ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

サトヱ記念21世紀美術館

f:id:shashosha70:20210123114342j:plain

(写真1 彫刻が立ち並ぶ美術館の外観)

彫刻と絵画と庭園と

 埼玉県加須市所在。東武伊勢崎線花崎駅から徒歩約20分。平成国際大学と道を隔てて向かい合っている。同大はスポーツで鳴らす埼玉栄高校や花咲徳栄高校などを擁する佐藤栄学園の運営で、美術館は公益財団法人の運営だが、美術館もどうやら同じグループに属するようだ。開館20年とある。
 和風の住宅のような構えの門を入ると、広々とした日本庭園が広がり、おびただしい数の彫刻が屋外展示されている。
 美術館は平屋建て。入ると広々としたホール。多数の彫刻が展示されている。ロダンの作品が多い。また、舟越保武や佐藤忠良があり、日本の代表的な作家の作品が並んでいた。この中では、舟越保武の<婦人像>(1985)や<Miss G>(1984)が断然良かった。
 展示室には常設展示室と企画展示室があり、常設展示室にはヴラマンクやシスレーの作品が多く見られた。
 屋外展示は、庭園を巡るように配置されており、この日は冬枯れだったが四季折々の風景が楽しめそうだ。
 展示されている彫刻には舟越保武の<杏>があった。舟越の代表作の一つで、すっきりと立つ気品ある少女が美しい。手に杏を持っている。(2021年1月22日取材)

f:id:shashosha70:20210123114447j:plain

(写真2 屋外展示の舟越保武<杏>)

ジェフリー・アーチャー『レンブラントをとり返せ』

f:id:shashosha70:20210108124612j:plain

新しい警察小説のシリーズ

 アーチャーの新作である。それも警察小説である。アーチャーに警察小説は初めてではないか。もっとも、アーチャー自身は「これは警察の物語ではない、これは警察官の物語である」と巻頭に一筆入れているが。
 主人公は、ウィリアム・ウォーウィック。あれっ、待てよ、この名前は『クリフトン年代記』の主人公だった作家ハリー・クリフトンの作品の主人公の名ではなかったか。確か、この人物はあの作中では亡くなったはずだが。
 そのことはともかく、ウィリアムの父は一流の勅撰法廷弁護士であるサー・ジュリアン・ウォーウィックであり、同じく姉のグレイスも弁護士。
 言わば法曹一家ということになるが、ウィリアムは父の期待に背いて大学では美術史を学び、卒業するや警察官となった。しかも、警察学校を修了し、大卒は昇任が早くなるという有利な条件を行使せず、一般の新人と同じ条件で警察官人生をスタートさせた。このため、刑事を希望できるまで二年間は地域を巡回しなくてはならなくなったが、ウィリアムはそれを受け入れた。
 そして、ベッカム署における二年間の地域巡回任務を経てスコットランドヤードに呼ばれ、美術骨董捜査班に配属された。すでに刑事昇任試験は成績首位で合格していた。
 ロンドン警視庁の美術骨董捜査班は、ジャック・ホークスビー警視長をトップに、ブルース・ラモント警部、ジャッキー・ロイクロフト巡査部長の面々。ウィリアムは下っ端の捜査巡査である。 ちなみに、イギリスの警察官の職階はうるさくて、同じ巡査でも、捜査をする巡査は捜査巡査あるいは刑事巡査と呼ばれ、制服を着て任務に従事する巡査とは峻別されている。同じように、弁護士も法廷弁護士と事務弁護士とは役割分担が明確に分かれている。
 捜査班が眼中に置いているのが、マイルズ・フォークナー。名うての美術品窃盗詐欺師である。捜査班は7年間にわたってフォークナーを追ってきていた。フォークナーは統制された高度な組織を作り上げており、このプロの犯罪者グループはフィッツモリーン美術館からレンブラントを盗み出していた。
 ここからアーチャー得意の手に汗を握るようなスリリングな展開が始まる。フィッツモリーン美術館の調査助手ベス・レインズフォードが登場し物語を華やかにしてくれている。
 どうやら本作は新しいシリーズの1作目のようだが、またまた魅力的な主人公を生み出したものだ。八十歳にもなってストーリーテラーアーチャーに筆の衰えは全く見られないようだ。
 アーチャー作品の面白いところの一つはその魅力的な文体であろう。原文で読んでいるわけではないがイギリス独特のレトリックがしゃれているし小説に磨きをかけている。
 500ページあまりの文庫本を読んできて、最後の1行が、詐欺師フォークナーがニューヨークに来いよと誘いながらウィリアムの耳元でささやいた(その理由は)「本物が見られるからだよ」とは思わずにやりとさせるではないか。(戸田裕之訳)

(新潮文庫)

春遠からじ

f:id:shashosha70:20210115115737j:plain

(写真1 うっすらと赤く染まりだした冬のあけぼの)

冬来たりなば

 冬来たりなば春遠からじ。
 イギリスのロマン派詩人シェリーの詩の一節で、辛いことがあっても耐えていればいずれは幸せがやってくるというのが本来の意味らしいが、寒く厳しいとはいっても冬が来たということは、暖かい春の日がそこまでやってきているというふうに解釈すると、寒いのが嫌いな私にもこの言葉は励みなる。
 早朝のウォーキングはまことに辛い。家を出る6時くらいではまだ暗くて、気温も零度近くてもっとも寒い時間帯。
 それでも歩いているうちにすぐに明るんでくる。遠くが赤く染まりだしたこの瞬間が私は好きだ。それに、歩いているうちに体も温まってきて、何しろ、早足で一生懸命歩いているから20分もすると汗ばんでくる。

f:id:shashosha70:20210117093651j:plain

(写真2 地味な花だが香りが誘ってくれるロウバイ)

 いつも立ち寄る公園にロウバイが咲いていた。適当な言葉が見当たらなくて、和菓子のようなと表現しているが、やさしい香りが好きだ。冬の寒さの中で香りの立つ花というのも珍しいのではないか。
 カンツバキも咲いていた。サザンカとツバキの交雑種で、晩秋や冬のサザンカから春のツバキへとつなぐ貴重な彩りだ。鮮やかな朱色とつややかな緑色の葉が春が近づいていることを知らせてくれる。

f:id:shashosha70:20210117093728j:plain

(写真3 貴重な彩りはカンツバキ)

東海・近畿・中国・四国・九州

f:id:shashosha70:20210112130700j:plain

『旅する日曜美術館』

 NHK日曜美術館制作班編による全2巻の下巻。
 テレビで取り上げた番組を再構成しながら、新たに美術館を訪ねた美術館紀行を加えて構成しており、本巻では東海・近畿・中国・四国・九州の36館が紹介されている。
 この番組は好きで毎週欠かさず見てきたつもりだったが、中には見逃していた週もあったようで、改めて興味深く読んだ。
 注目したのは、滋賀県のMIHO MUSEUM。番組では伊藤若冲の<象と鯨図屏風>(1797年)と与謝蕪村の<銀地山水図屏風>(1782年)を取りあげている。
 とくに興味深かったのは美術館紀行の項。「ミホミュージアムへ出かけてみて、まず気がつくことは、この美術館が、ふつうならあり得ないような場所に建設されているということである」とし、「近くに観光地があって人が集まりそうだとか、郊外だが交通の便が比較的いいとか、文化的な施設が集まっていて立ち寄りやすいとか、およそ美術館を建てる時に考えそうな観点からは超絶している」としている。アクセス紹介にJR琵琶湖線石山駅からバス約50分とあってなるほど不便そうだ。
 しかし本書は言葉足らずで、だれがいつ建てたのかといった記述がない。調べてみたら、宗教法人の運営で、1997年の開館とのこと。私設の美術館で重文級のコレクションが多数あるようですごいものだ。
 この美術館にはかねて訪ねてみたいものだと念願していた。それはここにある重文の曜変天目茶碗が見たかったからだが、本書ではこれに関する記述はなかった。紙幅の都合があるからだろうが、残念だった。
 旅先では、時間が許せば美術館を訪ねることを楽しみしている。美術館にはそこでしか見られない作品があるからで、とくに地方では美術館に限らず書店や図書館などもそうで、こうして地元に縁のある作家や芸術家を見いだすこともある。
  これまでにも随分とたくさんの美術館を見学してきていて、本書で取りあげられた美術館も少なくない。しかし、まだまだ行ったことのない美術館も多くて、いずれ訪ねてみたいものだと思ったものだった。

 NHKには、10数年前にもなるか、かつて『NHK世界美術館紀行』というシリーズがあった。テレビで放送された番組を再編集したものだが、これからも、世界の、日本の美術館を積極的に紹介してほしいものだ。新しい美術館ができているし、コレクションも変化しているし、新鮮味が失われていることはないのではないか。
(NHK出版刊)

NHK日曜美術館制作班編『旅する日曜美術館』

f:id:shashosha70:20210112130444j:plain

北海道・東北・関東・甲信越・北陸

 テレビで取り上げた番組を再構成しながら、改めて美術館を訪ねた美術館紀行で構成されている。
 全2巻で構成されていて、上巻下巻とも第1巻第2巻とも特に断りはないが、本書は上巻にあたるようで、北海道・東北・関東・甲信越・北陸の41館が紹介されている。
 読んでみると、番組を取りあげた〝NHK日曜美術館から〟と新たに訪ねた〝美術館を旅する〟が絶妙な組み合わせになっていて、今は亡き美術家が登場しても古い番組が色あせていないことに感心した。
 面白かったのは、松本竣介を取りあげた岩手県立美術館。1988年の番組で松本竣介について語った作家中野孝次の話が貴重だ。
 僕は竣介が非常に好きで、と語り出した中野は、<塔のある風景>(1947年頃)を引き合いに、「竣介の描いたものを見ると、絵の具も何もなくなっちゃって、庭に埋めてあった絵の具が焼け残っていて、それを取り出して描いたっていうんですけど、その絵の具というのが、代赭色というのか、そういう絵の具ばかりだったらしくて、晩年の竣介の絵はこの色が基調になっているんです。それが焼け跡のあの風景にじつに合っているんですね。」「松本竣介のことを僕はよく考えるんですが、やはりこの人は、とくにあの時代にあって、時代とともに生きた、そして時代と真っ正面から取り組んできた画家の代表的な一人だと思います。画家というのは時代の外に美を追究する人だと思われているけど、そうではなくて、竣介は時代とがっちり四つに組んで生きている。時代の空気をいつも表そうとしている。戦後のこの絵からもその空気がうかがえると思います。」
 また、美術館紀行では、舟越保武や萬鐵五郎といった岩手に縁のある美術家を紹介しながら、「盛岡を中心とする地域は、近代の青春を発信したようなところがあった、詩歌の宮澤賢治しかり、石川啄木しかり。萬鐵五郎も松本竣介も、舟越保武もまた、盛岡の地から作品を通して現在も発信を続けている。」と記述している。
 それにしても、取りあげた美術館はどのような基準で選考したものか。できるだけ地方の美術館を紹介しようという姿勢は伝わってきたが、それにしては、東京のアーティゾン美術館や三井記念美術館などはあまりにも有名でたびたび取りあげられている。
 それよりも、十和田市現代美術館や東御市梅野記念美術館、,埼玉の大川美術館、さらに、東北の県美で福島県立美術館だけが抜けていたのはなぜだったのか、いずれも魅力的な美術館であり、もう少し丁寧に光をあててほしかったと思われた。
(NHK出版刊)

映画『燃ゆる女の肖像』

f:id:shashosha70:20210103124706j:plain

(写真1 映画館に掲示されてあったポスター)

素晴らしい映画言語と映画美

 美しい映像。それが独特の映画言語を表現している。会話は少ない。音楽も少ない。登場人物も少ない。ほとんど女性ばかり。しかしそれでも豊穣な物語を紡いでいる。カメラが少ない会話、少ない音楽を補ってあまりあるまれに見る秀逸な映画である。
 舞台は、18世紀のフランスブルターニュの孤島。絵描きの若い女性マリアンヌが小舟で島に渡ってくる。娘エロイーズの肖像画を描いてほしいという伯爵夫人の依頼である。ミラノに住む結婚相手に渡すためのもの。
 伯爵家には、そもそもエロイーズに姉がいたのだが、自殺してしまっていた。このためエロイーズは修道院を出て島に来ていたのだが、エロイーズも結婚には拒絶していた。それで、伯爵夫人はマリアンヌに対して画家とは名乗らず、エロイーズの散歩相手ということで接してくれと言われる。
 エロイーズは笑わないし、スケッチもできない難しい作業である。イーゼルに立ててあるカンバスは、見つからないよう覆いを掛けていたし、ときには、メイドにエロイーズの洋服を着せて座らせて写生をしていた。
 作品が完成するとマリアンヌはエロイーズに肖像画を見せる。しかし、エロイーズは「私に似ていない」と一言。
 出来映えに満足していたマリアンヌは心外でならないが、ここでマリアンヌは大胆な行動に出る。完成した肖像画の顔を塗りつぶしてしまう。
 伯爵夫人との約束の期限まで残り5日。マリアンヌは猛然と新しいカンバスに取りかかる。エロイーズもモデルの席に着く。ここからの5日間が実に濃密。エロイーズの肌は輝いているし姿も美しい。散歩を重ねているうちにエロイーズに笑顔も生まれる。
 二人はいつしか手を取り合うようになり、やがて唇を交わす。見ていて息がつまるような美しさだ。やがて肖像画は完成し、マリアンヌは島を去る。
 場面が変わって演奏会場。2階のバルコニー席にエロイーズがいるのだが、エロイーズは昂然として一般席にいるマリアンヌに目を向けない。しかし、高まる感情、泣いている、涙もある。激しい愛があり、ときには笑顔も生まれている。演奏された曲目は何というのだったか。
 映像は雄弁である。これほど印象深いシーンを我々は得ることができたのだった。映画だからこそ表現できたということで傑作である。
 監督・脚本はセリーヌ・シアマ。フランス映画。

梯久美子『サガレン』

f:id:shashosha70:20201231171513j:plain

樺太/サハリン境界を旅する

 サガレンとは、宮澤賢治が旅した時代の樺太の呼称の一つ。
 この島は、実効支配した国によって樺太、サハリンなどと呼び名が変わってきていて、そのつど〝国境〟も動いてきた歴史があり、当然、敷設されていた鉄道においてもその版図によって大きく変わってきた。
 著者梯久美子は、樺太あるいはサハリンの鉄道とはどういうものだったのか、非常なる関心を持っていたし、国境などない島国に生活している者の常として国境という響きに憧憬があったのだろうし、特に北海道に育った梯にしてみればそこは海峡を跨いだ近さだったのだ。
 午後10時42分ユジノサハリンスク発。サハリン最大の都市から島を南北につらぬく東部本線を北上して終着駅ノグリキに至る約12時間613キロの旅。2017年11月のこと。乗ったのはサハリン唯一の寝台急行列車。車両は新しく、車内は清潔とある。
 車中2泊。窓外の景色は、北海道と同じエゾマツやトドマツ。北上してもツンドラにならず、白樺林が続いている。
 そもそもサハリンは、日露戦争後の1854年のポーツマス条約によってサハリンの南半分、北緯50度以南は日本の施政下となって樺太と呼ばれた。
 しかし、第二次世界大戦でソ連軍は国境を越えて侵攻、全島占領した。ただし、日ソの間に未だ平和条約は締結されておらず、「国際法上は、この島の帰属はまだ確定していない」。
 梯がこの島を訪れたのは「第一の目的は、この列車に乗ること」と言い、併せて廃線跡も訪ねること。自ら「私は鉄道ファン」と明言しているほどである。このごろでは女性の鉄道ファンも少なくはないが、廃線派というのは珍しい。もっとも、梯には『廃線紀行』という著作まである。
 コルサコフ(大泊)に上陸し、ユジノサハリンスク(豊原)からドーリンスク(落合)、ボロナイスク(敷香)、スイルノフ(気屯)、ボベジノ(古屯)を経てハンダサ(半田沢)へと列車は進む。
 ただ、「かつての国境をいつ越えたのか、正確にはわからない。午前六時半から七時くらいの間に北緯50度線を越したはずだが、七時を過ぎても窓の外はまだ真っ暗だった。」
 やがて列車はノグリキに到着した。サハリン鉄道の終着駅であり、最果ての町である。北緯51.8度。ユジノサハリンスクから11時間43分。気温はマイナス8度とある。
 なお、ユジノサハリンスクはロシア帝政時代にはウラジミロフカと呼ばれていて豊原を経て二つの帝国の領土を反映して地名は変遷してきたから、「百年足らずの間に三つの地名を持つ」こととなり、「いくつもの名が地層のように」重なっており、それはそのままこの島がたどった近代の歴史を表している。
 梯は、この旅の後もう一度サハリンを訪れている。再訪では宮澤賢治が樺太を旅したところをなぞるように訪ねていて、その様子は本書で第二部「賢治の樺太」をゆくとしてまとめられている。
 本書は、日本が樺太と呼んで支配していた時代から現在に至るサハリンを見つめると同時に、サハリンにおける鉄道の変遷を描いていて興味深い。もちろん、国境の様子も。
 ただ、私には、著者梯の体温が感じられる記述が最も面白かった。
 つまり、ナイロンロープとガムテープを持参して乗車、寝台車に急ごしらえのカーテンを取りつけたこと、暗い寝台車で筆記できるようペン先が光るボールペンを持参したことなどとあり、何事によらず用意周到である。
 ほかにも思わず感心するようなエピソードが紹介されているが、この著者には海外旅行に対して胆力のあること、写真もすべて自身で撮っていることなど実に素晴らしい。『廃線紀行』も自身の写真で表現されていたが、著作全体に臨場感がもたらされていた。
 〝鉄道ファンにとって何より優先されるべきは「なかなか乗れない路線に乗る」「乗れるだけ乗る。乗りつくす」〟とこんな言葉もあって、同じ鉄道ファンにとって断然同意できるのだった。
(角川書店刊)