ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

信楽へ

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(写真1 JR全線踏破を達成した留萌本線増毛駅で妻と=2003.7.17)

全鉄道全線全二周への道のり

 全国の全鉄道全線全二周達成については、一昨年くらいには視野に入ってきていた。ところが、昨年には新型コロナウイリスが猛威を振るっていて、私の旅など〝不要不急〟の最たるもので、家族からは強い足止めを食らっているし、どこにも出掛けられなくてじりじりとしていた。
 それでも、計画だけは練っていて、最後はどこにしようかと思案を進めていた。どこか情緒のあるところがいいなと漠然とは考えていた。
 宮脇俊三さんが、名著『時刻表2万キロ』の最後で「足尾線にはわるいが、最後の一線はもうすこし情緒のある線区、たとえば、一日二往復しかない中湧別-湧別間あたりで乗り終えて夕方のオホーツク海岸を一人感慨にふけりながら、……、にもかかわらず、月並みな関東地方の、それも公害の原点などと言われる足尾になってしまった。」と書いていて、私も腐心をしていた。
 ところが、少しずつでも乗っていると、残りが少なくなっていく。難物だった近鉄や名鉄、西武や東武などと大都会の大手私鉄も片付いていく。地下鉄の駅じゃ味気ないし、東京や名古屋、大阪などの地下鉄も最後にならないよう乗りつぶしておいた、
 そうすると、残ったのは大井川鐵道、富山地方鉄道、沖縄都市モノレール、信楽高原鉄道くらいで、どの鉄道も魅力ある路線ばかりだが、結局、信楽高原鉄道を最後としたのだった。
 ここに至るには長い道のりがあった。
 そもそも私は岬好きで、全国の岬を訪ね歩いてきた。岬は辺境にあることが多いから、鉄道も随分と隅々まで乗ってきた。
 そんなあるとき、宮脇俊三さんの『時刻表2万キロ』を読んで、そうか、こんな趣味もあるんだなと感化され、自分もどれほど乗っているのかと調べてみたら、ざっと7割ほどもすでに乗っている。これなら自分も達成できるのではないか、そう思って鉄道にも目を向けるようになった。つまり、宮脇さんの名著は、国鉄全線2万キロ完乗の悪戦苦闘を描いたものだったのだが、そもそも私も鉄道好き、然らばと積極的に鉄道に乗る旅にも出るようになったのだった。
 しかし、これは宮脇さんも書いておられることだが、初めの7割と残る3割では困難さが格段に違った。虫食いのように残っている路線をつぶしに行く、そのような旅が毎週末のように続いたのである。
 例えば、男鹿半島の入道埼には秋田から男鹿線の終点男鹿の一つ手前、羽立駅が入道埼へのバス便の最寄り駅となる。男鹿まで行ったのではバスに連絡しないのである(現在は変わって、男鹿駅発のバスは男鹿線の到着を待って発車する)。従って、全線踏破のためには、羽立までは乗ったことがあるのに、一駅分だけ残った男鹿線にまた乗りに行かなければならないということになるのだった。
 しかし、そうこうして2003年7月17日、今は廃線となった留萌本線増毛駅をもってついにJR全線完乗を達成した。その気になってから33年が経っていた。
 いつもは「鉄道に乗ってばかりの旅ではつまらない」と言って敬遠しがちだった妻が、このときばかりは「一緒に行ってあげる」と自分から言い出して同行してくれた。初夏のこと、窓から入る風が頬に気持ちよかったことを18年経った今でも鮮明に思い出す。このときは娘が「JR全線踏破!」の幕を作ってくれていて、夫婦で並んで幕をかざして記念撮影をした。何か誇らしげだったが、私よりも妻のほうが喜んで興奮していた。

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(写真2 全国全鉄道全線完乗を達成した島原鉄道加津佐駅で妻と=2007.11.3)

 このあともこつこつと鉄道に乗る旅は続けていて、2007年11月3日には今は廃線となった島原鉄道加津佐駅をもって日本の全鉄道全線完乗を達成していた。この全鉄道全線にはJRのほか第三セクター、私鉄、地下鉄、モノレール、新都市交通、路面電車、ケーブルカー等とにかく日本全国の鉄道と名の付くものすべてが含まれている。
 JR全線を踏破してからわずか4年のことだった。JR全線が約2万キロ、私鉄その他鉄道全線が7千キロだから、JRが3倍近い営業距離だが、路線数はJRの約180に対して私鉄その他が約390もあり、JRの2倍以上もある。
 このときも妻が同行してくれて、普段は一人旅ばかりだったから珍しくも夫婦で鉄道旅行を楽しんだ。この間も夫婦による旅行は行っていて、ニューヨーク、パリ、ロンドン、アムステルダム、スイス、ウイーンなどへ出掛けていた。
 JR全線を踏破した際には、達成感よりも喪失感のほうが強くて、しばらくぼうっとしていた。しかし、尻は軽いほうだし、全国の地図を広げては新しい岬を探していた。岬は交通の不便なところが多いから、車のほうが断然便利だが、私はよほどの事情がない限り岬には鉄道とバスそして徒歩で訪ねるようにしている。
 そうこうしてローカル私鉄の魅力に気がついた。JRの路線はすでに2回も乗っているからそれなりに見当もつくが、地方の私鉄は初めてのところが多い。
 しかし、乗ってわかったことは、JRも私鉄も車窓の楽しみはまったく変わらないということ。
 車窓と到着した町の景色はローカル私鉄のほうが色濃いと言えるほどだ。私鉄の場合は町の真ん中まで線路を引いていることが少なくないのである。それで、全国の私鉄にも積極的に乗りに出掛けていた。
 初めから私鉄も乗りつぶそうと考えていたなら、そのようにやっていただろうが、私鉄全線を乗るなどということは、夢想だにしていなかった。この際、第三セクターは国鉄JRからの転換が大半だからすでに乗り終えているところも少なくなかったが、純然たるローカル私鉄は未乗区間として残っているところが多かった。

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(写真3 今は廃線となった十和田観光電鉄十和田市駅=2009.2.8)

 今は廃線となってしまったが、十和田観光電鉄という路線があった。東北本線の三沢駅から十和田市駅までを結んでいた路線で、全長14.7キロ、駅数は11だった。路線名が観光電鉄となっているので紛らわしいが、十和田観光への鉄道というよりは、三本木原の田園地帯を走るまさしくローカル線で、途中の駅名も三農高校前や工業高校前などとあって、そのことこそに風情があった。雪に埋もれているのではないか思われる真冬の三沢駅に夜行列車から降り立つと、ほかに乗客さえ見当たらない車内に思わずおののくようだった。
 15キロに満たないような路線に乗るために、金曜日の夜行列車は私の習慣となった。毎週末そのような旅が続いていたが、今にしてみれば妻も二人の娘たちも、よくぞ見放さずにいてくれたものだと感謝しかない。
 全鉄道全線を踏破して、さすがに腰を落ち着けるかと思っていたが、かつて乗った路線が懐かしくなって、またまた、ふらふらとあちこちに鉄道に乗りに出掛けていた。

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(写真4 JR全線全二周を達成した伊勢奥津駅で=2017.1.5)

 そうこうするうちに、2017年1月5日、名松線伊勢奥津駅でJR全線全二周を達成した。初めてJR全線を乗り終えてからでは14年の歳月が流れていたし、全鉄道全線を完乗してからでも10年の月日が経っていた。
 また、このたび信楽高原鉄道信楽駅をもって全鉄道全線全二周を達成してしまった。
 信楽駅ではさしたる感慨もわかなかったが、東京に帰る新幹線の車中で、達成感よりも「俺は何をやっていたんだ」という喪失感の方が深くてこれは途惑った。膨大な時間を投下してきた。これによって仕事をないがしろにしてきたことはなかったが、そもそもが児戯に類するようなこと。人様に誇れるようなことでもなかった。
 最後の旅に出掛ける前に妻が、「あなたのような気違いか阿呆みたいな人は世の中にたくさんいるんですか」と訊いてきた。なるほどどうなんだろう。「鉄道雑誌の編集部にでも問い合わせればわかるんじゃないかしら」とも。
 それで、鉄道雑誌の編集部に問い合わせたところ、「JR全線に乗ったような人はいるだろうが、全鉄道となるとどうだろうか。ましてや全二回ともなると……」というようなこと。はっきりしたことはわからないらしい。
 まあ、私がやったことは、妻の言う通り、気違いか阿呆みたいなもの。人に誇ろうとも思わないし、ただ、好きな鉄道に乗ってきた、それこそ全国くまなく、それでいいではないか、今はそういう気分で、やっと達成感がわいてきたようだ。

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(写真5 全鉄道全線全二周の最後の駅となった信楽高原鉄道信楽駅)