ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

伊田線

f:id:shashosha70:20170421111915j:plain

(写真1 立派でしゃれた建物の田川伊田駅)
かつての炭田地帯を走る平成筑豊鉄道②
 伊田線は旧国鉄線を引き継いだ平成筑豊鉄道の路線で、直方駅と田川伊田駅を結んでいる。全線16.1キロ。
 田川伊田はなかなか大きな駅で、平成筑豊鉄道の田川線、伊田線に加えJRの日田彦山線が接続している。
 かつては駅別の石炭発送量で第1位だったというほどで、ここから田川線で行橋を経て苅田港へと運ばれた。
 また、伊田線では赤池、金田、糒などと大規模炭鉱を擁する最寄り駅からは直方を経て若松などへと運ばれた。
 圧倒的貨物量を支えるために伊田線は旧国鉄時代から全線で複線となっていた。全線で複線というのは特定地方交通線の中では唯一のものではないか。
 駅前に降り立ってみると田川伊田駅はなかなか立派な駅舎。石炭全盛時を彷彿とさせる趣きのあるしゃれた建物だ。
 1、2番線を日田彦山線が使用し、3、4番線を伊田線、田川線が利用している。
 その3番線から16時45分発直方行きに乗車した。田川線から乗り継いだのだが、何のことはない同じ列車だった。同じ席で同じ人と一緒になって気がついた。
 高校生の下校時間とぶつかったせいでほぼ満員。全国どこへ行ってもローカル線は高校生とお年寄りが最大のユーザーだ。

f:id:shashosha70:20170421112005j:plain

写真2 かつての繁栄ぶりを彷彿とさせる大きな構内を持つ金田駅)
 途中、糒(ほしい)という駅。難読駅だ。読み方がわかれば意味もわかるが。また、金田(かなだ)も炭鉱のあったところ。多数の留置線を抱えていて大きな構内を持っており、かつての繁栄ぶりが想像された。
 私はこの日はここでいったん糸田線に乗り換え田川後藤寺との間を往復したが、伊田線はさらに直方へと伸びている。
 伊田線の直方駅は片側1線の小さなホームがあるだけだが、筑豊本線の中心である直方駅自体は大きな構内を持っている。筑豊本線や伊田線など各線各駅から集まってきた石炭の中継貨車で溢れていたようで、往時、1日2100両もの貨車が構内にひしめき合い、50本もの石炭列車が若松に向けて発車していたという。
 直方17時55分着。関東ならばもう日が暮れなずむ頃だが、当地は日が長くまだ明るい。
 なお、直方駅前には、大関魁皇の立派な銅像が建っていた。ついに横綱にはなれなかったが、優しい力持ちのお相撲さんという印象で、大変な人気だった。

f:id:shashosha70:20170421112049j:plain

(写真3 直方駅に到着した伊田線列車。右はJR線)