ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

山田線の復旧工事進む

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(写真1 駅構内の階段が完成していた陸中山田駅)
6年目の被災地へ(3)
 甚大な被害となった岩手県沿岸部の鉄道だが、復旧は各社各線が各様となった。全体的には山田線の帰趨がはっきりしやっと復旧の全体像が見えてきたというところだった。
 岩手県沿岸部の鉄道には、北から順に三陸鉄道北リアス線(久慈‐宮古間71.0キロ)、JR山田線(宮古‐釜石間55.4キロ、盛岡‐宮古間を除く)、三陸鉄道南リアス線(釜石‐盛間36.6キロ)とあり、これにJR大船渡線のうち沿岸部を走る盛‐気仙沼間(43.7キロ=気仙沼‐一ノ関間を除く)が加わり、三陸縦貫線を構成している(気仙沼線を除く)。
 これらの各線は、ちょうど国道45号線と並行していて南から北へとつぶさに観察してきた。
 大船渡線の沿岸部気仙沼-盛間は、早くにBRT化(バス高速輸送システム)を選択した。この結果、鉄路ではないとはいえ、ともかく公共交通機関としての復旧は早かった。当初は、当面の措置のような話もあったが、今やすっかり定着したようだ。
 もっとも、この区間は、10駅中実に6駅で駅舎が流出するなど被害が甚大だった。
 鉄路が消えたことは残念だが、BRTは定時運行性もいいし、運転本数を増やしたり駅(停留所)を増設するなどして利便性の向上を図っており、地元の支持は悪くないようだ。今後は、以下に専用道の拡大を図っていくかということだろう。
 ただ、三陸縦貫線が鉄路としては途絶えてしまったことはいかにも残念なことではある。
 これに対し、南リアス線と北リアス線を運営する三陸鉄道は徹頭徹尾鉄路での復旧を目指してきた。
 南北いずれも被害の大きかった路線だが、少しずつでも復旧区間を拡大してきたのが功を奏したのではないか。
 北リアス線など、震災からわずか12日後には一部区間だが運転を再開していたし、宮古-田老間では「復興支援列車」を仕立て、無料で運行していた。地元にとってはいかに心強かったものか。
 この結果、三陸鉄道は南北リアス線全線で2014年4月には完全普及を果たした。

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(写真2 山田線では路盤の整備やレールの点検などが進められている。岩手船越駅で)
 被害がもっとも甚大だったのが山田線の沿岸部。実に11駅(起終点除く)中4駅で駅舎の流出があったし、鉄橋の崩落や線路の流出がほぼ全線に渡った。
 JRは、元来が赤字路線だったところ、しばらく復旧を棚ざらししていたふしがあったが、地元との協議の結果、結局、JRが2018年度中に復旧工事を成し遂げ、その上で三陸鉄道に譲渡するという筋道が立った。
 つまり、2019年3月あるいは4月には山田線は三陸鉄道の路線として復旧することとなり、八戸から盛に至る三陸縦貫線の大部分が復活することとなった。
 帰趨がはっきりしたことで山田線の復旧工事にも弾みがつき、山田線で駅舎が流出した陸中山田、織笠、大槌、鵜住居の各駅うち、陸中山田駅では、新しい駅の建設工事が進められていた。旧駅から数百メートルほど移動したもののようだが、新しい階段が山田線の復活を象徴しているようだった。駅前の開発も同時進行しており、コミュニティーセンターが完成していたほか、数棟に及ぶ大規模なアパートも建っていた。
 また、沿線では、駅舎の新改築や線路の補修などがあちこちで進められていた。本州最東端の駅である岩手船越駅では、レールの点検車が見られたし、駅舎の改築も行われていた。
 さらに、宮古駅にほど近い閉伊川橋梁では、崩落した橋桁の架け替えが済み、今年は昨年までは見られなかったレールが敷かれていていよいよ山田線に列車が走る日も確実になったことをうかがわせた。
 なお、山田線のうち一部区間で運休となっていた盛岡-宮古間では今年9月にも全線で運転が再開される見込みということだった。

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(写真3 橋桁が完成しレールも敷かれた宮古駅に近い閉伊川橋梁)