ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

牛山隆信『追憶の秘境駅』

秘境駅は滅ぶのか⁉

 著者牛山隆信には秘境駅訪問家の肩書きもあるほどに秘境駅第一人者。秘境駅は滅ぶのかとの副題があり、廃止と隣り合わせの秘境駅BEST100とある。
 秘境駅とは、地域の産業が廃れ、人々が去ったことで、なし崩しに生まれた鉄道駅の形態、と前書きにある。
 駅は、秘境度などによって1位からランキング付けされており、100の駅が取り上げられている。
 順位付けは、秘境駅度、鉄道遺産指数、雰囲気、列車アクセス、外部アクセスの5項目について、それぞれ20点を与えられ、100点を満点に総合評価が出されている。なお、秘境駅度は何を根拠にはじき出されてのか、それぞれの項目の構成要素は示されていない。
 そのことはともかく、順にみてみよう。
 1位は、小幌(北海道、JR室蘭本線)。秘境駅度20、鉄道遺産指数18、雰囲気19、列車アクセス17、外部アクセス20で総合評価94となっている。「ここは、車道はおろか歩道も存在しない究極の秘境駅だ」という。
 日本一の秘境駅としてかねて知られたところで、トンネルとトンネルの間にホームがあるだけで、利用者は鉄道ファンか釣り客のみだといわれているが、なぜ廃駅にならないかということでは、JR自身が保守点検等に必要としているとの指摘もある。
 以下、2位尾盛(静岡県、大井川鐵道井川線)、3位小和田(静岡県、JR飯田線)と続いている。小和田も秘境駅でかねて知られたところ。
 著者には、『秘境駅に行こう!』(小学館文庫)の著作もあり、秘境駅踏破については有数のキャリアを持ち、全国の鉄道に乗りながら秘境駅をチェックしているのであろう。一つひとつ下車して調べるのは並大抵の努力ではない。それが全編カラーの本書に生きている。 
 ただ、私も鉄道ファン。日本の全鉄道全線を2度も踏破した経験を持つが、その経験でいうと、23位の抜海(北海道、JR宗谷本線)には、駅前には住宅も数軒あり、これで秘境駅とはいかがなものか。評価がわかりにくい。
 また、27位奥大井湖上(静岡県、大井川鐵道井川線)は、確かに湖上に駅があって周囲に道路や住宅などないのだが、下り列車から吐き出される乗客の大半はここで下車する井川線最大の観光駅であり、カフェを兼ねたレストハウスもあり秘境駅度は低いのではないかと思われた。
 なお、本書ランキングにはケーブル駅も含まれているが、ケーブル駅の秘境駅度とはどういうものだろう。
(発行天夢人、発売山と渓谷社)

池澤夏樹『また会う日まで』

(写真1 写真上が単行本、下が新聞切り抜きの束)

朝日新聞朝刊連載小説が単行本化

 朝日新聞朝刊に2020年8月1日から2022年1月31日まで連載されてきた同名小説が書籍化された。連載回数は531回に及んでいたが、単行本も727ページとまことに長編。
 連載時、毎日読んでいたばかりか、切り抜きも行っていた。連載1回は単行本1ページ半ほど。連載1回分ずつではなかなか滑らかさには欠けていて、連載が終わって切り抜きを初めから読み返していた。
 主人公は、秋吉利雄という実在した人物。先祖から敬虔なキリスト教徒であり、それでいて海軍兵学校を出た職業軍人。最終的には少将にまで昇った。ただ、海軍では海図制作に携わる水路部に属し、海軍大学校から東京帝国大学理学部で天文学を学んだ科学者でもあった。また、秋吉利雄は著者池澤夏樹の父方の祖母の兄にあたるとのこと。明治22年生まれで、海兵42期卒。
 物語は、秋吉利雄の生涯をなぞるように進められており、特に海兵42期は、大正3年(1914年)の卒業だから、第一次世界大戦から第二次世界大戦に至る激動期を挟んでおり、ちょうど日本の近代史が映し出されることとなっていた。
 もとより物語なのだが、まるでノンフィクションの様相だった。
 (朝日新聞出版刊)

今尾恵介監修『日本鉄道大地図館』

地図変遷に見る鉄道の歴史

 日本に鉄道が開業して150年。この150年間を地図でたどったのが本書。ちょうど150点の地図が掲載されている。
 本書の魅力は三つ。一つはA3判というその大きさ。見開きにすればA2判という大きさで、上製本の重さがなんと6キロ。二つ目にカラー印刷が精細という素晴らしさである。そして三つ目が文化財級の貴重な地図が集められていること。言わば鉄道地図で旅する日本近現代史とでも言えるような内容になっている。
 鉄道地図といっても様々な種類があって、鉄道事業者が使う線路計画図、配線図、地形図から鉄道利用者が必要な路線図や運転系統図があり、鉄道旅行案内図などというものもある。
 地図は古いものから時間順に載せられている。いくつか拾ってみよう。
 大日本鉄道線路全図は明治25年鉄道省から発行されたもので、当時の日本の鉄道事情がわかる。
 電車案内図(都電・都バス・ロリー案内図)は昭和33年東京都交通局らが発行したもの。
 東海道新幹線沿線案内は、新幹線開業に伴って昭和40年頃日本交通公社から発行された。新しい時代が感じられる。
 謝恩フリーきっぷには、国鉄の線路が印刷されている切符。昭和62年日本国有鉄道発行とある。
(小学館刊)

野口田鶴子朗読『釜石の風を読む』

照井翠エッセイ集

 「声で伝える東日本大震災の記憶」CDである。
 野口さんは、朗読家。声楽家としてイタリアに学んでいたが、局所ジストニアのため声楽の道を断念、朗読家に転じ、宮澤賢治作品の朗読を手がけ、イーハトーブ省奨励賞を受賞している。現在は東日本大震災の記録を語り伝える活動を行っている。
 照井さんは、俳人でありエッセイスト。岩手県釜石高校の教員の折、東日本大震災により被災している。句集『竜宮』やエッセイ集『釜石の風』などがある。
 CDをかけると、心の底から絞り出したような声が聞こえてくる。照井さんがいみじくも「野口さんの声は、憑依の声、異界の声」といい、此の世と彼の世の「あはいの声」と表現する声である。
 照井さんは、被災直後の釜石高校での避難所生活や釜石市内の様子、人々の様子を率直に綴っている。大げさな誇張がないだけに腹に響く。
 津波が襲った日から、照井さんは生徒たちと体育館で一ヶ月もの避難所生活を余儀なくされた。生徒たちは、1枚の毛布に5、6人がくるまって寒さに震えていたという。これは夢なのか、此の世に神はいないのかと慟哭する。
 句をいくつか拾ってみよう。
 春の星 こんなに人が 死んだのか
 泥の底 繭のごとくに 嬰と母
 野口さんは、千年に一度の震災というならば、千年語り継がれなければならないとの思いでCDを制作したのだという。
 けだし、震災から十二年を経て鎮魂の思いを強くした。

春を運ぶ花

(写真1 春の香を振りまく沈丁花の花)

春だ!春だ!

 待ちわびていた春になった。1年前には気にもしていなかったのに、今年は寒さが身にしみて、寒いのは嫌いだからと閉じこもっていたが、暖かくなってきて外に出ようと気分も明るくなって散策をしていると、様々な花が春を運んできたようだ。
 沈丁花が春の香を振りまいている。これほどかぐわしい花も少ない。垣根越しでも芳香が届くほどだ。

(写真2 豪華な純白はモクレンの花)

  春の空を明るくするモクレンの純白の花。同じく白い花ということでは、ユキヤナギもそうだし、いずれコブシも見られるだろう。
 春といえばやはり椿。春を招く代表的な花。椿も種類は多いが、早くから咲いて華やかなのは乙女ツバキ。ピンク色をしてこれほど整った花弁を持つ椿もないものだ。
 こうなると、桜ももうすぐ咲くのではないか。

(写真3 乙女ツバキの花)

ホワイトデー

(写真1 孫たちに贈ったホワイトデーのプレゼント)

お返しは決まって本

 3月14日はホワイトデート。ちょうど一ヶ月前の2月14日のバレンタインデーに女性からチョコレートをもらった男性が、そのお返しとしてキャンディなどのプレゼントを贈る日とされる。
 そもそも、バレンタインデーに女性から男性にチョコレートをプレゼントする習慣は、近年の日本が最も盛んなそうで、それも決まってチョコレートばっかりというのはそれこそ日本だけのことらしい。また、ホワイトデーの習慣はそれこそ日本だけのことらしく、菓子業界はうまい習慣を根付かせたものだ。
 わが家でも、女の子の孫たちからバレンタインデーにチョコレートを贈られていて、このたびのホワイトデーにお返しをした。
 お返しはいつも本を贈ることにしていて、本人たちから希望を聞いている。もっとも、孫たちはまだ小学生や幼稚園児だからいいが、これが大きくなったらどんな注文が届くものやら。

佐伯祐三展

(写真1 会場で配布されていたチラシから引用=画中の絵は<郵便配達夫>)
自画像としての風景

 東京ステーションギャラリーで開催されている。代表作100余点が展示されており、大回顧展となっている。
 1年前に開館した大阪中之島美術館のこけら落としで展示された作品を中心に全国各地の美術館のコレクションを一堂に集めて素晴らしい展覧会となっていた。
 会場は、日時指定券をあらかじめ持ってないと当日券では長い列ができており、佐伯の人気ぶりがうかがえるようだった。
 佐伯祐三(1898-1928)は大阪の出身。東京美術学校を卒業しパリに渡る。ヴラマンクから痛烈な批評を受けて覚醒する。一時帰国するが再び渡仏、しかし、肺結核によりパリに客死してしまう。30歳だった。
 展示は、自画像から始まっていた。芸大の卒業制作がある、中村彝の<エロシェンコの肖像>を彷彿とさせる。佐伯に自画像は多いが、これほど魅力ある自画像も珍しいほど。
 続いて大阪と東京の風景。中では<下落合風景>がよかった。佐伯は、東京では下落合に住んでいたのだ。佐伯の風景画は今ひとつピンとこないが、佐伯らしい筆遣い色遣いが感じられて面白かった。
 しかし、佐伯は、パリの街角を描いてこそ真骨頂だろう。煉瓦壁などパリの街を描いて独特の世界を生み出していた。<コルドネリ>や<街角の広告>などとあり、背景に広告を描いたものが多く、佐伯はよほど広告が好きだったようだ。
 晩年の<郵便配達夫>は代表作か。