ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

龍飛崎 鋭く津軽海峡に突き出る

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(写真1 龍飛崎の突端から津軽海峡を望む)
演歌の似合う岬と灯台
 このたびの津軽海峡旅行では、本州側では下北半島大間崎に続いて津軽半島龍飛崎を目指した。この間に、北海道側では函館湾をにらむ葛登支岬灯台を訪ねていたから、津軽海峡を挟んで本州、北海道の有力岬を一挙に踏破したことになる。
 しかも、龍飛崎には、本州を北上してきたのではなく、北海道から津軽海峡を越えて訪ねていて、なかなかユニークなルートを開拓したのだった。
 9月4日。JR北海道の北海道新幹線を奥津軽いまべつ駅で下車、隣接する津軽二股駅からJR東日本の津軽線に乗り換えた。接続駅ではあるが、この二つの駅を乗り継ぐ者は滅多にいないのではないかと思われる。離れ業みたいなもので、面白い旅程ではある。
 津軽二股12時09分の発車。2両のディーゼル。ワンマン運転。津軽二股を出てすぐに新幹線の高架をくぐった。津軽浜名で右窓に津軽海峡が現れ、三厩12時24分到着。津軽線の終着駅である。島式1面2線のホームがあり、10人ほどがばらばらっと降り立ったが、いかにも行き止まりの終着駅の風情がある。
 駅前では、龍飛埼灯台行きの外ヶ浜町営バスが発車を待っていて、降り立った乗客の半数ほどが乗り込んだ。料金はわずか100円。本来は町民のための足なのだろうが、観光客にも開放していて大変ありがたい。このバスがあって龍飛崎はぐっと近くなった。同じように地元自治体が運行しているのは男鹿半島の入道崎もそうだった。
 12時34分の発車で、バスは海沿いに走り、いったん岬の麓にある竜飛漁港まで行った後、少々戻って龍飛埼灯台へと岬を登っていく。約30分で目的地。
 停留所は灯台下というのが似つかわしいようなくびれた場所にあって、バス停から5分ほど階段を登ることになる。
 岬のてっぺんに立つと、津軽海峡が眼下に大きく広がっている。この日は晴れていてとても見晴らしがいい。
 龍飛崎は津軽半島の北端にあり、対岸は北海道の白神岬である。左に目を移すと、小島がおぼろげに見える。さらに目をこらすとそのやや右後方にもう一つ島影が見えるがこれは大島。大島が見えることは滅多にないことで、これは好条件が重なった。
 右に目を向けると、下北半島が大きく見える。いわゆる鉞の刃の部分である。また、右前方遠くには函館山が見えた。この山は形に特徴があるのでわかった。
 この日は風が弱い。風の強いのが龍飛崎の名物みたいなものだから、これはこれで張り合いがない。それこそ風の強い日など、這うようにして歩かなければ飛ばされそうなこともあった。
 龍飛崎は100メートルもの断崖になっているから、足下の潮騒が聞こえてこない。海上ではしきりに船舶が往来している。小さな漁船も多い。
 岬の突端には、レーダーの施設がある。どういう仕組みなっているかはわからないが、津軽海峡の往来を監視しているのだろう。防衛省の施設で、岬の突端といえば海上保安庁が設置する灯台が一般的だからこれは珍しい。津軽海峡の防衛上の位置がわかる。

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(写真2 津軽海峡の入口を照らす龍飛埼灯台。背景は日本海である)
 その灯台だが、龍飛埼灯台は防衛施設の位置からはやや斜め後方に下がったあたりにある。灯台のレンズが向けている方向を見ると、どうやらこの灯台はまっすぐ白神岬に向いているのではなく、津軽海峡の出入り口と日本海をぎりぎり両睨みしているように思われた。
 灯台はややずんぐりしている。これは風に負けないようにというよりも、平均海面から灯火までの距離である灯火標高が119メートルもあるからで、灯高は13.72メートルである。第三等フレネルレンズなそうで、実効光度が47万カンデラ、光達距離は23.5海里(約44キロ)というから大型だ。初点は1932年。なお、座標は北緯41度15分30秒、東経140度20分33秒である。
 龍飛崎は大きな岬で、岬の突端近くにいるとわかりにくいが、後方に下がって岬全体を眺めると、大きな岬が鋭く津軽海峡に突き出ていることがわかる。同じように津軽海峡に面しながらおとなしい下北半島大間崎とはまったく風景が違う。
 いかにも岬らしい情緒のあるところで、この劈頭に立つのはこれで6回目。初めが1989年6月17日で28年前だった。その後も季節の折々に訪ねていて、真冬に訪れたときなど、あまりに風が強くて吹き飛ばされそうだったし、ものすごく寒いのだが、これほど風が強いと雪も積もれないのだということを知った。この環境は襟裳岬に似ているか。
 前回訪れたのは2015年7月3日。わずか2年前のことだが、何度でも訪れたくなる魅力のある岬だ。唐突だが、何かしら演歌の似合う岬だなという印象があった。
  帰途は、階段国道339号線を使って岬の麓に下りた。階段国道は龍飛崎の言わば名所みたいなもので、その名の通り階段がれっきとした国道になっているのである。
 国道339号線そのものは弘前から五所川原、小泊を経て外ヶ浜町に至る一般国道だが、龍飛崎付近では階段とそれに続く歩道が国道になっているのである。もとより車両の通行のできない国道は全国でもここだけのことで、龍飛崎付近は断崖絶壁で回り込む道をつくることが出来なかったのだろう。太宰も『津軽』で竜飛は道が果て、ドボンと海に落ちるだけだと書いている。
 なぜ、階段が国道になったのか。役人が現地も見ずに地図だけで国道と指定したからとの説が有力なそうである。
 段数で362段、標高差約70メートルの急な階段を下り着くと、そこは竜飛漁港で、わずかだが集落があった。

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(写真3 国道339号線。階段だがれっきとした国道でいわゆる階段国道である)