ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

素晴らしい東洋文庫ミュージアム

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(写真1 圧巻のモリソン書庫)
東洋学の世界的一大研究図書館
 静雅堂文庫を見学したことから触発されて久しぶりに東洋文庫を訪ねた。
 東洋文庫は、文京区本駒込所在。駒込駅に近く、不忍通りに面している。
 静雅堂文庫も東洋文庫もその生い立ちからするといとこ同士みたいなもので、静雅堂文庫が、三菱二代目当主岩崎彌之助、四代目小彌太父子二代によって設立されたのに対し、東洋文庫は三代目岩崎久彌によって設立された。現在も三菱グループの支援を受けているようだ。
 東洋文庫は、蔵書数約100万冊を誇る東洋学に関する専門図書館であり研究所でもある。アジア最大の東洋学センターであり、世界的にも東洋学に関する研究図書館として五指に入る。
 1924年の設立で、きっかけはモリソン文庫を岩崎久彌が購入したことに始まると言われている。モリソン文庫とは、タイムズのジャーナリストだったジョージ・アーネスト・モリソンが所蔵していた膨大なコレクションのことで、中国に関する欧文文献2万4千点。
 岩崎はこのモリソン文庫を基礎に、和書・漢籍に加え中国のみならずアジアから幅広く文献の蒐集を行ったという。特にチベット語、タイ語、アラビア語、ペルシア語、トルコ語などのアジア諸言語の文献を組織的に収集しているのが特徴となっている。

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(写真2 東洋文庫玄関外観)
 私はかつて学生時代に何度かこの東洋文庫を利用させてもらったことがあるのだが、このたび五十年ぶりに訪ねてびっくりした。
 数年前のことらしいが、すっかり立派なビルに建て変わっていた。私は大学の紹介状を持参して利用させてもらったと記憶しているが、職員の方の話によると、基本的な利用方法は変わらないらしい。一般の人も利用できないわけではないが、蔵書の大半は閉架になっており、専門的知識は必要であろう。
 それよりも、建物を新しくした際にミュージアムを併設しており、これは一般人にとっても大変興味深い。
 1階と2階がミュージアムにあてられており、1階のオリエントホールは企画展の展示室になっているようで、このたびは「ハワイと南の島々展」が行われていた。
 2階に上って仰天した。2階3階が吹き抜けになっていて、この壁面3層分が全面書棚になっているのだ。「モリソン書庫」と名付けられており、どうやら2万4千冊が陳列されているようだ。これは圧巻で、これほど大規模な書棚は私は大英博物館でしか見たことがない。
 また、国宝の『史記』(夏本紀)や重要文化財の『礼記正義』などが展示されていて、滅多に見られない展示が多くて感動した。コレクションは国宝7点、重文十数点にも上るらしい。
 ところで、1階にはマルコポーロと名付けられたミュージアムショップがあったのだが、ここで面白いものを見つけた。クリアファイルなのだが、その図柄が何と科挙の答案なのだった。科挙とは中国の官吏登用試験のことで、図柄になっているのは金榜と言う人物の殿試の答案だという。殿試とは、数段階ある科挙の最終試験のことで、金榜の答案は試験官全員が満点を付けたほどのものだったらしい。なるほど、内容もさることながら美しいほどの達筆だ。これを試験という決められた時間の中で書くわけだから科挙に合格すると言うことはなるほど過酷なことだったわけだ。

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(写真3 ミュージアムショップで販売されているクリアファイル。図柄が科挙の回答になっている)

岩波ホールが創立50周年

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(写真1 ロビーに掲示されている上映した映画のパンフレット)
独自のコンセプト貫く
 岩波ホールが創立50周年を迎えたという。ミニシアターの先駆け的存在で、1968年2月9日の開館である。
 白山通りと靖国通りがクロスする神保町交差点の角、岩波神保町ビルの10階にある。客席数は約220席。
 ミニシアターとは、明確な定義は難しいが、大手の配給系列によらず、独自の方針で上映する映画を選定しているところが多く、大方の場合、海外の名画などを発掘して上映している映画館と言える。ただ、名画座とも似たような位置づけになり、ボーダーレスな映画館も少なくないが、名画座が過去の作品のリバイバル上映を中心としているのに対し、ミニシアターは新作映画の上映に重きをなしている。なお、ミニシアターという言葉が登場してきた数十年前はともかく、現在では客席数の多寡による分類はあまり意味をなさないのが実情であろう。
 岩波ホールについては、設立以来の総支配人だった高野悦子の存在が大きいのではないか。すなわち、エキプ・ド・シネマ(フランス語で映画の仲間の意)を標榜し、世界中から名作を発掘してきた。だから、ロードショーを打つほどの大作はないものの、根強い映画ファンが岩波ホールを支えてきたとも言える。
 そのコンセプトは今日に至るも堅守されているようで、創立以来上映された映画の製作国は50カ国を超えていると何かで読んだ記憶がある。極めて重要で大きな仕事である。
 岩波ホールでは、現在、岩波ホール創立50周年記念作品第1弾としてジョージア映画『花咲くころ』を上映中だが、そのロビーには、これまでに上映した作品のパンフレットが壁に張り出されていて、その足跡がわかるようで興味深かった。
 私自身は年来の映画ファンで、岩波ホールにも開館以来足繁く通ってきた。特に、イングマール・ベルイマンやアラン・レネの作品は目を輝かせて見ていたものだし、ポーランド映画特にアンジェイ・ワイダの作品を一貫して取り上げてきた功績も見逃せないものであろう。
 この1年だけでも岩波ホールで私が見た映画は、ステファヌ・ブリゼ監督『女の一生』(フランス映画)、テレンス・デイヴィス監督『静かなる情熱』(イギリス=ベルギー映画)、アンジェイ・ワイダ監督『残像』(ポーランド映画)、アフィア・ナサニエル監督『娘よ』(パキスタン映画)、ルキーノ・ヴィスコンティ監督『家族の肖像』(イタリア映画)とあって少なくない。
 また、この数年まで幅を広げれば、『少女は自転車にのって』(ハイファ・アル=マンスール監督、サウジアラビア)、『風にそよぐ草』(アラン・レネ監督、フランス)などは今に至るも印象深い。

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(写真2 岩波神保町ビルの入口に架かっている看板)

映画『花咲くころ』

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(写真1 映画館で配布されていたパンフレットから引用)
ジョージア映画
 ジョージア映画である。どういう映画を作るのか非常なる興味があって初めて見た。
 ジョージアは、黒海東岸に位置し、北にロシア、南にトルコと接する。旧ソビエト連邦の構成国だったが、1991年に独立した。その際、日本政府はジョージア国政府の要請を受け入れて国名をグルジア表記からジョージアとした。グルジアはロシア語読みだった。首都はトビリシ。我々にとっては、大相撲初場所で平幕優勝した栃ノ心の母国として馴染み深い。映画で登場する人物たちも栃ノ心のように彫りの深い顔立ちである。
 仲の良い二人の少女エカとナティア。中学生くらいか。幼さと大人へ背伸びする姿が同居する二人の少女を清冽に描いて映画はまずは美しい。
 舞台は、1992年という設定だから、独立を契機に起こった内戦のきな臭さの残る首都トリビシ。生活は貧しく、パンの配給にいつも長い列ができている。
 ストーリーに複雑さはないのだが、暗喩が多くて注意深く見ていく必要が感じられた。
 父親のいないエカ。父親はどうしたのかと問いただすと家族は黙り込む。父親の引き出しを調べると、表紙にCCCPと表示されたソ連邦時代のパスポート。
 一方、ナティアは、好意を寄せる少年のラドからピストルを贈られる。ある日のこと。パンの配給の列に並んでいたナティアは、少年グループに車で連れ去られる。
 ここで映画はいきなり結婚披露宴の場面へとシフトされる。新婦は何と誘拐されたナティアだったのだ。ジョージアには誘拐婚?あるいは略奪婚?の因習があって、現在に伝わっているものらしく、問いただすエカに対しナティアは「愛はあとからついてくる」と語る。
 印象的な場面が二つあった。
 一つは、学校帰り、篠突く雨の中をかける二人。ずぶ濡れになったエカ。
 二つには、ナティアの披露宴でエカが踊る場面。伝統的な踊りなのであろうか、取り囲む参列者は愉快そうに手拍子を取る。踊りは激しく延々と続く。
 全編にちりばめられたメタファーと細かなエピソード。どのような心象風景だったのか。ストーリーが易しいだけにこの難解さは何か。鹿爪らしく強いて言えば、少女たち特有の感受性の強い姿があり、女性をないがしろにする因習があり、戦争や暴力に対する強い抵抗が描かれていたし、革命への郷愁とおののきすらもうかがわせられた。
 そしてラストシーン。収監されている父親に会いに刑務所に来たエカ。係官に年齢を尋ねられると14歳と答える。
 そうか、14歳だったのかと考える間もなくいきなりスクリーンが真っ暗になった。暗転したのかと思ったが、そうではなくて映画はここで唐突に終わったのだった。
 何ということか。はなはだ意味不明だった。少なくとも私にはそうだった。
  ただ、この映画は、ベルリン国際映画祭国際アートシアター連盟賞など世界中の映画祭で30もの受賞に輝いたことは紹介しておかなければならないだろう。
  ナナ・エクフティミシュヴィリとジモン・クロスの共同監督。脚本もエクフティミシュヴィリで、どうやら自らの少女時代の体験を投影したもののようだ。

ひな祭り

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(写真1 我が家のひな飾り)
桃の節句
 3月3日はひな祭り。桃の節句の年中行事で、我が家でもひな飾りを行った。
 女の子の成長を祈る行事だが、我が家では子供が二人とも女だったし、その子らも4人のうち3人が女の子で、ひな祭りは大きな行事。
 段を組み立てたり、段飾りを行ったりするのは男のやることと我が家ではなっていて、今年も納戸から箱を引っ張り出し飾り付けを行った。
 我が家ではたいしたものではないが七段飾りで、お内裏様や三人官女などと並べていくのだが、もう何十年も毎年やっていることなのに、段の取り違えはともかく、左右の並びをきちんと行うことは容易ではなくて、図面を見ながら段取りを踏まえながら進めている。
 ひな飾りはいつからいつまで行うのか、正式のことはわからないが、少なくとも我が家では立春を過ぎて飾り付け、節句が終わると早めに片付けるようにしている。この間、約一ヶ月間か。
 独身の女性がいる家では、片付けるのが遅くなると婚期が遅れるという言い伝えがあって神経質になりがちだが、我が家では幸いのこと、そういうことにはならなかった。
 嫁いだ娘たちには、どちらにも女児が誕生するやひな飾りを贈っているのだが、各自の家の祝い事とは別に、ひな祭りが近づくとみんなが集まってくる。これも女が多いからだろうが、家族が集まることはいつでもうれしいこと、賑やかなものとなる。

梅一輪

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(写真1 咲き始めた梅の花)
早春をうかがわせ
 梅が咲き始めた。ほんの一週間十日ほど前にはまだ蕾だったものがやっと開花した。
 私は梅が咲き始めると、次の句がすぐに思い起こされる。
 梅一輪一輪ほどの暖かさ
 江戸期の俳諧師服部嵐雪の句で、嵐雪は芭蕉の高弟でとして知られるが、いかにも早春をうかがわせ、暖かくなってきていることを知らせてくれる。
 今年はことのほか寒かったが、ノートをくくってみたら、梅の花はいつの年も2月20日前後に咲いており、これならほぼ例年通りで、特に遅い早いというほどのこともないようだ。
 また、早春の寒い朝に口ずさむのは『早春賦』だが、いずれにしても春はそこに来ている。

CIW検査業協会35周年記念誌

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次世代への礎
 一般社団法人CIW検査業協会の35周年記念誌が刊行された。
 CIW検査業協会とは、日本溶接協会が実施するCIW認定検査事業者の集まりで、業界の地位向上や技術革新の推進などに邁進しているほか、厳しい倫理規定を設けて検査の第三者性、透明性の確保に自ら積極的に取り組んでいるのが特徴で、検査会社の信頼性確保に大きな役割を果てしている。
  次世代への礎と副題された記念誌には、1982年10月に前身の溶接検査事業者懇談会として発足して以来の歩みが書かれているが、幾つかの注目されるべき足跡が載っている。
 一つは、1990年当時、不良鉄骨問題が社会的に取りざたされるや、自ら倫理綱領を制定し検査の信頼性確保を図ったほか、いち早く第三者検査の徹底に動いたことで、これらのことは今日に至るも協会存立の大きなバックボーンとなっている。
 また、建築鉄骨の非破壊検査に関しても、東京都検査機関登録制度にいち早く呼応し、東京都に限らず国土交通省の行政にも積極的な対応を図ってきた。
 さらに、耐震偽装問題が発覚するや不正検査撲滅運動を展開、安全と安心の徹底を図ってきた。
 二つには、明日を担う次世代のための非破壊検査セミナーを実施してきていることも重要な足跡であろう。文科省・国交省・経産省の後援を得て通算14回開催してきており、非破壊検査の社会的認識向上と若年層の非破壊検査業界への参入を促すもので、検査会社が自ら行う教育事業ということで注目されることだ。
 CIW検査業協会とは、私が勤めていた産報出版は設立以来密接なな関係をもってきたが、個人的にも歴代の理事長や事務局長等とは昵懇にさせていただいてきた。
 そういうこともあってか、記念誌には斎藤鉄夫衆議院議員ら各界から寄せられた祝辞が掲載されているのだが、私にもその末席を汚す栄誉を与えて下さっており、私自身にとっても思い出深い35年となった。

バレンタインデー

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(写真1 私宛に届いたバレンタインデーの贈り物。すべてが義理チョコである)
義理チョコ
 昨日14日はバレンタインデーだった。私のところにも今年もチョコレート菓子がいくつか届いた。
 女の子の孫が贈ってくれたものもあるし、私がお世話をしたことである縁が続いている女性もいる。この方とはもう30年を超すお付き合いで、お中元とお歳暮も贈って下さっているのだが、いただく側としてはこのバレンタインデーのチョコレートが最もうれしいようにも感じる。同じように義理のものではあっても、バレンタインデーのチョコレートの方が心遣いが深いように思うのかも知れない。
 しかし、ここからが極めて日本的なのだが、一ヶ月後にはホワイトデーがやってくる。バレンタインデーへのお返しなわけだが、孫などはこれを期待しているわけだから、うっかり忘れるわけにも行かない。
 それにしても、そもそもバレンタインデーはどういう意味なのかと調べてみたが、バレンタインという聖人にちなんだお祝い事らしいが、諸説あって、しかも異論異説が少なくなく、きちんとは説明しにくいようだ。
 ただ、日本では異常に発展して今や国民的行事にすらなっているが、決まってチョコレートが贈られることが日本的で(この頃では変化球もあるらしいが)、義理チョコなども日本独特のものということである。
 神戸のモロゾフという菓子店が初めたとする説が有力らしいが、いずれにしても菓子業界はうまいことを思いついたものだ。何でも、チョコレートの売り上げの2割はこの時期に達成されているというからすごい。
 さらに、ホワイトデーというのもいかにも日本的なもので、これも菓子業界が仕掛けたものらしい。
 近年では、ハロウィンなどというものも流行ってきているし、どうも日本人というのは踊らせやすいようだ。