ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

春なのに

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(写真1 見事に花のトンネルを作っているのに人影は少ない)

人影もまばら

 不要不急の外出はするなとのお達し。もとより年寄りに要も急もないわけで、家の中でゴロゴロしている。旅に出たいと思いつつ家族から強い禁足令が出ていてままならない。今のところ新型コロナウイルス感染者ゼロという岩手県など安心して旅行ができるだろうなと思案をしていると、地元からは、県外からの旅行者はお断りなどという声も聞こえてきて何やらおかしなことになってきた。
 ここのところ日ごとばかりか、一日の中でも日中と朝夕との寒暖差が大きくて体調を崩しやすい。今年ほどこのあたりの変化が大きい年もないのではないか。
 買い物などは私の役ではないが、朝のウォーキングと夕方の散歩だけは欠かしていない。それでわかること。散歩をしている人の姿もまばらなのである。いつもの時間、いつもの公園を歩いているのだが、本当に少ない。

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(写真2 トキワマンサクの花)

 花はいつもの年と同じように咲いてくれている。トキワマンサクが見事に咲いていた。花の形がマンサクに似ているからこの名がついたようだが、花の咲く季節だけは、マンサクが真冬に咲くのに対し随分とずれているから、マンサクとは違う種類かも知れない。

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(写真3 セイヨウイワナンテンの花)

 何という花だろうか。花の形はスズランに似ている。ドウダンツツジにも似ている。しかし、花が房のようになっているところや、葉が違うようだ。調べてみたら、セイヨウイワナンテンというらしい。自信はないが、どうもそうらしい。

『世界ことわざ比較辞典』

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世界初の編纂

 日本のことわざと世界のことわざを集めて比較した辞典。日本ことわざ文化学会編で、世界的にも前例のない辞典らしい。
 日常的に使われている日本のことわざ300を見出しとし、これに世界25の地域と言語から似たようなことわざを取り上げた。集めた世界のことわざは6500以上で、すべて日本語訳と原語が掲載されている。
 一つ引いてみよう。
 類は友を呼ぶ(=性格などが似た者は自然に寄り集まるようになるという譬え)。古典ギリシャ語の「似たもの同士友である」など世界18の地域・言語のことわざが紹介されていて、英語では「カラスはカラスの隣にとまる(Jackdaw always perches by jackdaw)」などという例が示されている。面白いのは台湾で遣われている「竜は竜と、鳳は鳳と、猫背の人はとんまと一緒になる」ということわざ。猫背の人はとんまと一緒になるという意味がわからない。
 世界で遣われていることわざにも面白いものがある。逆引きしてみると、ロシアに「司祭が好きな人、その奥さんが好きな人、その娘が好きな人もいる」とあるが、日本でどういうことわざに対応するものか見当もつきにくいが、日本では「蓼食う虫も好き好き」ということになるらしい。
 概してヨーロッパ諸国では通底する文化が同じようなものだろうから似たような表現になっているようだが、これに対して、日本のことわざが中国や韓国とどのような異動にあるかということもわかって興趣が深かった。
 とにかく読んで面白い辞典。特に逆引きで読んでいくと奇想天外な言葉遣いがあったりとびっくりするほど。25もの言語に当たったというから大変な労作だ。
(岩波書店刊)

原田マハ『デトロイト美術館の奇跡』

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(写真1 表紙の絵はセザンヌの「マダム・セザンヌ」)

市民が守った美術館

 デトロイト市の財政破綻から危機にさらされたデトロイト美術館(DIA)が愛情深く描かれている。
 デトロイト市はミシガン州にある全米第9位の大都会。もとよりGEやフォードなどビッグ3があり自動車産業の街として知られる。
 主人公はポール・セザンヌの「マダム・セザンヌ」である。デトロイト市民に愛されたDIAの至宝であり、物語はこの絵を取り巻く四つのエピソードで構成されている。
 フレッドは自動車工場で溶接工をしている。妻のジェシカに袖を引かれるようにして行ったDIAで初めて目にした「マダム・セザンヌ」に惹かれて通い詰めた。不治の病に倒れたジェシカの最後の頼みはもう一度「マダム・セザンヌ」に合わせてくれというものだった。これが一つ目のエピソード。
 このようにデトロイト市民に愛された「マダム・セザンヌ」がどのような経緯でDIAのコレクションに入ったのかが披露されているのが二つ目のエピソード。
 そして三つ目は、デトロイト市の財政破綻によって、資産価値の高いDIAのコレクション売却が俎上に載ってきたこと。続いて四つ目は、いかにしてデトロイト市民がDIAのコレクションを守ったかというピソード。
 様々な財団がこぞって寄付を申し出たのだが、フレッドがなけなしの500ドルを寄付したように市民が立ち上がってこぞって寄付を行いコレクションを守り抜いたというエピソードが盛り込まれている。
 アメリカの美術館を訪ねると、大方は寄付によるコレクションだということに気がつかされるが、市民も一緒になって守り抜いたというところが素晴らしい。
 原田は、『ジヴェルニーの食卓』や『暗幕のゲルニカ』など絵画にまつわる作品で知られるが、題材を深く掘り下げていくつもの豊かなエピソードで膨らます手法は秀逸で、しかも、美術に関するうんちくも豊富で読んで興味深くも楽しい。
 アメリカでは訪れた都市の美術館を見学するのが楽しみで、随分とあちこちを見てきているが、実はこのDIAには行ったことがない。デトロイトには友人もいるし、何度か行ったことがあるのだが、これまで機会がなかった。印象派を含めて膨大なコレクションがあるらしいから是非にも訪ねてみたいものだ。
(新潮文庫)

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(写真2 デトロイト美術館外観 。露出を間違えたようで不鮮明だが= 2012年8月29日)

高輪ゲートウエイ駅開業

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(写真1 2階コンコースから見た高輪ゲートウエイ駅)

山手線/京浜東北線に新駅誕生

 高輪ゲートウエイ駅が3月14日開業した。山手線、京浜東北線の新駅で、山手線にとっては、1971年の西日暮里駅以来49年ぶり30番目の新駅誕生である。
 田町駅と品川駅の中間に位置し、品川に連接して拡大するビジネス街の多客化に対応した。新駅設置にあたり、山手線と京浜東北線の線路は数百メートル海側に移設され、付け替えられた。

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(写真2 高輪ゲートウエイ駅外観)

 新駅は、モダンでしゃれた建物。新国立競技場も設計した隈研吾の設計。隈研吾の設計によく見られるように、至るところに木材が使われていて、特にホームの床まで木材というのは斬新。
 ホームは1階。2面4線で、1、2番線が山手線、3、4番線が京浜東北線にあてられている。東京方面から乗ってくると、ちょっと違和感がある。つまり、山手線と京浜東北線が並行する区間は、山手線の内回りと京浜東北線の北行は同じホームで、外回りと南行も同様に同じホームになっていて、進行方向が同じになるように並べられている。山手線と京浜東北線がそれぞれ内回り外回り、あるいは北行と南行が同じホームを使い分けているのは品川駅だけ。どちらのやり方もそれぞれに良さがあるのだが、どうして新駅でわざわざ他駅と違うやり方にしたのかはわからない。
 ともあれ、コンコースは2階。階段やエスカレータ、エレベータで登ることになる。ただ、階段によっては、エスカレータは上りのみだったり下りのみだったりに設定されていてはなはだ不便。どうして上り下り2機のエスカレータを並べて設置しなかったのだろうか。まさか費用をケチったわけでもないだろうし、スペースがなかったわけでもないだろうし、新駅なのにこれは解せない。

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(写真3 改札口)

 2階はコンコースになっていて、改札口につながっている。ここからは駅舎内部全体が見下ろせてとても展望がいい。また、壁面はガラス張りになっているからとても明るい。コンコースには無人営業で評判のコンビニがあった。なお、改札口は一カ所だけで、改札機の台数から判断すれば、JRとしてはあまり大勢の乗降客は見込んでいないのかも知れない。駅舎全体も小ぶりだし。

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(写真4 3階デッキから見下ろした駅舎内部全景)
 
 外に出ると、古い線路と当たらし線路の間数百メートルがまだ開発途上になっていた。いずれ再開発されるのだろうが、JRは大きなビジネスチャンスを得たもののようだ。
 なお、このたびの開業は暫定的なもののようで、本開業は2024年度とのことで、その折には品川寄りにも改札口が設けられるようだ。なるほど。
 山手線にとっては久々の新駅だし、この日は平日の午後だったのだが、見学者が大勢訪れていた。また、都営地下鉄泉岳寺駅にも近いようだから、乗り換え客もいるのだろう。

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(写真5 改札口付近から見た再開発中の駅前)

長崎次郎書店

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(写真1 電車通りに面した長崎次郎書店)

熊本のレトロな書店と喫茶室

 長崎次郎書店は、熊本にある老舗書店。創業明治7年(1874年)とあり、熊本で最も古い本屋らしい。いくつか変遷はあったらしいが、140年を経て今に至るも続けられているというのが素晴らしい。
 市電で、A系統B系統分岐の辛島町でB系統上熊本行きに乗り三つ目新町下車すぐそば。ここで市電は右に大きくカーブしている。中央区新町四丁目所在。
 現在の建物は大正13年(1924年)建築で、スクラッチタイル張りというのであろうか、クラシックな外壁が特徴。保岡勝也設計。国登録の有形文化財にもなっていて、とてもレトロだが、モダンな洋館にも思える。

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(写真2 書店内部)

 玄関を入ると正面に雑誌が置かれ、右に回ると文芸書や地元関連の棚。なかなか吟味され工夫された棚造りで、書名を追っていくと独特の品揃えで、店主の個性が感じられる。本好きには共鳴できるのではないか。単に新刊本を並べておいたというのでは全くないのである。限られたスペースに店主が選び抜いた本が並んでいるのだが、かといって押しつけがましさは全く感じられない。
 私は旅先で本屋に入ることは度々だが、しかし、実際には本を購入することは抑えている。旅の途中で荷物が増えることを嫌うからだが、それでも、地元ならではの本だったり珍しいものを見つけると買っておく。
 じっくりと棚を見ていって、ふとある本に目は留まった。1年前に発行された文芸書で、発行当時すぐに評判になったが、なぜか買いそびれていた。それこそ旅先で買うような本でもなく、文庫にでもなれば買うだろうが、このたびは店主に背中を押されたようについ購入したのだった。
 それで気がついたこと。とてもサービスでつけてくれるカバーが良いのである。しかも、このカバーの掛け方がよくよく工夫してあって、本を開くと表紙の裏に当たる部分に書店名や住所、電話番号に店のロゴが小さく収まっていて、とてもしゃれていて感心させられた。
 店内を一回りして最後、つまり玄関から入ってすぐ左には児童書のコーナーがあり、棚は低く、平台は広くあつらえられている。幼児でも手が届くようにとの配慮だが、この日は、小さな女の子が絵本を読んでいて、乳母車を押したお母さんは雑誌を手に取っていた。

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(写真3 長崎次郎喫茶室内部)

 書店の建物の2階は喫茶店になっている。長崎次郎喫茶室。創業平成26年とある。
 店内は窓が大きくとられとても明るい。天井の太い梁がむき出しに黒光りしている。ゆったりとテーブルが配置されていて、落ち着いたたたずまい。
 窓際の席を選んだが、この席からは電車が往来している様子が見られる。これはいい。うまいコーヒーをいただきながら本を読む。時折電車を眺める。至福の時だ。
 コーヒーは、注文に応じて1杯ずつ豆をひきドリップしていた。深い味わいだったが、ケーキとの取り合わせも良かった。店のオリジナルなそうで、醤油味のシフォンケーキで珍しいものだった。コーヒー660円、ケーキセット1,100円。

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(写真4 喫茶室の窓からは電車が見える)

魅力的な車窓の肥薩線

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特集 私の好きな鉄道車窓風景10選

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(写真1 矢岳越えの絶景車窓。眼下にえびの高原と霧島連山が展望できる=1992年8月23日)

〝川線〟と〝山線〟異なる二つの表情

 肥薩線は、熊本県の八代駅と鹿児島県の隼人駅を結ぶ路線。途中でわずかの区間だが宮崎県も抜けており3県にまたがり全線124.2キロ。現在のように海沿いの路線が開業するまでは鹿児島本線だった時代もある。八代から人吉までの区間は球磨川沿いに走り〝川線〟と呼ばれ、人吉からの国越えは〝山線〟と呼ばれ、二つの異なる表情を持った路線として親しまれている。特に、人吉-吉松間の通称〝矢岳越え〟は日本三大絶景車窓として人気が高い。しかし、侮れないことには、矢岳越えの区間は日に3本しか列車はなく、大変な難所である。
 肥薩線に、八代方から乗るか、隼人方から乗るかは多少悩むところである。もちろん同じところを通ることではあるのだが、日本三大急流の流れを実感したいのであれば、球磨川を遡る八代方ら乗るのがいいし、この場合、座席は進行方向左側にとるのがいい。また、矢岳越えを楽しむのであれば、25‰の急登坂が続く隼人方から乗っていくのが良い。しかし、車窓のいいところは右に左にと移動するから決めかねる。わずか1時間のこと、デッキに立ち続けるのがベストかも知れない。

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(写真2 日豊本線と肥薩線が接続する隼人駅=2013年3月17日)

 さて、ここでは隼人方から乗っていこう。日に3本の列車本数のこと、選択肢も少ないのだが、混雑を避けて最も早い時間の列車にした。隼人7時06分発。しかし、この列車に乗るためには、鹿児島中央を5時59分発に乗らなければならない。このたびの宮崎、鹿児島と巡る南九州旅行で熊本へ移動するために2月26日に乗ったのだった。この時期、九州は時差が大きくて6時台ではまだ真っ暗である。
 隼人駅2番線から肥薩線経由都城行き。2両編成。現地に住んでいないとなかなかわかりにくい設定で、途中、吉松から都城と結ぶ吉都線を経由する。頭の中で路線図を思い描いてもピンとこないほどだが、吉都線に走らせるについて隼人-吉松間をくっつけたということだろうか。
 ところが、隼人ではなんと満席ではないか。大半が高校生だが、どこまで通うのだろうか。隼人-吉松間は鹿児島県で、吉松-都城間は宮崎県であり、公立高校の場合、県を越えて通うことは少ないであろうし、隼人から乗った生徒たちは吉松までの区間ということになろう。

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(写真3 嘉例川駅。国の登録有形にも指定された名駅舎=2009年11月29日)

 隼人を出ると日当山から表木山にかけていきなり25‰の急勾配である。そして次が嘉例川。1903年(明治36年)開業の駅舎がそのまま残っていて、往事のたたずまいが素晴らしい。国登録有形文化財に指定されている。観光客にも人気で、自動車で寄っていく人々も少なくない。また、この駅は駅弁も評判が良くて、すぐに売り切れとなるようだ。とにかく地元の食材を使って彩りも良く傑作だった。

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(写真4 嘉例川駅で販売されている駅弁=2009年11月29日)

 なお、知っている人は少ないようだが、実はこの駅の近くからは鹿児島空港行きの路線バスも出ている。もっとも、この駅で乗降する人は本当に希なほどだし、駅前にバスの停留所の標識もないから鹿児島空港行きバスの最寄り駅にはならない。私は、かつて、地図を見ていてひょっとすると空港行きのバスが近所を通るのではないかと判断し、ここから空港までバスで向かったことがあるのだった。
 嘉例川を出た列車は、次の霧島温泉に到着するや高校生がごっそり下車した。それは、実際にはごっそりなどというものではなく、まさしく全員降りたのだった。社内がガラガラになって唖然とした。
 続いて大隅横川駅。嘉例川駅同様に1903年の開設で、国の登録有形文化財に指定されており名駅舎。

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写真5 鉄道の要衝吉松駅=2016年7月24日)

 そうこうして吉松到着。8時10分。鉄道の要衝である。肥薩線のほか、ここが起点の吉都線が接続する。かつては随分と栄えたらしいが、現在はそれを偲ぶよすがはない。駅前には、「明治三十六年九月五日吉松駅開業百周年記念碑」と「大正二年十月八日吉都線全線開業百周年記念碑」の二つの立派な石碑が建っている。また、蒸気機関車C5552号が近代化産業遺産として保存されている。

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(写真6 吉松駅前にある鉄道開業の記念碑=2016年7月24日)

 駅前は閑散としているのだが、目立つのは駅の真正面にある「吉松駅前温泉」ののれん。立ち寄り湯で、営業時間は朝8時からとあって、温泉好きであり一度は入ってみたいと念願しているもののここで6度も乗り換えているものの、これまでのところ実現していない。

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(写真7 跨線橋上から見た吉松駅構内=2016年7月24日)

 さて、吉松8時46分の発車。2面4線のホームがあって、1番線に着いて、3番線からの発車だった。人吉行き。単行である。

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(写真8 スイッチバックの真幸駅=2020年2月26日)

 いよいよ山線のハイライト矢岳越えである。吉松を出ると次が真幸(まさき)で、スイッチバック駅であり、高みの列車に向かって売店の人たちが手を振っている姿をよく目にする。

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(写真9 真幸駅。売店の人たちが手を振ってくれている=2016年7月24日)

 続いて、矢岳山の山中を長い矢岳第一トンネルで抜けると、肥薩線最高所矢岳駅。標高537メートル。この真幸-矢岳間が日本三大車窓の絶景である。眼下にえびの高原と霧島連山が見えている。また、駅に入る直前右側にSL展示館が見えてくる。

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(写真10 スイッチバック駅であり大畑駅が眼下に見える=1996年5月25日)

 矢岳を出ると列車は下りになり、トンネルをいくつも抜けて大畑(おこば)。乗っていてはなかなか気づきにくいが、大畑に到着する直前がループで、大畑駅ではスイッチバックとなる。ループ線とスイッチバックが連続する珍しい区間で、鉄道ファンにはため息が出るような楽しさだ。また、吉松方から乗ってくると気がつきにくいが、矢岳-大畑間は何と30.3‰の急登坂である。大畑駅の駅舎はちょっと面白くて、改札口や待合室など至るところに名札カードが張ってある。このやり方は釧網本線の北浜駅に似ている。

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(写真11 大畑駅にはおびただしいほどの名札カードが貼り付けられている=2016年7月24日)

 大畑を出ると後は一目散に人吉。9時44分着。白い壁の美しい駅舎で、駅前に天守閣を模したモニュメントがある。人吉相良藩の城下町なのである。駅から直角に延びている道を数分進むと球磨川に出る。かつてここでうまい鰻を食べたことがあるが、名物だったのかどうか。

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(写真12 白壁が美しい人吉駅。くま川鉄道との共同使用駅である=2020年2月26日)

 また、ここはくま川鉄道湯前線の起点で、JR駅に並んで左側に小さな駅舎がある。人吉温泉というほどの温泉地でもある。
 人吉を出ると列車は球磨川沿いに走る。多少は移動するが大半は右窓である。日本三急流の一つと呼ばれ、名だたる清流である。川下りが人気であり、鮎釣りも有名だ。私は乗って楽しむ鉄道ファンだから、川遊びにも鮎釣りにも関心は向かない。

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(写真13 右窓に清流球磨川が続く=2020年2月26日)

 人吉からは列車本数がぐんと増える。10時14分発車。初め穏やかだと思っていたら途中から急流となった。かつて巨岩がひしめいていたそうだが、現在は岸辺の整備が進み、全般には穏やかな大河と思われた。清流の名にふさわしく、透明なブルーがとても美しかった。

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(写真14 八代駅肥薩線ホーム。ホームには肥薩線起点駅の看板=2020年2月26日)

 終点八代11時32分着。ここからは鹿児島本線で熊本に向かった。
 なお、この日は普通列車ばかり乗り継いだが、肥薩線には特急列車も設定されていて、観光列車として人気がある。JR九州特有のしゃれたデザインだし、弁当など食べながらのんびりした旅も楽しめる。観光列車だから、列車の乗り継ぎもスムーズになるよう設定されているし、大畑や矢岳、真幸などでは長い停車時間を設けていて途中下車しなくともすむよう配慮されているのもうれしい。
 山あり川ありと絶景車窓が続くし、ループありスイッチバックありと鉄道ファンをうならせるし、汽車旅満載の路線である。

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(写真15 肥薩線に投入されているはやとの風1号=2009年11月29日)

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(写真16 はやとの風の車内。のんびり弁当を食べながらの旅もいい=2009年11月29日)

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(写真17 肥薩線の観光列車は主な駅でたっぷりの停車時間を設けてくれている。列車はいさぶろう1号=2009年11月29日)

路線概要
起点/八代駅
終点/隼人駅
管轄/JR九州
路線距離/124.2キロ
駅数/28駅(起終点駅含む)
軌間/1,067(狭軌)
複線区間/なし(全線単線)
電化区間/なし(全線非電化)
開業/1903年1月15日

部分復旧を重ねて運転再開した常磐線

特集 常磐線復旧への軌跡③

 

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(写真1 原ノ町駅では前後ともに不通となり構内には取り残された特急車両。後方には普通列車車両も留置されていた

原発事故と津波 異なる二種の被害

 常磐線の復旧は少しずつ進んできた。直接の被害のあった広野-亘理間だけで102.8キロと100キロを超すし、それもあちこちと寸断されている。しかも、原発事故によるものと地震・津波によるものと全く様相の異なる二種類の被害があって複雑になった。
 つまり、いわき方は主に原発事故からの復旧であり、岩沼方では地震・津波被害からの復旧だった。
 常磐線は、全国の鉄道路線の中で本線と名のつかない路線では最長。いわば大幹線ともいえる路線であり、その復旧は一日でも早くと待たれた。
 いわき方から見ていくと、広野から竜田へと伸びたのは2014年6月1日。この間は8.5キロ。途中に木戸駅がある。なお、現在は広野と木戸の間に新たにJヴィレッジ駅が今年2020年3月14日常磐線全線運転再開に機を合わせて開業した。Jヴィレッジは、Jリーグのサッカー施設で、これまで原発警戒区域への前線基地として使用されていた。

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(写真2 ホームを渡る仮設通路で封鎖された竜田駅)

 復旧した広野-竜田間には2015年8月30日に乗りに出かけた。東京から仙台まで常磐線はどのように結ばれているのか。非常なる興味があって乗りに行ったのだった。
 途中の木戸駅など駅舎はもとより沿線にも何の傷跡も見当たらなかった。これが津波被害と決定的に違うところで、原発事故の無情な恐さだ。無傷な鉄道施設を見ていると腹が立ってくるようだった。

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(写真3 竜田駅前で発車待つ原ノ町駅行き代行バス)

 竜田から先へは原ノ町まで代行バスが出ていた。このときは列車に乗ってきた10数人の乗客の大半がそのまま代行バスに乗り継いだ。
 ただ、代行バスも竜田から原ノ町まで途中の8駅46.0キロをノンストップで走らなければならない。バスが発車したら車掌が「帰還困難地区を通過するので窓の開閉は遠慮して下さい」とアナウンスしていた。窓も開けられなほどの高放射線量の区間ということになるが、バスにも放射線量の測定器が積んであった。

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(写真4 代行バスに搭載されていた放射線量の測定器)

 通行できるのはこのバスが走っている国道6号線だけで、バスはその国道を直進していて、途中、停車すらできない。楢葉、大熊、双葉、浪江などとニュースなどでたびたび耳にした町を通り過ぎる。警戒中の警察車両と頻繁に行き違う。

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(写真5 沿道の住宅などはすべて矢来が組まれ封鎖されていた)

 沿道では、住宅のみならず工場もガソリンスタンドもすべて矢来を組んで閉鎖されている。交差する道路も厳重に封鎖されていて、辻々では警備員が警戒のため立哨している。生活が根こそぎ破壊されている様子がうかがい知れる。家がそこにあるというのに住めない無念さはいかほどか。放置された家々の中には朽ち始めているものも見受けられた。
 竜田と原ノ町を結ぶこの代行バスは1日2便のみ。それも1便目はこの9時35分発で、2便目は何と20時10分までない。東京から仙台までともあれ常磐線をつなげたという意味しかないような運行ぶりで、このバスに乗るために東京を早朝に発たなければならなかったのだった。

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(写真6 原ノ町駅)

 原ノ町に着くと、駅構内の側線には4両の特急車両が止まっていた。これは回送電車ではなくて、前後の路線が不通となっているため、身動きがとれずに震災以降そのまま留置されているもののようだった。なお、普通電車についてはその一部を陸上輸送して活用しているということだった。
 原ノ町からは再び鉄道。鉄道はやっぱりいい。スピード感が違うし、定時運行が保たれているし、安全性が高い。バスから乗り継ぐとそのことが実感されたのだった。
 しかし、鉄道が復旧しているのは相馬までのわずか4駅間だけ。ここで再び代行バスに乗り継いだ。

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(写真7 坂元駅周辺では復旧に向けて高架線の工事が進められていた。高架には「つなげよう常磐線」の標語があった)

 相馬から先は津波被害の影響で不通となっているのだが、バスは途中の5駅を各駅になぞりながら停車していく。国道6号線を進んでいて、駒ヶ嶺のように国道からそれて鉄道駅まで入っていくこともあるが、大半は国道添いの停留所を仮の駅にしているようだった。代行バスは亘理まで。ここからは鉄道はちゃんと仙台までつながっていた。

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(写真8 亘理駅)

 

駒ヶ嶺-浜吉田間線路付け替え

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(写真9 鉄道が復旧し高台移転の再開発が進む新地駅前)

 一方、津波被害から不通となっていた相馬-浜吉田間が復旧し運転を再開したのは2016年12月10日。
 この区間は新地駅、坂元駅で駅舎が流出するなどの津波被害が大きく、駒ヶ嶺-浜吉田間で線路を山側に移設するなどの大工事となった。この間、5駅18.8キロ。
 早速、同年12月24日乗りに出かけたが、このときももちろん原発周辺は不通のまま。それで、竜田から原ノ町までは代行バスを利用した。
 この区間の代行バスに乗るのは1年4カ月ぶり。事情は前回と変わらないが、少し振り返ってみよう。10時05分竜田発のバスは満席で、積み残した客はジャンボタクシーで送られたらしい。

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(写真10 代行バスの搭載されている線量計とパソコン)

 最前列の席だったが、通路を挟んだ隣の席には線量計とつながったパソコンがセッティングされていて、リアルタイムに放射線の線量がモニターに表示されていた。また、発車の際、車掌から「途中帰還困難区域を通るので窓の開閉は遠慮して下さい」とアナウンスがあり、原発事故の影響を身近に感じた。

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(写真11 国道沿いには「帰還困難区域」表示の看板)

 国道6号線をひたすら北へ走っているのだが、福島第二原発を過ぎたあたりから警察車両が目立って増えてきた。途中、第一原発を過ぎ双葉警察署のあたりで「1.5キロ先帰還困難区域」の表示が現れ、10時20分、「帰還困難地域」に入った。

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(写真12 封鎖された住宅。風化が激しい)

 ここからはっきりと様相が変わった。沿道の家々は矢来を組んで閉鎖されている。辻辻には警官が立哨している。しかし、国道を往来する交通量は多い。10時28分大熊駅付近、10時32分双葉町、10時38分浪江町などと続く。途中、双葉町の手前で「福島第一原子力発電所」の道路標識があった。今となっては恨めしい看板だ。

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(写真13 国道の途中に「福島第一原子力発電所」の標識)

 原発事故から満5年の年が暮れようとしているが、風化は激しくて、町は廃墟と化していた。
 そうこうして10時44分南相馬市に入った。ここで帰還困難区域は終了。バスの線量計は、帰還困難区域内ではピークが0.14μSv/hだったようだが、帰還困難区域を出たら0.06まで減少していた。それがどういう意味を表すのかわからないが、数値が変化していることだけは見て取れた。
 小高駅10時59分着。11時00分の到着予定に対しわずか1分ではあるが先着だった。
 なお、鉄道はここ小高駅からつながっているのだが、バスと列車との連絡が悪くて、私はそのまま原ノ町駅まで乗って行った。

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(写真14 原ノ町駅ホームに入線してきた仙台行き列車)

 運転再開区間相馬-浜吉田間への列車は原ノ町始発。11時50分発普通列車仙台行きに乗車。4両の電車。仙台行きだからだろうが、結構大きな編成だ。代行バスからの乗客はその大半が乗り継いだようだった。また、この日は土曜日だったが列車に空席が見当たらないほどで、運転再開で乗客が戻ってきたのだろうか。なお、この列車の仙台到着は13時10分である。
 鹿島、日立木を経て相馬12時07分。いよいよここから浜吉田までが運転再開区間である。特に、駒ヶ嶺の次、新地から坂元、山下までの3駅が新線に付け替えられた区間。かつては海沿いの区間だったが、1キロほど内陸側に移動した。

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(写真15 高台に線路が付け替えられ新築された新地駅ホーム)

 新地12時17分。真新しい駅舎だ。駅前の開発も進んでいる様子だった。そう言えば、相馬から同じボックス席だった高校生はこの新地駅で下車したのだが、(今まではバスを利用していたが)「めっちゃ早くなった。便利になった」と喜んでいた。

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(写真16 新しくなった坂元駅ホーム)

 坂元12時23分。ここも新駅である。駅前がきれいに整備されている。高架になっていて見通しがよい。乗り合わせた女子高校生にかつての線路のあったあたりを尋ねたら、その指さすところは眼下はるか先の海に近いところだった。また、見渡す限り更地になっていて、まるで家が見えない。そっくり高台移転したものなのか、あるいは都市計画がまとまっていないものなのかどうかその理由は判然としなかった。
 山下12時28分を経て浜吉田12時33分。ここまでが運転再開区間。運転が再開されるまで相馬から浜吉田の一つ先亘理間には代行バスが運行されていた。私は昨年2015年8月30日にこの区間をその代行バスに乗ったことがあった。
 代行バスは国道6号線を北上しながら走っていて、かつての駅に近そうなところを仮停留所にして走っていたが、なるほど海に近い区間だった。
  そうこうして亘理12時38分。列車はそのまま岩沼を経て仙台へと向かう。大半の乗客は仙台を目指しているようで、休日のこと、仙台と一直線につながった利便性はことのほか大きいのであろう。

竜田から富岡へ復旧

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(写真17 真新しくなった富岡駅)

 さて、ここまで部分復旧を重ねてきた常磐線。一駅だけだが竜田から富岡へと復旧したのが2017年10月21日。わずか6.9キロだけだが、帰還困難区域解除との兼ね合いだからこういうことになる。
 この区間には翌2018年1月26日に乗りに出かけた。わずか一駅だけの復旧だが、運転が再開されたとなればいても立ってもいられない。

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(写真18 ゆっくりと開発が進む広野駅付近)

 富岡行きの列車はいわきからの発車。途中、広野では、駅前に大きなビルが建ち、鉄骨工事の最中の建物もあって開発が緒に就いたように見えたが、ただ、ちょうど1年前にもここを通っているが、その時に比べ再開発が格段に進んでいるようには見えなかった。
 さて、竜田から次の富岡までが運転再開区間である。富岡駅はまったく新しくなっていた。10月21日の運行再開にあわせたもののようで、駅舎ばかりか駅前も、周辺の住宅も新しいものばかりで、事情を知らなければ、まるで大都市近郊の新興住宅地と見紛うばかりだった。

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(写真19 浪江駅前に到着した代行バス)

 この日もこの先仙台まで向かったが、代行バスの発着は竜田駅から富岡駅前へと移動した。代行バスが運行されているのは、富岡から途中は夜ノ森、大野、双葉の3駅を挟んで浪江まで20.8キロである。ただし、帰還困難区域の区間は、代行バスといえども途中停車することはできず、ノンストップで走り抜けた。
 代行バスは、かつては竜田-原ノ町間で、8駅46.0キロだったから、随分と短くなった。つまり、その分鉄道が復旧してきているということ。結局、私は代行バスには4度乗っているが、乗るつどバス運行区間が短くなっていることはうれしいこと。

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(写真20 浪江で発車を待つ仙台行き列車)

 浪江で代行バスから鉄道に乗り継ぎ、仙台に向かった。途中、津波被害に遭っていた相馬-浜吉田間が復旧したのが2016年の12月10日で、私は12月24日に乗りに来ていたが、いずれにしても、浪江から仙台まで鉄道がつながったことは画期的なことで、復興に大きな弾みとなっているものと思われた。