ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

秋のバラ

f:id:shashosha70:20191012162229j:plain

(写真1 微妙な色彩のカトリーヌ・ドゥヌーブ)

色か香りか姿か

 近所の公園にあるバラ園。今年も秋の公開が始まっている。
 このバラ園は春と秋の年2回公開されているのだが、春の方が種類も株数も多い。ただ、春には春のバラ、秋には秋のバラが咲いているように思う。
 バラは好事家が多いし園芸品種として種類も多い。私は詳しいことはわからないが、バラ園で咲いているものの中から好みで選んでみた。
 色で選ぶとカトリーヌ・ドゥヌーブがよかった。オレンジ赤というのだそうだが、微妙な色彩がこの大女優のイメージにぴったりし、可憐だったデビュー作『シェルブールの雨傘』を今さらながらに彷彿とさせる。香りも上品なもので、整った形もいいのではないか。

f:id:shashosha70:20191012162328j:plain

(写真2 甘い香りが強かったゲーテローズ)

 甘い香りがよかったのはゲーテローズ。強い香りがした。ゲーテに献呈してこの名があるのだという。色はディープピンクというのだそうだ。また、パローレも香りが強かった。色はマゼンタピンクというのだそうだ。印刷ではマゼンタは色褪せしやすいインクだが、バラではどうなのだろう。どうもピンク系に強香が多いようだが、先祖をたどると同じあたりに行き着くのだろうか。そう言えば、花の形はちょっと違うが、パパメイアンというのも濃い赤で香りも強かった。
 鮮やかな黄色と整った形で目を引いたのはインカ。名前にどういう由来のあるのかわからないが、清純な印象があった。香りがきつくなかったからかえってそういう印象があったのかもしれない。

f:id:shashosha70:20191012162409j:plain

(写真3 鮮やかな黄色と形で目を引いたインカ)

『刑事の矜持』

f:id:shashosha70:20191006142436j:plain

ミステリーのアンソロジー

 日本推理作家協会賞受賞作家たちによる傑作短編集第7弾。
 大沢在昌、黒川博行、佐野洋、島田一男、土屋隆夫、角田喜久雄の6人が名を連ねている。ただ、佐野、島田、土屋、角田の4人はすでに物故者。初出時も、60年70年前のものもあって、古典というよりも、現代の警察小説を読み慣れているとやや古くささを感じないでもなかった。
 大沢の「亡霊」はばりばりの現役だし人気の新宿鮫シリーズの短篇とあってさすがに読ませる。短編集『鮫島の貌』ですでに読んでいたから新鮮さには欠けたが、意表を突く設定と舞台の新宿が活写されていて面白い。
 土屋の「絆」は、この作家の特徴である深い情感が得られてしみじみとしてくる。刑事物であり殺人事件だから本来殺伐としてくるはずの物語が、土屋の手にかかれば感情移入したくなる文章だし、ミステリとしての醍醐味にもうならされる。戦後日本のミステリ界において独自の世界を築き上げた土屋を知らしめてくれる作品だ。
 それにしても、黒川の「帰り道は遠かった」は、この作家の特徴らしいが、きつい大阪弁には最後までなじめなかった。
(双葉文庫)

ミロスラフ・クルティシェフピアノリサイタル

f:id:shashosha70:20191011142621j:plain

(写真1 演奏会場の様子)

ロシア気鋭のピアニスト

 8日築地の浜離宮朝日ホールで開催された。
  ミロスラフ・クルティシェフは、ロシア気鋭のピアニスト。レニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ34歳。第13回国際チャイコフスキーコンクール(4年に1度モスクワで開催される世界的コンクール)で優勝などの実績がある。
 いやはや力強くもつややかさも兼ね備えた演奏だった。特に、もちろん演奏した曲目のせいでもあるのだが、男性らしく激しくも大胆なピアノで驚いた
 演目は演奏順に、まず、シューマンの「クライスレリアーナOp.16」。8曲から構成されるピアノ曲集で、シューマンの代表的傑作らしいが、私のようなレベルの低い聴衆には難解だった。起伏のある曲で、同じモチーフが時折現ることぐらいはわかったが、全般に曲想がつかみにくいし、テクニック上も難曲らしいが楽しめなかった。そして、何よりも演奏時間が30分も超す長さで、率直にはやや飽きた。
 続いてリストの「ハンガリー狂詩曲第19番ニ短調S.244/19」。ハンガリー狂詩曲については第2番などはさすがに私でも知っているが、第19番というのは知らなかった。19曲つくったハンガリー狂詩曲中最後の作品らしい。
 それにしてもピアノという楽器は偉大だ。この会場は550席程度のホールで、私の席は2階席の後方だったが、ピアノの演奏が隅々まで届いていた。ホール自体の音響効果も抜群なようで、すばらしいコンサートとなっていた。
 さて、休憩を挟んで次がショパンの「バラード」。第1番から第4番まで全4曲が演奏された。バラードということだから物語風ということだろうが、なるほど、各曲ごとにバラードらしいダイナミックな変化が見られた。
 演奏者のクルティシェフは、4曲続けて演奏したのだが、1曲終わるごとに起ち上がってあいさつをしていて、初め気がつかなかったのだが、なるほど、これは第1番から第2番などとそれぞれが独立した曲だったのだ。
 そのつもりで聴いていると、第1番は激しく、第2番はメリハリがあり、第3番では華やぎがあったし、第4番は美しくも物語の大きさが感じられた。
 この日の演目は好事家ほど好むような内容で、拙い私には総じて難しい曲が多かったのだが、世界的にも活躍しているピアニストのリサイタルに立ち会えたという感激はあったのだった。

西本智実+イルミナートフィル演奏会

f:id:shashosha70:20191006112438j:plain

(写真1 演奏開始前の会場の様子)

ゲストに岩崎宏美

 10月5日蒲田の片柳アリーナで開催された。日本工科大学を運営する片柳学園の主催で、創立記念感謝の調べと題し行われた。会場は4千人収容という巨大な多目的施設で、これが驚くことに満員の盛況ぶりだった。
 西本智実は、人気の女性指揮者で、ロシア国立交響楽団など世界30カ国のオーケストラを指揮しているという。また、イルミナートフィルハーモニーオーケストラは西本が芸術監督を務めており、ヴァチカンでのコンサートなどにより一躍注目されている。
 この日の公演は、地元大田区の住民なども招かれており、ポピュラーな演目が多かった。また、オーケストラの演奏の合間には、ゲストの岩崎宏美がオーケストラを背景にすばらしい歌唱を披露した。さらに、冒頭、この8月に98歳で亡くなった創立者片柳鴻氏を追悼し「G線上のアリア」が演奏された。
 演目は、演奏順にモーツアルトの「フィガロの結婚序曲」、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」、休憩を挟んでムソルグスキーの「展覧会の絵」、ラヴェルの「ボレロ」と続いた。
 面白い趣向だったのは「展覧会の絵」。この曲はムソルグスキーが展覧会場で見た友人の10枚の絵の印象を組曲にしたことで知られるが、この日の演奏会では、片柳学園の学生たちが制作したアニメーションが、オーケストラの背景に大きく映し出され、オーケストラとのコラボレーションになっていた。組曲には1枚1枚に題名がつけられているのだが、制作した学生はそれぞれのイメージを膨らませて小さなストーリーを構成していた。
 大きな画面に映し出されるアニメーションを見ながらオーケストラの演奏を聴くというのも得がたい体験で、イベントの伴奏とも違って独自の趣向が注目された。ただ、映像を追いかけるあまり、演奏への集中が弱まるようでなかなか難しいものだと思った。
 このたびの演奏会で注目していた西本の指揮ぶりは大変ダイナミックなもの。派手なパフォーマンスが面白かったが、これが人気の所以かもしれないとも感じた。ただ、オーケストラの演奏はどうだったか。特に1曲目の「フィガロの結婚序曲」は今一つだったように受け止められた。音楽に格別の造詣があるわけでもない、ずぶの素人が勝手なことを生意気だが、印象だけで言えばそういうこと。
 なお、「ボレロ」は、同じモチーフによるメロディーが次々と異なった楽器によって演奏されていくのだが、フルート、クラリネット、トロンボーンなどとリレーされていく中で私には初めの部分に登場したクラリネットがよかったように思われた。

函館の「箱庭カフェ」

f:id:shashosha70:20190820164432j:plain

(写真1 店舗玄関の様子)

まるで〝ふるカフェ〟の世界

 函館市電に乗っていたら十字街電停付近で古い商店のたたずまいにカフェの文字がチラッと見えた。それで、気になって帰途電車を降りて確認したところ、これはもうまるで〝ふるフェ〟の世界ではないか。
 「箱庭カフェ」と案内があり、店内に入ると、はこだて工芸社の店舗で、ガラスや繊維などの工芸品が一杯に展示されており、奥の一角が箱庭に面してカフェになっている。函館市末広町所在。
 建物は、昭和10年(1935年)の建築で、酒問屋として繁盛した梅津商店だったもの。茨城県常陸太田市出身の梅津福次郎が創業したもので、梅津は艱難辛苦の上財を成し、函館では高校の土地を寄付したり、出身地では役場の建物を寄贈したりしたという。

f:id:shashosha70:20190820164528j:plain

(写真2 はこだて工芸社店内。往年の繁栄を偲ばせまるでふるカフェの世界)

 建物は、ほぼ往時のままで残されており、大金庫がでんと構えられていて繁盛ぶりが偲ばれるし、古き良き時代の函館が今に伝えられている。たびたび火災に遭っており現在残っている建物は四代目だという。函館は火災の多いところだったのだ。だから、函館の街路樹は火に強いナナカマドになっているとどこかで聞いたことがある。

f:id:shashosha70:20190820164847j:plain

(写真3 箱庭カフェのコーナー)

 箱庭に面したカフェはガラス張りになっていてとても明るい。二人掛け用のテーブルと倚子が6卓ほど。小さなスペースだがとても落ち着く。人気のカフェのようで、地元客がちょくちょくと顔を出している。
 コーヒーを頼んだがこれがびっくり。陶器のカップが二段になっている。上段がドリッパーになっていて、蓋を取ってお湯を注ぐと下段のカップに抽出されるという具合。蓋は上段の受け皿になる。よく工夫してある。
 そして何よりも肝心のコーヒーの味が素晴らしい。淹れたての香りがあるし、濃いのに苦味は強くなく私の好みの味と香りだった。また、何ごとによらず熱いもの好きとしては熱いのもうれしかった。このカップが欲しいと思ったら、まだ商品にしていないとのことだった。
 旅に出て、ふらっと入ったカフェでうまいコーヒーをいただく。いい喫茶店のある街はいい街だというのが持論であり、至福の時が過ごせる。
 なお、蛇足かもしれないが、ふるカフェとは、NHKテレビで放送されていた番組のこと。

f:id:shashosha70:20190820164926j:plain

(写真4 箱庭カフェの二段になったコーヒーカップ)

津軽半島最北端龍飛崎紀行

f:id:shashosha70:20191004180650j:plain

特集 私の好きな岬と灯台10選

f:id:shashosha70:20191004180038j:plain

(写真1 津軽海峡に突き出た龍飛崎。突端は防衛省のレーダー施設で、対岸は北海道白神岬)

演歌の似合う風の岬

 日本全図を広げて北上していくと本州の端は蟹が二本の爪を広げたような形をしている。青森県で、大きな陸奥湾を囲い込むようになっていて、右指は鉞(まさかり)のような形をした下北半島であり、対する左が津軽半島である。津軽海峡に面しその半島の最北端にあるのが龍飛崎。
 龍飛崎あるいは竜飛崎とも。何と荒々しい名前か。実際、強風が常に吹いていて、厳冬期には、あまりに風が強すぎて降った雪が飛ばされてしまい積雪もできないほど。しかし、突端に立てば、津軽海峡を眼下に、北海道が眼前に横たわる雄大な風景を望むことができる。
 龍飛崎へは、青森駅から津軽線で向かう。全線55.8キロのローカル線である。陸奥湾沿いを走る路線だが、眺望が開けたのは蟹田に至ってから。左手は現在進んでいる津軽半島、右が夏泊半島とその先が下北半島である。夏泊半島は陸奥湾の中央部に突き出たでべそのような小さな半島。快晴ならば澄み切った青空にはなはだ見晴らしがいい。
 また、この駅のホームには、切り出したばかりのような風情のある立派な木の看板が立ってあって、「蟹田ってのは風の町だね」と『津軽』から引いた太宰治の文句が書かれてある。しかし、ここで風に驚いていてはいけない、この先はもっと風が強いのだ。
 蟹田を出ると津軽山地へと分け入っていく。次の中小国が、JR東日本とJR北海道の境界駅で、さらに進むと津軽二股。右手を見上げれば北海道新幹線の高架が並んでいて、奥津軽いまべつ駅が隣接している。この奥津軽いまべつ駅は本州にあるのにれっきとしたJR北海道の駅である。
 ここで乗り継ぐ人は滅多にいないと思われるが、私は非常なる興味があってかつてわざわざここで北海道新幹線から津軽線に乗り換えたことがある。津軽線は、起点の青森駅から終点の三厩(みんまや=30年前に乗った折には駅名はみうまやとなっていた)駅まで通し運転の列車は日に1本しかなく、蟹田で乗り継げる列車も4本しかないから時刻表を吟味しておく必要がある。
 私は木古内から北海道新幹線に乗車して奥津軽いまべつで下車し、津軽線津軽二股へと乗り継いだのだが、両駅間は徒歩わずかに数分。JTBの時刻表にも津軽線の覧に「津軽二股駅と北海道新幹線津軽いまべつ駅は隣接しています」と案内してある。
 津軽二股駅は片側1線の小さなホームがあるだけ。乗客は今別へ買い物に行くというおばあちゃんと、何用あってこの駅から乗るのか判然としないような男の私の二人。

f:id:shashosha70:20191004180136j:plain

(写真2 津軽半島最北端の駅、龍飛崎への玄関口三厩駅)

 津軽二股を出ると津軽浜名で再び海に面しそのまま三厩到着。青森から通しで乗って来れば約1時間30分のところである。三厩駅は島式1面2線のホーム。私はこの駅で降り立ったのはこれまでに6度。この間に駅舎が新しくなった。それでも最果ての旅情が色濃く漂うところだ。
 駅前には、列車の到着時刻に合わせ外ヶ浜町営の龍飛崎行きのバスが発車を待っていてくれる。本来は町民のためのコミュニティバスだろうが観光客にも開放していて、料金はわずかに100円。
 三厩駅からおよそ30分で龍飛漁港。陸が尽きるというところにあり、太宰も『津軽』で「この先に道はない。だぼんと海に落ちるだけだ」と書いている。
 かつての路線バスはこの停留所が終点だったが、外ヶ浜町営バスは親切にもいったん来た道を少しだけ引き返し岬の尾根へと急な坂道を登っていってくれ、龍飛埼灯台へと誘ってくれる。

f:id:shashosha70:20191004180221j:plain

(写真3 麓の漁港から灯台へと登る〝階段国道〟)

 しかし、これは余計なお世話みたいなもので、龍飛漁港の停留所から〝階段国道〟と呼ばれる世にも珍しい階段が岬のてっぺんにまでつながっているのだ。バスが走ってきた国道339号線がそのまま伸びているのである。階段が国道だなんてここにしかないもので、龍飛の名物である。
 この国道は、外ヶ浜から弘前まで津軽半島を南北に貫く長い道路なのだが、途中どうして階段になってしまったのか、何でも国道を指定する役人が現地を見ずに地図だけで線を引いた結果こうなったということである。
 階段は362段、高低差70メートル。喘ぎながら登ると岬のてっぺんに至り、一気に眺望が開ける。津軽半島の最北端に位置する。岬は津軽海峡に鋭く突き出ていて、高い断崖絶壁となっている。段丘ではないようだから海蝕崖であろうか、海面からの高さは100メートルを超す。足下を洗う激浪の潮騒がかすかにしか届かないほどだ。
 しかし見晴らしはいい。これほど眺望の利く岬も、いかに眺望が自慢の岬の突端といいながら珍しいほどの素晴らしさだ。眼下は津軽海峡で、眼前に北海道が横たわっている。船舶が往来している。直線距離で19.5キロ。対岸といいたくなるほどに近く見えるのは松前半島の白神岬である。なお、ちなみに、津軽海峡でもっとも幅が狭いのは下北半島の大間﨑と亀田半島の汐首岬の間18.7キロである。
 私流の表現を使うなら、両手を広げて余るほどだから240度もの眺望か。白神岬の少し右が函館山で、さらにずっと右に見えるのが下北半島であろう。
 一緒に並んで海峡を眺めていた地元のお年寄りが、これほど見晴らしのいい日も珍しいといいながら、白神岬の左に見えるのが大島で、その隣にかすかに見えるのは小島だという。教えてくれなければ気がつかないほどで、この二つの島が並んで望めるのも珍しいのだとも。
 高い断崖絶壁にあるからまるで劈頭に立つ爽快感がある。これこそが岬の魅力である。両手を広げて飛び込みたくなる誘惑に駆られるが、幸か不幸かこれまでは一度もそういうことにはならなかった。
 龍飛崎で両手を広げて飛び込みたくなるのは、風の強いことにもよる。稀に弱い日もあるがおおむね強風が吹き荒れており、風が弱いと張り合いがないくらいだ。厳冬期に来たときなど、あまりに風が強くて、大人の男の私が風に吹き飛ばされそうになって這って歩いたほどだった。また、ここは風が強いから雪も積もれないのだった。岬はどこも地形上風が強くなるものだが、しかしここ龍飛崎はその名の通り、龍が舞うほどなのだ。
 岬の突端には、防衛省のレーダー施設がある。岬の突端といえば海上保安庁が設置する灯台が一般的だからこれは珍しい。津軽海峡の防衛上の位置がわかる。

f:id:shashosha70:20191004180316j:plain

(写真4 龍飛埼灯台。日本海と津軽海峡を両睨みしている。後方は小泊岬)

 その龍飛埼灯台は、突端から少しだけ後ろに下がったところにある。龍飛崎そのものがそうなのだが、灯台は津軽海峡の出入り口と日本海を両睨みをするように向いて立っている。
 灯台はややずんぐりしている。塔高は13メートルほど。第三等フレネルレンズで、光達距離が44キロもある大型灯台だ。メタルハライド光源だが、実効光度は47万カンデラという。日本の灯台50選に選ばれている。

f:id:shashosha70:20191004180404j:plain

(写真5 小泊岬との中間点にある瞰望台から見た龍飛岬)

 龍飛崎は大きな岬で、突端周辺にいてはわかりにくいが、後方に下がって岬全体を眺めると、大きな岬が海峡に鋭く突き出ているのっがよくわかる。かつては風力発電の風車が林立していたものだが、後年になってその数が減った。まさか風が弱くなったからでもないだろうが。
 初めてこの岬を訪れたのは1989年6月17日で、あれからもう30年にもなる。その後も季節の折々に訪ねていて、いつの年だったか、帰途のバスを待つ間、麓の漁港にある居酒屋で時間をつぶしたことがあったのだが、酒の肴にウニを頼んだら、どんぶり一杯にウニが殻のままで出てきたのには驚いた。なかなか得がたい経験だった。この居酒屋は建物は新しくなったが現在も営業を続けている。
 龍飛崎は演歌の似合う岬。そう言えば、襟裳岬も演歌の似合う岬で、あそこも風が強かった。

f:id:shashosha70:20191004180455j:plain

(写真6 龍飛漁港から見た龍飛崎と龍飛埼灯台)

<龍飛埼灯台メモ>(「灯台表」等から引用)
 航路標識番号1501(国際番号M6662)
 名称/龍飛埼灯台
 所在地/青森県東津軽郡外ヶ浜町字三厩龍浜
 位置/北緯41度15分30秒 東経140度20分33秒
 塗色・構造/白色塔形コンクリート造
 レンズ/第3等大型フレネル式
 灯質/群閃白光毎20秒に2閃光
 実効光度/47万カンデラ
 光達距離/23.5海里(約44キロ)
 塔高/14メートル
 灯火標高/119メートル
 初点灯/1932年7月1日
 歴史/1998年メタルハライド化
 管理事務所/第二管区海上保安本部青森海上保安部

展覧会『ゼロ・ヒガシダ展』

f:id:shashosha70:20190927142521j:plain

(写真1 「最後の晩餐」と名付けられた巨大なレリーフ)

大作「最後の晩餐」

 北上野のいりや画廊で開かれていた。
 ゼロ・ヒガシダは彫刻家。1958年広島生まれ、1984年日大芸術学部、1986年芸大大学院卒業。ニューヨークでの活動が長い。
 鉄を溶接で造形した作品が多く、私は神田佐久間町四丁目の溶接会館のエントランスホールに常設展示してある「叡智」でかねて知っていた。幅310×高さ157センチという大きなレリーフで、ステンレスの板を溶接で造形している。
 さて、展覧会場に入ると、細長いホールのような空間に作品が点在してある。私のような俗物には感じにくいが面白さはある。
 圧倒的迫力は「最後の晩餐」というレリーフ。幅600×高さ300センチという巨大さ。「叡智」の系譜につながる作品のようだ。1メートル角のパネルを横6×縦3枚に18枚組んだような構成で、やはりステンレス板を溶接で造形している。溶接によってステンレス板の表面に色変化が出ており、これが作品に面白い味を出させている。
 レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」をモデルにしたようだが、「叡智」に比べより難解になっているように思われる。

f:id:shashosha70:20190927142606j:plain

(写真2 会場の様子)