ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

イアン・グラハム『世界史を変えた50の船』

貴重な図版が素晴らしい

 ここのところ図書館はよく利用している。徒歩10分から20分圏内に二つの公立図書館があり、運動がてら歩いて回っている。もう一つ近所には大学図書館もあるのだが、こちらはコロナ下で現在は外部の利用を制限している。
 図書館では、さまざまな企画を行ってくれている。新着図書のボックスがあり、テーマごとの展示も行っている。1週間から2週間ごとに回転しているし、こういうところで思わぬ図書を見つけることがあって楽しい。
 本書は、〝船〟というテーマ展示のボックスで見つけた。新刊図書ではないから、こういうことでもないとなかなか手に取ることはなかっただろうと思われた。
 いくつか拾ってみよう。
 櫂船型軍艦トライリーム。紀元前600年頃のフェニキアの軍艦で、ギリシャとの海戦に投入された。排水量70トン、木造板張り。特徴は、3段に配置された170人もの漕手というのがすごい。
 サンタ・マリア号。コロンブスが新大陸と植民地発見の航海に乗った船である。種別カラック船、進水1460年ガリシアのポンペドーラ。全長約19メートル、トン数約108トン。船体構造木造、推進3本マストとバウスプリットの帆5枚。アジアを目指していたがキューバに寄って引き返した。
 ビクトリア号。世界一周をしたマゼランが乗った船。種別カラック船、進水1519年スペイン・ギブスコア。全長18-21メートル。85トン、木造・外板板張り。出航時5隻の艦隊だったが、帰着したのは1隻だけだった。ちなみに、太平洋の命名はマゼランで、日付変更線の必要をアピールしたのもマゼランだったらしい。
 メイフラワー号。いわずとしれたアメリカ大陸に開拓者を乗せた船である。商船だったらしい。イングランドのハリッジで1580年頃進水したとされる。全長約30メートル、約180トン。木造。
 ヴィクトリー(戦艦)。トラファルガーの海戦でネルソンが旗艦とした。ケント州チャタム海軍工廠で1765年進水。この海戦で勝利したイギリスは長く海軍国の地位を確保した。
 グレートブリテン。1843年の進水で、造船技術の大きな飛躍を象徴する船とされ、史上最大の鉄船にして世界初の大型スクリュー推進船。この船は世界初の遠洋定期船でもあった。なお、建造はイギリスのブリストルで、造船の町として栄えた。アーチャーのクリフトン年代記に詳しいが、私はこのブリストルを訪ねたことがあり、深い入江が天然の良港となっていた。現在は造船は下火のようで、イギリス有数の大学町として発展する美しい町だった。
 カティーサーク号。3本マストに帆32枚の美しい船。高速船で、大西洋横断の最短記録を打ちたてている。1869年の進水で、963トンは鉄製フレーム。これほど絵になる船もない。
 ポチョムキン(戦艦)。戦艦ポチョムキンの反乱として知られ、ロシア革命に火をつけた。いままた、ロシアのウクライナ侵略で、軍港オデッサが注目されている。エイゼンシュタインが描いた映画『船艦ポチョムキン』は世界の映画史に重要な位置づけをになっている。なお船は、13107トン装甲鋼板。ウクライナのニコラエフ造船所で1900年に進水した。
 ほかに、処女航海で沈没したタイタニック号が実は53150トンもあるリベット接合の鋼板であったこと、世界最強の戦艦ビスマルク号が溶接鋼板の船体構造であったことに加え、戦艦大和、戦艦ミズーリなどが紹介されている。
 世界の歴史が船を軸に絵巻物のように回転していてとても楽しい。世界一周をしたマゼランが乗った船がわずか85トン、メイフラワー号もわずか180トンの船だったことなどが知られて興味深かった。
 ただ著者はイギリス人、同じく歴史的事件ながら、幕末、浦賀に寄港し日本に開国を迫ったアメリカ艦隊のペリー提督が乗った黒船はなんという船だったのかなどの記述は残念ながらなかった。(ミシシッピー号というらしい)。
(原書房刊)

こにしけいほか『しまずかん』

こども向けの解説書

 日本の離島が紹介されている。イラストが豊富でページをめくるのが楽しくなる。当然、文章もやさしい。全部で50の島がとりあげられており、それぞれの島の成り立ちや概要がわかるようになっている。
 一つ引いてみよう。
 悪石島(あくせきじま)。鹿児島県、島民79人、面積7.49㎢。鹿児島から船で約10時間。トカラ列島に浮かぶ有人島。お盆の最終日に開催される奇祭が有名で、国の重要文化財に指定されている。
 基礎データの〝しまちしき〟によると、最高標高584m、年間平均気温18.9℃、年間降水量3236.5㎜とあり、〝しまるーと〟によると、東京→飛行機110分→バス50分→船615分→悪石島とある。
 なお、日本最南端の波照間島は載っていなかった。理由はわからない。私はこの島には10数年前になるが一度だけ行ったことがある。平べったい島で、中央部の最高標高が60メートルに過ぎなく、波照間島灯台が建っている。人口は500人ほどで、島に交通信号機が1カ所しかなかった。それも、教育用に学校の校庭に立っているもので、事実上、一般道路には一つもないというのどかさだった。南十字星が見えた。一方、最西端の与那国島は載っていた。
 著者は、こにしけい、たきざわしょうたろう、しまもりなつこ。
(講談社刊)

松本清張『松本清張推理評論集』

1957-1988

 松本清張(1909-1992)のミステリに関する評論集であり、作家論で構成されており、ある種、清張一流の小説作法であり文章読本でもある。
 清張は、推理小説の根幹はトリックと意外性にあるといい、「推理小説を書いてみて、これは、つくづく頼まれてから書くものではないと思った。推理小説ほど着想が独創性と新工夫を要求されるものはない」とし、「ところが、着想というものは、そう頻繁に湧いてくるものではないから、依頼の頻度には追いつけないのである」とし、「年をとっても少しも衰えをみせぬアガサ・クリスティーのような婆さんは、どこでどのような方法で着想を得ているものか知りたいものだが」、「ぼくの場合は、やはり風呂だとか、トイレの中とか、電車とかバスとかに揺られているときが多い。つまり、ぼんやりしているときがよろしい」と。
 「新聞に心中が出ると、男と女を他人が別々に殺して死体を一緒に置いていたら(『点と線』)と思ったり、山林中から腐乱死体が発見されて、死後何カ月と推定される、と書かれていたら、死体を短時間にそのような状態にさせる薬液があったらアリバイがつくれる(『眼の壁』)と思ったり、身元不明の行路病死者があると、これを身がわりに使えないか(『巻頭句の女』)と思ったりする」と。
 清張は作品を書くにあてって精密な設計図を書いておくのだそうで、清張らしいと言えば、良妻を持つ作家に文豪はいないということであり、推理小説はもっと生活を書きなさいというのも清張らしいところ。
 清張のミステリーは好んで読んできたし、原作が映画化されることも多かったが、実のところ、清張の評論というのも、まとめてきちんと読むことはこれまでなかったから、本書はとてもいい機会だった。
(中央公論新社)

映画『オフィサー・アンド・スパイ』

(写真1 映画館で配布されていたチラシから引用)

ロマン・ポランスキー監督作品

 『戦場のピアニスト』や『ローズマリーの赤ちゃん』などで知られる鬼才ロマン・ポランスキー監督作品。89歳という。久しぶりの作品だが、まったく衰えを見せない重厚な映画だ。私自身は10年ほど前になるか、『ゴーストライター』以来だ。
 ここでいうオフィサーとは士官のこと。原題はJ'ACCUSEとあり、非難するあるいは告発するという意味か。
 世に言う「ドレフュス事件」が題材。19世紀末、フランス陸軍を揺るがした冤罪事件である。
 1894年、ユダヤ人の陸軍大尉ドレフュスが、ドイツへの軍事機密情報漏洩による国家反逆罪により軍法会議で終身刑が下され孤島悪魔島へ流される。
 一方、陸軍の防諜部長にピカール中佐が抜擢されて就任した。ピカールは着任するや次々と手元に届く対独情報を精査していくうちに、ドレフュスの決定的証拠とされた手紙が別人の筆跡だと気づく。
 ピカールは、この事実を軍の上層部に報告するが、上層部は取り合わないばかりか、執拗に追求するピカールを「墓場まで持って行け」と言って左遷する。
 ピカールは、私はフランスを愛している!陸軍を愛している!と叫び、軍人として内部告発はできないと悩みながらも正義と真実を求めながらリベラルな新聞人や知識人エミール・ゾラらに冤罪事件であること、軍上層部は事件そのものを握りつぶそうとしていることなどを訴える。やがて新聞がゾラの声明を載せると、国論を二分する大事件へと発展する。
 冒頭と終わりの映像がいい。
 まず冒頭。1895年1月5日。陸軍士官学校か。背景に遠くエッフェル塔が見えるから士官学校の校庭であろう。現在も同じ位置にあり、世界歴史遺産になっている。ここを借りて撮影したのであろうが、史実性が高まっている。
 ドレフュスが、隊列に組まされて進んでくる。ドレフュスは〝私は無罪だ〟と叫んでいる。軍法会議の判決が読み上げられ、軍籍剥奪が実行される。軍服の階級章やボタンがもぎ取られ、指揮刀が外され二つに折られる。軍籍剥奪が視覚的にも明確に実行される。軍人にとっていかに無念なことか。銃殺刑よりも辛いのではないか。
 二つ目はラスト。ピカールは出世して陸軍大臣に昇進している。ドレフュスが訪ねてくる。挨拶を交わしたあと、ドレフュスが、「私の階級を(時間経過に従って)正しいものにしてほしい。あなたは将官にまで昇っているのに」と訴えると、ピカールは「それはできない。規則が許さない」と言って却ける。
 このラストのシーンは、極めて印象的だ。ピカールもただの将官にすぎなかったと言うことか。
 なお、映画では全編にわたって〝反ユダヤ主義〟という言葉が何度も出てきた。10回ほどにも上ったのではなかったか。反ユダヤ主義批判が大きなテーマだったことがわかる。日本にいてはなかなかわかりにくいことだが、ヨーロッパでは再び反ユダヤ主義が喧伝されてきているらしいから、ユダヤ人ということで迫害を受けたポランスキーとして看過できないことだったのであろう。

 とにかく背景となる時代の描写が素晴らしい。主役のピカールを演じたジャン・デュジャルダンが素晴らしかった。

〝最長片道切符の旅〟終点が変更に

(写真1 起点の稚内駅=2016年3月27日)

西九州新幹線開業で新大村駅に

 9月23日の西九州新幹線開業に関連して面白い記事が出ていた。つまり、最長片道切符の旅の終点が変更になったというのだ。
 最長片道切符とは、JR路線で同じ駅を2度通らずにしかも最長になるルートの旅のことで、一筆書きともいわれ、究極の鉄道旅行ともいわれる。
 これまでのルートは、北海道宗谷本線最北の稚内駅を起点に佐賀県長崎本線肥前山口駅が終点とされてきたが、9月23日に西九州新幹線が開業したことによって同線上の新大村駅が終点となった。これによって、距離数は1万700キロから18キロ延びたという。実に33年ぶりの終点変更ということである。
 最長片道切符の旅については、これまでもさまざまなチャレンジがあったが、有名なのはわが国鉄道紀行文学の泰斗宮脇俊三さんで、今から44年前1978年のこと。国鉄時代のことであり、このときは、北海道の広尾駅を起点に鹿児島県の枕崎駅が終点だった。距離1万3319キロである。
 その後、国鉄の分割民営化があり、国鉄路線の第三セキターヘの転換や不採算路線の廃止などがあってJRの営業距離数自体が減って、最長片道切符の旅も短くなってきていたが、久々に延長となった。
 私は、JR路線全線約2万キロを2度も完乗したことがあって、最長片道切符の旅にも是非挑戦したいものだと念願してきたが、未だ実現しないでいる。休まずに乗り通しておよそ30日もかかるというし、この先果たして挑戦できるものかどうか。

彼岸花の季節

(写真1 濃い朱の彼岸花)

暑さ寒さも彼岸まで

 暑さ寒さも彼岸までとはよくぞ言ったものだ。この頃はめっきり秋めいて、朝晩は肌寒いほど。上に羽織るものが欲しくなるようだ。
 その名もズバリ彼岸花が咲いている。この花を見かけるとやはり秋だと感じる。群生しているところもあってあちこちで見かける。
 別名に曼珠沙華。別名の多い花で、何でも熊本県の高校生たちが調べたところ、全国で100もの名前があったという。随分前になるが、そういう記事が出ていた。死人花などという名もあって、忌み嫌う向きがあって別名が増えたのであろう。

(写真2 白い花の彼岸花)

 多くは濃い朱だが、稀に白や黄色のものも見かける。こうなると、印象がまるで違って、かえってあやしさがつのる。

(写真3 これは黄色の彼岸花)

川上昌裕『限界を超えるピアノ演奏法』

音楽家を目指すヒント

 著者川上昌裕は、世界的天才ピアニスト辻井伸行を育てたことで知られる。
 そのエピソードが興味深い。
 辻井が小学1年、川上がウィーン留学から帰国して間もないころ、初めて彼の自宅で会った際、優れたバランス感覚、正しく鋭敏な音感を持ち合わせていることがわかったという。次の週から正式に始めたレッスンで要求したレベルは最初から高く、少なくとも音大生に要求するレベルと同質のものだったという。
 もとより辻井は全盲。楽譜をどのように教えるかが難問。曲のマスターには〝譜読み〟が必須。
 川上は辻井に対して、「私は辻井くんに、毎週1本ずつカセットテープに録音するという作業を通して」譜読みを進めていったという。
 テープには、「楽譜に書いてある音やリズム、強弱記号やスラーやスタッカートなどのアーティキュレーション記号、ほかにもまだたくさんの記号があるものの、無限にあるわけでないそれらの情報を正しく全部伝えることにしました。このテープ録音を通じて譜読みを進めていったわけです。このテープを渡すために、毎週しっかりと準備するということが私の日課になりました」と。
 本書には、音楽家になるための10のヒント、本物を目指すピアノ教育、海外に学ぶ、ピアニストとして生きるなどとあって、音楽家を目指す心得が書かれていて、単なるピアノ好きではない人たちへの教訓が中心となっているのが特徴。
 ピアノを演奏する仕事とピアノを教える仕事は、似て非なるものです。この二つの仕事は、まったく違う能力を必要とするとまで書いていて、定めし川上は〝名伯楽〟だったと言うべきであろうか。
(ヤマハミュージック刊)