ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

男鹿線男鹿駅

シリーズ 行き止まりの終着駅

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(写真1 初めて降り立った1995年の男鹿駅)

入道埼への最寄り駅

 私はそもそも岬が好きで、全国の岬・灯台をこつこつと訪ね歩いてきた。
 そんな折、宮脇俊三さんの名著『時刻表2万キロ』を読んで、全国の鉄道を踏破するなどということをやってのけた人がいるということを知った。そんな途方もないことができるのかとも思った。2万キロとは、当時の国鉄全線の営業キロ数である。
 岬は端っこにあるから、私も随分と鉄道は乗っているはずと思い、どれほど乗っているものか試しに調べてみた。そうすると、約7割にも及んでいた。これは随分と多い。これなら、私にも全線踏破が可能かと思い、岬へ行くときには、できるだけ乗ったことのない鉄道も乗るようにしてきた。しかし、このことは宮脇さんも指摘していたことだが、初めの7割と残りの3割とは難易度がまるで違った。
 例えば、男鹿線。男鹿線は奥羽本線の追分と男鹿を結ぶ全長26.6キロの短い路線だが(すべての列車は秋田発着)、男鹿半島の突端入道崎を訪ねるためには、バス便との連絡上、男鹿の一つ手前の羽立で乗り継ぐ必要がある。男鹿まで行ったのではバスに連絡できないのである。そもそも岬を訪ねるのが目的だったから、これで何の痛痒も感じていなかったのである。とにかく列車本数、バスの本数が少なくて連絡に自由度が少ないのである。これは岬巡りの宿命みたいなもの。
 ところが、全線を踏破しようとすると、残った一駅羽立-男鹿間のわずか2.9キロを改めて乗りに行かなければならない。このように虫食いのように残った全国の線区を改めて乗りに行くこととなった。
 結局、今にして思えば、岬なら岬、鉄道なら鉄道だけに絞って旅を続けていたなら、もう少し深い旅ができたのかもしれない。
 そのことはともかく男鹿駅。私が初めて入道崎を訪れたのは1990年(平成2年)1月14日だが、このときには羽立からバスに乗り継いだから、男鹿駅に寄ることはなく、結局、男鹿駅に初めて降り立ったのは1995年9月15日だった。初めての入道崎訪問から4年半が過ぎていた。また、このときには男鹿駅に着いたというだけで、結局、入道崎には行かなかった。男鹿まで来ていながら入道崎に寄らないとは、岬好きにあるまじきことだった。

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(写真2 1995年当時の男鹿駅ホーム)

 当時の男鹿駅は1面2線のホームだった。平屋建ての駅舎があるだけで、降り立つ人も少なく、駅前はがらんとしていた。昼食時だし、寿司を食べようとしたが、駅周辺には適当な店が見当たらなかった。
 次に、男鹿駅および入道崎を訪ねたのは2015年(平成27年)7月2日で、このときには男鹿駅と入道埼を同時に訪ねることができた。男鹿駅で入道崎行きのバスに連絡できるようになったのである。随分と改善してくれた。

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(写真3 2015年に降り立った当時の男鹿駅)

 このときは、秋田12時12分発男鹿行き列車に乗車。男鹿13時06分着。入道崎行きのバスは13時09分発。きわどい乗り継ぎ。事実、乗り遅れた人もいて発車したばかりのバスに駆け寄ってくる人もいた。
 途中寄った羽立駅前では同じ列車で来た人が乗り込んできた。バスを確実につかまえるためにはこれが賢明である。ただし、この人は岬好きではあっても鉄道ファンではないのかもしれない。鉄道ファンなら、終着駅には降り立ちたいもの。ちなみに、帰途は、男鹿まで行ってしまったのでは連絡列車に間に合わず、羽立でなければ接続できないのである。

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(写真4 2015年当時の羽立駅。初めて入道埼を目指した1990年当時はひなびた木造駅舎だった)

 岬と終着駅。この二つの両立はなかなか難しい。スケジュール上も、岬だけを念頭に置くと、終着駅についてはおろそかになる。駆け足になって終着駅の魅力を損ないかねない。しかし、岬も鉄道もとても魅力のあるもの。なんとか折り合いをつけたいものである。

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(参考 ぴったり北緯40度線上にある入道埼灯台。左が北緯40度線記念碑)