ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

金沢文庫

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(写真1 阿字ヶ池を中心に浄土式庭園が広がる妙心寺の境内。奥は金堂)

妙心寺境内の歴史博物館

 シーサイドラインでは、途中、海の公園南口駅で下車し、金沢文庫に寄った。
 金沢文庫は、鎌倉時代に北条実時が創設した文庫。武家文庫としては日本最古と言われる。やはり北条実時が建立した称名寺の境内にあった。
 金沢文庫と言えば、京浜急行の駅名で馴染みがあるものの、これまで訪ねたことはなかった。往時の建造物は一切なく、現在は、神奈川県立の歴史博物館となっていた。
 最寄り駅から徒歩十数分。赤門が見えてきた。妙心寺の山門であろうか。文庫は境内の奥まったところにあった。なお、京急の金沢文庫駅から歩いてもほぼ同じ距離らしい。
 戦乱などにより図書類の散逸が激しかったところからまとまった蔵書は少なくなっているようで、現在は展示室と図書室があり、称名寺が保有するところの文化財の展示と閲覧が中心の内容のようだった。
 私は金沢文庫に伝わってきた『文選集注』(国宝)が見たいと思ってやってきたのだが、期間限定の展示のようでこの日は展示されていなかった。しかし、「金沢文庫」の蔵書印が押された文献が展示されていて大変興味深いものだった。蔵書印としては日本最古のものだろうと言うことだった。

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(写真2 特別展が開催されていた金沢文庫外観)

 また、この日は「いろいろとりどり」と題する特別展を行っていて、なかなか面白かった。
 国宝「称名寺聖教・金沢文庫文書」などの文献から色彩について考証したもので、日頃見ることの少ない国宝に指定されている貴重な文献が多数出品されていた。また、不動明王二童子像など色彩豊かな図版もあって、中世以来日本にはかくも色彩が豊かだったのかと驚かされた。
 一方、金沢文庫のある称名寺は、真言律宗別格本山という実に立派な寺院で、赤門から仁王門、そして、大きな池に面して金堂が配置されている浄土式庭園があった。国指定の史跡となっている。
 本尊は弥勒菩薩像とのことだったが、間近には拝顔することができなかった。

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(写真3 金沢文庫の入口にもあたる妙心寺の赤門)

シーサイドライン

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(写真1 3月31日に延伸開業した金沢八景新駅)

延伸して京急金沢八景駅に直結

 シーサイドラインは、JR根岸線の新杉田駅と京浜急行金沢八景駅との間を結ぶAGT路線。金沢八景駅は3月31日、それまでの仮駅から約300メートル延伸されて京浜急行金沢八景駅に直結となったばかり。これによって、路線距離は、それまでの10.6キロから10.9キロへと変更となった。駅数14。
 ちょっとややこしいしわずらわしいが、シーサイドラインは、第三セクター横浜シーサイドラインが運営する路線名金沢シーサイドラインの通称。乗ってみるとわかるが、駅にも車両にもシーサイドラインの記述しか見当たらない。駅員に確認しても、普段はシーサイドラインの呼称しか用いていないとのこと。
 また、AGTとは、案内軌条式鉄道のことで、新都市交通の一種。専用軌道上の案内軌条に従ってゴムタイヤで走行するシステムで、自動運転で運行されている。なお、AGT路線には、国内ではほかに広島高速鉄道アストラムライン、山万ユーカリが丘線(千葉県佐倉市)、札幌市営地下鉄南北線、同東豊線がある。
 4月18日、新杉田駅。JR根岸線新杉田駅に直結している。1面2線のホーム。12時15分の発車。金沢八景行き。
 先頭の座席に座った。子どもっぽくて恥ずかしいが、幸い乗客は少なかった。自動運転のため運転士もいないからとても見晴らしがいい。
 全線横浜市内で、東京湾を左窓に見ながら走る路線。沿線は、左窓に工場、右窓にはアパートが連なっている。緩やかな起伏がある。
 途中、並木中央は2面4線のホーム。車両基地があり、この会社の本社もここにあるようだ。
 産業振興センター、福浦と続いて左に大きくカーブし、市大医学部前。横浜市立大学医学部の付属病院で、大きな建物。
 続いて八景島。レクレーション施設シーパラダイスがある。次の海の公園柴口、海の公園南口も海水浴場などがある海の公園の最寄り駅で、レジャー施設が続く。

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(写真2 野島公園付近を走行中)

 ここから大きく右に曲がり、多くのヨットやモーターボートが浮かぶ野島公園を経て終点金沢八景到着。乗車時間は20数分。
 金沢八景到着の直前に旧駅を通過した。3月末まで利用されていた仮駅だった。片側1線のホームで、現在は撤去の工事中だった。
 実は私は、2月24日にもこの路線に乗りに来ていて、その際には、延伸して新駅が開業するとは知らずに訪れていた。それで、3月31日に新駅まで延伸開業すると知って改めて乗りに来たというわけ。
 地元に住んでいるわけでもないから、片道2時間をかけてわざわざ乗りに来たというのも何とも物好きというほかはないが、これが鉄道ファンのこと。特に、全国全鉄道全路線完全乗車した記録を持つ身としては、その更新は怠れない。
 鉄道ファンでもなければばかばかしいほどだが、実際、仮駅に降り立つと新駅の工事中で、京急の金沢八景駅が目の前にあり、交通量の多い国道16号の交差点を渡ればすぐのところ。
 しかし、真新しい新駅に到着してみると、京急駅とは直結しており、雨にぬれずに移動もできるわけではなはだ利便性が向上している。
 京急駅とはシーサイドラインも一体で新駅ビルを建設したようで、ちょっとしたターミナルの様子だった。ここは、京急本線のほか、逗子線の起終点駅でもある。
 なお、シーサイドライン金沢八景駅で駅職員に尋ねたところ、延伸距離は約300メートルとのこと。そうすると、路線距離は10.9キロということになるがどうか。調べてみたが、運行会社横浜シーサイドラインからの発表はないようだから正式にはわからないが。

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(写真3 新杉田行きとすれ違い。.2月24日

青山文平『半席』

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上質の時代物ミステリー

 直木賞作家が描く連作短編集である。時代物のミステリーが6編収められている。それがいずれも面白くて思わずページをくくる手が停まらない。ぬる燗にするめでもかじりながら読み進むとなおさら物語世界に漬かりながら興趣が盛り上がるかもしれない。
 主人公は、徒目付片岡直人。二十二歳の御家人で、いずれは旗本にと出世を狙う半席の身分。同じ幕臣ながら御家人から旗本に身上がるためには御目見以上の御役目に二つ以上就かなければならないのだが、半席とはまだ一つしか御役目に就いていないという身分のことで、なかなか厳しい道のりだが、片岡は徒目付から勘定所へと栄進を考えている。時代は、戦国からすでに二百年の世、番方と呼ばれる武官よりも、徒目付や勘定所のような役方と呼ばれる文官のほうが出世が早い。
 勘定所は財政が仕事だが、徒目付は監察が業務。今や財政と監察は御公儀の両翼であり、徒目付は目付の配下となって幕臣を監察する。目付は、江戸城中において腰に大小を差すことのできる唯一の御役目、老中といえどもできないことであり、宿直で城中見廻りにあたる当番目付のみが、大小二口を帯び、徒目付を従えて城中を巡る。
 徒目付が詰めているのは本丸表御殿中央の内所。ここで、片岡は、上司である徒目付組頭内藤雅之の指示に従って動いている。内藤は片岡より一回り年上。出世には目もくれないようで、組頭をもう七年もやっている。
  片岡は時々内藤から誘われ、神田多町にある居酒屋七五屋に寄る。内藤の馴染みの店である。表の御用とは別に、内藤は片岡に頼まれ御用をねじ込む際にはこの店で話す。さすがに内所ではできない話だからである。
 前置きが長くなったが、一つ引いてみよう。「真桑瓜」から。
 白傘会という、八十歳以上でまだ御公儀の御役目に就いている旗本の集まりで刃傷沙汰が起きた。二ヶ月に一度、持ち回りで酒を酌み交わしているだけのことなのだが、この日も十八人が集まって和気あいあいと進み、最後の水菓子に真桑瓜が出たところで当番の岩谷庄右衛門に対し山脇籐九郎が脇差しを抜いていきなり斬りかかった。幸い傷は深手ではなかった。
 二人の仲はとびっきりというほどによかったらしい。それがなぜに。籐九郎はだんまりを決め込んでいるし、庄右衛門にしたところで思い当たるところがない。周囲は吟味筋にならないよう穏便に済ませたいし、庄右衛門にしても異存はない。
 ただ、庄右衛門としてはなぜこんな事態になったのかその理由が知りたい。それで頼まれ御用が内藤から片岡に回ってきた。頼まれ御用は、罪科を吟味したりすることではなく、あくまでも業務上とは関係なく、個人の依頼でなぜその事件が起きなければならなかったのかを解き明かすことである。徒目付は監察が仕事で探査は得手だから身分を越えて時にはこういう依頼も回ってくる。
 片岡は、当夜同席だった者や周辺に聞き回ったあとで籐九郎を訪ねた。籐九郎は誰かきちんと話を聞きに来るものを待っていたかのように話し出した。その話は古いいきさつのある茫然とする哀しいものだった。
 聞けば、奇妙な言動の裏に意外な動機が隠れているもので、そのなぜを丁寧に解きほどいていく。そこは聞き取りが真骨頂で、「聞き取りは、訊きたいことだけを手際よく訊けばよいというものではない。事件の筋からは遠くとも、相手が話したいことを存分に話させることで、言葉が言葉を引き出す」ということであり、特に片岡はお年寄りに口を開かせるのがうまい。
 極上のミステリーが練達の文章によって紡がれていく。これが謎解きの面白さを増してくわけで、見事なほどの独創的な仕立てとなっている。また、五七屋で食べる肴の話題、江戸の町名、御家人の生活などが押さえた筆致ながら色彩豊かに彩られていく。
(新潮文庫)

映画『バイス』

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(写真1 映画館に掲示されていたパンフレットから引用)

チェイニー副大統領とは何者か

 アメリカ映画。
 題名のバイス(VICE)が意味深長である。接頭語として用いれば、vice presidentのように副~という意味になるが、単独では、悪という意味で使われる。映画は、この二つの意味で描かれている。
 ディック・チェイニーを描いており、かつてジョージ・W・ブッシュ大統領の下で副大統領を務めた。9.11の当時で、史上最悪の副大統領と指弾されたこともある人物。
 このチェイニーを描くについて映画はブラックユーモアの手法を採っており、退路を確保しておくことも考慮したのか、映画冒頭で「真実だが、不完全である」とわざわざ断っている。また、主要な出演者が実在の人物とそっくりの表情や姿というのも単なるユーモアではなく複雑なリアリティを高めている。チェイニーはもとより、ブッシュも国防長官ラムズフェルドや国務長官パウエル、安全保障担当補佐官ライスなどとそっくりさんなのである。だから、ニュース映像など挿入する必要もない。
 大酒飲みで乱暴者の青年時代だったが、妻リンの励ましによって政治家への道を歩み出す。演説下手で妻のフォローで切り抜けている状況だったが、次第に頭角を現していき、「無口な男に注意しろ」と言われるような存在感を高めていった。
 若手政治家を鍛えるインターシップでラムズフェルドとの出会いが重要。ラムズフェルドからの忠告は、①口は堅く、②指示に従い、③忠誠を貫くことというものだったが、チェイニーはそれらを実行して認められていった。
 フォード政権下では大統領首席補佐官となり、フォードが野に下ると、下院議員を6期務めた。続いてジョージ・H・W・ブッシュ(大ブッシュ)が大統領となると国防長官に就任、任期を全うした。
 ここで政治家チェイニーは終わったかに見えた。好きな釣り三昧で、妻や家族と穏やかな生活を送っていた。
 映画もここで終わったようだった。キャストの名前が延々と流され、まるでエンディングのようだった。しかし、まだ肝心の副大統領にはなってないし、映画の時間も終わるには早すぎるなと訝しく思っていたら、画面が新しくなった。第二部の始まりということなのだろう。
 ブッシュ(ブッシュ・ジュニア)からの呼び出しがあり、次の大統領選挙に出馬するので副大統領を引き受けて欲しいというものだった。副大統領など飾り物、退屈なだけだなどと言って当初この申し出を渋っていたが、軍事と外交を任せてくれるならと条件を出して引き受けた。(軍事と外交を任せたら大統領は何をするんだ?)
 ここからのチェイニーがすごい。政権移行チームを率い、閣僚名簿を次々と書いていく。元来、副大統領がやるべき仕事ではないのだが、チェイニーの狙いは、ブッシュを操り、実質的な影の大統領として辣腕をふるうこと。何しろ、大統領を支える、主要閣僚や補佐官までも自分の息のかかったもので固めている。
 副大統領は上院議長を兼ねていることは日本人でも既知のことだが、実はこのことの重大さをアメリカ人でもないがしろにしていたようで、立法と行政を握る権力を巧みに行使していく。しかも、司法でも最高裁判事に腹心を送り込んでいくのである。
 法律的根拠は側近の法律家が編み出し、拡大解釈は日常茶飯事。そしてメディアを操作し、PR活動を巧みに行う。
 アメリカの政治、特に大統領制についてある程度知悉していないとわかりにくいところもある。字幕で「一元的執政府」というのは耳慣れない言葉で首をひねった。日本語訳がよくないのかもとも思った。字幕ばかり追っていて発音をきちんと聞いていなかったのだが、単純にUnitary Executiveということならともかく、チェイニーが狙っているものは三権分立を越えた大統領権限ということになるが、どうだったか。
 そしてついに9.11。一気にイラク侵攻へと突き進んでいく。何しろ、チェイニーばかりか、ラムズフェルドもパウエルもライスも皆タカ派であり好戦派だった。映画では、ブッシュが一番及び腰ではなかったか。はっきりしないブッシュに対し開戦できるのは大統領だけだとすごまれた。また、パウエルもイラクの大量破壊兵器保有に対し確信を持てないでいた。
 結果は歴史が示している。実はこの映画の直前に観た映画が『記者たち』だった。イラクは大量破壊兵器を持っていると断じて開戦したブッシュの嘘を暴いた映画だったのだが、本作映画を観ると実は開戦を指導したのはチェイニーだったとわかる。
 映画の終盤、政権を離れたチェイニーがメディアのインタビューに答えて曰く、70%の国民があなたのことを断罪していると詰め寄ると、国民は私を支持してくれた、私は光栄だったとうそぶく場面があった。
 『記者たち』を観ると、イラク戦争開戦当時、ニューヨークタイムズもワシントンポストも実はブッシュの作戦を支持していたのだ。
 期せずしてこの同じ時期に『記者たち』を観、さらに『バイス』を観たことは、映画の背景、持つ意味を考えさせられてとても面白かった。また、アメリカには、変な忖度をせずに、権力者に真っ向から切り込んでいく映画界があることは好感を持てた。それも、二つの映画とも、とても娯楽性の高い作り方になっていて、多くの大衆に9.11を再確認させているように思われた。
(それにしても、VICEをバイスと訳すことはいかがなものか。ヴァイスでいいではないか。初め、題名をバイスと知って、意味がわからなかった)

 

映画『記者たち』

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(写真1 映画館に掲示されていたパンフレットから引用)

衝撃と畏怖の真実

 イラク戦争を仕掛けたブッシュ大統領の嘘を暴いた記者たちの行動を描いている。
 9.11テロを契機にイラク政策をエスカレートしていくブッシュ大統領に対し、ニュー・ヨークタイムズはじめ大ジャーナリズムまでこぞって支持を与えていく中、ナイト・リッダー社の記者たちは、攻撃理由になっていた大量破壊兵器の有無以前から ブッシュがイラク侵攻の計画を進めている事実をつかむ。ブッシュは、北朝鮮、イラク、イランをテロ支援国家として指定してイラク攻撃の糸口を探っていたのだった。
 ナイト・リッダー社は中小新聞社だが、国内30数社のメディアにもソースを流していた。同社は、アメリカはベトナムに続いてまたしても無理筋の戦争を仕掛けようとしていると読んでいた。
 取材は、国務省や国防総省などの下級職員をつかまえて傍証を重ねていく作戦。しかし、確証はなかなか得られず、取材は困難を極める。小さな情報をつかんではウラをとっていく地道な取材が続く。
 緊迫したスリリングな場面が続く。これがこの映画の見どころ。そして、この映画のリアリティを高め物語の進行を促しているのが頻繁に挿入される実際のニュース映像で、映画にドキュメンタリー性をもたらしている。
 副題の「衝撃と畏怖の真実」の、「衝撃と畏怖」は実はブッシュによるイラク侵攻の作戦名。映画はその真実を暴いたわけだが、しかし、その結論は今や衆目の知るところ。その意味で映画は迫力に今一つ欠けていたといわざるを得ないであろう。
 ただ、大事なことは、ニューヨーク・タイムズですら政権に迎合し過ちを犯したこと、そういう状況の中で敢然と真実を追究していった記者魂は讃えられよう。
 大統領の陰謀を暴いたということでは、傑作『大統領の陰謀』を彷彿とさせるが、本映画と『大統領の陰謀』との違いは何かと考えると、ニクソンは倒れたが、ブッシュは任期を全うしたということ。
 そしてもっと大事なことは、政治家というものは国難をあおって支持を得ようとする人種だということを知ることだ。これは他山の石としなければならない。

特別展『国宝 東寺』

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(写真1 守護神らしくりりしさの感じられる帝釈天騎象像)

立体曼荼羅を東京で再現

 東京国立博物館で開催されている。
 東寺は、そもそも空海が真言密教の根本道場としたものだが、展覧会では空海にまつわる名宝と東寺に伝わる文化財の全貌が紹介されていた。110件の出展があり、うち、国宝31件、重要文化財60件という貴重さで、国宝・重文の印のないものの方が少ないという豪華さ。
 圧巻はやはり立体曼荼羅。密教経典の世界観を立体的に表したもので、東寺では講堂に如来や菩薩など21体の仏像を配置しているのだが、会場に入ると、まるで集会(しゅうえ)というにふさわしい数多くの仏像が展開しており、主尊こそなかったものの、実に15体もの仏像が出品され、曼荼羅世界の神髄が再現されていた。
 東寺は京都駅にもほど近く、五重塔が見えてくると時間の許す限り寄りたくなるのだが、いつ訪ねても立体曼荼羅を揃ってみる機会は意外に少なくて、このたびの展覧会は実に貴重なことだった。それにしても、15体も東京に外出してしまって、東寺ではどうしているのだろうかと、余計な心配までしてしまった。
 展覧会のいいところは、仏像を360度に観ることができることも一つ。基本的な知識に欠けるから鑑賞は浅くなるのだが、それでも一つひとつをじっくりと観ていくと、仏像は随分と変わった形のものが多いと気づく。如来は飾りもなく端然と座っているだけだが、明王などは姿ばかりか顔も個性的。
 顔といえば、いいお顔をしていたのは帝釈天騎象像。展示されている15体のうちこの仏像だけは写真撮影が許されたが、そればかりではない人気を集めていた。 いつ見ても武人らしい毅然とした姿と、仏法の守護神らしいりりしさがあり、象に乗っているというのも珍しくはないか。
  ほかに注目したのは、兜跋毘沙門天立像。中国で唐時代に造られたもののようで、圧倒的存在感が感じられた。何しろ像高が189.4センチもある。私は京博の国宝展で見たことがあるが、これも日頃公開されることは少ないもので貴重な機会だった。また、地蔵菩薩立像もいいお顔をしていらした。

花まつりコンサート2019

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(写真1 コンサート会場開演前の様子)

華麗なるハープとの共演

 花まつりコンサートが今年も釈迦の誕生日に当たる4月8日横浜市の曹洞宗大本山総持寺境内鶴見大学記念館で開催された。今年が10回目。音楽ファン対象というよりは、ファミリーコンサートだから、会場は立っている人もいて満員の盛況ぶりだった。
 コンサートは、森知英のピアノ&コンサートコーディネーターによって進められ、出演は、ハープ山崎祐介、ヴァイオリン宮川正雪、チェロ西山健一。
 今回の特徴は、ハープが参加したこと。ハープの独奏によるアッセルマンの「小川」、ヘンデルのハープ協奏曲のほか、ハープの伴奏でチェロの演奏が行われたサン=サーンスの「白鳥」、同じくヴァイオリンとはマスネの「タイスの瞑想曲」が披露された。
 演奏の山崎さんは解説も務めていて、日頃ハープに馴染みの薄い我々にもやさしく話してくれて、ハープは弦が47本、ペダルは7本あること、演奏に用いる指は小指を除いて左右4本ずつであることなどがわかって面白かった。
 また、好事家の間では〝メントリ〟と呼んで親しまれているメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲が演奏された。ピアノ森、ヴァイオリン宮川、チェロ西山の三人はこのコンサートに何度も登場していて、とても息の合った演奏を披露していた。特に森さんのリードが素晴らしかった。
 面白かったのはアンコール曲。ピアノ三重奏にハープが加わっての演奏で、メンデルスゾーンの「歌の翼に」が演奏された。ピアノもハープも似たような役割の楽器、一緒に演奏されることは少ないだろうから貴重な機会だった。なお、この曲はハイネが作詞した歌曲として知られている。