ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

忍者線の伊賀鉄道

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(写真1 伊賀線の中心上野市駅の高台に建つ上野城の天守閣)

全鉄道全線全二周踏破に向けて

 伊賀鉄道は、近鉄大阪線の伊賀神戸駅(いがかんべえき)とJR関西本線の伊賀上野駅間を結んでいる。
 近鉄から伊賀鉄道に乗り継ごうと伊賀神戸駅に降り立つと、簡便なものながら中間改札があった。この駅に降り立つのは二度目だが、かつてはこのような改札はなかったのだった。それもそのはず、伊賀鉄道はそもそも近鉄の伊賀線だったのである。ただし、両線間の連絡はよくて、近鉄の特急電車の到着は12時41分に対し、伊賀線の発車は12時45分。

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(写真2 伊賀神戸駅に停車中の伊賀線電車)

 短いホームから2両の電車。日曜の日中だから乗客は少ない。忍者の絵柄の法被を着た乗務補助員が切符の取り扱いをしている。無人駅が多いようだ。びっくりするほど品がよくおしゃれなおばあさんが補助員と話している。地元同士の顔見知りなのかもしれない。
 伊賀線は、三重県の北西部に位置し、奈良や滋賀との県境にも近く、上野盆地を貫いている路線。全線伊賀市である。沿線は田畑が多い。猪田道で列車交換。単線なのである。

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(写真3 上野市駅の駅舎には〝忍者市駅〟の表示)

 そうこうして上野市駅到着。ちょっとややこしいが、合併して伊賀市となったが、中心は上野市駅周辺。
 その上野市駅に降り立つと、駅舎には大きく忍者市駅と表示があり、伊賀線の路線名も愛称は〝忍者線〟とある。徹底して忍者を売り出しているのだ。駅前には松尾芭蕉の銅像があった。生誕の地なのである。
 上野は、藤堂高虎が築いた城下町で、大阪城を補完する重要な位置を占めていたといい、京都や奈良と伊勢を結ぶ奈良街道、伊賀街道が交差する交通の要衝だったようだ。
 上野市駅が近づくとすでに右窓に見えていたが、駅の後背、高台に美しい天守閣が見える。上野城である。駅から歩いて10分もかからないというので、訪ねてみた。大阪方を睨む戦略的築城だったというが、築城の名手といわれた藤堂高虎らしい美しさだった。なお、この天守閣は模倣されたもの。

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(写真4 上野城で遭遇した忍者)

 お城を見物していたら、かわいい忍者に遭遇した。家族連れだったが、写真を撮らせて欲しいと頼んだら、忍者のポーズまでしてくれた。いかにも忍者の町のこと。お礼にキャンディをあげたらとても喜んでいた。
 町は戦災の被害もなかったようで、お寺も多いしいかにも城下町らしい街路が残っている。荒木又右衛門生誕の地だといい、〝鍵屋の辻〟の地名も残っていてびっくりした。ここが有名な決闘の場所だったのである。
 上野市駅で伊賀線は運転系統が変わるようで、全ての列車はここで乗り継ぎ。また、構内には伊賀線の車庫もあった。電車の網棚には忍者の人形まで置いてあった。よくよく忍者が好きなのである。
 上野市駅を出ると久米川沿いに走りわずか三つ目が終点伊賀上野。JR線との接続駅だが、ホームは共用で、両線との間にはそれこそ改札もなかった。関西本線もこのあたりは非電化単線区間で、自動改札もなく、ICカードも使用できなかった。

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(写真5 伊賀上野駅の駅舎)

<線区メモ>
線  区  名/伊賀鉄道伊賀線
区  間/伊賀上野駅-伊賀神戸駅(全線三重県伊賀市)
路線距離/16.6キロメートル
軌  間/1,067ミリ
駅  数/14駅(起終点駅含む)
複線区間/なし(全線単線)
電化区間/全線電化(直流1500V)
歴  史/1916年開業、2007年近鉄から伊賀鉄道に運営移管