ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

映画『スーパーノヴァ』

f:id:shashosha70:20210714145000j:plain

(写真1 映画館に掲示されていたチラシから引用)

最愛にして大親友

 二人の男。年上の作家タスカーとピアニストのサム。20年来一緒に暮らしているパートナーである。
 二人は休暇を取ってキャンピングカーで湖水地方の旅に出る。
 晩秋であろうか、美しい風景が広がる。穏やかな起伏の山々と湖面が鏡のように輝く湖が広がるイギリスの景観である。
 道中、サムが買い物をしているあいだにタスカーがいなくなってしまった。自分がどこにいるのかもわからなくなっていたのだった。
 タスカーの認知症が進んでいることは、お互いが口にこそ出さないのもののわかっていた。
 サムは、いつまでも一緒にいたいと願っていたし、タスカーを施設に入れるなどということは考えもしなかった。
 タスカーは、私はお荷物になることを願わないし、元の私を覚えていて欲しいといい、サムは「最愛にして大親友」だと語っていた。
 あるとき、サムはタスカーのノートを見る。そこには原稿の下書きが書かれていたのだが、途中から何も書かれないページが続き、ひと言、soryとだけ書かれていた。また、タスカーの荷物には自死をするための薬が隠されていたことに気づく。
 タスカーは、「自分でコントロールできるうちに決断したい」「私は君を苦しめている]「私を愛しているなら許して欲しい。逝かせてくれ」と訴える。
 ラストシーン。二人は手を取り合って窓辺にたたずんでいる。画面はゆっくりとフェードアウトしていく。これで映画は終わったかと思ったら早とちりで、すると、サムがピアノを演奏している場面に移る。弾いているのはエルガーの<愛の挨拶>だった。とても余韻が長く続いた。
 美しい映像。静かに流れる。シナリオがいいのだろう、語り合う言葉がとてもいい。
 一緒にいつまでもいたいと思うことが愛なのだろう。そう思わせてくれる。同性愛に対する偏見が恥ずかしくなるような映画だった。
 スーパーノヴァとは、超新星のこと。私もいつの日か大宇宙からやって来たのだ。
 主演した二人がとにかく名演だった。この自然な演技があったからこそこの映画は美しくなった。タスカーを演じたスタンリー・トゥッチは『プラダを着た悪魔』で、サム役のコリン・ファーズも『英国王のスピーチで』で知っていた。ついでに、<愛の挨拶>は『レディ・マエストロ』のラストシーンでも演奏されていた。なお、どうでもいいようなことだが、エルガーはイギリスの人。<愛の挨拶>をピアノで演奏するのは珍しくはないか。元々はピアノ曲だったのだろうか。エルガーその人はヴァイオリニストだったのだが。
 これほどしみじみとした情感溢れる映画も少ない。
 ハリー・マックイーン脚本・監督。2020年イギリス映画。

映画『ライトハウス』

f:id:shashosha70:20210710182659j:plain

(写真1 映画館に掲示されていたチラシから引用)

人間の極限を描く

 ライトハウスとは灯台のこと。
 舞台は、18世紀か、ニューイングランドの孤島の灯台。この孤島に二人の灯台守が渡ってくる。一人は初老の灯台守トーマス・ウェイクで、もう一人が灯台守の経験のない青年のイーフレイム・ウィンズロー。期限は4週間の契約で、報酬は千ドルと悪くない。
 ウェイクは灯台長のような役割で、ウィンズローをことごとくこき使う。水槽を洗い、壁を磨き、石炭を運ぶ。過酷な労働で、ウィンズローをいじめ抜く。ウェイクは灯りを守る役割に徹していて、灯室には鍵をかけておりウィンズローも入らせない。
 ある日、仕事の邪魔するカモメを追い払うが、ウェイクはカモメは不吉だからかまうなと警告するが、ウィンズローとカモメとの仲は悪くなる一方で、ついには殺してしまう。
 日が経つにつれウィンズローの気はすさんでいき、ウェイクとのあいだは険悪となっていく。
 ついには衝突もするが、明日には任期を終えて帰れるという前夜酒を飲んで迎えの視察船を見逃してしまう。
 嵐が続き、船が接岸できる様子にはない。ウェイクによれば、7カ月も帰れなかった事例もあるという。
 浜で人魚を見つける。人魚の誘いにつられて人魚を抱いてしまう。狂気が迫ってきている。
 ウィンズローの過去が露わになり、ウェイクの嘘も明らかとなっていき、やがて凄惨な争いとなる。
 孤島での生活。いつ来るとも知れない支援。二人の関係は険悪となり、人間の極限が描かれていて、終始息が詰まる。聖書の言葉が重要な意味を持っているのだが、私には残念ながらわからなかった。
 舞台となった灯台のこと。白色円塔形のレンガ造。どっしりとした存在感がある。デザインは欧米によくある伝統が感じられた。外壁を白く塗色している場面があったが、このような業務も灯台守自身が行ったものであろう。レンズは高さが2メートル以上もある大型のフレネル式だった。つまり、大型灯台ということになる。夜間、灯台の灯りが暗闇をさいて光っていた。
 画面は四角い。モノクロ。この映像がこの映画を第一級のものとしていた。鳴り止まない霧笛。人間を極限に追い詰めていく素晴らしい映画言語だった。
 また、ウェイクを演じたウィレム・デフォー、ウィンズローのロバート・パティンソン、出演者はこの二人だけなのだが、この二人の名優による鬼気迫る演技は特筆ものだったし、この演技がなければこの映画の緊張感は得られなかったであろう。
 ロバート・エガ~ス監督。2019年アメリカ映画。
 

ベートーヴェンのピアノコンチェルト

f:id:shashosha70:20210628121844j:plain

(写真1 内田光子ピアノによるベートーヴェンのピアノコンチェルト全集のCD外装)

内田光子による全集

 自宅に籠もった生活が続いているから音楽はよく聴いている。これまでも音楽は好きで、朝のコーヒーを飲みながらCDをかけていた。ただ、それもこれまではクラシックでも、ジャズでも何でもありだったが、このごろでは多少は系統だって聴くようにしていて、先ごろまではベートーヴェンのピアノソナタを楽しんでいた。それで、ヴィルヘルム・ケンプのCD全集を購入して全32曲を繰り返し聴いていた。
 このごろでは、ピアノ協奏曲に手を伸ばしている。これもCD全集を購入していて、内田光子のピアノに、オーケストラはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、指揮クルト・ザンデルリングである。
 ベートーヴェンにピアノコンチェルトは5曲しかなく、全集もCDは3枚。
 第1番。提示部が長い。3分もある。ピアノの演奏がなかなか出てこない。第1楽章は流麗で、第3楽章になって軽やかになった。
 第2番も提示部は長い。この時代のコンチェルトの流儀だったのかもしれない。第1番も第2番も1795年ごろの作曲で、シンフォニーの第1番よりもやや早い年代。オーケストラの演奏はシンフォニーかと思うほどに力強い。ちょっとおかしな比喩だが。
 第3番はさらに提示部は長くて3分30秒もあった。このあたりは演奏者のやり方にもよるのだろうが。それも、オーケストラの演奏がいったん途切れてからピアノの演奏が始まった。これにはちょっと驚いた。このあたりは、ピアノコンチェルトを代表する名曲として人気が高いラフマニノフのピアノコンチェルト第2番が、いきなりピアノの演奏で始まりすぐさまオーケストラが追いかけてくるところとでは大きな違いだ。これは1900年の作曲だから、100年経ってピアノコンチェルトも随分と流儀が変わったものであろう。
 第4番は曲全体にドラマ性があったが、その分、ピアノが弱くなったように感じられた。

 第5番にいたってコンチェルトとしての完成度が高まった。提示部ばかり気にするようだが、第5番ではオーケストラのタクトが振り下ろされるやすぐさまピアノの力強い演奏が始まった。<皇帝>の愛称がついているほどに人気の高いコンチェルトだが、なるほどと思わせられた。1809年の完成で、この年代は、シンフォニーなら第5番<運命>や第6番<田園>と同じ時代。ソナタなら第23番<熱情>も同年代だ。重厚であり雄大。
 音楽好きではあるが、音楽ファンというほどのものでもなく、いわんや格別の造詣があるわけでもない。ただ、漫然と聴いているだけ。しかし、美術もそうだろうが、数多く見ていく、数多く聴いていくと、それなりに鑑賞力がついていくのではないか。まあ、評論家になるわけでもないから、必死になることではないが。
 ベートーヴェンにピアノソナタが32曲はともかく、シンフォニーの9曲に比べてもコンチェルトの5曲は少ない。自分で作曲した曲を自ら演奏したというピアニストでもあるベートーヴェンにしてこれはどうしたことか。
 しかも、第1番や第2番ではオーケストラの編成も小さいようだ。これは、ソナタに限らずコンチェルトにおいても、貴族の館などで演奏することを想定して作曲したからではないかと言われている。
 そう言えば、ハンガリーの首都ブダペストに音楽史博物館というのがあって、そこには古い時代からのピアノが展示されていた。初期のころのピアノは鍵盤の数も少なく、小さなものだった。リストもハンガリーの出身だが、ピアニストあるいは作曲家がピアノの発展を促していったものであろう。とくに、ベートーヴェンにおいてその姿勢は顕著だった。
 ピアノを独奏した内田光子。私には演奏家の違いや、演奏のスタイルなどわかろうはずもないが、内田さんの演奏はとてもきちんとしたもので、丁寧なものと感じた。世界的ピアニストに対してずぶの素人が生意気なことだが。

大・タイガー立石展

f:id:shashosha70:20210622140921j:plain

(写真1 展示室の様子)

POP-ARTの魔術師

 千葉市美術館で開催されている。
 タイガー立石こと立石紘一(1941-98)の生誕80年の大回顧展となっていて、POP-ARTの魔術師というキャッチフレーズのもと絵画からイラスト、絵本、マンガ、彫刻などと出品点数は200点を超し、画業の全体像がわかるようだった。
 とくに注目したのは、<明治青雲高雲><大正伍萬浪漫><昭和素敵大敵>の三部作。1990年に描かれた油彩で それぞれの時代を反映した人物や出来事が描かれている。

f:id:shashosha70:20210622141021j:plain

(写真2 <明治青雲高雲>の展示の様子)

 いずれも壁画のような大作揃いで、<明治青雲高雲>には西郷隆盛、坂本龍馬、福沢諭吉、明治天皇、鹿鳴館、日本海海戦、東郷平八郎、乃木希典、樋口一葉、正岡子規、石川啄木らが描かれているほか、高橋由一<鮭>や青木繁<海の幸>、赤松麟作<夜汽車>などと当時を代表する絵画の名作が引用されている。

f:id:shashosha70:20210622141102j:plain

(写真3 <大正伍萬浪漫>の展示)

 また、<大正伍萬浪漫>には、菊池寛らの人物像のほか、竹久夢二<黒船屋>や中村彝<エロシェンコ氏の像>、岸田劉生<麗子像>などと大正ロマン主義が表現されている。
 さらに、<昭和素敵大敵>には、山本五十六、スターリン、ヒトラー、東条英機、双葉山、マッカーサー、松本清張、三島由紀夫、吉永小百合、田中角栄、松下幸之助、岡本太郎、昭和天皇らに加え、美空ひばりは古賀春江の<海>のポーズで描かれている。また、原爆や新幹線、満員電車、安保デモ、三億円事件などと社会風刺が多く取りあげられている。

f:id:shashosha70:20210622141148j:plain

(写真4 <昭和素敵大敵>の展示)

 この三部作。見ていて面白い。吉田茂はちゃんと葉巻を持っている。しかし、春日八郎は歌うときにギターを弾いたっけかと思う。こんな見方読み方をしていると時間の経つのを忘れてしまうほどだ。
 しかし、一方で、この絵は何なんだろうかとも思う。時代絵巻なのか。それにしては、<昭和素敵大敵>に敗戦の日の皇居前広場がないし、70人ほどの人物が描かれ、太宰治もいるし坂本九もいるのに湯川秀樹が見当たらない。あるいは見落としかもしれないが。どの事件どの人物を取りあげるかは作者の自由だが、視点がわかりにくくて俗っぽい。また、風刺にしてはパロディが弱い。ただし、大作ではある。

 

堀江敏幸+角田光代『私的読食録』

f:id:shashosha70:20210619100613j:plain

食と読書の案内

 食にまつわるエピソードを小説やエッセイなどから拾って紹介している散文集。
 月刊誌に堀江と角田が交互に書いた連載100回分が収録されている。1回分が文庫3ページと短く、どこで栞を挟んでもいいようで読みやすい。拾い読みしてもいいようだが、面白くて結局最後まで読み通した。
 とくに印象に残った箇所に付箋を挟んでいったら6つになった。読み返してみると、食べ物の中身のことよりも、取りあげられた本そのものに興味がわいたし、既読ながら新しい視点が面白かったものなどが残った。
 一つ二つ引いてみよう。
 「湯豆腐、おでん、ビール、熱燗」(川上弘美『センセイの鞄』) 食べものの描写がうまい作家は古今多々いるが、川上弘美もそのひとり。老教師とツキコさんが再会した駅前の一杯飲み屋。二人はそっくりおなじものを注文する。まぐろ納豆、蓮根のきんぴら、塩らっきょう。居酒屋の風情というものが、この注文によって見えてくる。まず、注文すると「よろこんで!」と店員が叫ぶようなチェーン店でないことがわかる。かといって、今どきの、若い男の子たちが活発に働く、メニュウが手書き筆文字の、笊豆腐を塩で食べるような店でもない。まっとうな、理想的な正統的居酒屋であることが、最初の三品から、すでにわかってしまう。
 この小説を読んでいると、ひとり、という孤独は、なんと身軽ですがすがしいことか、と思えてくる。ひとりで生きることはさみしいことでも悪いことでもないと、ツキコさんたちが教えてくれるのだ。<角田>
 「病むためでなく健やかであるために食べる」(池澤夏樹『きみのためのバラ』) 池澤夏樹は失われていくまっとうさの奪回に真剣に向き合っている作家だと私は勝手に思っている。まっとうさというのは、人間らしいまともさである。むずかしい言葉でそれについて論じることもあるし、ひどくわかりやすい言葉で書いてくれることもある。
 この短編集に通底しているのは、人間の健全な体温だ。意味のないマニュアル会話と正反対に位置するもの。意味不明といってもテロや暴動のそれではなく、祖先や生まれ変わりといった人知を超えたもの。人とのあいだの断絶ではなく、一瞬だとしても、つながり、そうして、ひどく無力な人間たちが魔法の力もないのに奇跡を起こす。さりげなく、でも力強い奇跡。
 今、食べものにまっとうさを求めようとすると、マクロビデオティックとかオーガニックとか、ちょっとだけヒステリックな響きが混じり、そのせいかどうかちっともおいしそうに私には感じられないのだけれど、ここに登場する料理はそのどれもとも関係なく、そして真のまっとうさを感じさせる。しかもすべてがおいしそう。こぼれたコーヒー豆で淹れられたコーヒーすら。それで、はたと気づくのである。本来私たちは、病むためではなく健やかであるために食べるのだ、と。わかり合えないと知るためではなくわかり合えると思って他人とかかわるのと、まったくおんなじに。<角田>
 本文の末尾には、各回を担当した執筆者名が三文判のように押してある。堀江、角田両人とも守備範囲は広く、しかも一流の作家。ただ、ざっくりとした感想では、角田に私自身の好みが多かったように思う。堀江は体質的に酒はまったくたしなまないそうで、だから、好みが合わなかったからでもないだろうが。まあ、酒が出てこない食というものも何かわびしい。
 しかし、食を書かせればこの人だろうとページをくくる前から自分なりに想像していた内田百閒と開高健がそれぞれ紹介されていた。しかも、百間先生については2編も取りあげられていた。どちらも堀江の担当だったが、酒豪百間先生の人物像が百間先生の文章を引いて生き生きと紹介されていた。どうやら、酒を飲める飲めないはまったく関係のないことだったようだ。的外れなことを堂々と書いてしまったが。
 最後にもう一つ。太田愛人『辺境の食卓』が取りあげられていたのはうれしかった。「雨期こそ、ジャムの月」と題したエッセイで、北アルプスで伝道活動に携わりながら、地場で採れる果樹や山菜、山鳥や川魚など、土にまみれた本来の匂いに満ちた食材を用いて土地の文化や気候にあわせた食生活を楽しみ、その日々の模様を信者たちへの通信に書き綴ったとあり、聖書の中の荒れ果てた辺境のイメージや、言葉そのものにまつわる負の響きをあっけらかんとくつがえす、ほとんど「豊かな辺境」としかいいようのない世界を提示してくれる名著だと紹介している。<堀江>

都電荒川線トピックス

f:id:shashosha70:20210530202022j:plain

(写真1 都電荒川線の前身王子電気軌道の路線図。都電屋に掲示されていた)

都電荒川線つたい歩き プラス③

 都電荒川線のつたい歩き。のんびり歩いていると電車に乗っていては見落としがちなものが見えてきた旅でもあった。
 その中からトピックスをいくつか拾ってみよう。
●都電もなか

f:id:shashosha70:20210530202127j:plain

(写真2 都電もなか。箱は左7700形、右9000形)

 梶原停留場のそばにある和菓子屋明美。ここに〝都電もなか〟なるものがあった。都電ファンにとってはうれしくなる一品。もなかが都電の車両の形をしているのである。箱に入っていて、パッケージが7700形とか8500形などと都電の系統別に用意されている。また、購入するに際しては、1個2個などではなく、1両2両と呼ぶのもうれしいところ。
 2両ばかり買って食べてみたが、これが本格的なもなか。もなかは好物だしとてもうまい。当たり前のことだが。人気の和菓子店のようで、客がレジに並んでいる。もっとも、都電もなかを買ったのは私だけだったが。

f:id:shashosha70:20210530202227j:plain

(写真3 都電もなかの店)

●おはぎ

f:id:shashosha70:20210530202341j:plain

(写真4 いっぷく亭のおはぎ)

 庚申塚停留場三ノ輪橋方ホームに面してある〝いっぷく亭〟。甘味処だが、コロナ下のこと、店自体は休業状態。ただし、主人は店のシャッターを半分だけ開け、店の前に和菓子を並べてサービルをしている。「お裾分け中」と表示してあって、欲しい人に配っている。主人は「材料は仕入れてしまってあるし、日頃の感謝の気持ちを込めてやっている」と気っぷがいい。
 おはぎで有名な店だが、ほかにもあんみつなどというものもあって選ぶのも楽しい。ここは巣鴨地蔵通り商店街であり、常連もいて手に取っていく人が跡を絶たない様子。
 わたしもおはぎをいただいたが、餡の甘さが絶妙だし、ボリューム満点のもので、おいしくいただいた。

f:id:shashosha70:20210530202439j:plain

(写真5 お裾分けしている〝いっぷく亭〟)

●都電屋

f:id:shashosha70:20210530202542j:plain

(写真6 都電屋の外観)

 その名もずばり〝都電屋〟。都電荒川線の三ノ輪橋停留場のすぐそば、商店街の入口にある。
 店はカフェなのだが、店内の模様がただならない。つまり、鉄道博物館の様子なのだ。鉄道ファンなら垂涎ものが所狭しと陳列してある。
 とくに、「王子電気軌道沿線案内」は珍しい。王子電気軌道とは現在の都電荒川線の前身。タテ1.5メートル、ヨコ2.0メートルもありそうな大判の壁掛け図で、往時の路線図が描かれている。この図で興味深いのは、表示している図の説明で、電車線のほか、バス線、配電区域とあることで、この会社が鉄道事業のみならずバス事業のほか電力事業も行っていたということ。
 電車線では、三ノ輪から出て、王電王子で王電赤羽行きと早稲田行きと2路線に分岐しており、結構大きな企業体だったわけで、王電とは王子電気軌道の愛称だった。
 主人の藤田孝久さんが鉄道ファンのようで、喜寿ということだが、JR全線を踏破したというから筋金入り。私も鉄道ファンの端くれ、話し始めたら盛り上がってとまらないようだった。

f:id:shashosha70:20210530203247j:plain

(写真4 都電屋の店内)

都電荒川線の全停留場フォト

f:id:shashosha70:20210530120044j:plain

(写真1 都電荒川線唯一の荒川車庫)

都電荒川線つたい歩き プラス②

 都電荒川線は、三ノ輪橋停留場を起点に早稲田停留場を終点とする全長12.2キロの路線。停留場数は30。荒川区から北区、豊島区、新宿区へまたがっている。路面電車である都電の路線数としてはかつては30もの路線があったらしいが、.現在残っているのはこの荒川線が唯一。
 この都電荒川線をこのたび2日がかりでつたい歩きをした。電車には乗らないという旅だから、およそ乗り鉄らしからぬことだが、これはこれで楽しいものだった。
 普段は乗ってばかりの旅だから、各駅下車というわけにも行かず、通り過ぎてしまう駅も多いわけだが、このたびはつたい歩き。すべての停留場を確認しながら歩いたのだった。
 そこでここでは、都電荒川線30の停留場すべてを紹介する。荒川線は、路面電車らしく駅ではなく停留場と呼んでいて、路面電車にしては専用軌道区間が長くて全体の約8割にも達するほどだが、もっともそのために都電で唯一生き残れたわけだが、基本的には路面を走る路線。とくに併用区間では一般道を自動車と並んで走ることになる。
 このため、停留場には島式1面2線というホームのところはなく、相対2面2線というホームも少ない。大半は三ノ輪橋方、早稲田方それぞれのホームがわずかだが離れて設置されている。この場合、交差点を挟んでいる場合も少なくない。
 なお、電車は前乗り後降りだが、乗降車ともにドアは左側。ワンマン運転に対応するためで例外はない。

 また、荒川線は、1両編成ばかりで、2両3両という編成はないから、ホームの長さは1両分少々程度である。長いホームがあるのは、乗降客が多い王子駅前、大塚駅前くらいなもので、起点の三ノ輪橋も終点の早稲田も乗車ホームと降車ホームが分かれている。
 
三ノ輪橋

f:id:shashosha70:20210530120208j:plain

・荒川一中前

f:id:shashosha70:20210530120256j:plain

・荒川区役所前

f:id:shashosha70:20210530120407j:plain

・荒川二丁目

f:id:shashosha70:20210530120459j:plain

・荒川七丁目

f:id:shashosha70:20210530120547j:plain

・町屋駅前

f:id:shashosha70:20210530120637j:plain

・町屋二丁目

f:id:shashosha70:20210530120722j:plain

・東尾久三丁目

f:id:shashosha70:20210530120801j:plain

・熊野前

f:id:shashosha70:20210530120840j:plain

・宮ノ前

f:id:shashosha70:20210530120921j:plain

・小台

f:id:shashosha70:20210530121003j:plain

・荒川遊園地前

f:id:shashosha70:20210530121038j:plain

・荒川車庫前

 

f:id:shashosha70:20210530140820j:plain

・梶原

f:id:shashosha70:20210530140918j:plain

・栄町

f:id:shashosha70:20210530141006j:plain

・王子駅前

f:id:shashosha70:20210530141047j:plain

・飛鳥山

f:id:shashosha70:20210530141125j:plain

・滝野川一丁目

f:id:shashosha70:20210530141202j:plain

・西ヶ原四丁目

f:id:shashosha70:20210530141251j:plain

・新庚申塚

f:id:shashosha70:20210530141331j:plain

・庚申塚

f:id:shashosha70:20210530141415j:plain

・巣鴨新田

f:id:shashosha70:20210530141504j:plain

・大塚駅前

f:id:shashosha70:20210530141543j:plain

・向原

f:id:shashosha70:20210530141617j:plain

・東池袋四丁目

f:id:shashosha70:20210530141700j:plain

・都電雑司ヶ谷

f:id:shashosha70:20210530141745j:plain

・鬼子母神前

f:id:shashosha70:20210530141823j:plain

・学習院下

f:id:shashosha70:20210530141908j:plain

・面影橋

f:id:shashosha70:20210530141946j:plain

・早稲田

f:id:shashosha70:20210530142028j:plain