ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

節分

(写真1 豆まきに使う鬼の面と福豆)

豆まきで無病息災願う

 2月3日は節分。
 娘たちも嫁いでいるし、孫たちも就学年齢となって、気軽に遊びに来ることは少なくなって、節分といっても格別の行事は我が家ではないが、家内が鬼の面と福豆を買ってきた。それで、夫婦二人だけで豆まきを行った。
 これで厄払いができたものかどうか、調べてみると、節分に豆まきを行うのは、古来、邪気を払い、無病息災を願うためとある。
 様々な作法もあるようだが、豆まきに大豆を使わず、落花生をまくという地方もあるという。
 それにしても、老夫婦が二人だけで豆まきを行うというのも珍妙なことではあった。

杉山忠義『テッコツ!』

知られざる鉄骨の世界

 鉄骨とは、ビルやスタジアムから電波塔まで建築物の骨組みとなるもので、鉄骨は、鉄工所で鋼材を加工し、それらの部材を複雑な形に溶接し、検査を経て建設現場に出荷されて組み上げられる、と紹介している。
 世界一の電波塔東京スカイツリーは鉄骨で造られているし、歴史的には、パリのエッフェル塔やニューヨークの摩天楼を生んだ超高層ビルも鉄骨構造だ。
 本書では、鉄骨の種類や鉄骨の仕事、とくに溶接などについは溶接女子の活躍に至るまで詳述していて、鉄骨の仕事は有名な建築物に携わる使命があって、鉄骨加工の魅力をふんだんに紹介している。
 まるで、溶接や鉄骨専門誌の連載講座のおもむきだが、発行は文芸書で知られる幻冬舎。著者は製造業の著作を多数手がけるフリーのライターで、山形県に事業所のあるイタガキという鉄骨加工業者が監修・取材協力を行っている。うがった見方をすれば、本書はこのイタガキが仕掛けたものかも知れないと思わせられたが、いずれにしても、日頃は一般に知られることの少ない鉄骨についてわかりやすく紹介してくれていることはありがたいことだろう。
(幻冬舎刊)

旧大畑駅の車掌車ヨ8873を目撃

(写真1 旧大畑駅構内で動態保存されている車掌車ヨ8873)

旧大畑駅構内で動態保存

 このたびの津軽海峡旅行では、大間から脇野沢へ下北半島をバス移動している途中、旧大畑駅で5分のトイレ休憩があった。
 ここは、国鉄から転換した下北交通大畑線の終着駅だったところで、ここでなんと車掌車を目撃できた。
 旧大畑駅は、駅舎は下北交通の営業所としてそのまま使われ、その他の施設は、日本航空のパイロットたちで結成している鉄道愛好会が運営していており、旧構内や保守基地などの建屋がそのまま残されていて、キハ85形気動車(旧国鉄キハ22形)などとともに車掌車も動態保存されている。
 車掌車は、ヨ8873は、ヨ8000形で、車掌車としてわが国最後の新製車両で、従来の箱形車両とは違って、前後にデッキが設けられひさしが張り出しているのが特徴。
 ちょうど、この日は愛好会のメンバーが訪れ、点検のため車庫から引き出されたところだったようで、とても幸運だった。状態はとてもいい。じっくりと観察したいところだったが、休憩時間はわずか5分、名残惜しくもあわただしいことだった。
 実は、ここ旧大畑駅に車掌車が保存されていることはかねて知っていて、ここを通るたびに一度は見てみたいものだと念願してきたものだった。
 車掌車は現在は運転されていないが、私は、かねて車掌車に非常なる関心があって、全国に残っている車掌車を訪ね歩いてきたのだった。
 大半は見つけてきたのだが、その所在がはっきりとしていて、未だ見ることのできないでいたのが、ここ旧大畑駅のヨ8873だったのだった。

(写真2 駅名標などもそのままに旧大畑駅構内=2017年9月3日)

(写真3 キハ85形気動車や車掌車などが動態保存されている旧下北交通保守基地建屋=同)

平舘海峡を横切る

日本海峡紀行

(写真1 平舘海峡を進む船舶。陸奥湾と津軽海峡をつなぐ重要な海上交通路である)

下北半島から津軽半島へ

 平舘海峡とは、下北半島と津軽半島の間にある海峡。南北方向に延びる海峡で、陸奥湾と津軽海峡を結ぶ。海峡幅は狭くて、最狭部はわずか11キロ。この海峡を、下北半島の脇野沢から津軽半島の蟹田へフェリーで渡った。航路上は、海峡の南端を横切ったようなものか。

(写真2 むつわんフェリー「かもしか」)

 大間崎から3時間あまりかけて脇野沢へ。脇野沢のフェリー前というバス停を降りると、すでにフェリーは出航を待っていた。陸奥湾フェリーである。船名は「かもしか」とある。きわどい乗り継ぎで最後の乗客だった。
 脇野沢港を出港すると、船はほぼまっすぐに進路をとり津軽半島を目指して進む。

(写真3 鯛島と陸奥弁天島灯台)

 するとすぐに灯台が建っている小島が見えてきた。陸奥弁天島灯台といい、島の名前は鯛島。鯛にその姿が似ているのでこの名がついたのだろうが、鯨に似てなくもない。灯火標高は36メートルとあり、大きな灯台ではないが、平舘海峡に入る船舶にとってはいい目印になったのではないか。

(写真4 青函フェリー船上から見た平舘灯台。まるで波打ち際に建つローソクのようでもある)

 平舘海峡で重要な灯台は平舘灯台か。青森から函館に向かうフェリーの船上から見ていると、陸奥湾から津軽海峡に出るちょうど中間点に位置している。

(写真5 平舘海峡を照らす平舘灯台。白塔形のすらりとした美しい灯台だ)

 津軽半島の波打ち際に屹立しているようにも見受けられたが、実際、現地に行ってみると、波をかぶりそうな様子だ。低い海抜に建っているからだろうが、灯高は23メートルもあり、すらっと背の高い美しい白い灯台だ。
 海峡幅の狭い海峡だから、対岸の下北半島が近く見える。真っ白い船体のフェリーが函館に向かっている。
 そうこうして船は進み、脇野沢港からちょうど1時間で蟹田港に着岸した。着いてわかったが、徒歩客は私一人だった。

(写真6 津軽線蟹田駅ホームに建つ看板)

 聞けば、蟹田駅までは近いよというので歩いたのだが、これがよくなかった。重い荷物を背負って重い足取りで歩いたら30分もかかった。蟹田は、青森から龍飛に向かう途中の町。太宰が『津軽』で、蟹田ってのは風の町だね、と書いた。

<陸奥弁天島灯台>メモ(「灯台表」等から引用)
 航路標識番号1544
 名称/陸奥弁天島灯台
 所在地/青森県むつ市(弁天島)
 位置/北緯41度07分2秒、東経140度48分9秒
 塗色・構造/白地に黒横帯1本 塔形
 灯質/群閃白光毎7秒に2閃光
 光達距離/7海里
 灯火標高/36メートル
 塔高/12メートル
 初点/1945年1月22日
 管轄/第二管区海上保安本部青森海上保安部

<平舘灯台>メモ(「灯台表」等から引用)
 航路標識番号1504
 名称/平舘灯台
 所在地/青森県外ヶ浜町
 位置/北緯41度10分5秒、東経140度38分6秒
 塗色・構造/白塔形
 灯質/単閃白光毎5秒に1閃光
 光達距離/7海里
 塔高/23メートル
 灯高/23メートル
 初点/1899年4月
 管轄/第二管区海上保安本部青森海上保安部

大間から脇野沢へ

日本海峡紀行

(写真1 )かつての国鉄大畑線大畑駅だった下北交通大畑出張所)

下北半島を北端から南端へバス移動

 函館大間航路で大間に上陸したあとは、下北半島を大間から脇野沢にバスで移動した。大間岬から下北バスでまずはむつバスセンター。ここでJRバスに乗り継ぎ、脇野沢へと向かった。まるでマサカリの形にも似ている下北半島を恐山山地の裾野を回り込むようなルート。
 大間岬からむつバスセンターまでが約1時間30分。途中、大畑で休憩があった。かつての国鉄大畑線の終点だった大畑駅で、駅舎はそのまま下北交通の営業所として使われている。大畑駅は、本州最北端の駅だった。
 5分休憩ののちむつへ。下北半島の中心で、ここでJRバスのに乗り換え。下北バスは停留所名がむつバスセンターで、JRバスは田名部駅。かつての国鉄大畑線の駅舎がそのままの位置そのままの名前で使われていた。付近にはしばらくホームなどの遺構もあったのだが、再開発中の様子だった。
 JRバスは脇野沢行き。フェリー前という停留所があり、運転士にはあらかじめ停留所名を告げておいた。こうしておけば、停留所を見逃すこともない。
 なお、私は旅行中は、100円硬貨を10数枚ほど必ず用意しておく。こうしておけば、バスの両替もスムーズだし、コインロッカーなどにも対応できる。
 ここまで約1時間30分。大間崎からは3時間を超すバス移動だった。

 

大間航路で津軽海峡を渡る

日本海峡紀行

(写真1 函館大間航路フェリーから見た津軽海峡と遠く大間埼灯台)

本州と北海道を最短で結ぶ

 津軽海峡を渡る二つのフェリー航路のうち、青森から函館へ青函航路で向かった帰途は、もう一つの航路である函館大間航路で戻ってきた。青函航路に比べ約三分の一の所要時間で本州と北海道を結んでいる。
 フェリーの出航は、9時30分。チェックインの様子を見ていると、予約なしで当日の手続きを行っている人も少なくない。徒歩客も多いようだ。青函航路と違って乗船時間も1時間30分と短いし、気軽に往復している様子がうかがえる。乗船はボーディングブリッジを使用して行うからはなはだスムーズ。
 船名は「大函丸」。総トン数は1,912トンだから、8千トンを超す青函航路に比べだいぶ小ぶり。それでも船内は広くてゆったりしている。船旅のいいところだ。
 函館港を出港すると、少しして葛登支岬が右に見えてくる。すると、船は函館山を回り込むように進路を左にとって津軽海峡を横切る。やがて弁天島に建つ大間埼灯台が近づいてくる。大間港到着はこれも定刻11時00分。

(写真2 津軽海峡フェリーの大間ターミナル)

 大間港のフェリーターミナルは、ここもボーディングブリッジ。とてもスムーズ。大間崎とは、歩けない距離ではないがちょっと離れている。それでタクシーを呼んだ。あらかじめ予約しておいたのだ。わずか5分のところだった。

(写真3 大間崎の様子)

 鋭く突き出ているわけではないが、「ここ本州最北端の地」碑が建っているほか、巨大なまぐろを背景に「まぐろ一本釣りの町おおま」のモニュメントもある。

(写真4 沖合600メートルの弁天島に建つ大間埼灯台)

 沖に目を転ずれば、眼前の小島に大間埼灯台である。沖合600メートルの弁天島である。平べったい島だが、島と陸地の間は潮流が速いらしい。黒の帯が巻かれ、北国の灯台らしい塗色。
 北海道が横たわり、恵山岬も望める。地図を見ていると気がつくが、本州最北端である大間崎は、実は、北海道の南端、白神岬などよりは北に位置する。

(写真5 マグロ丼。まぐろのトロや中トロが豪快に盛り付けられている)

 付近はちょっとした観光地の様相だった。大型観光バスでやってくる人たちが多い。売店や食堂が軒を並べている。人気は名物のまぐろ。

(2022年10月13日)

<大間埼灯台メモ>(「灯台表」等から引用)
 航路標識番号1550(国際番号M6634)
 名称/大間埼灯台
 所在地/青森県下北郡大間町大間字弁天
 位置/北緯41度33分07秒 東経140度54分54秒
 塗色・構造/黒白横線塔形コンクリート造
 レンズ/第4等フレネル式
 灯質/群閃白光毎30秒に3閃光
 実効光度/12万カンデラ
 光達距離/17海里(約31キロ)
 塔高/25.4メートル
 灯火標高/36メートル
 初点灯/1921年11月1日
 管理事務所/第二管区海上保安本部青森海上保安部

函館湾を守る葛登支岬灯台

日本海峡紀行

(写真1 大型灯台の葛登支岬灯台全景)

独特のレンズと灯質

 青森から函館を目指し海路を行くと北上を続け陸奥湾を抜け津軽海峡を渡って見えてくるのが葛登支岬(かっとしみさき)灯台である。函館湾の入口に位置し、ここで進路を右にとると函館港に入る。
 1885年(明治18年)初点灯という北海道では4番目に古い灯台だが、大変珍しい灯台で、日本初の明暗光の灯台だし、レンズもフランスのバルビエ・アンド・フェネストレ社製の第三等弧状不動十二面フレネルレンズでこれは日本唯一。

(写真2 灯台上部)

 ただ、これだけ由緒があり、津軽海峡に面し函館湾を睨む重要な位置づけをになっている灯台ながら、知名度は今ひとつ低くて、およそ観光客が訪れることなど稀。
 交通ははなはだ不便で、鉄道なら道南いさりび鉄道の渡島当別駅から徒歩約30分。バスはもっと不便で、函館駅から日中わずかに1本。

 

(写真3 函館バスの「灯台入口」バス停)

 私はこの灯台を訪れるのは二度目で、初めてのときは渡島当別から歩いたのだが、数十キロものリュックを背負っていたこともあって、帰途はすっかりばててしまったのだった。
 このたびは、函館駅からバスで向かった。函館バス13時41分発。日中1本しかないバスだが、函館湾をぐるっと回り込むように進み、幸い、灯台直下の国道228号線沿いにバス停がある。14時45分着。函館駅を出るときには10人ほどいた乗客もぽつりぽつりと降りていき、途中からはただ一人。あらかじめ運転士には「灯台入口」と下車する停留所名を告げておいたら、えっ、と軽く驚いた様子。1時間も走ってほぼ定刻の到着。

(写真4 灯台への坂道)

 灯台からはすぐに登り口。緩い坂道になっていて、歩くこと10数分で灯台。灯高が約16メートルもある大型の灯台だ。施錠された屏が回らされていて灯塔に触ることはできない。全国の灯台を巡っていていつも不満に思うことだが、灯台の敷地は開放して欲しい。

(写真5 海保が設置した灯台紹介の看板)

 日中なので光り方はわからないが、登り口にあった函館海上保安部が設置した案内板によると、この灯台は、不動レンズを回転させて明暗光を作り出している珍しいもので、全国でもここだけとのこと。見上げると、十二面フレネルレンズが美しい様子を示していた。

(写真6 眼前に広がる函館山。真っ白い船体はフェリー)

 海上に目を転ずれば、30メートルほどの高台にあるから見晴らしはよく、眼前に函館山が横たわっている。白い船体のフェリーが函館港に向けて進んでいる。
 帰途は、いつもなら歩くとことろだが、この日は寄りたいところがあったのでタクシーを呼んだ。あらかじめタクシー会社は調べておいた。

(写真7 トラピスト修道院の美しい杉並木。奥に修道院の建物)

 訪ねたのはトラピスト修道院。タクシーで約10分のところ。丘の斜面を切り拓いたようなところだった。斜面に沿って修道院に至るまっすぐな杉並木がとても美しい。
 ここはカトリックの修道院で、男子の修道院であり女人禁制。広大な敷地があって、牧場なども経営しているようだ。

(写真8 トラピスト修道院のソフトクリーム)

 敷地入口付近に売店があって、バターやクッキー、ジャムなどが販売されていて、これらは北海道を代表する土産品として人気があるのだという。名物のソフトクリームをいただいたが、なるほど、濃厚な味はうまいものだった。
 帰途は、渡島当別駅から道南いさりび鉄道で函館に戻った。

(写真9 道南いさりび鉄道渡島当別駅。郵便局と共用の駅舎)

(2022年10月12日)


<葛登支岬灯台メモ>(「灯台表」等から引用)
 航路標識番号0012(国際番号M6702)
 名称/葛登支岬灯台
 所在地/北海道北斗市葛登支岬
 位置/北緯41度4432秒 東経140度35分58秒
 塗色・構造/白色塔形
 レンズ/第3等大型フレネル式
 灯質/明暗白光 明毎6秒 暗4秒
 実効光度/4万9千カンデラ
 光達距離/17.5海里
 塔高/15.8メートル
 灯火標高/45.9メートル
 初点灯/1885年12月15日
 管轄/第一管区海上保安本部函館海上保安部