ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

悠久たる紀伊水道

(写真1 紀伊日ノ御埼灯台から見た紀伊水道。晴れていれば対岸にかすかに四国が望める)

日本海峡紀行

 紀伊水道――何と悠久たる海峡か。
 この水道はかねて一度は渡ってみたいと願っていた。海峡の魅力がすべて揃っているのである。
 海峡幅は約40キロ。最狭部で約30キロであり、津軽海峡や豊後水道を寄せ付けず最大。勝手な見方だが、なぜ海峡とせず、水道と呼んだのか、それは海峡幅が広くて海峡と呼ぶに違和感があったからではないか。
 古来、東西を結ぶ重要な海上交通路であったし、沿岸には紀州と阿波と歴史ある豊かな国があった。
 また、東からは紀ノ川が、西からは吉野川といずれも大河が流れ込んで、沿岸の町の発展を促してきた。
 紀伊水道に憧憬すら感じるのは、まず、定期航路があること。海峡は船で渡りたいもの。風情が違うだろう。
 また、両岸最狭部を結ぶライン上には、紀伊日ノ御埼灯台と蒲生田岬灯台があり、灯台ファンなら一度は踏破してみたい魅力ある灯台が屹然としてあるのである。
 紀伊水道は、北は淡路島、東に紀伊半島、西を四国に囲まれた海域。東西に約40キロ、南北に約50キロとされる。大阪湾とは紀淡海峡で、播磨灘とは鳴門海峡で結ばれており、阪神や瀬戸内海から太平洋に抜ける重要な航路が通じている。南は、和歌山県の紀伊日ノ御埼と徳島県の蒲生田岬(かもだみさき、がもうだみさき、かもうだみさき)を結んだラインまでとされ、この間が最狭部で、約30キロ。
 広大な海域ながら、重要港湾のひしめく阪神や瀬戸内海のからの海上交通量が多く、漁船の操業もあって、なるほど水道と名づけられる情景となっている。このため、海難も少なかったようで、この海域における海難は、年間20件を超えるとされている。それも衝突事故が多いと海保の統計にある。

(写真2 和歌山港と徳島港を結ぶ南海フェリー)

 さて、紀伊水道を渡ってみよう。和歌山港と徳島港の間に南海フェリーが就航している。
 和歌山港は、南海和歌山市駅から和歌山港線で1駅わずか4分。大阪のなんば発の特急電車が直通しており、フェリーにそのまま連絡している。青函連絡船などがない今日では希少な鉄道連絡船である。

(写真3 フェリー乗船の長い連絡通路。鉄道連絡船の趣き)

 南海電車を和歌山港駅で降りると、そのまま長い連絡通路がフェリーへと誘ってくれる。フェリーではあるが、乗用車やトラックばかりではなく徒歩客も多いようで、この日の乗客は総勢100人くらいか。
 フェリーは、船名が「フェリーあい」。総トン数2825トンで、まだ新しい船のようだ。
 3月22日定刻10時35分、弱い雨模様の中出航した。特に合図もなかったし、揺れることもないから、気がついたら動き出していたという感じ。

(写真4 Bデッキのイス席)

(写真5 Bデッキのカーペット席。横になれる)

 船内は、下から車両甲板(カーデッキ)、乗船口のあるB甲板(Bデッキ)、A甲板(Aデッキ)、航海船橋甲板の4層になっている。Bデッキには、多数の船室が配置されてる。イス席のほか、カーペット席があるのも深夜便もある長距離フェリーの特徴。カーペット席はクツを脱いで上がるようになっていて、横になれる。この船は約2時間の船旅だし、日中の航行でもあるので、イス席の客が多かったが、それでもカーペット席で早々と横になっている客もいた。トラック運転手かも知れない。ほかに、Aデッキの船首部分にはグリーン席があって、とても見晴らしのいいものだった。なお、イス席もカーペット席も料金は同じ。

(写真6 11時頃に沼島付近を航行)

 船内を探索しているうちに船は滑るように進んでいて、紀淡海峡を過ぎて淡路島と並行するように進路をとっているようで、11時頃になると右に大きな島が見えてきた。沼島というのかもしれない。ただ、この日はあいにくの雨模様で、あまり見晴らしは良くない。

(写真7 遠くに鳴門海峡大橋)

 12時頃になって右手遠く鳴門海峡大橋が遠望できた。やがて左手に四国徳島が近づいてきて、12時30分徳島港に着いた。約2時間の船旅。

(写真8 徳島港入港の直前)

 船からは確認できなかったが、紀伊水道の入口にあって海上を守るのは、両岸の灯台。
 紀伊半島側は、和歌山県日高郡日高町所在の紀伊日ノ御埼灯台。紀勢本線御坊駅が最寄り駅で、駅からタクシーで20分ほど。付近は別荘地になっている。

(写真9 すらりと美しい白堊の紀伊日ノ御埼灯台)

 高さが17メートルもある真っ白な八角形の灯台でとても美しい。しかも、灯台は100メートルを超す急峻な崖上にあり、眼下に紀伊水道を望み、素晴らしい眺望だ。

(写真10 眼下に紀伊水道を望む紀伊日ノ御埼灯台)

 大阪港や神戸港に出入りする船ばかりか、瀬戸内海に回る船もあって、大型船がしきりに往来している。ただし、この海域は潮の流れが速く、操船が難しいのだということ。この日(2018年10月1日)は快晴だったので対岸には四国の横たわっているのが見えた。初点は明治28年1月25日。

(写真11 蒲生田岬灯台。四角い窓があり面白い形をしている)

 一方、対岸の四国側には蒲生田岬灯台。徳島県阿南市所在。四国最東端で、紀伊日ノ御埼灯台と結ぶラインまでが瀬戸内海とのこと。牟岐線阿南駅が最寄り駅だが、バス便もなくとても不便。特に岬が近づくとくねくねした細い道が延々と続く。

(写真12 蒲生田岬付近の灯台への遊歩道)

 駐車場から海沿いに遊歩道が伸びていて、灯台は100段ほどの階段を登った40メートルほどの小高い丘の上にある。灯台の高さは11.5メートルとあり、四角い窓がついた珍しい形をしている。この窓は灯室のほか照射灯も格納しているのかも知れない。初点は大正13年10月1日。

 

(写真13 和歌山の町の中央にある和歌山城跡)

(写真14 美しい石垣が残る)

 海峡の町も魅力的だ。和歌山市はもとより和歌山県の県庁所在地であり、古くは徳川御三家の一つであり、紀州藩の藩庁所在地だった。紀ノ川がいかにも大河らしい風情を示している。

(写真15 和歌山城天守から見た和歌山市街。右が紀ノ川と製鉄所、左奥が和歌山港)

 JR和歌山駅と南海の和歌山市駅があり、町の中央に和歌山城跡がある。戦災で焼失したが、天守は再建されて美しい姿を見せている。天守からは和歌山市街が眼下に望めた。

(写真16 徳島の町のシンボル眉山)

 対する徳島市も徳島県の県庁所在地であり、二つの県庁所在地を結ぶ航路というのもありそうでほかには例がない。古くは阿波藩の城下町だが、町のどこからでも望める眉山と吉野川がシンボルか。