ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

6年目の被災地へ(1)

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(写真1 陸前高田では14.1メートルもかさ上げして新市街地を建設していた)
風化はさせない
 先週は三陸に行ってきた。27日に現地に入った。
 東日本大震災発生以降毎年欠かさず3.11の前後に被災地を訪れてきていた。ただ、昨年が5年目の節目だったので一区切りを付けたような気持ちになっていて今年は3.11前後には出かけなかった。
 しかし、考えてもみれば、復興が一区切り付けられるような状況にないことはわかっていたし、いわんや被災者にとっては節目など感じられようもないはずで、こんなことでは風化させてしまうし、我ながらうかつだった。
 それで、遅ればせながら出かけてきたのだが、3.11からはややずれてしまったものの、昨年も3.11以外にも7月1日に訪れていて、そういうことではちょうど1年ぶりではあった。また、強いて言えば、身近にはいないが、亡くなられた方に対しては今年は七回忌でもある。
 これまでの7年間は、盛岡を起点にレンタカーで岩手県沿岸部を北から南へ、つまり、田老、宮古、山田、大槌、釜石、大船渡、陸前高田などと巡っていて、しかも、毎年決まって同じルートを通っていたからいわば定点観測をしているようなものだった。
 しかし、今年はルートは同じだが順序をひっくり返してみた。つまり、一関(駅名は一ノ関)を起点にして、陸前高田から大船渡、釜石、大槌、山田、宮古そして田老へと南から北上したのだった。訪れた順序は変わったが定点観測地点はきちんと立ち寄った。
 一ノ関駅前9時00分スタート。国道343号線を通ってまずは陸前高田へ。
 かさ上げのために山を切り崩して土を運ぶために仮設されていた壮大なベルトコンベアは役目を終えてすでになかった。ダンプで運べば10年かかると言われた土の運搬をこのベルトコンベアは2年で完了させた。これによって市街地では本格的なかさ上げ工事が真っ最中だった。おびただしいほどのダンプカーが土埃を巻き上げながら行き来している。
  道路際の表示によれば、かさ上げは何と14.1メートルにもなっているようで、盛土の間を抜けると、盛土は見上げるように高くてまるで谷間か切り通しの間を通っているようだった。

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(写真2 かさ上げして造成された新市街地にはショッピングセンターが開業していた)
 早くにかさ上げされ新市街地となったところにはしゃれたショッピングセンターができていた。今年2017年4月27にオープンしたのだという。たくさんの車が駐車されていたから貴重なショッピングエリアなのだろう。また、図書館も併設されるようでその準備中だった。
 盛土の上に立ってみると、どこまでも平坦な地面が広がっていてまるで新しい平地に見えるし、縁から下を見るとまるで谷底をのぞくようで、盛土の高さが実感できた。岩手県沿岸部で、規模の大小はあるが、これほど徹底して盛土をして土地をかさ上げしている都市はほかにはないものと思われた。
 「奇跡の一本松」に寄ったら、防潮堤が築かれていて、一本松からは海が見えなかった。様々な事情があるのだろうが、高田松原に残った一本松ということなら、海が見えないのはいかがなものかと思われて残念だった。ただ、相変わらず見学者の姿は途絶えないようだった。東日本大震災の象徴なのである。
 次に大船渡に移動した。大船渡は、陸前高田のような壊滅状態ではなくて、全体の三分の二にあたるのであろうか、高台側を除く海側の市域が津波に襲われた。
 大船渡湾は深い懐を有し天然の良港となっていて、大船渡市街はその最奥部にあたるが、町を取り囲むように高い防潮堤が築かれていた。
 大規模な魚市場ができていた。真新しいようだったから、最近開業したものかもしれない。周囲には冷凍倉庫など関連施設が数多く建っていたから、大船渡の水産業の復活が本格化したものと思われた。
 1年前に比べても、ホテルが数軒開業していたし、これは震災前よりも充実しているのではないか。また、町の中心部には銀行も数店出店していたし、銀行が店を構えたということは、町の復興が緒につき将来が明るくなったということでもあろうから、とてもうれしいことだ。
 盛駅は、大船渡市内でも高いところにあったせいか津波被害からは幸い免れた。大船渡線のBRT(バス高速輸送システム)がすっかり定着していたし、また、ここで接続する三陸鉄道南リアス線列車が元気に発着していた。
 国道45号線をひたすら北上してきたわけだが、鉄道でいうと、陸前高田から大船渡の盛までは大船渡線の沿線である。
 盛からは一気に釜石へ向かった。鉄道でいえば、南リアス線沿線ということになる。
 釜石は、沿線では復興が最も早くて、目抜き通りを走っているだけでは、震災の爪痕が感じられないほどだった。ホテルが次々と開業していて、鉄冷えから脱出したのであろうか。あるいは2019年ラグビーワールドカップ大会で盛り上がっているのかもしれない。(つづく)

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(写真3 銀行やホテルが進出し新しい町の姿が見えてきた大船渡の中心部)