ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

津軽海峡を渡る

日本海峡紀行

(写真1 青函航路を渡るフェリーからみた津軽海峡)

青函航路で函館へ

 津軽海峡ほど演歌の似合う海峡もないのではないか。風の強さか、北へ渡るという心情か、寂しさがつのり、心して渡らなければならい覚悟がいるようだ。
 津軽海峡とは、本州北端と北海道南端との間にあって、日本海と太平洋とを結ぶ海上交通路である。
 海峡の長さは、東西に約130キロ、海峡幅は、最も狭いのは海峡の東側に位置する亀田半島汐首岬と下北半島大間崎との間で約18.7キロ。二つの岬どちらからも対岸のように望むことができる。これに対し、海峡西側の松前半島白神岬と津軽半島龍飛崎の間が19.5キロ。この海峡西側に鉄道専用の青函トンネルが通じており、鉄道で直接結ばれている。わずかの差だが直線距離で長い海峡西側にトンネルが掘られることになったのは、海峡の水深が西側の方が浅かったためとされている。
 かつては、鉄道連絡船である青函連絡船が本州と北海道を結んでいた。しかし、1988年(昭和63年)青函トンネル(全長53.89キロ)の開通により、青函連絡船は廃止となった。
 かつて、一度だけだがこの青函連絡船に乗ったことがあり、青森から函館まで約4時間を要したと記憶している。しかし、この4時間の間ずうっとデッキで海を飽かず眺めていたものだった。旅情がつのったものであろう。
 鉄道連絡船は廃止されたが、現在もこの青函航路にはフェリーが就航している。「青函フェリー」と「津軽海峡フェリー」の2社が運航しており、どちらも1日8便ほど両社合わせて16便もの運航があり、青函航路は現在も重要な航路なのだ。
 海峡は船で渡りたいもの。いかに鉄道ファンといえどもトンネルで横断したのでは風情がそがれるというもの。

(写真2 津軽海峡フェリーの青森港ターミナル)

 青森港から津軽海峡フェリー。ターミナルはかつての連絡船桟橋とは離れており、青森駅からタクシーで5分ほど。乗船手続きは出航40分前までに済ませなければならない。ターミナルから岸壁まではバスで運ばれた。乗る船によって変わるようだが、ターミナルから直接ボーディングブリッジで乗船するのではなく、地上から徒歩で乗船する便だった。たくさんのトラックや乗用車が船腹に吸い込まれるように運ばれた。私のように徒歩で乗船する客は少ないようでわずか数十人だったか。

(写真3 函館港に到着した津軽海峡フェリーブルーハピネス)

 乗った船はブルーハピネス。全長約144メートル、総トン数8,850トンという大きな船。旅客定員数583名、積載台数はトラック71台(乗用車230台)とある。かつての青函連絡船だった「八甲田丸」が総トン数5,382トンだったから現在のカーフェリーの大きさがわかろうというもの。

(写真4 カーペット敷きのスタンダードルーム。横になっている人もいる)

 船体は、1階が車両甲板で、客室は2階3階の2層になっていて、下層階にはスタンダードルームがあって、カーペットが敷いてある大きな部屋。横になっている人もいる。この階にはシャワールームや売店など様々なサービスカウンターもあった。上層階はコンフォートやスイートルームのようだった。私は料金の最も安いスタンダードにしたから、廊下に置かれたテーブル席に陣取っていた。大変残念なことだが、この日は風が強く、デッキへ出ることが許されなかったのだった。
 7時40分出航。滑るように動き出していて岸壁を離れたことにも気がつかなかった。すれ違う景色が遠いからスピード感が感じられない。眼下の海上を眺めていると、蹴散らす波でかろうじて速さがわかった。海上ではおびただしいほどの船舶が沖待ちをしている。すれ違うのはフェリーが目立つようだった。
 青森港から函館港への航路は、しばらく大きな陸奥湾を横切っていくので左窓に津軽半島を眺めながら並行するように北上していく。

(写真5 左窓津軽半島に遠望できた平舘灯台)

 カニの爪のようにも見える下北半島と津軽半島の最も狭い部分は平舘海峡と呼ばれるが、この津軽半島の平舘灯台にさしかかったら8時47分で、海峡に出て龍飛崎が遠望できるようになったらもう9時を過ぎていた。時間としては航路の半分ということか。青森港-函館港の青函航路上の距離は約113キロらしいから、陸奥湾を横切るのに50キロも要したことになる。そうすると、湾奥こんな遠くになぜ港を設けたものかという疑問が湧く。もっとも、北海道に近い大間崎も龍飛崎も陸路なら青森から1時間も2時間もかかるから容易ではない。鉄道は敷かれていないし。

(写真6 林立する巨大なクレーンが見えてくれば函館港入港はもう間近だ)

 海峡を横断していくと、やがて北海道の島影がはっきりしてきて、知内には10時過ぎ、、函館湾を守る葛登支岬灯台には10時40分頃さしかかった。
 やがて函館山が右に見えてきて、奥には函館港が迎えてくれる。巨大なクレーンが林立しているあたりは造船所函館ドックであろう。
 そうこうして函館港11時20分到着。全くの定時である。青森港から3時間40分だった。かつての青函連絡船が約4時間だったから、フェリーは多少船足が速くなったものであろう。
 津軽海峡フェリーのターミナルは、函館市街中心部からはバスで約10分のところだった。
  これまで数多くの海峡を渡ってきたが、津軽海峡は変化が大きく、情緒の深いものだった。デッキに出られれば、石川さゆりの大ヒット曲<津軽海峡・冬景色>を大きな声で歌いたいものだった。

(2022年10月12日)

ご報告 実は、このたびの津軽海峡旅行では、途中、体調を崩してしまいました。無理をして旅行は続けたのですが、それがよくなかったようで、身体を壊してしまいました。それで、10数年間休むことなく続けてきたブログも休載を余儀なくされ、断腸の思いでした。

 旅行中は、30数キロのリュックに15キロの大型カメラと望遠レンズを背負って移動しておりました。片道30分や1時間くらいの移動はいつもの通りです。
 しかし、後期高齢者になって、いつしか体力が落ちていたのでしょう。例年通りの旅行はもはや無理だと思い知らされた次第でした。
 それでも、旅は私の生きがいです。まだまだ行きたい海峡も残っております。体力回復に努め、一つひとつ踏破していきたいと念願しております。