ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

白堊芸術祭今年も盛大に

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(写真1 同窓生が次々と訪れてにぎやかな会場の様子)

54人80作品一堂に

 第11回白堊芸術祭(主催在京白堊会)が10日開幕した。神田神保町の文房堂ギャラリーを会場に会期は15日までの6日間。
 主催の在京白堊会は、高校時代の同窓会の在京組織。毎年師走のこの時期に開催されていて今年が11回目。今回は、54人80作品が出品され盛大なものとなった。
 出品分野は、絵画が油彩から水彩、パステル、水墨画、アクリル画などと最も多く、書や陶芸、鎌倉彫などと実に多彩。特に今回目立ったのは写真の出品が多かったこと。また、写真に五行歌を添えた出品もこの芸術祭独自のものであろう。
 出品は、プロ、アマを問わず、また、力量を競うものでもないが、毎年初出品者がいて活性化されているし、毎回続けてみていると、趣味にしている人たちのあいだでも技量が向上していることがはっきりと見て取れて、この芸術祭への出品が一つの励みになっていることがわかる。
 また、会期が6日間と長いし、同窓生が連日会場を訪れていて大きな交流の場ともなっていることも楽しいこと。
 好き好きだけで勝手に感想を述べれば、今年は写真にいいものが多かったように思われた。
 私も拙い作品ながら写真を2点出品した。プロの人たちの作品に伍するのもおこがましいことだが、出品することによる交流も意義があるのではないかと思い、ここ数年毎年出品している。

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(写真2 作者を囲んで作品を前に合評も同窓会らしいところ)

ポム死す

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(写真1 在りし日のポム。2007年)

スコティッシュホールド18歳

 我が家の愛猫ポムが7日夜8時20分死んだ。2001年3月1日生まれだから、17歳と9ヶ月だった。猫としては長生きだったのだろう、人間に換算すると86歳くらいだったらしい。
 この一か月くらい少しずつ老いがはっきりしてきていて、時折持ち直すこともあったものの、この四、五日は食欲も衰え、足もともおぼつかなくなっていたし、最後には水さえ飲まなくなっていた。家内に抱かれて大きな声で叫んだのが最後だった。
 ポムちゃんは、丸い顔で、まるでりんごのようだということで娘がフランス語でりんごを意味するポムと名づけたのだった。
 黒と白の毛並みで、すべすべとしていた。スコティッシュホールドの特徴らしいが耳が小さく尻尾が太かった。
 眼が愛くるしく、温和で寝てばかりいた。運動は苦手で、引っ掻きもしなかった。小さいころ、猫だから上手に着地するのだろうと放り投げたらどさっと落ちて、それ以来しばらく私にはなつかなかった。
 生まれて間もなく我が家に引き取られたが、家族みんなで可愛がった。我が家に来たころはあまりにも小さくて、丈夫に育つのだろうかと心配もしたが、大事に育てたから順調に育った。体重は最も大きかったころで2.7キロ、亡くなる直前は1.5キロだった。
 跳んだりはねたりもしないし無芸だったが、撫でると喜んだし、愛玩にはとても良かった。

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(写真2 お気に入りの出窓で。2012年)

 生来小食で、キャットフードだけを与えていたし、大きくなってからは鰹節も加えた。定期検診は毎年行っていたし、病気になって寝込むようなこともなくて、ペットクリニックの先生によると心臓が強いのだということだった。ただ一度、2007年の夏に熱中症にかかった。この時はぜいぜいして苦しそうにしていたが、クリニックに駆け込んで何とか事なきを得た。
 とにかく愛くるしくて家内、二人の娘はことのほか可愛がった。
 その二人の娘が続けて嫁ぐと、家内の生活はポムちゃん中心になった。とにかく溺愛していた。二十日に一度くらいの頻度で風呂に入れ、耳かきをし、爪切りをしていた。体は毎日ぬるい湯に浸したタオルで拭いてあげていた。言葉が通じるのか、家内はポムちゃんとばかり話をしていた。何しろ、亭主は寝るときくらいしか帰ってこなかったのだから。冬には湯たんぽまで入れていた。
 二人の娘が嫁いでしまうと、ポムちゃんをひとりで留守にさせるのが恐かったようで、だから、夫婦でそろって旅行に出掛けることはしなくなった。
 ここ数年、退職後は毎日家にいるようになると、ポムちゃんもやっと少しずつ私にもなついてきた。鰹節を欲しいときには私にせがむようになった。食欲が失せてきていて、血合いなどまったくない最高級の鰹節を少しだけ食べた。
 孫が遊びに来ると、追いかけられるのが嫌いで、隅っこに隠れていた。ただ、それも終いには、孫たちが寄っても逃げなくなっていた。体力、気力ともに衰えていたのだろう。
 この一か月ほど子どもたちも孫を連れて見舞いに来てくれていたが、寝込むようなこともなかったから逆にそれが突然の死となった。唐突にさえ思えた。苦しまなかったのがせめてものことだった。
 亡くなって、二人の娘も帰ってきて、火葬をし葬儀を行ってみんなでポムちゃんを見送った。親しい家族を失うようなことはここしばらく我が家ではなかったから、みんなで泣いた。
 特に、何しろ18年も一緒に暮らしてきたわけだから、家内の悲嘆は大きくて、かける言葉さえ見つからなかったし、喪失感が強いようでふさぎ込んでいる。家内にとってはポムちゃんが生活の励みになっていたから、私にその代わりができるものかどうか。娘たちが帰りしな、「(母を)しっかり頼むわよ」と声をかけていったが、自分自身納得したから大きくうなずいた。
 晩年は、二人揃っての旅行はあきらめてきたが、これからはそういうこともできると前向きに考えて暮らしていこう。

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(写真3 家内に抱かれて最後の写真。2018年11月3日)

島原鉄道

 

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(写真1 諫早駅で発車を待つ島原鉄道列車。左はJR線ホーム)

思い出も途切れて

 松浦鉄道伊万里線に乗ったあとは長崎に泊まり、翌日は島原鉄道に乗った。
 島原鉄道は、空豆のような形をした島原半島を有明海に沿って時計回りに北岸から東岸へと三分の一周ほど走る路線で、諫早駅から島原外港駅間43.2キロを結んでいる。駅数は23。
 長崎を早朝に出て諫早駅に降り立つと真新しい駅舎。8月に開業したばかりだという。随分と久しぶりだが立派になった。
 島原鉄道は駅ビルの1階に事務所と改札口があり、現在は一部工事中だったが、改札からホームへは一直線につながるらしい。すぐ隣はJRの線路である。
 片側1線のホームに2両のディーゼルカーが出発を待っていた。11月29日7時17分発。黄色い車体。登校中の高校生で満員。
 ちょっとわかりにくいが、いったん長崎方面にほんの少しだけ走ってすぐに離れ左にカーブした。小雨模様。この先の旅程を考えると一番降って欲しくなかった日に小雨とはいえ雨になってしまった。晴れ男の面目はどこへ行ったのか。
 一つ目の本諫早で満員だった高校生の大半がごっそり降りた。駅名から察するとここが諫早の中心か。かつて諫早は鰻がおいしいことで知られていたが、現在でもそうか。
 森山で列車交換。単線なのである。この先でも愛野、神代町などと行き違いのための列車交換が行われた。一般的にはあまり好まれることではないのだろうが、私はこの行き違い列車の交換のための停車が嫌いではない。否応なくのんびりした時間が得られることは貴重で、ホームに降りて背伸びしたりするのも好きだ。
 古部(こべ)に至って海に面した。大きくは有明海だが、細かく見ればこのあたりはまだ諫早湾というあたりだろう。ホームは波打ち際にあり、遠浅の磯が広がっている。対岸には経ヶ岳がかすかに遠望できる。

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(写真2 日本で最も海に近いホーム大三東駅)

 しばらくして大三東(おおみさき)。ここはもう島原湾か。古部で驚いていてはいけない。ここが日本で最も海に近い駅であろう。干潟が広がっているから緊張感にはやや欠けるが、ホームのすぐ下は海である。ホームにはベンチが一脚。しかもびっくりさせられるのはホームには柵も何もないのである。よろめいたら海に落ちかねない。

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(写真3 車中から島原城と雲仙岳を望む)

 そうこうして島原。もとより島原の中心で、島原城とその向こうに雲がかかってはいるが雲仙岳が見える。美しい町だが今日は下車しない。
 島鉄本社前、南島原と続いて島原外港。現在の島原鉄道はここまで。かつては加津佐まで島原半島を半周するように鉄路は伸びていたものだが、ちょうど10年前になるか、2008年に島原外港-加津佐間が廃止になった。廃線前は全線78.5キロだったから、半分ほどに縮まったことになる。ホームで観察してみたら、線路は加津佐方面にずっと先まで伸びているように見えていたが、どのようになっているものか。
 私にはこの島原鉄道はとても思い出深い路線。日本の全鉄道全線を完全踏破した最後の路線がこの島原鉄道だったのである。もう10年以上前にもなるが、2007年11月3日加津佐駅に降り立った、この瞬間に、JRも私鉄も第三セクターも地下鉄も新都市交通も路面電車もそれこそケーブルカーも含めて全鉄道を制覇したのだった。これより前、留萌本線増毛駅でJR全線を完乗した2003年7月17日から4年の月日が経っていた。なお、JRはその後全2周を果たしている。
 うれしかったのは、普段は鉄道に乗ってばかりの旅はつまらないといって敬遠がちだった家内が、増毛駅の時も加津佐駅の時も、この時ばかりは自分から「一緒に行ってあげる」と言ってくれたことだった。

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(参考=日本全国全鉄道全線完乗達成の記念写真=2007年11月3日島原鉄道加津佐駅で)

松浦鉄道伊万里線

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(写真1 有田駅で発車を待つ伊万里行き松浦鉄道列車)

陶磁器産地有田-伊万里間を結ぶ

 甘木鉄道甘木線を基山で乗り終えて鹿児島本線に乗り継ぎ、三つ目の鳥栖で長崎本線に乗り換え、さらに肥前山口で分岐している佐世保線に乗り換えて有田へ。有田からは松浦鉄道で伊万里に向かった。
 松浦鉄道は、JR九州の松浦線を転換した第三セクター鉄道で、有田から伊万里、たびら平戸口を経て佐世保までぐるり北松浦半島を巡っている。全線93.9キロと長く、現在の路線名は西九州線。
 発展過程の中で様々な鉄道が統合された路線で、このうち最初に開業した有田-伊万里間はそもそも伊万里線と称していた。現在はこの呼称は使われていないようだが、ここでは便宜上そのまま伊万里線とした。
 松浦鉄道にはこれまでも何度か乗っているが、このたびは有田-伊万里間だけに限って乗ってみた。
 佐世保線で有田が近づくと数多くの窯元の看板や煙突が見えてきて焼き物の町という印象を強くした。
 有田駅は、JR九州と松浦鉄道の共同使用駅で、2面3線のホーム。駅前には焼き物の店は目立つほどにはなかった。
 11月27日有田13時00分発伊万里行き。1両のディーゼルワンマン運転。有田-伊万里間は全て1両ワンマン運転による折り返し。
 駅間距離が短いようで頻繁に停車する。大方は片側1線に簡素な待合室があるだけの小さなホームの駅が多い。夫婦石で列車交換が行われた。伊万里までの間で唯一列車交換のできる駅である。

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(写真2 伊万里駅に入線する列車から。左は松浦方面ホーム)

 そうこうして伊万里13時24分到着。13.0キロ、駅数11駅、わずか24分の路線である。有田発で伊万里から松浦方面に直通する列車はなく、有田方面に限らず松浦方面も全て伊万里からの折り返し運転である。2面3線のホームがある。
 伊万里駅ではJR筑肥線と接続しているが、この両駅の位置関係が面白い。道路を挟んでおり、松浦鉄道線にはMR伊万里、JR線にはJR伊万里と表示されており、2階部分が歩道橋でつながっている。
 ここでも焼き物の店は見当たらず、有田か伊万里でマグカップでも買おうと思っていたがあてがはずれた。そう言えば、前に来たときにもそんな風に思っていたが、状況は変わっていなかったようだ。

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(写真3 伊万里駅。右がMR松浦鉄道伊万里駅、左がJR伊万里駅)

甘木鉄道甘木線

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(写真1 甘木鉄道甘木駅)

三セク鉄道の優等生

 福岡県朝倉市の甘木地区に通じる鉄道路線には二つあり、まずは、西鉄甘木線で終点甘木駅に降り立ったあとは、甘木鉄道甘木駅に徒歩移動した。
 西鉄甘木駅を左に出て最初の交差点に立つと左手にもう甘木鉄道(略称甘鉄)の甘木駅が見えている。徒歩数分といったところ。
 小さな町にどうして二つも鉄道が引かれたのか定かではないが、西鉄線が甘木駅まで全通したのが1924年で、甘鉄線の開業は1939年だということである。途中に、旧陸軍大刀洗飛行場などもあったから、そういうことも関係しているのかも知れない。
 さて、甘木鉄道甘木線は、JR鹿児島本線の基山駅(佐賀県基山町)から甘木駅(福岡県朝倉市)に至る全線13.7キロの路線。駅数は11。旧国鉄の特定地方交通線だった甘木線を継承した第三セクター路線である。
 このたびは終点側から乗ったが、甘木駅はしっかりとした趣きのある駅舎。旧国鉄の古き良き時代を想起させてくれる。駅前には小さいながらもロータリーもあり起点から乗ってきて降り立ったら行き止まりの終着駅としてもっと風情があったのではないか。1面2線のホームがあり、構内にはたくさんの車両が留置されていた。数えてみたら、青や黄、赤などと色とりどりに7両にも及んだ。それも手入れが行き届いているようで感心した。
 10時14分発単行ディーゼルの基山行き。甘鉄ではレールバスと位置づけている。畑地の多い筑紫平野を走っている。当然のことながら西鉄線と似たような沿線風景だ。ただ、甘鉄の方がやや建物が多いか。
 二つ目が大刀洗。ここに飛行場があったのであろう。現在はキリンビールの工場になっている。頻繁に行き違い列車がある。単線だが交換できる駅が多いのである。これは地方の三セク鉄道では珍しい。
 少しして小郡。西鉄天神大牟田線西鉄小郡駅との接続駅である。乗客がごっそりと降りた。当初は乗り換えることができる位置関係ではなかったらしいが、甘鉄側が小郡駅を移動させて近寄ったらしい。
 列車本数が多く、西鉄との接続などと利便性が向上したためか、甘鉄はここ数年来黒字経営を続けており、国鉄線を継承した大方の三セク鉄道が苦しんでいる中にあって三セク鉄道の優等生といわれている。

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(写真2 行き違い列車交換のための待避線)

 小郡を出ると列車交換のできる待避線があった。大原信号場であろう。そして次の立野駅はホームが九州自動車道の真下だった。
 そうこうして基山到着。10時40分。片側1線のホームだが、線路がJR鹿児島本線と並んでいる。たくさん降りたが、それ以上にたくさん乗った。平日の日中なのに利用者が多いのである。
 ところで、甘木駅前には「日本発祥の地 卑弥呼の里 あまぎ」と彫られた石碑があった。解説板によれば、いたるところにそれらしき遺跡があるということである。
 一方、ここは秋月にも近い。秋月城下は小京都としても知られ大変興味深い。ただ、タクシーで片道5千円もすると聞いてあきらめた。
 秋月は、吉村昭の短編小説『最後の仇討ち』の舞台となったところだし、テレビドラマ化した『遺恨あり 明治十三年最後の仇討』も源孝志の演出、主演の藤原竜也いずれも印象深いものだった。
 秋月には一度は訪れたいものだと念願していたが、甘木駅も今回が二度目、果たして三度目があるものかどうか。

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(写真3 基山駅甘鉄線ホーム。右の列車はJR線列車)

西鉄甘木線

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(写真1 西鉄宮の陣駅。右が天神大牟田線大牟田方面ホームで、左奥が甘木線ホーム)

筑紫平野を走る

 西鉄(西日本鉄道)は大手私鉄。首都圏、京阪神圏、中京圏以外では唯一の大手である。鉄道事業としては稼ぎ頭の天神大牟田線を筆頭に太宰府線、甘木線、貝塚線の4つの鉄道路線を有している。かつては福岡市内や北九州市内で路面電車も運行していた。
 そのうちの一つ甘木線(あまぎせん)。佐賀県境にもほど近い福岡県南西部から南央に伸びる路線で、天神大牟田線の宮の陣駅(久留米市)と甘木駅(朝倉市)との間を結んでいる。営業距離17.9キロ。駅数12。
 11月27日。西鉄のターミナル、西鉄福岡(天神)8時12分発急行花畑行きで、まずは宮の陣へ。38分。天神大牟田線の2面2線のホームに、Y字に片側1線のホームがくっついているというのが甘木線ホームで、こちらが1番線である。
 2両のワンマンカー。8時56分発甘木行き。白濁した水色あるいは薄いグリーン色に赤帯が1本入ったという印象の車体色。平日なので車内は空いている。筑紫平野を横断しているという様子。畑地が広がっている。下り列車と思ったが、上りなそうである。

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(写真2 単線のため途中駅で行き違い列車と交換。左は停車中の甘木行き。右は接近してきた大牟田行き列車)

 停車時間が長い。列車交換のためで、単線なのである。37分で甘木到着。1面2線のホーム。すぐに反対ホームから発車した列車の行き先表示は大牟田行きとなっていた。どうやら大牟田-甘木間の運行が基本のようである。
 小さな駅だが、目の前を交通量の多い道路が走っていた。

 

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(写真3 西鉄甘木線甘木駅。行き止まりの終着駅である)

福岡市地下鉄七隈線

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(写真1 七隈線の鉄輪式リニアモーターカー先頭車。床下の長い箱状のものが直線形リニア)

リニアメトロ路線

 先週は、5日間にわたり福岡、佐賀、長崎、熊本、鹿児島の順に5県を巡った。毎度のことながら徹底して鉄道乗りまくりの旅だった。
  初めに福岡市地下鉄。福岡市交通局の運営で、空港線、箱崎線、七隈線(ななくません)の3路線があり、このうち七隈線は福岡市西南部から都心に向かう鉄道路線として橋本駅と天神南駅間を結んでいる。路線距離は12.0キロ。駅数16。
 天神南駅。空港線に乗り天神駅が近づくと、七隈線乗り換えとアナウンスされるが、天神駅と天神南駅間は、福岡最大の繁華街天神の地下商店街を約10分ほど歩かなければならない。地下街を歩いているからわかりにくいが、500メートル以上も離れているか、とても乗換駅とはいいにくいほどの距離があり、七隈線は二度目だが、事情を知らないと腹が立ってくるほどではないか。駅の案内には、両駅の乗り換えは120分以内でと表示してあったが、この範囲内ならば通しの距離計算になることのようだ。

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(写真2 天神南駅に到着した七隈線電車)

 天神南駅は1面2線のホーム。11月26日9時55分橋本行き。2番線からの発車。ちなみに、1番線は降車専用で、到着した列車はいったん引き上げ線で折り返し2番線に入ってくる仕組み。
 駅間距離が短いようで、頻繁に停車する。そして都心から郊外へ向かう路線なのに頻繁に降車乗車がある。大学生の姿が多いようだ。「指導員」の腕章を付けた係員が車内を巡覧している。まさか大学生相手のものではないだろうが、乗車マナーを指導しているものであろうか。路線名になっている七隈を過ぎて次の福大前で学生がごっそり降りた。
 10時20分橋本。到着ホームは降車専用の片側1線。対して発車は島式1面2線のホーム。ここもいったん引き込み線で折り返して発車ホームに入線してくる仕組み。
 駅前はいかにも郊外の住宅地という様子で、何の変哲もなかったのですぐに折り返した。
 ところで、この七隈線はいわゆるリニアメトロという方式の鉄道。福岡市地下鉄で他の空港線と箱崎線の2路線は一般の鉄道だが、他の2路線に遅れてあとから開設された七隈線だけは異なる方式となっている。
 リニアメトロとは、鉄輪式リニアモーターカーのことで、リニアモーターを駆動輪にしている。円筒形のモーターとは違って、車体の床下と線路に電磁石を設置した直線形のリニアモーターによって走行しているのが特徴。また、リニアというと、車体が浮くように思い浮かべるが、それは磁器浮上式リニアモーターカーのことで、まったく異なる方式である。
 直線形のモーターであるところから台車などを小さくすることができ、車高が低くなる。これによって車体全体も小さくすることができて、トンネルの断面積も小さくなるところから建設コストを低く抑えることができる。
 こうした効果があるところから、全国の大都市の地下鉄で採用するところが相次いでいて、1990年に開業した大阪の長堀鶴見緑地線を皮切りに全国7路線に及んでいる。
 七隈線に乗り込んですぐに感じた。車両が一回り小さいのである。東京なら都営大江戸線とそっくりである。乗っていると、幾分か静かである。また、鉄輪式リニアモーターカーは勾配や曲線にも強いようだ。

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(写真3 天井部分がやや小さく見える七隈線車両)