ABABA’s ノート

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清水浩史『深夜航路』

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午前0時からはじまる船旅

 深夜航路とは、著者の定義によれば、深夜帯(午前0時から3時まで)に出航する定期航路のこと。このため、極端なところでは、苫小牧23時59分発八戸行のような22時台や23時台に出航する航路は含めていない。到着や寄港が深夜帯であっても。
 この定義に従って運行されている深夜便は日本に全部で14。本書はこの14航路の乗船記である。
 長いダイジェストになるが、一つ引いてみよう。
 敦賀→苫小牧東港 948キロと最長距離の航路。敦賀を0時30分に出て苫小牧東港20時30分の到着。最長20時間の長い航海である。
  0時30分、「すずらん」は敦賀港を離れる。
 月明かりが、穏やかな海面を照らす。
 そこに伸びる航跡は、大型フェリーだけあって、ひたすら長い。航跡波は敦賀半島の海岸まで届いているように見える。
 まだ日付が変わったばかりだが、船上で前日(金曜日)を振り返ってみると、あわただしい一日だった。
 本航路は、深夜航路の中でも船内施設の充実は突出している。乗船した「すずらん」(1万7382トン)は、旅客定員613名、全長224.5メートルという巨大なもの。繁忙期のため、この日の片道運賃は1万6350円(等級ツーリストA、変動制のため時期によっては1万円を切る)だったが、それでも設備と移動距離を考えると決して高くはない。
 お風呂ひとつとってみても、広々とした大浴場もあれば、露天風呂、サウナもある。吹き抜けのエントランスの豪華さから、レストランの充実、アミューズメント施設までと至れり尽くせり。船内にはカフェ、プロムナード(通路)、サロンと、広々としたスペースにソファやイスたくさん配置されているので、思い思いの場所でくつろげる。船室に入れば、2等船室であっても相部屋のベッドが備えられているため、ぐっすり眠ることができる。廉価な運賃である定期航路なのに、クルーズ船のような気分が味わえる。
 乗船してしまえば、あとは身体を船にゆだねるのみ。
 船上で風を浴びながら露天風呂につかっているだけで、幸せな心持ちになる。
 能登半島沖で朝を迎えたあとは、昼になって佐渡島沖を通り、やがて東北沖を北へ北へと船は進む。もう島影もなく、ただただ青い日本海。
 「10時15分ころ、南行きの船(苫小牧発敦賀行の姉妹船「すいせん」)とすれ違います」
 時間に合わせて後部デッキに佇んでいると、大型船が突如現れて、通り過ぎていく。船が互いに汽笛を鳴らし合う。デッキから眺める人は、自然と反航する船に向かって手を振る。何もない大海原で船がすれ違うということは、仲間との出会いのように胸躍る。同時に、あっという間に遠ざかる寂しさもこみ上げてくる。たくさんの人、たくさんの思い出を詰め込んだ船が、どんどん遠くなる。
 やがてまた、海以外は何も見えなくなる。
 ひたすら静かな午後の時間が流れる。そうこうしているうちに、船は本州の先端に出て、夕刻になると津軽海峡を横切る。
 津軽海峡を進むにつれて、うっすらと霧が立ち込めて、だんだんと北の情景に変化していく。やがて霧にけむる海ばかりとなり、本州最北端の大間崎も見えない。
 17時を過ぎると、乗客は少しずつ到着に向けた準備をはじめる。これまでの解放感とは異なり、少しずつそわそわした感じになる。それぞれがそれぞれの目的に向かって準備を整える。18時ころ、船は北海道の亀田半島(渡島半島の南東)を左舷に眺めながら進み、海に少しずつ藍色の闇が降りてくる。

 この乗船記を読んで感心したのは、フェリーに乗るといいながら、車は一切なく、すべて徒歩客としての乗船なのだった。車を使えばもっと楽な乗船となったのであろうが、そこを徹底して徒歩としたところが素晴らしく、まったく同感できる魅力だった。
 叙情的な紀行文だ。著者も書いている通り、夜間飛行ではないがジェットストリームの趣だ。著者はロマンティストなのであろう。
 また、冒険家でもあるのだろう。新しい扉を開けずにはいられない。前作『秘島図鑑』(河出書房)でもそうだったが、個性的な旅を創造している。同じ旅をなぞってみたくなる魅力があった。

(草思社刊)