(写真1 日本三大稲荷の笠間稲荷神社)
笠間稲荷の門前町
冬の日差しを選んで茨城県の笠間を訪れた。笠間は、茨城県の中部、水戸の西に位置し、栃木県境に近い。笠間稲荷の門前町として栄え、笠間焼で知られる陶器の町でもある。古くは笠間藩の城下町でもあった。
現在の笠間市は、旧笠間市に友部町と岩間町が合併して広域になったが、古くからの笠間への最寄り駅は、水戸線の笠間駅。しかし、常磐線の友部駅から〝かさま観光周遊バス〟が運行されている。周遊バスでも笠間の中心街まで10数分。笠間の主だった観光スポットを回る。
友部駅を出発すると少しして笠間焼の窯元の看板が目立って増えてくる。ギャラリーロード、工芸の丘・陶芸美術館などと続き、笠間日動美術館あたりから笠間の中心に入り、やがて稲荷神社。
(写真2 笠間稲荷の門前通り)
笠間稲荷は、日本三大稲荷に数えられる神社で、五穀豊穣、商売繁盛の神として古くから信仰を集め、年間350万人もの参拝者が訪れるという。ちなみに、三大稲荷とは、京都の伏見稲荷大社を筆頭にここ笠間稲荷と愛知県の豊川稲荷。ただし、諸説ある。
赤い大きな鳥居をくぐって進むと立派な本殿。コロナ下であり、初詣の時期もずれているから人出はさほど多くはない。正月三が日の初詣には80万人もの参詣者が訪れるというが、この時期は1年で最も少ない参詣者なのかもしれない。
(写真3 そば屋のいなり寿司は中身がそばだった)
それでも、門前通りには参詣者の姿が多く見られた。いなり寿司を売っている店が多い。そば屋も多い。そば屋でそばを食べたが、一緒に頼んだいなり寿司は中はご飯ではなくてそばだった。そば稲荷というらしい。これは珍しい。また、この店のきつねそばは、大きな揚げが載っていて稲荷そばと称していた。
一方、笠間は城下町でもあり、街の東側に笠間城跡がある。小高い丘の上に天守があったようだが、現在は石垣が遺構となっている。この日は寄らなかったが、かつて見学した際にはあまりにも急な登りに難儀したものだった。それでか、殿様も普段は麓の館に住んでいたらしい。
(写真4 浅野家家老大石内蔵助の銅像)
城主は頻繁に改易、転封となっており、その後赤穂に移った浅野氏が入っていた時代もあった。笠間日動美術館の隣には家老だった大石邸跡があり、赤穂浪士討ち入りで名高い大石内蔵助良雄の討ち入り姿の立派な銅像が建っている。(2021年2月3日取材)
(写真5 笠間市街を回る〝かさま観光周遊バス〟)