ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

白堊芸術祭今年も盛大に

(写真1 白堊芸術祭の様子)

同窓会の総合美術展

 今年も12月13日まで神田神保町の文房堂ギャラリーで開催された。来場者は大半が同窓生のようだったが、ここのところ集まる機会が少なかったせいか、久々のにぎわいだった。
 白堊芸術祭とは、高校時代の同窓生による美術展。15回目の今回は、53人76作品が出品された。例年に比べ写真が多いように思われた。中には、最年長のS20年卒戸田忠祐さんが「ウクライナ受難」と題する5枚組の水彩画を出品して注目されていた。
 出品分野は、水彩、陶芸、書、写真、パステル、油彩、短歌、鎌倉彫、日本画、水墨画、写真五行歌、グラフィックデザイン、彫刻、アクリル絵画、ペーパークラフト、リトグラフ、詩、航空写真などと実に多彩。
 出品はプロアマ問わず一堂に会するのが特徴で、常連に加え初出品もあって新鮮な顔ぶれだった。常連の中には、3回4回と出品を続けるうちに明らかに作品の完成度が高まっている出品者も見られて、同窓生の展覧会らしい面白さだった。

(写真2 三浦千波<三陸風景>)

 三浦千波さんの油彩画「三陸風景」は作品の奥深さが感じられて素晴らしいものだった。モチーフはいつも通りのもので、表面だけをちょっと見ると見慣れたようにも思われるが、この方の作品は筆の運びや色遣いに細やかな変化があって、画家の軌跡がわかるようで深遠な印象を受ける。
復活です。このブログは10月20日以来二ヶ月ほど休んでおりましたが、やっと再開しました。毎週火水木の投稿です。今後ともよろしくお願いいたします。

駅すぱあと社員『乗り鉄エキスパート』

鉄道ファン初心者への指南書

 駅すぱあとは、乗換案内ソフト。著者はここの社員4人。いずれも乗り鉄とのこと。
 鉄道ファン初心者あるいはこれから鉄道ファンを目指そうとする人たちへの指南書。
 まずは、旅の目的は何かとあり、旅の計画を立てよう、計画の立て方テクニックに加え旅のお供などとあり、持ち物チェックリストの例まで載っている。
 また、道中を楽しむでは、車窓、食、面白いルート、駅スタンプ、駅構内、車両などとある。
 感心したのは、乗り換える列車を1本見送るとか、途中下車を楽しむなどとあって、ストイックにひたすら乗ってばかりいるのではなくて、時間に余裕があるのであればもう1本あとの列車にして駅周辺を歩いてみたり、途中下車のできる切符であれば、途中下車を楽しむのも一興だとしている。
 確かにこの余裕は大事で、私は詰め込むばかりの旅だったが、旅で印象深かったのは、乗り継ぐ列車の間が大きく空いていたり、行き止まりの終着駅で折り返しの列車が数時間もなくて、否応なしに周辺を散策していたことで、思い返してみると、こういう時間を持てたことが印象深く残っていて、思わず素晴らしい街を発見できたりしたことも、旅を豊かにしてくれたりしている。
(オーム社刊)

お断りこのブログはしばらく休みます。どうぞよろしくお願いします。

映画『3つの鍵』

(写真1 映画館で配布されていたチラシから引用)

それぞれの道

 ローマにある同じ高級アパートに3つの家族が住んでいる。
 3階に住む夫婦で裁判官という家族の息子が酔っ払い運転で女性をひき殺してしまう。父親は息子がこどもの頃から厳格で、このたびの事故でも情状酌量の余地はないとして突っぱねる。息子は5年の刑に服した。
 2階に住むのは夫が長期出張のため一人で出産する羽目に。夫の兄が留守中遊びに来て泊まっていった。
 1階に住む夫婦は留守するため女の子を向かいの部屋に住む老人に預ける。老人は痴呆症だったようで、老人と娘は森に出かけて行方不明になってしまう。
 ちょっとした齟齬が、それぞれの瑕疵となって広がっていく。正しい選択の余地はなかったのか。どの時点にあったのか。
 3つの家族の物語がまったく別個に進みながらどこかで絡み合う。それぞれの道を探す鍵はどこにあったのか。
 映画はたわいものない物語なら終始緊迫して進んでいる。
 刑期を終えた息子が田舎に住んで養蜂家となって身を立てている。結婚してこどももできている。母親が探して訪ねていくが、息子は相手にしないし、赤ちゃんを抱かしてもくれない。
 ラストシーンに救われた。息子はいつしか父親の真意を知り、やがて確執も溶けて、次に母親が訪ねていくと、温かく迎えてくれた。
 巨匠ナンニ・モレッティ監督・脚本作品。

ポール・ペンジャミン『スクイズ・プレー』

ポール・オースターの別名義作品

 現代アメリカ文学を代表する作家であるポール・オースターが、オースターとして世に認められる前、別名義で書いた処女作である。1982年の作品で、これが私立探偵を主人公に据えた正統派ハードボイルドというのもオースターのその後の歩みを考えると興味深い。
 ニューヨークが舞台。私立探偵マックス・クラインの事務所へ、ジョージ・チャップマンが訪ねてきた。ジョージは、大リーグアメリカンズのスター選手だった男で、5年前の自動車事故で左脚を骨折し、引退を余儀なくされていた。しかし、ジョージは現役時代に劣らぬ活躍で上院議員への立候補を目論んでいた。
 命が狙われていると言い、白い封筒に入った脅迫状を持参していた。彼は心当たりはまったくないと言い、脅迫状の差出人を探して欲しいと依頼し、当座の手当として千五百ドルの小切手を切った。
 実は、大学時代マックス・クラインとジョージ・チャップマンは野球で対戦したことがあった。もちろん、ジョージはダートマス大学の三塁手としてそのころすでにスター選手であり、マックスはコロンビア大学のへぼ三塁手だった。
 ダートマス大もコロンビア大もハーバード大やプリンストン大などと共にアイヴィーリーグの一員だが、特にコロンビア大は100名を超すノーベル賞受賞者を輩出する〝超〟のつく名門大学で、その受験は最難関大学として知られる。
 マックスは、このコロンビア大を卒業し、地方検事局検事に任官したが、志が合わなかったせいかその任を退官し私立探偵になったという異色の経歴の持ち主。警察官から私立探偵というのはよくある話だが、検事から私立探偵というのはさすがに少ないのではないか。著者オースターはそれほどまでに私立探偵を重く見ていたということか。これもニューヨークなればこそであろう。オースター自身もコロンビア大の卒業である。
 すぐにジョージの人となりと身辺調査を始める。ジョージに関する著作のあるコロンビア大のビル・ブライルズ教授、自動車事故の相手方トラック運転手のブルーノ・ピグナートと面談する。ジョージの妻ジュディス・チャップマンがオフィスに訪ねてきた。
 この間、二人の大男がアペートに訪ねてきて、本棚を倒すなどの狼藉を働き、さんざん脅かして「ジョージ・チャップマンには関わるな」と警告していった。黙っていれば5千ドルが渡されるとも。これで今回の事件の背景が読み込める。
 とにかくテンポがいい。もっとも、テンポの悪いハードボイルドなんて読めたものではないのだが。
 それに文章がいい。これがニューヨークだ。巻末の池上冬樹の解説を借りれば、生き生きとしたワイルズクラック(へらず口もしくは軽口)、ユーモラスな警句、皮肉な眼差し、誇張した卓抜な比喩などが満ちている。
 版元の新潮社は、『ギャンブラーが多すぎる』などとここのところ海外ミステリーの発掘に努めているが、大いに喜ばしいかぎりだ。
(新潮文庫)

映画『川っぺり ムコリッタ』

(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)

荻上直子監督作品

 荻上直子監督作品。新作が出れば必ずといっていいほど観に行く監督の一人。「かもめ食堂」「めがね」「トイレット」「彼らが本気で編むときは」などと好んで観てきた。このたびの新作は小林聡美も片桐はいりももたいまさこも出ていなかったけれど、松山ケンイチ、ムロツヨシが出ていて好演していた。江口のりこは荻上作品の常連に加わりそうだ。
 舞台は富山。富山地方鉄道がよく似合っている。行き先表示の岩峅寺は地元の人でもないと読めないかもしれない。いわくらじと読む。名駅舎で知られる。
  松山ケンイチ演ずる山田たけしが出所して水産加工会社で働き始める。イカをさばき塩辛をつくるのが仕事だ。
 社長の紹介で住み始めたアパートがハイツムコリッタ。鉄橋に近く、川にも近い。山田は仕事場でもアパートでも他人とはあまり接触しないようにしている。
 隣家の島田幸三は、とにかく厚かましくて、風呂を勝手に入りに来て、ごはんを炊くと山盛りにして食べる。おかずは、山田が仕事場からもらってきた塩辛。
 島田はアパートの裏庭にある小さな畑を耕していて、キュウリやトマトをかじっている。自分ではミニマリストだといい、シンプルな生活を心がけている。
 アパートには、大家の若い女性南詩織とその娘や、墓石のセールスを生業とする男溝口健一とその息子などが住んでいる。
 一人を好む山田だが、厚かましく入り込んでくる島田の影響で、次第に付き合いが出てくる。
 とにかく食事の場面が多いのはいつもの荻上の作品。溝口が、大口の契約ができたといって息子とすき焼きを食べていると、匂いを嗅ぎつけて、山田や島田、南などが寄ってくる。全員茶碗と箸は自分のものを持参してくる。
 楽しい夕餉で、いつしか一つのコミュニティができていた。
 山田は、自分の犯した罪を悔いいており、ささやかな幸せを見つけても、「自分のようなものが幸せになっていいものか」と自問している。
 カメラワークが秀逸だった。派手さはないが、内面をさらりとえぐり取るようだった。
  なお、ムコリッタとは、仏教用語のようで、ささやかな幸せの意なそうだ。

デイビッド・T・ジョンソンほか『検察審査会』

日本の刑事司法を変えるか

 検察審査会とは、検察官が下した不起訴処分を検証し、事件の再捜査や起訴すべきかを決定する仕組み。11人の市民で構成される組織である。裁判員制度と並んで日本の刑事司法制度のもう一つの市民参加の形態。日本のこの検察審査会は世界でも類を見ない独特な機関だという。
 そもそも、日本の検察官は、強大な権力と裁量を持っており、同じように強大な権力を持っているといわれるアメリカの検察官と比べても日本の検察官の権力は強大だと指摘している。
 日本の検察官は起訴の権限をほぼ完全に独占しており、起訴を猶予する権限も有している。
 日本の検察官は起訴を慎重に行う傾向にあるが、これは有罪判決が得られる高度の見込みがあるときにのみ起訴しているからで、この結果、日本の刑事裁判の有罪率は100%近く、無罪率は0%に近いというところに表れているという。
 検察審査会は、全国165カ所にあり、地裁やその支部内に設置されている。検察審査委員は公職選挙法の定める選挙人名簿から無作為に選ばれた11人で構成され、任期は6カ月。
 検察審査会による事件の処理状況を見ると、2019年の場合、既決総数が2,068あり、このうち起訴相当が9、不起訴不当134、不起訴相当1,640、その他285となっており、2,000件を超す審査件数があり、大多数が不起訴相当なものの、全体の7%近くが起訴相当や不起訴不当となっており、検察の検察官に対し検察審査会が異議を唱える結果となっている。
 本書は、この検察審査会について、検察官との関わり、検察審査会の運用、強制起訴事件の内容などについて述べており、専門書ならともかく、一般人を相手にした解説としては広範囲に詳述しているのではないか。とにかく、一般人にも検察審査会について理解を深めようと問題点を整理している内容はわかりやすかった。
 著者は、デイビッド・T・ジョンソン、平田真理、福来寛。
(岩波新書)

『三浦千波展』

(写真1 会場で自作の作品をバックに三浦千波さん)

豊かな色彩に感服

 2年ごとに開かれている三浦千波さんの個展。会場はいつもの銀座の兜屋画廊。
 会場に入ってびっくりした。明るい色彩の作品が多いのである。私は三浦さんのファンで個展は必ず見ているが、今年は例年になく豊かな色彩が目立った。特にシエナやアルルなどとイタリアや南仏、ギリシャに取材した作品が多かったのでそういう印象になったものであろうか。
 三浦さんは岩手県大船渡市出身。2011年の東日本大震災では実家が津波で大きな被害を受けたが、被災直後からしばらくはグレーを基調にしたような暗い絵が多くて、津波を背負っているような印象だった。
 それが、被災から11年も経って、やっと作品にも明るさが戻ってきたようでうれしかった。
 とりわけ色彩が豊かだったのは<みちのく風景>。こういうことが時々あるそうなのだが、描きかけていた絵を引っ張り出して、折に触れて筆を入れてきたものが、10年をかけてやっと完成したとのことだった。

(写真2 三浦千波<みちのく風景>)