ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

ボランティア駅長が活躍する北条鉄道

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(写真1 三重塔と並んで建つ法華口駅)

北条鉄道法華口駅で途中下車

 北条鉄道には、ステーションマスターという制度があって、ボランティア駅長が各駅でユニークで様々な取り組みが行われている。
 例えば、播磨横田駅では10月に着任したばかりの神月絢野ボランティア駅長がクラシック音楽のコンサートを企画しているし、播磨下里駅では住職の畦田ボランティア駅長が読経と法話を行っているし、同じ播磨下里駅ではもう一人の永長ボランティア駅長がお絵かき教室を開催、網引駅でも切り絵教室が開かれているという具合。
 また、長駅では浦濱ボランティア駅長がホームで列車の送り迎えを行っていて、昭和レトロそのままの雰囲気を醸し出している。
 このたびは、これらの駅のうち法華口で途中下車してみた。
 法華口駅では、一時、女性のボランティア駅長が列車を見送る姿が新聞やテレビに取り上げられて評判を呼んでいたが、くだんの女性駅長は1年前に家庭の事情とかで退任していて、新しく男性のボランティア駅長が就任していた。

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(写真2 法華口駅のパン工房モン・ファボリの様子)

 駅舎内には、モン・ファボリというパン工房が人気を呼んでいた。かつての出札窓口がレジになっているし、手荷物扱いのカウンターにはパンが並べられてあった。
 見ていると結構客は多くて、中には鉄道を利用しない客も少なくなくて、地元の支持も強いようだった。待合室はそのままカフェになっていて、私もパンとコーヒーをいただいた。
 法華口駅は、1915年に北条線が開業した当時からの駅舎で、すでに100有余年を経過し今や登録有形文化財に指定されている。
 ここはまた国宝三重塔で知られる名刹法華山一乗寺への最寄り駅で、駅舎の隣にはその国宝を模した三重塔が建っている。
 1時間に1本しかない北条鉄道のこと。途中下車してしまえば次の列車には1時間待たなければならないのだが、強制的に与えられたこの何もできない?時間がかえって貴重で、駅周辺などをぶらぶらしながら豊かな時間を過ごしたのだった。

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(写真3 歴史を感じさせるたたずまいを見せる法華口駅)

 

北条鉄道(兵庫県)

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(写真1 粟生駅4番線で発車を待つ北条鉄道列車)

播磨平野を北へ

 神戸電鉄粟生線を終点粟生で北条鉄道に乗り継いだ。
 北条鉄道の粟生駅は、JR加古川線粟生駅と共用で、立派な駅舎があった。神戸電鉄粟生駅とは大きな違いがあるが、これはある意味当然で、北条鉄道は旧国鉄北条線を承継したもの。かつての身内である。ただし、JR線に乗り入れる渡り線は撤去されているようだ。
 北条鉄道は、播磨平野を北に向かって伸びている路線で、加古川や姫路の北に位置する。兵庫県小野市の粟生駅から加西市の北条町駅を結んでいる。全線13.6キロ、駅数は8。
 北条鉄道は4番線ホームからの発着。そのホームの仕切り壁には北条鉄道枕木応援団のおびただしい数の名簿が掲示してあった。応援団に入団すると、枕木に名前などを記したプレートを貼り付けてくれるらしい。振興策の一環だろうが、それほど支持する人が多いということ。枕木1本が4,500円で、3年間有効。

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(写真2 のどかに広がる播磨平野の田園地帯)

 10月2日13時09分の発車。1両のディーゼルワンマン運転。
 車窓には豊かな田園地帯が広がっている。黄金色した稲穂が美しく、日本の秋の原風景だ。
 やがて法華口。近年人気の駅で、播磨下里、長と続けてこの3駅は1915年開業以来の駅で、国登録有形文化財に指定されている。
 そうこうして終点北条町到着、13時31分。加西市の中心だが、時間に余裕がなくてそのまま折り返した。
 ところで、列車はどこでも行き違いをしなかった。これは線内折り返し列車のみ1時間に1本あたりの運行だからで、線内には列車交換の設備がないようだ。

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(写真3 北条鉄道の終点北条町駅)
 

神戸電鉄粟生線

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(写真1 神戸電鉄鈴蘭台駅改札口。3方面への列車が発着している)

 パーミル会のメンバー路線

 神戸電鉄は、有馬線、三田線、公園都市線、粟生(あお)線の合計69.2キロのほか神戸高速線新開地-湊川間0.4キロを含め合計69.6キロを運行する私鉄。
 公園都市線を往復していったん三田に戻ったあとは、粟生線に乗るべく再び三田から三田線・有馬線を直通する鈴蘭台行きに乗車。三田10時53分発。4両のワンマン運転。
 三田線は途中有馬口までが線区。この有馬口から有馬温泉まで一駅間が分岐している。列車はそのまま有馬線に直通していて沿線は六甲山地の北側の裾地、細長い盆地を貫いている。そうこうして終点鈴蘭台11時35分の到着。
 鈴蘭台駅は9月25に開業したばかりという真新しい駅ビル。商業施設なども入居している大きなビルだった。この駅は神戸新開地方面、三田方面のほか粟生線が接する神戸電鉄にとって重要な駅。
 粟生線は、この鈴蘭台から粟生間29.2キロを結んでいる。駅数は20。3階が改札口になっていて、2階に2面4線のホーム。粟生線は4番線からの発車。12時09分。4両のワンマン運転。平日日中の下り列車にしてはまずまずの乗客。ただ、朝夕はともかく、日中は1時間に1本の運行しかない。
 鈴蘭台を出て少しして勾配に入り、木津の手前では一気に50‰の急勾配となった。勾配区間が多く、使用車両も勾配に対応した設計になっているのが特徴。製造は全車両地元神戸の川崎重工。
 こうした急勾配区間があるところから、全国の登山鉄道事業者6社で組織する親睦団体全国登山鉄道‰会(通称‰会=パーミルは勾配を示す記号)のメンバーとなっている。
 また、車内はどこか既視感にとらわれたが、これはマホガニー調の内壁などが阪急電車に似ていたからであろう。
 木津を出て平地となったら木幡との間に広大な車両基地があった。
 沿線には田畑が広がっていて、黄金色に輝く稲穂は美しく、すでに稲刈りが始まっていた。
 やがて広野ゴルフ場前駅。駅前の道を挟んでゴルフ場の正門が見えた。これほど鉄道駅に近いゴルフ場というのも珍しいが、駅名がゴルフ場名というのはもっと珍しいのではないか。廣野ゴルフ倶楽部といい、何度かプレーをしたことがあるが、超が付くほどの名門で、日本を代表するゴルフ場である。また、ゴルフ場の敷地内には日本ゴルフ協会が設立運営するJGAゴルフミュージアムがある。
 志染(しじみ)で、列車交換が行われ、やがて三木に。ここには、直ぐ傍ではないが、今は廃線になってしまったがかつて三木鉄道の三木駅があった。三木鉄道は、厄神と結んで第三セクター鉄道で最も短い営業キロの路線を運行していた。

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(写真2 加古川を渡ったらすぐに終点だった)

 そうこうして加古川を渡ったら終点粟生到着。13時00分ちょうど。狭い片側1線のホームがあるだけで、改札を出ると、北条鉄道とJR加古川線の粟生駅に直結していた。

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(写真3 粟生駅に入線する列車。右が神戸電鉄粟生線、左はJR加古川線で、北条鉄道は左奥である)

神戸電鉄公園都市線

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(写真1 公園都市線列車が発着する三田駅ホーム。左は三田線、右が公園都市線列車)

大規模ニュータウンをつなぐ

 先週は4日間にわたり大阪を起点に山陰から山陽にかけて駆け巡っていて、細かく見れば、福知山線、神戸電鉄、北条鉄道、加古川線、再び福知山線、山陰本線、因美線、若桜鉄道、智頭急行、山陽電鉄、山陽本線、東海道本線と乗り継いだ。東京-大阪間往復を除き域内の総乗車距離は621.7キロに及んだ。
 まず、神戸電鉄公園都市線。線区上は三田(さんだ)線の横山とウッディタウン中央を結ぶ全線5.5キロ、駅数4の路線だが、すべての列車は三田発着となっている。
 三田駅は、JR福知山線三田駅に隣接してある。地上駅で、1面2線のホームがあり、1番線が公園都市線、2番線に三田線が発着している。朝の通勤通学時間帯だから、多くの乗客がはき出されてくる。
 三田市は、大阪や神戸の衛星都市として位置づけられ、大規模なニュータウンが整備されている。大阪から福知山線でやってくると、宝塚を過ぎてめっきり緑が濃くなる。丹波路快速なら大阪からわずか45分の距離である。
 六甲山地の北側に位置し、沿線には三田盆地が広がっており、田園地帯と急速に発展したニュータウンの二つの顔を持っているようだ。
 三田駅は三田市の中心。8時03分ウッディタウン中央行き。3両、ワンマン運転。通勤通学の乗客で満員。
 三田本町を出て次の横山で、高校生がごっそり下りたら、満員だった車内が一気に空いた。三田学園という学校らしい。
 ここから右に分岐して公園都市線に入った。やや長めのトンネルを抜けるとフラワータウン。1980年代から始まった開発で、最も早くに開けたニュータウン。

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(写真2 公園都市線終着駅ウッディタウン中央駅)

 沿線にはどこまでも緑豊かな団地が次々と続いており、南ウッディタウンで列車交換が行われた。そして終点ウッディタウン中央到着。三田からわずか12分の乗車。
 駅前に立つと、丘陵を切り開いた住宅地がどこまでも伸びていて、きれいな街並みが豊かな印象を深くしている。たいそうな大規模開発で、大阪なら千里ニュータウン、首都圏なら多摩ニュータウンに匹敵するであろうか。
  ところで、田園都市線は横山を出ると単線になっており、トンネルを抜けたあたりから、鉄道線路を中央に左右に一般道路が並行している。鉄道では、複線化の路床がすでに整備されていた。 右肩上がりに増え続けてきた人口の流入も、ここに来てなだらかになったらしいから、複線化が実現するのは容易ではないかも知れない。もっとも、列車はパターン運行を行っており、単線でも特にストレスは感じなかったが。

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(写真3 ウッディタウン中央駅の駅前に広がるニュータウン)

静岡鉄道

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(写真1 新清水駅外観)

静岡と清水を結ぶ

 現在はすべて静岡市内となったが、細かくいえば葵区の新静岡駅と、旧清水市に当たる清水区の新清水駅を結んでいる。略称静鉄はかつては複数の路線を抱えていたが、現在は一つ静岡清水線というのが路線名称で、この間営業キロが11.0キロで、駅数は15。
 9月23日日曜日。このたびは新静岡駅からではなく新清水駅から乗った。JRの清水駅は新駅舎になってとてもにぎやかに見えたが、新清水駅は、JR清水駅からはちょっと離れている。ただ、周辺には区役所や銀行の支店が多いようだったから、町の中心はこっちの方かも知れない。

 

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(写真2 新清水駅に停車中の新静岡行き列車)

 2面3線のホームで、運転本数は多く、1番線から14時27分発に乗車した。2両、ワンマン運転。
 路線は住宅街の中を走っており、東海道本線と並行している部分が多い。狐ヶ崎駅では右に並行する東海道線の列車が高速で抜けていった。
 頻繁に停車する。JR線は途中に2駅しかないのに対し、静鉄は14駅もあり、駅間距離が短く、1キロ未満のところが大半。しかし、このことがこの静鉄の特徴で、途中の乗降客が絶えない。
 そうこうして新静岡14時48分到着。頭端式2面3線のホームで、頭端側に改札があった。
 新静岡セノバという複合商業ビルの1階になっている。JR静岡駅まで徒歩7分ほどか。この間が繁華街のようで、大変にぎわっていた。
 かつては、静岡も清水も年に数度は訪れている時代もあったが、このたび訪れてみるとすっかり様変わりして大都会になっていて驚いた。

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(写真3 頭端式2面3線のホームが並ぶ新静岡駅)

岳南電車

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(写真1 JR駅に直結している岳南電車吉原駅)

富士の裾野を走る

 岳南電車岳南線は、静岡県富士市の吉原駅から岳南江尾駅に至る全線10キロに満たないまことに小さなローカル私鉄路線。
 9月23日。東海道線普通電車を吉原で下りると、ホーム富士寄りに階段があって、岳南電車吉原駅に連絡できた。JR駅の隅っこに駅舎を設けたという様子で、駅前も狭い道を挟んですぐにどこかの会社の倉庫という風情。
 岳南線は、全線9.2キロ、10駅。起点の吉原駅は1面2線のホーム。1両の電車。7000系といい、レールバスのような車両だ。黄色い車体で、ハロウィンを模したのか、先頭にはひげがデザインされてる。
 この日は日曜日だったから、小さな子供を連れた家族連れの姿が目立つ。鉄道坊やという様子で、運転席のすぐ後ろに陣取って目を輝かせている。

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(写真2 電車は工場地帯をかすめながら走っている)

 10時17分発。電車は吉原を出るとすぐに右にカーブし東海道線をくぐる。するといきなり工場地帯に入ったようで、製紙工場なのか、工場のプラントが間近になり、まるで工場の構内を走っているようなところもある。
 この日は日中だから想像するしかなかったが、これが夜間なら工場のあかりが美しいのだろうと思われた。日本夜景遺産に認定されていて、夜間の運転は鉄道ファンの間で大きな人気がある。
 吉原本町、本吉原と吉原の中心を抜けていく。それにしても、吉原本町と本吉原と続くと、どっちが正当な中心かといぶかってしまう。
 それにしても駅間距離が短くて、頻繁に停車する。吉原本町-本吉原間など300メートルしかない。工場への引き込み線もあちこちで見られた。大工場が多いのである。
 岳南原田で上り列車との交換が行われ、岳南富士岡には車庫があり、電車が1両留置されていた。
 車窓からはほぼ全区間で左に富士山が望めるはずだが、残念ながらこの日は薄曇りなものの富士の頂は見えなかった。
 そうこうして、東海道新幹線の高架をくぐって終点岳南江尾。10時38分で、約20分の短い旅。

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(写真3 終点岳南江尾駅ホーム。奥の高架は東海道新幹線)

切手「灯台150周年」

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(写真1 灯台150周年記念郵便切手シート)

灯台の役割に思いを致す

 灯台150周年記念郵便切手が発行されている。82円郵便切手10枚組1シートの特殊切手で、シート単位の販売であり820円。
 我が国ではこれまでも何度か灯台に関する記念切手が発行されてきたようだが、このたびは1968年の「灯台百年記念」(15円切手)以来ちょうど50年ぶり。
 5種類の切手が2枚ずつ10枚セットになっており、歴史上重要な灯台が図案化されている。
 今年は我が国最初の洋式灯台である観音埼灯台(神奈川県横須賀市)が起工されて150年となり、その起工日11月1日が灯台記念日と定められており、その観音埼灯台が新旧2枚。シートの左1枚目が現在の灯台で、左5枚目が初代の観音埼灯台が描かれている。
 左2枚目は神子元島灯台(静岡県下田市)で、下田沖11キロの小島に建つ。1871年(明治3年)11月11日の竣工で、石造としては我が国に現存する最古の灯台。世界歴史的灯台百選。
 左3枚目は室戸岬灯台(高知県室戸市)で、1899年(明治32年)4月1日の初点灯。鉄造で、全国に5基しかない第1等フレネル式レンズの一つであり、光達距離約49キロは日本一。
 左4枚目は部埼(へさき)灯台(福岡県北九州市)。1872年(明治4年)3月1日初点灯。灯台の父リチャード・ブラントンの設計で、その歴史的価値からAランクの保存灯台に指定されている。
 こうして並べてみると、観音埼灯台のほかは明治期に建設された本州、四国、九州の代表的な灯台が選ばれているようだ。