ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

ポール・ペンジャミン『スクイズ・プレー』

ポール・オースターの別名義作品

 現代アメリカ文学を代表する作家であるポール・オースターが、オースターとして世に認められる前、別名義で書いた処女作である。1982年の作品で、これが私立探偵を主人公に据えた正統派ハードボイルドというのもオースターのその後の歩みを考えると興味深い。
 ニューヨークが舞台。私立探偵マックス・クラインの事務所へ、ジョージ・チャップマンが訪ねてきた。ジョージは、大リーグアメリカンズのスター選手だった男で、5年前の自動車事故で左脚を骨折し、引退を余儀なくされていた。しかし、ジョージは現役時代に劣らぬ活躍で上院議員への立候補を目論んでいた。
 命が狙われていると言い、白い封筒に入った脅迫状を持参していた。彼は心当たりはまったくないと言い、脅迫状の差出人を探して欲しいと依頼し、当座の手当として千五百ドルの小切手を切った。
 実は、大学時代マックス・クラインとジョージ・チャップマンは野球で対戦したことがあった。もちろん、ジョージはダートマス大学の三塁手としてそのころすでにスター選手であり、マックスはコロンビア大学のへぼ三塁手だった。
 ダートマス大もコロンビア大もハーバード大やプリンストン大などと共にアイヴィーリーグの一員だが、特にコロンビア大は100名を超すノーベル賞受賞者を輩出する〝超〟のつく名門大学で、その受験は最難関大学として知られる。
 マックスは、このコロンビア大を卒業し、地方検事局検事に任官したが、志が合わなかったせいかその任を退官し私立探偵になったという異色の経歴の持ち主。警察官から私立探偵というのはよくある話だが、検事から私立探偵というのはさすがに少ないのではないか。著者オースターはそれほどまでに私立探偵を重く見ていたということか。これもニューヨークなればこそであろう。オースター自身もコロンビア大の卒業である。
 すぐにジョージの人となりと身辺調査を始める。ジョージに関する著作のあるコロンビア大のビル・ブライルズ教授、自動車事故の相手方トラック運転手のブルーノ・ピグナートと面談する。ジョージの妻ジュディス・チャップマンがオフィスに訪ねてきた。
 この間、二人の大男がアペートに訪ねてきて、本棚を倒すなどの狼藉を働き、さんざん脅かして「ジョージ・チャップマンには関わるな」と警告していった。黙っていれば5千ドルが渡されるとも。これで今回の事件の背景が読み込める。
 とにかくテンポがいい。もっとも、テンポの悪いハードボイルドなんて読めたものではないのだが。
 それに文章がいい。これがニューヨークだ。巻末の池上冬樹の解説を借りれば、生き生きとしたワイルズクラック(へらず口もしくは軽口)、ユーモラスな警句、皮肉な眼差し、誇張した卓抜な比喩などが満ちている。
 版元の新潮社は、『ギャンブラーが多すぎる』などとここのところ海外ミステリーの発掘に努めているが、大いに喜ばしいかぎりだ。
(新潮文庫)