ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

展覧会『仏像の姿』

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(写真1 会場で配布されていたパンフレットから引用=中央の仏像は「不動明王立像」)

仏師がーティストになる瞬間

 仏像の姿(かたち)と題する特別展が日本橋の三井記念美術館で開催されている。
 仏師がアーティストになる瞬間というキャッチフレーズのもと、仏像を顔や装飾、動きとポーズという切り口で展示していてなかなか面白い構成だった。
 そういう視点で集められた仏像の展示だったから、見る側としても仏像をアートとしてとらえるところがあって、一つひとつを子細に見る姿勢になり、随分と時間をかけて堪能したのだった。
 例えば、「不動明王立像」(鎌倉時代、個人蔵)は、表情や姿が躍動的で、剣をかざして悪に立ち向かっている様子が生き生きとしていた。一般的には不動明王といえども、表情は憤怒をあからさまにしていても、ただ立っているだけの仏像が多いから、とてもユニークで面白かった。
 また、「阿弥陀三尊像」(平安時代、大阪・四天王寺)のうちの両脇侍像は、ともに足を後ろに跳ね上げたポーズをしていて、仏像にもこんな愛嬌のあるものがあるのかと思うと楽しかった。
 しかし、そうは言っても、私は仏像はあくまでも慈悲深い表情のものが好きで、「地蔵菩薩立像」(鎌倉時代、奈良・春覚寺)はやさしく慈しみ深いお顔をしていて、思わず手を合わせたくなる美しさだった。また、「阿弥陀如来立像」(鎌倉時代、滋賀・観音寺)はきりっとした美しさだった。
 一方、この展覧会で注目したのは、藝大文化財保存学の教室が出品した模刻作品。模刻することによって、古い時代の仏像の制作過程の解明などの研究になるようだったし、何よりもその完成度の高さには驚嘆した。

映画『1987、ある闘いの真実』

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(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)

韓国民主化事件描く

 1987年。1月14日、ソウル大生パク・ジョンチョル(朴 鍾哲)は、反政府活動により公安警察に連行され、拷問により死亡する。警察は取調中に心臓麻痺で死亡したと発表。
 司法解剖もせず、家族に面会もさせず、強引に火葬してしまおうとする警察に対し不審を抱いた検察は、警察と対立しながらも職権を持って解剖を執行する。
 しかし、くだんの検察官は政府の圧力により解職されてしまうが、真実を闇に葬ろうとする警察に反発し、解剖鑑定書を意図的にリークする。その解剖鑑定書を入手した東亜日報は、死因をすっぱ抜き、警察の所行を白日の下にさらけ出す。
 この事件を契機に民主化を求める運動は大きく高揚していき、6月9日、デモを指導していた延世大生イ・ハンニョル(李 韓烈)は警察が発砲した催涙弾を後頭部に受け死亡。ついに民主化運動は頂点に達する。
 映画で、この運動の盛り上がりの象徴的と言えるシーンは、ソウルの中心部市庁から繁華街南大門にかけて埋め尽くした民衆のデモの様子だった。その数100万人は超しているのではないか。このシーンは、当時の記録映像だったのか、映画のためにエキストラを集めたものだったのか、私には判断がつきかねたが、東京でいえば、都庁から新宿を歌舞伎町あたりまでデモの参加者で溢れたようなもので、意味深いものだった。
 この一連の運動は、韓国でいう6月民主抗争と呼ばれるもので、ついに民主化宣言がなされ、チョン・ドゥファン(全斗煥)軍部独裁政権が行き詰まったのだった。
 思い起こせば、チョン大統領は、1980年の光州事件あたりから登場しており、この7年間は徹底した弾圧の歴史だったのだ。
 光州事件は韓国民主化の発火点だったとも言えるわけで、6月抗争の原動力となったと見ることができる。
 そう言えば、映画の中でイ・ハンニョルが学内で学生たちを集め、光州事件を学習している場面があったが、これは二つの事件の連動性に気づかされるとともに、若い学生たちにしてみれば7年前の光州事件はもはや過去のものということだったのだろう。
 この映画は2017年の製作で、日本では9月に公開されたばかりだが、これより前、光州事件を描いた映画『タクシー運転手』が大ヒットしていて、民主化運動を取り上げた映画が2017年に相次いで製作され、いずれも大きな反響を呼んでいたことはどのように受け止めればいいのであろうか。
 私が初めて韓国を訪れたのは1975年で、ソウルでは夜間外出禁止令が出されていたし、大きな道路の交差点には機関銃が据えられていたし、戦闘機が離発着できる滑走路にいつでも転用できるよう高速道路に中央分離帯は設けられていなかった。
 その後も、私は毎年一度以上は韓国を訪れ、漢江の奇跡と呼ばれた経済成長を間近に体験してきたが、近年では、出張で数日滞在しただけの者には、もはや、北の脅威は街角には見当たらなかったのだった。

 なお、映画の終わりの字幕に、〝烈士〟の名前が掲げられていて、この中にパク・ジョンチョル(朴 鍾哲)とイ・ハンニョル(李 韓烈)の名前もあった。
 烈士とは、革命などに殉じた志士をさすが、この両名も韓国では烈士に列せられているということだろう。

 監督チャン・ジュナン。

秋のバラ園

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(写真1 開園中のバラ園の様子)

香りのいいのが好き

 近所の公園に中にあるバラ園は、あると秋の年2回開園している。
 春は5月下旬から6月上旬に開園していて、秋は10月に入ってすぐに開園し、例年なら今頃がちょうど見ごろのはずだったが、今年は進行が早いようで、まだ中旬だというのにもうピークは過ぎていた。
 このバラ園は、いつものウォーキングで通るところだから、香りは早くから楽しんでいたが、園内に入ったのは今シーズンとしては初めてだった。何しろ、バラ園のオープン時間は午前9時だから、早朝では門扉が閉じられている。
 ここはさほど大きなバラ園ではないが、いつもなら約80種1500株も咲いているはずだが、秋は春に比べて咲いている品種株数ともやや少ないようだ。また、春と秋とでは咲いている種類にやや違いがあるようだ。大半は同じものだが、秋になって気づいたものもあった。もっとも、今まで気がつかなかっただけかも知れないが。

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(写真2 濃いピンクのパローレ)

 私の好みは、鮮やかな色をして香りのいいもの。そういうことで選んだバラを一つ二つ。
 これまで気がつかなかったものとしてはこのパローレ。濃いピンク色をしていて香りもとても強い。花の形もいいのではないか。
 もう一つは、ゲーテローズというのだそうで、花弁が幾重にも重なっていて面白く、甘い香りが良かった。ゲーテに捧げられたのでこの名があるらしい。
 なお、あとで調べてわかったが、パローレもゲーテローズもそもそもドイツが作出国らしい。
 ほかには香りだけで選べば、黄色いフリージア、その名の通りやさしいピンク色をした桃香。ビロードのような濃い赤をしたオクラホマなど。

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(写真3 甘い香りがしたゲーテローズ)

若桜鉄道(鳥取県)

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(写真1 いかにも終着駅らしい落ち着いた佇まいの若桜駅)

ゆったりと豊かな時間

 湯村温泉からは浜坂に出て、山陰本線で鳥取に向かった。若桜鉄道に乗るのが目的。
 若桜鉄道は、因美線の郡家(こおげ)から若桜を結ぶ第三セクター鉄道。旧国鉄の若桜線で、全線19.2キロ、駅数は9。ただし、列車の半数ほどは因美線を経由して鳥取に直接乗り入れている。
 私も鳥取9時45分発若桜行きに乗車した。鳥取駅4番線ホームから1両のディーゼルワンマン運転。
 郡家で発車を待っていると、反対ホームに鳥取方面に向かう特急はくと1号が入ってきた。京都から東海道本線、山陽本線、智頭急行、因美線を経由してきた陰陽連絡の列車である。

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(写真2 郡家で発車を待つ若桜行き列車)

 若桜行きは特急との接続を待って10時07分の発車。ここからが若桜線内である。
 次の八頭高校までの区間は運賃が100円である。これはおそらく日本で最も安い運賃区間ではないか。営業キロが0.9キロと1キロに満たない区間であるほか、通学する生徒への配慮もあったのかも知れない。もっとも、若桜鉄道は、八頭町や若桜町が出資する第三セクターだから、住民サービスの一環でもあるのだろう。
 なお、帰りのことだが、鳥取行きの列車ではこの八頭高校から生徒が多数乗ってきて列車はあっという間に満員になっていた。まるで全校生徒が乗ってきたのではないか思われたほどだった。聞けば、中間試験の最中だということである。
 列車は、鳥取平野を離れ中国山地へと分け入っていく。因幡船岡という駅があり、このあたりは因幡国であることを知らせてくれる。沿線は進むにつれて林業が盛んになってきたようで、丹比(たんぴ)では、駅前が木材の集荷場になっていた。
 そうこうして終点若桜到着10時37分。小さな鉄道にしては、まずまずの規模の構内を持っていて、いかにも行き止まりの終着駅の風情があった。
 また、カリヤ通りなどと駅前周辺は落ち着いた佇まいの街並みが残っていて、水路には清流が流れているし、のんびり散策したくなうような気分で、この駅に降り立つのは二度目だが、いつ来ても、折り返し列車の出発時間に間が少ないのが恨めしくなるようなことだった。ただ、次の列車にすれば3時間ほども間があるから、この先の旅程を考えると残念ながら折り返し列車にしたのだった。何しろ、私は全国すべての終着駅で下車したことがあるが、これほど情感豊かな駅もないものだった。

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(写真3 旅情が深くなる若桜の街路)

情緒が深い湯村温泉

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(写真1 湯村温泉源泉の一つ荒湯)

98度の日本一熱い源泉

 余部埼灯台からの帰途は餘部に戻り、山陰本線で二つ目の浜坂に行き、この日は湯村温泉に泊まった。
 湯村温泉は但馬の山峡にあり、浜坂駅からは新温泉町の町民バス(全但バスが運行)が出ていた。約10キロの道のりで、25分ほどかかった。
 終点のバスターミナルから坂道を下っていくとほどなく川(春来川)にぶつかり、そのほとりに荒湯という源泉があった。ここが湯村温泉の中心で、大勢の観光客でにぎわっていた。ここの源泉温度は何と98度なそうで、日本一熱い温泉だということである。もうもうと湯煙が上がっていて、ゆで卵を茹でたりする人の姿が多かった。

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(写真2 春来川河畔の湯村温泉温泉街)

 この川沿いが温泉街で、旅館やホテルが軒を連ねていた。大温泉街ではないが、いかにも温泉場らしい落ち着いた情緒が感じられた。
 また、ここはテレビドラマ「夢千代日記」のロケ地だったところでもあり、主演吉永小百合の人気もあずかって情感を深くしていた。河畔には吉永小百合扮する夢千代像があった。
 なお、温泉街には1軒だけだが薬師湯という外湯があって入ってみた。注目はもちろんどれほど熱いかということ。ところが湯温の表示は41.9度だった。湯船が一つしかなかったから、大勢の客を相手にするにはこれは仕方がないが、それにしても熱い湯が好きなものとしては残念だった。
 ここの温泉は温度が高い上に、湧出量も豊富、源泉数も60とあって、宿泊施設だけでは使い切れなくて、一般家庭にも各戸配湯しているほどだということである。
 それで、泊まったところが小さな旅館だったから、女将に頼んで、翌朝の湯温を高めに設定してもらっておいた。そうするとなるほどまずまず高い。43度を少し下回るほどか、もう少し高くても良かったが、朝だからこれで良かったのだろう。

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(写真3 湯村温泉の外湯薬師湯)

余部橋梁と餘部駅

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(写真1 余部の集落をまたいで架かる余部橋梁。右が餘部駅)

新旧の名物橋梁 

 余部埼灯台からの帰途は餘部(あまるべ)駅から乗った。余部橋梁は山陰本線の鎧駅と餘部駅の間に架かる橋。この橋はこれまで列車で何度も渡っているが、実は餘部駅で乗降するのは初めてだった。
 余部鉄橋と呼ばれ親しまれていた初代の橋は美しい鉄橋の景観で人気が高かったが、2010年に架け替えられて、現在のコンクリート橋になっている。旧橋の一部も保存されて「空の駅」として整備され、周辺には道の駅もあってちょっとした観光拠点となっていた。
 余部橋梁は、川や海を渡る橋ではなく、集落を跨ぐ橋なのだが、この区間は山が海に迫る地形で、海岸沿いに線路を通すことは不可能であったらしい。しかも、長いトンネルを掘らなくてすむよう、谷間の上部にトンネルを掘るように高い橋脚が必要だったもののようだ。
 新橋は、旧橋のすぐ南側に平行に架けられていて、長さは310.6メートル、高さは41.5メートルとなっていて、あたりまえのことだが、新橋も旧橋も長さ、高さはほぼ同じ。

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(写真2 見上げると新橋のコンクリート橋と、保存されている旧橋の鉄橋の橋脚が空に向かってそびえているようだった)

 餘部駅側に、旧橋の橋脚3基が保存されていて、下から見上げると、旧橋と新橋が並んでいる様子が見て取れる。なお、旧橋の橋脚は土木学会推奨土木遺産に指定されている。
 鎧駅から山陰本線を進んでくると、余部橋梁を渡ってすぐが餘部駅で、この駅の利用者の便も考慮してエレベータが設置されていて、旧橋の見学通路と連絡できるようになっていた。

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(写真3 鎧駅側から余部橋梁を渡り餘部駅に接近してきた城崎温泉発浜坂行き下り列車)

 餘部駅は片側1線のホーム。ホーム中程に待合室もあった。空の駅としての人気もあって、観光客がひっきりなしに訪れていた。
 私自身は、鎧駅から余部橋梁を渡ってきた城崎温泉発浜坂行き列車に飛び乗った。餘部駅ホームでは、たくさんの観光客がカメラを構えていたが、列車に乗ったのは私一人だけだった。

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(写真4 エレベータから撮影した余部橋梁。右手前の鉄骨は旧橋の橋脚の一部)

余部埼灯台を踏破

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(写真1 余部埼灯台全景)

日本一の灯火標高

 このたびの旅では、旧国名なら丹波、丹後を抜けて但馬に至り、余部埼(あまるべさき)灯台を踏破した。灯台は伊笹岬にあり、山陰海岸国立公園に位置するのだが、鉄道で行くにはとても不便なところで、十分に作戦を練る必要があった、
 前夜泊まった福知山から山陰本線に乗り香住で下車した。ここから香美町町民バスが出ていることは調べておいた。ただ、バスは町民のための足なわけで、観光用ではないから便数が少なくて1日に3本しかない。しかし、1便でもあれば大変ありがたい。
 香住駅に降り立つと、なるほど、駅前に香美町町民バスと書かれたマイクロバスが待機していた。
 11時26分発御埼行き。大変申し訳ないことだが、乗客は私一人だけだった。鎧駅、餘部駅と経由していく。余部埼灯台へはここ餘部が最寄り駅なのだが、停留所の様子がわからなかったし、万全を期して始発の香住駅から乗ったのだった。
 小型のマイクロバスでもないと抜けられないような細い道を進み、岬が近づくと急登坂の連続となった。
 バスの終点は御埼。12時10分到着。小さな集落があるだけのところ。何でも平家の落人部落だったらしい。「史跡 平家村 御埼」と彫られた味わいのある立派な石碑があった。
 ここからは徒歩。舗装道路だがきつい登り坂が延々と続いた。誰とも行き違わない。この日は25度を超す暑さで、一人黙々と喘ぎながら汗だくになって歩いた。
 20数分歩いて登り詰めた。駐車スペースがあって、藤棚に囲まれて簡単ないすとテーブルがあった。リュックや持ち物を置いて、灯台は見えているのだが、300メートルほどか、もう少し歩いた。途中には神社があり、トイレもあった。

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(写真2 第3等フレネル式レンズが立派な灯台頂部)

 灯台はややずんぐりとして太い。白亜の塔形である。大型灯台の部類に入るであろう、灯室は見えていてレンズは第3等フレネル式とある。
 灯台はとても高いところに建っている。平均海面から灯火までの高さ灯火標高約284メートルは日本一である。つまり、日本一高い場所にある灯台ということになる。光りの届く距離光達距離もかつては日本一だったらしいが、算出条件が変更になって、トップは室戸岬に譲ったらしい。
 眺望はというと、これが意外にもあまり良くない。木立が邪魔をしていて、視野が狭いのである。両腕を広げて計ると、90度ほどしかない。これははなはだ残念だった。また、折角高い場所にあるのだが、足下が見えないし、見当もつきかねたから断崖絶壁という印象もなかった。高すぎたからであろうが、潮騒までも届かなかったのだった。
 ただ、視野は狭くとも、大海原は遠くどこまでも見渡せたし、灯台に至る途中では、右手に、香住などの小さな岬が重なって遠望できた。
 灯台に取りけられてある初点プレートには、昭和26年3月初点、昭和60年11月改築とあった。

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(写真3 灯台に至る道筋で見た日本海東側の眺望)

 帰路、バスの停留所までは順調に下りた。来るときに乗ってきたバスの運転士は、帰りは歩くのかと尋ねるから、そうだと答えると、、1時間半くらいかな、まあ、下り坂だからと言って、あとは口を濁していた。何しろ、来るときに乗ってきたバスはすぐに折り返してしまっていて、次のバスまで4時間も待たなくいてはならないのだった。
 それで、その通り、覚悟のこと、歩き出した。岬好きとしては1時間くらいの徒歩はそれこそ覚悟のこと。しかし、登りもつらいが、下りも膝や太ももに負担が大きくてこたえる。
 バテ気味に歩いていたら、後ろから自家用車が下ってきた。手を上げると停まってくれて、途中まででもいいから乗せてくれないかと頼むと快い返事。
 初老の夫婦で、岬と灯台が好きで全国を訪ね歩いていると話すと、それはいい趣味だと感心していた。それにしても言いながら、なぜ車ではなく歩いているのかと問うから、歩いて踏破した方が印象が深く残るし醍醐味があると答えておいた。あるいは負け惜しみのように聞こえたかも知れないが。
 それにしても車は速い。あっという間に餘部駅に到着した。この先の道中に気をつけるよう励ましてくれたし、何度も感謝して別れた。

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(写真4 御埼停留所に到着した香美町町民バス)

<余部埼灯台メモ>(海上保安庁/燈光会/日本財団が設置した看板等から引用)
 所在地/兵庫県美方郡香美町香住区御崎
 位置/北緯35度39分57秒、東経134度32分18秒
 塗色・構造/白色円塔形コンクリート造
 レンズ/第3等フレネル式
 灯質/単閃白光 毎15秒に1閃光
 光りの強さ/44.0万カンデラ
 光達距離/23.0海里(約42.6キロメートル)
 灯高/約14メートル
 灯火標高/約284メートル
 初点灯/1951年(昭和26年)3月25日
   管理事務所/舞鶴海上保安部