ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

三セク最長久慈-盛間163キロ

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(写真1 久慈駅で購入した久慈発盛行ききっぷ。戻ることはできないが片道で途中下車が可能なきっぷである。3,710円)

三陸鉄道リアス線全線乗り通す③

 釜石を出ると旧南リアス線区間となる。乗客の多くは釜石で下車してしまいやや空いた。
 この区間は海沿いは短かったので津波被害は比較的少なくて済んだ。ただ、吉浜-唐丹間で橋梁が流出したし、甫嶺では線路が流出するなど駅周辺は被害が甚大だった。
 列車は淡々と走ってきていて、乗っているだけでは震災を感じないでしまいかねない。

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(写真2 恋し浜駅の待合室には貝殻による絵馬がたくさん捧げられていた)

 恋し浜。ここでしばし停車。かつて小石浜といっていた駅で、改名して俄然人気が出た。ホームの小さな待合室には神棚が祀られ、貝殻の絵馬が多数供えられていた。
 陸前赤崎で大船渡湾に出た。頭に中に描いた地図では想像しにくいが、ここから大きく右に回り込みながら盛へと向かう。この駅の周辺も津波被害の大きかったところで、待合室もホームも新しくなっていたし、付近には住宅も建ちはじめていた。

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(写真3 盛駅に到着した久慈発のリアス線列車)

 そうこうして盛到着。12時28分。リアス線163.0キロの終点である。久慈から延々と4時間23分を乗り通した。しかし、車窓は豊かだし、うとうとすることもなく楽しいものだった。なお、旧南リアス線区間としては36.6キロ、駅数は10である。
 久慈から同じボックス席で一緒だった、おじいちゃんと小学校高学年とおぼしき男の子の孫も乗り通した。この二人とは久慈のホテルでも一緒だったのだが、東京からわざわざ来たとのこと。おじいちゃんは鉄道ファンだったようで、孫に細かく解説していた。とてもほほえましく、羨ましいようなことだった。
 また、同じように久慈から乗り通してきた客は見渡すと7、8人ほどいたようで、仙台から来たという男性は、車両派なのか、車両についてものすごく詳しくてびっくりするほどだった。
 鉄路による路線はここまで。この先大船渡線はBRT(バス高速輸送システム)に転換されており、鉄路としては途切れた。
 山田線もJR東日本から当初BRTでの復旧が提案されていたが、沿線自治体や住民は断固鉄道の復旧を望んでいた。
 復旧してみれば、やはり鉄路によるインパクトが大きくて、復興を加速させるものとして期待される。ただ、鉄道の維持費はBRTに比べ断然大きく、そうでなくても過疎化が進んできた地域だけに、この先の難問は小さくはない。

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(写真4 リアス線車両が留置されている盛駅構内の様子)