ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

都電荒川線の全車両フォト

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(写真1 荒川車庫前に停車中の左8808と右8908)

都電荒川線つたい歩き プラス①

 都電荒川線を2日がかりでつたい歩いた。つたい歩くとは、電車には乗らず、ただひたすらに線路に沿ってつたい歩くこと。乗っては気がつかない細かな情景が得られる楽しみがある。5月17日と24日。当初、1日で済む計画だったが、途中、雨が強くてままならなかった。
 都電荒川線は、三ノ輪橋停留場を起点に早稲田停留場を終点とする全長12.2キロの路線。停留場数は30。荒川区から北区、豊島区、新宿区へまたがってる。都電の路線数としてはかつては30もの路線があったらしいが、.現在残っているのはこの荒川線が唯一。
 この2日間、何しろ述べ8時間も都電と付き合っていたから、随分とたくさんの電車と遭遇した。都電はほぼ6分間隔で運転されており、上り下りもあるから頻繁に目撃できる。
  東京都交通局のホームページによると、都電荒川線の保有車両数は33両。このたび気がついたことは随分とカラフルとなったこと。古めかしいチンチン電車のイメージはない。ちんちんと言えば、現在でも発車の合図にチンチンと鐘は鳴る。専門的には伝鐘というらしい。車掌が運転士に出発を知らせる合図だったということだが、ただし、現在はワンマン運転。伝鐘だけは残った。

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(写真2 運転席の様子。8900形8904号車)

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(写真3 車内前方。運転席背中側の右上部に鐘が見える=9000形9002号車)

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(写真4 車内の様子。明るくゆったりしている。電動車椅子の人が介添えなしで乗ってきたが、とてもスムーズだった=8800形8810号車)

 また、車両は広告が施されたラッピング車両ばかり。わずかでも収入増としようとのこと。運転は1両のみで、2両以上の編成はない。軌間は1,372ミリ。前乗り後降り。運賃は全区間均一で170円(ICカード利用時168円)。
 私は撮り鉄ではないし、車両派でもないから、車両の撮影を主眼とはしていなかったのだが、撮影した写真を整理してみるとたくさんの車両が写っている。それで、数えてみると27両にも上った。保有車両数の実に80%にも達する。車庫に留置されている車両もあるだろうから、これは随分と高い割合ではないか。しかし、この際、全車両を撮影しておこうと思い、5月28日改めて不足分を撮影に出かけた。幸い、この日は晴れていた。
 車両番号順に並べてみよう。当初から車両そのものの撮影が目的ではなかったから、ゆがんでいるものなど少なくないが、ともあれ一覧にはなる。東京都交通局のホームページを参考にした。なお、写真はトリミングしてある。

7700形(2016年から2017年にかけて7000形から大規模改修をした車両。在籍8両。3色がある)

7701(みどり色)

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・7702(みどり色)

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・7703(あお色)

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・7704(あお色)

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・7705(あお色)

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・7706(えんじ色)

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・7707(えんじ色)

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・7708(えんじ色)

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8500形(1990年から1993年にかけて製造された車両。在籍5両)
・8501

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・8502

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・8503

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・8504

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・8505

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8800形(2009年にデビュー。車体カラーリングは4種)
・8801(ローズレッド)

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・8802(ローズレッド)

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・8803(ローズレッド)

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・8804(ローズレッド)

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・8805(ローズレッド)

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・8806(バイオレット)

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・8807(バイオレット)

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・8808(オレンジ)

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・8809(オレンジ)

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・8810(イエロー)

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8900形(2015年にデビューした都電荒川線用車両。車体カラーリングは4種類)
・8901(オレンジ)

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・8902(オレンジ)

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・8903(ブルー)

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・8904(ブルー)

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・8905(ローズピンク)

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・8906(ローズピンク)

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・8907(イエロー)

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・8908(イエロー)

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9000形(2007年デビュー。カラーリングは2種で、ともにレトロ調)
・9001

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・9002

 

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庚申塚から終点の早稲田へ

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(写真1 千登世橋上から見た荒川線電車。右が明治通り)

都電荒川線 つたい歩き③

 都電荒川線のつたい歩き。先日は雨のため途中で打ち切っていたため、この日はその続きで庚申塚から再開。5月14日。
 庚申塚へは最寄り駅である山手線巣鴨駅から。徒歩5分ほどか、白山通りから脇へ地蔵通り商店街が伸びている。とげ抜き地蔵で知られる高岩寺の参道で、〝おばあちゃんたちの原宿〟と呼ばれにぎわっている。
 ところで、巣鴨駅。改札を出てから気がついて、これから長い時間を歩くわけだし、トイレを済ませておこうと思ってトイレを借りようと職員に申し出たところ入場するには140円の料金を払ってくれとのこと。ちょっとトイレを使うだけだがと言っても入場料を払えの一点張り。規則はその通りなのだろうが、大きな駅ならともかく、トイレは改札口のすぐ目の前に見えているのにこの態度。よほどあやしげな男とみられたのか、猛烈に腹が立った。身なりはジャケットも着てきちんとしていたのだが。

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(写真2 巣鴨地蔵通り商店街。とげ抜き地蔵の参道)

 さて、庚申塚停留場。先日、おはぎを振る舞ってくれた甘味処いっぷく亭はこの日は閉まっていた。時間が早かったのかもしれない。
 庚申塚からは線路づたいに道はなくて、いったん離れたところを歩き出し、途中から戻った。私のやり方は、可能な限り線路づたいに歩くということ。並行してそうでも、どんどん離れていくということもある。
 巣鴨新田。東京電力の施設があった。下校中なのか、大勢の高校生と行き違う。それにしても、下校中ならなぜ大塚駅へ向かわないのか。そう言えば、巣鴨新田の停留場で電車を待っている生徒はいなかった。ひょっとすると、停留場の向こうにある高校の生徒たちだったのかもしれない。

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(写真3 大塚駅前停留場。左手前が定期券販売の窓口)

 そうこうして山手線大塚駅。北口はしゃれたロータリーになっている。大塚駅前停留場は、山手線の高架下に直角に配置してある。対面する2面2線のホームがあり、早稲田方面ホームの端には窓口があり、都電と都バス定期券を扱っているといい、乗車券は車内で販売しているとのこと。王子駅前もそうだったが、乗降者数の多い停留場。
 南口には駅ビルもできて随分と大きくなった。このあたりは高校や大学も多いからにぎわっていた。

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(写真4 南大塚バラロードを登ってきた電車)

 大塚駅前を出ると電車はすぐにほぼ直角に右折し、続いて左折しながら坂道を登っていく。バラが沿線を飾っている。南大塚バラロードといい、一区間だけのことらしい。

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(写真5 線路の向こう奥に高くそびえるサンシャインビル。いかにも都心の谷間を走る電車だ)

 春日通りを横切って向原の停留場を過ぎると、IKE SUNという広い公園があり、その向こうにサンシャインビルが望めた。

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(写真6 雑司が谷霊園)

 東池袋四丁目停留場からは線路沿いに道はなく、坂道を登っていったら、雑司が谷霊園にぶつかった。都立の墓地で夏目漱石や永井荷風、島村抱月らの墓がある。霊園の外周を回り込んでいくと都電雑司ヶ谷霊園という停留場。霊園に面している。

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(写真8 鬼子母神への参道、大門ケヤキ並木)

 この停留場からは長い下り坂。下りきったところが大鳥神社。東京音楽大学が近い。続いて鬼子母神前停留場。地下鉄副都心線雑司が谷駅に隣接している。鬱蒼とした古木が並ぶ大門ケヤキ並木は鬼子母神への参道。このあたりは4月に来たばかりで、この日は参詣しなかった。
 やがて目白通りと明治通りが交差する千登世橋。立体交差になっていて、電車は明治通りに沿って走っている。

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(写真9 学習院下停留場。雨のためしばし雨宿り)

 続いて学習院下。このあたりに来たら雨が降ってきた。それも猛烈に激しい雨。出かけるに際しては、慎重に気象情報をチェックして雨のない日を選んだのだが、当たらなかった。1日目も雨で中断したが、2日目も雨にたたられるとは、晴れ男の面目がない。横殴りの強い雨だし、停留場で雨宿りをしていたがやみそうにもなくそばにある中華屋で昼食をとりながら雨の上がるのを待った。

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(写真10 神田川を渡る電車。奥が学習院下)

 30分ほどもしたら雨が小降りになってきた。つたい歩き再開。学習院下から坂を下りきると神田川を渡った。高戸橋の交差点で、ほど直角に左折して新目白通りに出た。
 神田川と並行して走っている通りで、面影橋を経てやがて早稲田停留場。都電荒川線の終点。これで全長12.2キロ、30停留場のつたい歩きを完了した。停留場は、降車ホームと乗車ホームを備えた2面1線の立派なもの。
 3度目の鉄道つたい歩き。初めての都内、初めての路面電車だった。雨のせいばかりではなく、寄りたいところが多くて時間がかかった。それだけに楽しくもあって、印象深い旅となったのだった。

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(写真11 都電荒川線の終点早稲田停留場)

 

荒川車庫前から庚申塚へ

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(写真1 王子駅付近の併用軌道を走る都電荒川線電車)

都電荒川線 つたい歩き②

 荒川車庫前を出ると、まもなく北区に入った。電柱の町名表示によると、北区堀船三丁目とある。梶原の停留場には、早稲田方面のホームに面して本屋があった。また、そばに都電もなか本舗という和菓子屋があったが、この日はあいにくと定休日だった。都電の車両の形をしたもなからしい。

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(写真2 梶原停留場に面して本屋があった)

 

 

 

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(写真3 明治通りを渡る都電。手前が三ノ輪橋行き、奥が早稲田行き)

 やがて明治通りの交差点。明治通りは、関東大震災復興のため東京で初めての環状道路として整備されたもので、このためあちこちで明治通りに遭遇する。

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(写真4 アジサイが咲いている踏切)

 北区に入ったら沿線にバラが消えた。荒川区と同じようにバラを植えてくれたらいいのにと思った。かろうじてアジサイが咲いている踏切があった。
 次の栄町にはコーセーの建物。化粧品会社らしくしゃれた外壁。

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(写真5 新幹線の高架に突き当たった電車)

 やがて新幹線の高架に突き当たった。ここで大きく右折し、高架下を王子駅へと入っていく。

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(写真6 改札機が置かれ職員が配置されている王子駅前停留場)

 王子駅前停留場では改札機が置かれ、職員が対応していた。定期券の販売が目的で、平日日中だけのことらしいが、王子駅前停留場は路線中で乗降客の多い停留場。

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(写真7 王子駅前付近を走る電車。右は京浜東北線、東北新幹線の高架=飛鳥山の上から撮影した。雨で煙っている)

 雨が降り出した。王子駅前停留場を出るとすぐにほぼ直角に右折し、新幹線や京浜東北線のガードをくぐり、併用軌道へと入っていく。飛鳥山の麓を大きく迂回するように路線は組まれている。飛鳥山は江戸時代以来のサクラの名所。麓から山上へ自走式ケーブルカーが運行されている。

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(写真8 車列の最後尾に見えるのが、自動車と一緒になって併用軌道を走る電車)

 全線で二カ所目の併用区間。自動車と一緒になって走行しており、当然、渋滞等の影響も受ける。

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(写真9 明治通りと本郷通りの交差点付近を走る電車) 

 続いて明治通りと本郷通りの交差点。ちょっとややこしい交差点で、明治通りは直角に右折し、本郷通りが直線方向に伸びている。
 飛鳥山の停留場からは再び専用軌道区間に入る。

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(写真10 北区内に入ると線路に並行する道がなくなりつたい歩きも難しく苦労した)

 滝野川一丁目、西ヶ原四丁目と続き、この付近は並行する道路もなく、道に迷ってしまった。路地裏のような通りが広がっていて、あげくには坂が多い。途中で会った若い女性に尋ねたら、この辺は道が入り組んでいてわかりにくいから案内してくれるという。それでは申し訳ないので大きな方向だけ教えてもらった。しかし、これは失敗で、ご厚意に甘えれば良かった。やっぱり線路に行き当たらない。それで、今度はおばあさんに尋ねたら、道を三度も曲がってやっと線路が見えてきた。

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(写真11 旧中山道、白山通りの国道17号を渡る都電)

 やがて新庚申塚。豊島区内に入っており、国道17号旧中山道の白山通りを渡った。ここは都営三田線の西巣鴨駅が近い。

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(写真12 庚申塚停留場。右手前にトイレ、ホームに面して和菓子店)

 新庚申塚からは庚申塚がすぐ。停留所間距離はわずかに200メートル。路線中、最も短いのではないか。公衆トイレが付属しており、ホームに面して和菓子店〝いっぷく亭〟がある。いっぷく亭は店は営業していなかったのだが、店主が商品を客にサービスしていた。無料だというので、評判のおはぎをもらってベンチで食べた。
 雨が強くなってきて横殴りになっている。ここまで約8キロ5時間ほど歩いてきていて疲れていたわけではなかったが、この日のつたい歩きはここまでで中止。この先まだ4キロほど残っているが、それはいずれまた別の機会に。

 

都電荒川線 つたい歩き①

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(写真1 美しいバラに囲まれた都電荒川線起点三ノ輪橋停留場)

三ノ輪橋から荒川車庫前へ

 つたい歩きとは、鉄道線路に沿ってひたすらつたい歩くこと。鉄道には乗らない。コロナ下のこと、鉄道旅もままならず、これは鉄道好きとしては窮余の一策。しかし、これはこれで楽しくて、これまでに新京成線(千葉県松戸駅-京成津田沼駅間全長26.5キロ)と流鉄(千葉県馬橋駅-流山駅間全長5.7キロ)の沿線をつたい歩きしてきた。
 3回目の今回は、都電荒川線。三ノ輪橋停留場-早稲田停留場間全長12.2キロ。初めての都内、それも路面電車のつたい歩きである。路面電車は、その名の通り街の中の路面を走る鉄道。同じレベルを歩くわけだし、そのつたい歩きはどのようなものになるものか。

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(写真2 都電荒川線入口。左の建物はかつての都電営業所跡らしい)

 梅雨入りはまだしてないもののどんよりとした曇り空の5月17日起点の三ノ輪橋停留場から出発。停留場は地下鉄日比谷線三ノ輪駅が最寄り駅。改札を出て日光街道を北に向かい常磐線のガードをくぐると、都電荒川線入口の案内が出てくる。徒歩5分ほど。アーケードとなっている三ノ輪橋商店街の始まりであり、長いアーケード街には〝都電屋〟なる珍妙な看板も見える。
 都電三ノ輪橋停留場周辺はきれいに整備され、美しいバラの花がいっぱいに咲き乱れていてまことに美しい。公衆トイレもあり、ホーム脇には喫茶店があり、小さな神社もある。〝関東の駅百選〟に認定されている。
 9時56分、歩き出した。線路は専用軌道だが、幸い、両側には道路が沿っている。ほどなく荒川一中前。この間、わずか300メートル。普通鉄道とは違って、停留所間の距離は短くて、およそ500メートル間隔。路面電車ならではの距離だ。

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(写真3 線路沿いには途切れることなくバラの花)

 線路沿いには途切れることなくバラが植えられており、ちょうど見ごろで美しい。荒川線は、東京さくらトラムという愛称がついているが、このあたりに限れば〝バラトラム〟というにふさわしい景観だ。ところどころに都電沿線のバラという看板が立っていて、咲いているバラの種類がカラー写真で紹介されている。荒川区の事業らしく、荒川区ではバラによる緑化事業を推進していて、三ノ輪橋停留場から北区との境までの間に13,000株以上を植栽しているとのこと。
 やがて荒川区役所前。並行する明治通り沿いにはサンパール荒川(荒川区民会館)。大きなホールがあって、先月、孫のバレーの発表会があって訪れていたばかりだった。

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(写真4 荒川二丁目。右が下水処理場)

 次が荒川二丁目。右の線路沿いには下水処理場。広大な施設で、付近一帯は荒川自然公園として整備されている。また、左の道路沿いにはゆいの森あらかわ(荒川区立図書館)。荒川区は図書館が充実していることで知られるが、ここは中央図書館的存在か。図書館に一歩足を踏み入れてわかったが、この図書館は子ども向けの蔵書が充実しているほか、閲覧も子どもたちがしやすいように工夫されている。また、吉村昭記念文学館が入っているが、この日は、コロナ感染予防のため文学館は閉館中だった。何ともつまらぬことだ。

 荒川七丁目。右手線路沿いに大雄山泊船軒という珍しい名の禅宗のお寺があった。臨済宗らしく古刹のようだ。

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(写真5 京成のガードをくぐる都電)

 やがて町屋駅前。地下鉄千代田線と京成電鉄の町屋駅がある。千代田線は地下駅、京成は地上駅である。駅前は商店街となっており、ちょっと早いがここで昼食休憩。11時30分再開。
 沿線には佃煮屋などがあっていかにも下町の風情。町屋二丁目、東尾久三丁目と進むと、これは何とも珍しい三味線の専門店。製造、修理とある。このあたりで、脇道に入っていたりするうちに方向を見失ってしまった。通りかかった女子高生に尋ねると、同じ方向なので案内しますととても親切。しかし、方向さえわかればいいので案内は断ったが、すらりと背の高いセーラー-服の似合うかわいい女の子だった。

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(写真6・7 右に熊野前停留場と正面は日暮里・舎人ライナー熊野前駅<上>と尾久橋通りの交差点を渡る荒川線電車<下>)

 やがて熊野前。高架で走る都営の日暮里・舎人ライナーとクロスしている。また、電車は尾久橋通りを斜めに横断した。なお、このあたり、隅田川あるいは荒川にも近いはず。

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(写真8 尾久八幡神社の社)

 続いて宮ノ前。停留場の前には尾久八幡神社。その名の通りお宮さんの前にある停留場。尾久の名もここからついたか。警察署や消防署もあって尾久の中心のようだ。

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(写真9 縁石で区分された小台付近の併用軌道区間を走る電車)

 荒川線は、路面電車ながら専用軌道部分が長く、併用軌道部分はわずかに二カ所。その一つが熊野前-宮ノ前-小台間約700メートル。通称都電通りとも呼ばれるところだが、線路は縁石で一般道路と区分されており、自動車が入り込んでくる余分はない。線路の確保がきちんと守られている。

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(写真10 荒川遊園地前停留場そばにあるオブジェ)

 荒川遊園地前に至ると、停留場の右手に逆立ちしたオブジェがあった。プレートには本田貴侶作「聖なるもののリピドー空へ」(1982)とあり、髙村光太郎大賞優秀賞とある。

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(写真11 緑化された専用軌道敷き)

 再び専用軌道となり、ほぼ一直線に進み依然として線路の両側にはバラの花が咲いている。また、軌道敷きには芝生が植えられ緑化されている区間もある。

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(写真12 道幅1メートルにも満たないような小さな踏切)

 また途中には、道幅1メートルに満たないような小さな踏切もあって遮断機も下りていた。また、プラレールが走るレストランや南インド料理というどういう料理なのか見当もつかないようなレストランもあって沿線の表情は豊かだ。

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(写真13 都電荒川車庫。この日は出払っていて留置車両は少なかった)

 そうこうして荒川車庫前。都電の車庫である。本線から車庫に入る渡り線もあってなかなか風情がある。
 この停留場では、乗務員交代の様子も見られた。都電はワンマン運転なのである。なお、この車庫の一角には都電思いで広場があり、古い車両が静態展示されているのだが、この日はコロナの影響で閉鎖されていた。

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(写真14 乗務員交代の様子が見られる荒川車庫前停留場)

 都電荒川線は、荒川区、北区、豊島区、新宿区にまたがっているのだが、起点の三ノ輪橋からここ荒川車庫前までが荒川区内。起点から4.6キロ。荒川区は、東京23区内で最も住みよい区との評判があるが、なるほど、つたい歩きをしただけでも実感できるような様子だった。

映画『ノマドランド』

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(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)

自由を求めて流浪

 ノマドとは、放浪者の意。アメリカでは、リーマンショックによる経済危機から生活破綻し住宅を失って車上生活を余儀なくされる高齢者が増えていた。彼らは自動車で寝起きし働き口を求めて全米各地を流浪する旅を行っていた。
 主人公のファーン。60代か。夫と死別し、代用教員の職も失って、住み慣れた家も捨てて一人旅に出ていた。生活の基盤は古いヴァン。改造してベッドや流しをしつらえていた。
 ある時期はアマゾンの巨大な流通センターで働き、契約が終わると次の働き口を求めて移動し、時には肉体労働もいとわない。職安に相談すると、年金受給を早期申請すれば最低限の生活はできるのではないかと助言されるが「私は働きたいのだ」と言う。
 旅の先々ではノマドたちと出会う。各地にオートキャンプ場などがあるのだ。結構な高齢者もいる。一緒に食事を作ったりして交流も行われ、連帯感も醸成されている。
 しかし、いつまでもくっついているというのでもなく、各人がそれぞれに次の場所へと移動していく。ノマドたちは自由が何よりも素晴らしいと気づいているのだ。誰かが言っていた。「我々には最後のさようならがない。我々はまた会える」と。
 雄大な自然がいい。州をまたいで様々な州へと移動しているが、西部が多いようだ。砂漠が少なくない。しかし、それすらも美しく見える映画だ。砂漠の真ん中を走っていて、ファーンは『グリーン・スリーブス』を口ずさんでいた。寒さに凍える夜があったり、食べるものに不足する日々があったりしているのだが、ファーンの表情はあくまでも穏やかだ。
 転機は二度あった。一度はヴァンが故障し、自動車屋に、修理するよりも新しい車を買ったほうがいいと勧められるが、ファーンにお金がない。それで妹に借りに行くのだが、妹は一緒に住もうと提案する。前々から妹からは誘われていたのだった。しかし、ファーンは早朝黙って去って行った。
 この場面の中だったか、子どもがファーンにおばさんはホームレスなのかと尋ねると、ファーンは「いや、私はハウスレスなのだ」と答えていて、ノマドのプライドを知ったようなことだった。
 もう一つの転機は、ノマド仲間で親しくなった男から、私は娘のところに帰るから、一緒に暮らさないかと誘われる。それで訪ねていくと、家族全員が歓待してくれたのだった。
 二度の転機でファーンは家族や家庭というものをよくよく考えさせられたのだが、ファーンは二度とも静かに誰にも知られないように黙って去って行ったのだった。突きつけられる厳しい自然と現実にファーンの心は揺れ動くが、ファーンはノマドの生活を選んだのだった。
 そこには、夫との思い出があったからだが、ファーンは「思い出は生き続ける」と言って大事にしていて、思い出の写真を片時も離すことがないほどだった。
 しかし、そのファーンも、夫と暮らした街に帰って一切を処分するや、「(夫の思い出を)引きずりすぎた」と言って、決然としていた。
 砂漠すら美しいと感じさせる映像、心象の深いところを揺さぶる音楽。とても静謐な映画だが、語りかける中身は強い。
 この映画を観ていて、この映画はドキュメンタリーなのだろうか、はたまたドラマなのだろうかといぶかしく感じられた。それほどに境界を感じさせない映画言語に感心した。傑作である。実際は、ジェシカ・ブルーダーの『ノマド 漂流する高齢労働者たち』が原作。
 主演したフランシス・マクドーマンドが断然良かった。自身が原作を読んで映画化を熱望し、自ら製作したものらしい。自身もノマドの生活に入り込んで撮影したものらしく、プロの俳優はほんの数人で、大半はノマドの人たちの協力によるものだったとのこと。
 クロエ・ジャオ監督。本作で、今年のアカデミー賞作品賞、監督賞、主演女優賞を獲得している。ちなみに、マクドーマンは三度目の主演女優賞受賞である。

あやしい絵展

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(写真1 会場の様子)

女は怖い

 竹橋の東京国立近代美術館で開かれている。
 おどろおどろして不気味な絵、異界や魔界を描いた絵、中には女の裸体に虫が這っている絵があって気持ち悪くてじんま疹が出てきそうな絵もあって正視しかねるような絵もあった。
 圧倒的に女を描いた絵が多い。それは女は怖いということか。笑顔の下に隠された心情、一途と狂気はいずれも女の題材になると不気味さは増す。

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(写真2 北野恒富<淀君>)

 北野恒富の<淀君>(1920、耕三寺博物館)。大きな絵で圧倒的迫力。上目遣いの鋭い眼光、きりりと結んだ細い唇、あくまでもたおやかな白く長い手の指。淀君はかくありなんという強さが表れている。着物の柄が五七桐というのもいい。

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(写真2 北野恒富<淀君>の部分)

 甲斐庄楠音<毛抜>(1915、京都国立近代美術館)はあやしくも痛々しい。毛抜きで髭を抜いている若衆髷の男子である。少年のようにも思えるが髭を抜いているところから青年か。あらわになった上半身がなまめかしい。

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(写真3 甲斐庄楠音<毛抜>)

野岩鉄道会津鬼怒川線

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(写真1 新藤原駅ホーム。右1番線は東武鉄道の折り返し列車で、左は東武線から野岩線、会津線、JR線と直通する会津若松行き特急リバティ会津111号)

首都圏と会津を結ぶ

 野岩(やがん)鉄道は、東武鬼怒川線の新藤原と会津鉄道の会津高原尾瀬口を結んでいる。旧国名の下野国と岩代国を結んでいるところからこの鉄道名となった。路線名称は会津鬼怒川線。全長30.7キロ、駅数は9。
 線内運転の列車は1本もなく、すべて鬼怒川線あるいは会津線との直通列車である。会津線は、すべての列車が終点の西若松から一駅先の会津若松まで延伸して運転されているから、この野岩線を間に、東武、野岩、会津、JR東の4鉄道を跨いで運転されている列車がある。首都圏と会津を結ぶ短絡線の位置づけもあり、浅草から1本の列車で最短4時間14分で会津若松との間を結んでいる。ちなみに、これがJRなら新幹線と磐越西線を乗り継いで約3時間となる。

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(写真2 野岩鉄道管理駅新藤原駅)

 さて、野岩線である。起点の新藤原は標高425.3メートルの地上駅。2面3線のホームがある。当駅止まりの東武線は車止めのある1番線に到着する。このホームの駅名標にはこの先の駅名は記載されていない。ただし、同じ駅名標の裏側、2番線側の駅名標を見れば、野岩線の次駅名がちゃんと載っている。駅前に住宅はあるが 商店などは見当たらなく、山間の小駅といった様子である。野岩鉄道の管理駅。
 新藤原を出るとすぐにトンネルに入る。そのまま次の竜王峡はトンネル内にホーム。右側に片側1線。ハイキングコースとして知られる。

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(写真3 鬼怒川に架かる小網ダム)

 左窓に鬼怒川が並行しており、途中にダム。小網ダムというらしい。川治温泉を出て鬼怒川を渡ったが、濃い緑色をした美しい川。次の川治湯元では右窓眼下に温泉街が望めた。
 次の湯西川温泉もトンネル内にホーム。トンネルを抜けると美しい湖。ダム湖であろう。

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(写真4 沿線のダム湖)

 とにかくトンネルと橋梁が多い。調べてみたら、トンネルの数は18、橋も64カ所もある。沿線に住宅はほとんどなく山間の路線である。何でも踏切は路線中1カ所しかないそうである。

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(写真5 温泉が続く沿線)

  温泉が多い。鬼怒川ほどの規模ではないが、川治、湯西川、中三依・上三依と温泉街が続く。それで、路線名には〝ほっとスパ・ライン〟の愛称がついている。

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(写真6 会津高原尾瀬口駅。野岩鉄道と会津鉄道との分界駅である)

 そうこうして長いトンネルを抜けると会津高原尾瀬口到着。野岩線の終点である。1面2線のホームがあり、会津鉄道との分界駅であり、会津鉄道の管理駅。この駅は福島県南会津郡南会津町にあり、野岩線唯一の福島県。構内にはいまは使われていない転車台があり、猿が群れていた。

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(写真7 会津高原尾瀬口駅の駅舎)