ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

7年目の被災地へ①

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(写真1 土地の嵩上げ工事が進む陸前高田市街。奥は高田松原の防潮堤)
岩手県沿岸部を北上
 2011.3.11の東日本大震災から7年になる被災地を訪ねた。
 震災直後から毎年現地を訪れているが、今年は岩手県沿岸部を南から北へと巡った。毎年決まったように同じような時期、同じようなところを巡っているから定点観測をしているようなものだ。
 私には身近なところに被災者はいないが、震災からの復興は気になるところ。私ができる支援などボランティア活動にしても知れたようなもの。それで、1年に1度でも被災地を訪れて、被災地の状況を報告するのも私なりの復興支援だと思って続けてきている。
 4月18日、一関からレンタカーを走らせ、まずは陸前高田へ。国道343号線を走ってきて市域に入ってきたら眼下に市街地が広く見渡せた。街中至るところで土地の嵩上げ工事が真っ最中だった。
 市街地は壊滅したのだが、ここの復興工事はちょっと独特で、まずは山を切り崩しベルトコンベアで土を市街中心に運び入れ仮置きをした。これに2年を要した。もっともダンプカーで運ぼうとしたら10年はかかるそうだ。
  仮置きした土盛りを分配して嵩上げをしているのだが、それは市街全域にわたらせようとしているかのようだ。それも嵩上げ高はところによっては14.1メートルにも達するというから膨大な計画である。
 すでに嵩上げの終わったところではショッピングセンターなども開業していた。その一つタピック45には、スーパーマーケットのほか書店や図書館も併設されていて賑わっていた。

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(写真2 嵩上げの終わったところでは宅地造成の準備が行われていた。これが14.1メートルも嵩上げされた土地とは想像もできない)
 また、この周辺では宅地造成も行われていて、分譲が開始される直前のように見られた。嵩上げされた場所から望むと、目の前に倒壊を免れた鉄筋コンクリート造の4階建ての建物が残っていて、どうやらその持ち主は遺構として残す意向があるようで、まるで建物は嵩上げされた土盛りに囲まれて埋もれそうに見えた。
 また、ここには追悼施設もあったが、ここにお参りしていた女性によると、津波の警告があってから30分もあったのに逃げる人は少なかった、逃げる意識を持つことが大事なのではないか、と話していた。
 震災の象徴のような奇跡の一本松付近では震災モニュメントの整備が行われていたが、周辺には立派な防潮堤が完成していて、かつての高田松原はその外側に築かれるとのことだが、街からは見えないようだった。海に暮らしてきた人々の心理としてはいかがなものかと思えた。
 陸前高田からは大船渡へ移動した。ここはもともと高台は難を逃れていたのだが、海に面したところも復興の足取りは早くて、街全体を取り囲むように防潮堤が完成していたし、新たに立派になった魚市場も順調に稼働しているようだった。また、市街中心地には銀行が次々と新店舗を開設していたし、全国チェーンのホテルも数軒営業していた。

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(写真3 スーパーマーケットやホテル、銀行などが開業している大船渡中心街)