ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

六連島灯台(山口県下関市)

f:id:shashosha70:20210724182433j:plain

(写真1 島の北に建つ六連島灯台)

重要文化財指定現役灯台巡り②

 六連島(むつれじま)は、響灘(日本海)に浮かぶ小島。下関から渡船が出ている。下関駅前の漁港側から歩いて5分ほど。竹崎桟橋。渡船場のそばにキョウチクトウ(夾竹桃)が咲いていた。珍しくも淡い桃色をして実に美しい。

f:id:shashosha70:20210724182529j:plain

(写真2 六連島への渡船六連丸)

 六連島と結ぶのはその名も六連丸。定員80人の小さな船。日に往復4便しかない。16時40分発の便に乗船。乗客は10数人。全員島に帰る人たちか。

f:id:shashosha70:20210724182619j:plain

(写真3 出港後の渡船から振り返ってみた六連島桟橋)

 六連島は、下関の西約4キロメートルに位置しており、周囲わずかに3.9キロ。航空写真で見ると、空豆のような形をしている。高い山はないようだ。
 竹崎桟橋を出港すると、細い水路を走っていく。左は彦島というらしい。大型船は通れないのではないか。途中右手に造船所。クレーンが4基ほど林立していたが、漁船など小型船の建造が中心のようだ。

f:id:shashosha70:20210724182735j:plain

(写真4 彦島大橋と右下は造船所)

 やがて、彦島大橋をくぐると外洋に出た。貨物線やコンテナ船など大型の船舶が多い。係留されている船も少なくない。その中に東京海洋大学の船があった。真っ白い船体が美しい。
 甲板で一緒になったおばあさんが話し好き。下関の病院に行った帰りだという。島が多く、いろいろと名前を教えてくれる。彦島は橋ができて得をしたと言う。
 途中、緑色と朱色の二つの浮標が見えた。間隔1キロほどか。大型船はこの二つの浮標のあいだを通る決まりだという。六連島灯台はとてもいい場所に建っていると重要性を強調していた。

f:id:shashosha70:20210724182831j:plain

(写真5 六連島に向かう船の背後には小倉の街。製鉄所のキューポラが見える)

 背後に目をやれば、小倉の町がくっきりと望める。おばあさんは、若いころは島から小倉まで泳いで渡ったことがあるらしい。

f:id:shashosha70:20210724182915j:plain

(写真6 渡船から遠望した六連島灯台)

 そんな話を伺っていたら、そうこうして六連島が見えてきた。竹崎桟橋から約20分。島の右端に灯台が見えている。おばあさんによれば、海沿いの道を行けばすぐに灯台への登り口があるとのこと。
 なるほど、10分も歩かないうちに登り口。階段を登るとすぐに灯台。いかにも古い灯台。初点銘版に明治四年十一月廿一日とある。ただし、これは旧暦で、新暦なら1872年1月1日である。神戸以西で3番目、山口県内で最も古い灯台。

f:id:shashosha70:20210724183005j:plain

(写真7 灯室にはLED灯器)

 ブラントンの設計になるもので、白色塔形で、半円の付属舎がついている。いかにもブラントンの特徴が出ている。石造無塗装で、花崗岩がやや経年変化してくすんできている。灯室を仰ぎ見ると、レンズはフレネルではなくLED灯器だった。
 この灯台は、関門海峡を抜けてきた船舶が初めて目にする光で、東端の部埼と結んで関門海峡を睨んでいる重要な役割を担っている。くだんのおばあさんの話の通りだ。幕府が英国に対し大坂条約で約定した部埼、六連島と二つの灯台が、そろって重要文化財に指定されたということで、大変意義深い。なお、この二つの灯台は、設置理由・時期、設計・建設が近似しているところから双子灯台と呼ばれることがあるらしい。

f:id:shashosha70:20210724183048j:plain

(写真8 灯台から見た本土側)

 灯台からはしきりに航行する大型船舶と、下関と北九州がまるで海峡の対岸のように見えた。

f:id:shashosha70:20210724183135j:plain

(写真9 史蹟 六連島燈台行幸所の石碑)

 灯台のそばに「史蹟 六連島燈台行幸所」なる石碑が立っていた。明治5年6月12日、明治天皇が中国・九州地方巡幸の際、西郷隆盛らを従えて来島した記念のもの。明治天皇が灯台を行幸したのはこのときが初めてだったとのこと。
 帰途、渡船場で帰りの船を待つあいだ、付近をぶらぶらしていたら、細長い大きな段ボール箱を持ったおばさんに出会った。伺うと、花を運んでいるのだという。この島はウニやアジなどの海産物のほか花卉が産物なのだという。なんでも、瓶詰めのウニを工夫したのはこの島が最初なのだということだった。
 灯台が重文に指定されたことは歓迎される。島起こしにしたい。それで、灯台に登る階段の草取りなどをして整備しているが、島全体としてはまだ盛り上がりが少ない。
 とにかく島は年寄りばかりで若者がいない。渡船の便数も減って住みづらい。以前は保育園もあったが数年前になくなった。小学校もないから、子どもたちは船で下関の学校に通ってる。高校まではそうやって通っているが、卒業すると島を出て行って戻ってこなくなると語っていて、典型的な過疎の様相だった。
 渡船場から振り返って島を見上げると、島の斜面に段々と家並みが見えた。島内では、男が軽トラ、女はオートバイが足らしく、くだんのおばさんもオートバイにまたがっていた。

f:id:shashosha70:20210724183226j:plain

(写真10 船着場から見た島の様子)
                         (2021年7月19日取材)

<六連島灯台メモ>(灯台表、現地の看板、ウィキペディア等から引用)
航路標識番号/5537
位置/北緯33度58分7秒 東経130度52分1秒
名称/六連島灯台
所在地/山口県下関市六連島
塗色・構造/白色塔形、石造(花崗岩)
レンズ/LED灯器
灯質/単閃白光 毎3秒に1閃光
実効光度/閃光3700
光達距離/閃光12海里(約22キロ)
明弧/140度-12度
塔高/10.6メートル
灯火標高/27.9メートル
初点灯/1872年1月1日新暦(旧暦明治4年11月21日)
管轄/第七管区門司海上保安部