接の被害のあった広野-亘理間だけで1…

広野駅で線路は封鎖

特集 常磐線復旧への軌跡② (写真1 上下線をまたぐ仮設の足場によって線路が寸断された広野駅=2011年12月30日) 原発事故で寸断された常磐線 常磐線は、線区上は日暮里駅(東京都荒川区)から岩沼駅(宮城県岩沼市)を結ぶ全長343.1キロの長い…

全線で運転再開の常磐線

特集 常磐線復旧への軌跡① (写真1 全線運転再開への期待をにじませる幕=双葉駅で) 帰還困難区域を鉄道が走る 東日本大震災と福島第一原子力発電所事故の影響から最後まで不通となっていた富岡-浪江間が復旧、常磐線は3月14日全線で運転を再開した。 復…

定点観測地点田老へ

(写真1 2019年3月26日震災8年目の田老) 8年目の被災地を訪ねて③ 宮古からはさらに北上を続け田老を目指した。宮古-田老間は、鉄道なら路線距離12.7キロ、約19分、自動車でも約20分のところである。現在は宮古市に編入されている。 (写真…

復旧した旧山田線と沿線

(写真1 復旧した第34閉伊川鉄橋を渡るリアス線列車) 8年目の被災地を訪ねて② 陸前高田から被災地を北上してきて、釜石から宮古までは三陸鉄道に移管された旧山田線沿線。 復旧までに8年を要したが、開通してみれば、鉄道の復活は沿線住民が熱望したも…

8年目の被災地を訪ねて①

(写真1 陸前高田で14メートルもかさ上げされた台地) 陸前高田から釜石へ 岩手県の三陸沿岸が北から南まで鉄路でつながった三陸鉄道リアス線163.0キロを通常営業2日目の3月25日に久慈から盛まで一本で乗り通したが、翌26日には、レンタカーで…

BRTで陸前高田へ

(写真1 盛駅を発車したBRT=右。左はリアス線車庫) 専用道率向上が課題 久慈から盛まで三陸鉄道リアス線163.0キロを一直線に乗り通したあとは、引き続き盛からは大船渡線に乗り継いで陸前高田に向かった。 大船渡線は、盛から一関を結ぶ路線だが、…

三セク最長久慈-盛間163キロ

(写真1 久慈駅で購入した久慈発盛行ききっぷ。戻ることはできないが片道で途中下車が可能なきっぷである。3,710円) 三陸鉄道リアス線全線乗り通す③ 釜石を出ると旧南リアス線区間となる。乗客の多くは釜石で下車してしまいやや空いた。 この区間は海沿い…

8年ぶり悲願の復旧宮古-釜石間

(写真1 第34閉伊川鉄橋にさしかかった列車。崩落した鉄橋が復活した) 三陸鉄道リアス線全線乗り通す② 宮古では15分の停車。10時00分の発車。1番線。かつてはJRが使用していた改札口に面したホーム。三陸鉄道(三鉄)の使用に移行したもののよ…

三陸鉄道リアス線全線乗り通す①

(写真1 ホームで列車を歓迎する子どもたち。岩手船越駅で) 盛から久慈へ8年ぶりの全通 震災の影響で不通となっていた山田線沿岸部が復旧し、盛駅から久慈駅まで8年ぶりに鉄路でつながった。3月23日復活の記念運転が行われた後、翌24日から通常の運…

復旧工事急ピッチ山田線宮古-釜石間

(写真1 駅ホームの形を見せ始めた山田線大槌駅)被災地の鉄道 岩手県沿岸部の鉄道には、北から三陸鉄道北リアス線、JR山田線宮古-釜石間、三陸鉄道南リアス線とあっていずれも甚大な被害のあったところだが、このうち南北のリアス線についてはいち早く復…

山田から田老へ

(写真1 国道45号線沿いに延々と続く防潮堤の壁)7年目の被災地へ③ 遅れていた山田の市街地でも復興工事が急速に進んできていた。市街中心部では銀行の支店が次々と開業し、スーパーマーケットなど商業施設も賑わっていた。 海際を走る国道45号線沿い…

国道45号線を北へ

(写真1 鵜住居駅前に建設中のラグビーワールドカップ大会の会場)7年目の被災地へ② 大船渡からは国道45号線をひたすら北へ進み釜石を経て山田を目指した。 釜石の次が鵜住居((うのすまい=釜石市)。山田線なら釜石から二つ目の駅。山田線の復旧工事が…

7年目の被災地へ①

(写真1 土地の嵩上げ工事が進む陸前高田市街。奥は高田松原の防潮堤)岩手県沿岸部を北上 2011.3.11の東日本大震災から7年になる被災地を訪ねた。 震災直後から毎年現地を訪れているが、今年は岩手県沿岸部を南から北へと巡った。毎年決まったよう…

運行再開の竜田-富岡間に乗る

(写真1 富岡駅。運行再開に合わせて駅舎も駅前も新しくなっていた)部分復旧重ねる常磐線 昨2017年10月21日に運行を再開した常磐線竜田-富岡間に乗りに出かけた。 常磐線は、2011年の東日本大震災による地震と津波ばかりか原発事故の影響もあ…

島越駅と復活した吉村文庫

(写真1 三陸鉄道北リアス線のカルボナード島越駅)6年目の被災地へ(4) 三陸鉄道北リアス線島越駅は、宮古駅から7つ目、33.4キロ、列車で40数分のところ。陸路ではとても不便で自家用車で約2時間ほどもかかる。 ここは、駅舎が流出するなど北リ…

山田線の復旧工事進む

(写真1 駅構内の階段が完成していた陸中山田駅)6年目の被災地へ(3) 甚大な被害となった岩手県沿岸部の鉄道だが、復旧は各社各線が各様となった。全体的には山田線の帰趨がはっきりしやっと復旧の全体像が見えてきたというところだった。 岩手県沿岸部…

釜石から田老へ

(写真1 6年目にして初めて住宅が建ちはじめた大槌市街)6年目の被災地へ(2) 釜石を後に国道45号線の北上を続けた。鉄道でいえば、山田線の沿線ということになるが、津波被害のもっとも甚大だった地帯でもある。 壊滅した大槌で、新しい道路が引かれ…

6年目の被災地へ(1)

(写真1 陸前高田では14.1メートルもかさ上げして新市街地を建設していた)風化はさせない 先週は三陸に行ってきた。27日に現地に入った。 東日本大震災発生以降毎年欠かさず3.11の前後に被災地を訪れてきていた。ただ、昨年が5年目の節目だったの…

帰還困難区域を行く

(写真1 常磐線竜田駅。上野方面から来ると鉄路はここで分断されており、この先は帰還困難区域で不通である)常磐線不通区間は代行バスで 寸断されていた常磐線のうち旧臘10日に運転再開した相馬-浜吉田間に乗るべく出かけたが、相馬までのうち未だ復旧し…

相馬-浜吉田間運転再開

(写真1 新線に付け替えられ新駅となった新地駅ホーム)部分復旧の常磐線に乗る 12月10日に相馬-浜吉田間の運転を再開した部分復旧の常磐線に乗った。 12月24日土曜日。上野7時ちょうど発(始発は品川6時44分)の特急ひたち1号をいわきで普通…

女川へ

(写真1=復興を象徴するように小洒落た商店街が並ぶ女川駅前) 仙石線と石巻線 このたびの岩手・宮城沿岸部の旅では、宮古からはそれぞれに所要があって盛岡と松島に泊まった後は、仙石線と石巻線を乗り継いで女川へ向かった。 仙石線高城町駅。松島温泉の…

山田線と北リアス線

(写真1=橋桁が架けられた山田線閉伊川鉄橋) 被災鉄道の今 山田線(盛岡-釜石間)のうち、沿岸部を走る宮古-釜石間55.4キロは津波被害が大きく、宮古駅に近い閉伊川鉄橋が崩落したほか、沿線の大半で線路が流出し、陸中山田、織笠、大槌、鵜住居では駅…

ブログ開設の挨拶

(写真は北海道恵山岬。大海原を前に両手を広げて余る240度もの眺望だ) 旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。 出版社勤務をリタイアし今日も旅枕に夢を見る古希男が勤務時代のブログ「秋葉原日記」、「AKIBAノー…