ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

部埼灯台(北九州市)

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(写真1 周防灘に面した部埼灯台)

重要文化財指定現役灯台巡り①

 現役の灯台が初めて国の重要文化財に指定された(2020年12月23日付)。指定されたのは、千葉県銚子市の犬吠埼灯台、山口県下関市の六連島灯台と角島灯台、福岡県北九州市の部埼灯台の4基。いずれも明治初期の点灯で、150年近い歴史を有するものばかり。これらの灯台にはこれまでにも何度か足を運んだものもあるが、重文指定を機に北九州山口地区の灯台を改めて訪ねてみた。
 初めに部埼(へさき)灯台。北九州市門司区所在。九州最北東端企救半島の突端、つまり、周防灘に面し、関門海峡の九州側東端に位置する。
 部埼灯台へは、門司港駅からタクシーを利用した。約40分。途中の白野江というところまでバス便があるのだが、そこから約1時間も歩かねばならず、岬巡りを趣味とする者、1時間程度の徒歩は覚悟の上なのだが、白野江にはタクシーはないというので、この日は真夏の炎天下、熱中症が懸念されてやむを得ずタクシーに乗ったのだった。
 灯台は丘の上に建っているのだが、麓から灯台まで手すりのついた階段が設けられている。この灯台を訪れるのは3度目だが、前回来た5年前にはなかったから、あるいは重文指定に伴って新しく整備されたものかも知れない。階段は真新しい花崗岩造りになっていて、これはこの周辺の採石場から運んだものであろう。来る途中に巨大な採石場があった。花崗岩の産地なのであろう。

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(写真2 灯台から周防灘を望む)

 灯台は40メートルほどの小高い丘の上にある。断崖絶壁というわけでは決してないが、とても見晴らしがいい。眼下は周防灘である。ややかすんではいるが対岸がはっきりと肉眼で目撃できる。山口県の小野田あたりであろうか。ひっきりなしに船が行き交う。瀬戸内海と日本海を結ぼうとするものであろう。船舶の交通量が多く、日に1,000隻も航行しているという。

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(写真3 海側から見た灯台全景)

 灯台そのものはさほど大きくはない。塔高が10メートルくらい。白色塔形で、花崗岩による石造である。両手を伸ばして測ってみたところ、半円で8尋分ある。私の身長から換算すると13.6メートルあり、円周は27.2メートルということになる。半円に渡って付属舎がついている。

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(写真4 灯台上部灯室の中にフレネルレンズ)

 日本における洋式灯台の父と言われるヘンリー・リチャード・ブラントンの設計によるもの。半円の付属舎がついたものはブラントンの設計によくみられたもの。レンズが小型だが、フレネル式だ。なお、初点銘版には明治五年正月二十二日とあった。

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(写真5 潮流信号所の電光板)

 灯台の後背部に部埼潮流信号所があって、電光で潮流の方向を示している。いかにも海峡に面した灯台である。なお、この建物はかつての官舎で、このたびの重文指定では灯台のほかこの旧官舎も含まれている。
 この部埼灯台は、幕府が英国と締結した大坂条約に基づき整備した5基の灯台のうちの一つで、九州現存最古の灯台として歴史的価値が高いものとして重文に指定された。灯台そのものは地味な外観だが、ロケーションといい、になってきた歴史的役割といい、とても印象深い灯台だ、
 なお、灯台下の海岸沿いには大きな彫刻がある。江戸末期、松明を掲げた僧清虚の像で、海峡を通る船舶に松明を焚いて安全を知らしめたという。それほどにこの海峡は船舶にとって難所だったのであろう。         (2021年7月19日取材)

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(写真6 松明を掲げた僧清虚の像)

<部埼灯台メモ>(灯台表、現地の看板、ウィキペディア等から引用)
航路標識番号[国際標識番号]/5409[M5312]
位置/北緯33度57分6秒 東経131度01分4秒
名称/部埼灯台
所在地/福岡県北九州市門司区大字白野江字部埼
塗色・構造/白色塔形、石造(花崗岩)
レンズ/第3等小型フレネル式
灯質/連成不動単閃白光 毎秒15秒に1閃光(燈光会が設置した現地の看板には、連続でやや暗い不動光が点灯するなか15秒間に1回白い閃光を発する、と解説があった)
実効光度/閃光31万カンデラ、不動光2.2千カンデラ
光達距離/閃光17.5海里(約32キロ)、不動光10.5海里(約19キロ)
明弧/全度
塔高/9.7メートル
灯火標高/39.1メートル
初点灯/1871年(明治5年)1月22日
管轄/第七管区門司海上保安部

ローレンス・ブロック『殺し屋』

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アメリカらしい小説

 ケラーを主人公とする10話からなる連作短編集。
 ケラーは、殺しを稼業とするニューヨーカー。マンハッタンの一番街に面し、イーストリヴァーやクイーンズボロ・ブリッジが見えるアパートメントに住んでいる。戦前から建っているアール・デコ風のロビーと係員のいるエレヴェーターつきの高層建築で、部屋は19階にあり寝室は一つだが快適。独身、年齢不詳。スーツを着た押し出しのいい男とある。
 仕事は、ホワイト・プレーンズから連絡が入る。ホワイト・プレーンズはニューヨークの北にあり、ニューヨークきっての高級住宅地として知られる。ハーレムラインの電車で30分ほどであり、近年、日本からのビジネスマンも住むようになった。アパートメントからはタクシーでグランド・セントラル駅まで飛ばして電車に乗る。
 ホワイト・プレーンズでは、トーントンプレースのヴィクトリア朝風の館に住む〝親爺〟から指示が出る。取り次ぐのは秘書のドット。つまり、依頼は親爺が吟味し諾否を決める。それをケラーに回すわけだ。
 とにかく仕事のディテールがきちんと書き込まれているのが魅力。このような仕事が現実にあるのかどうか、殺し屋稼業の実態など我々には知るよしもないのだが、アメリカならと思わせられるリアリティで、読む者を惹きつける。
 彼の仕事に気まぐれは無用だった。会ったこともない男を殺すために千マイルも旅する仕事は、気まぐれで引き受けられるような類いのものではない。
 素人を相手にするときには、遵守すべき鉄則がふたつある。ひとつはプロに徹することだ。もうひとつは、そう、決して素人など相手にしないこと……
 仕事は、事故死と自然死、このふたつがどんな場合においても一番いい。
 しかし、ときにはこういう仕事もある。ポケットから輪にした針金を取り出し、イングルマンの首に巻きつけた。すばやく、静かで、完璧な手口だった。首の骨を折ったこともあった。
 仕事柄、ケラーは全米中を飛び回る。
 ポートランド、デンヴァー、ワイオミング州キャスパー経由マートイングゲイル、シェリダン、ソルトレイクシティ、ラスヴェガス、フィラデルフイラ、オマハ、セントルイス、タルサ、シンシナティ等々。
 旅先ではレンタカーを借り、ドライブインに泊まる。どちらも料金は日程に余裕を持たせて前払い。
 食事は無頓着。ピザハットだったりもする。
 空腹だったので全部たいらげた。味にかかわらず。そして、ここには住みたいとは思わないだろう?と自分につぶやいた。
 仕事の中身は様々だ。これがこの短編の面白味。一編ごとに意外な展開が多くなかなか読み筋通りにはいかない。
 ケラー自身の正体がばれてしまったこともあるし、人ちがいをしてしまったことも。指示されたターゲットのホテルの部屋番号が何と違っていたのだ。すでに一度地元の殺し屋が失敗した仕事というのもある。当然、ターゲットは警戒を強めるから仕事はむずかしくなる。

 それにしても、これはアメリカらしい小説と言えるものかどうか。映画ということでは、ジャン・レノ主演の『レオン』がニューヨークを舞台ににしていたし、パリを舞台にしたアラン・ドロン演じる『サムライ』も孤独な一匹狼の殺し屋を描いて面白かった。
 日本には組織のしがらみを受けないフリーランスの殺し屋を描いたいい映画はないものかと思い起こせば、もう50年以上前にもなるか『狙撃』があった。加山雄三主演という異色のキャストで、スナイパーのディテールが描かれていて印象深い。
 小説では印象深いものがなくてすぐには思い起こせない。中村文則や矢作俊彦あたりが書いてくれたら面白いものになるのではないか。勝手な思い込みだが。
(二見文庫、田口俊樹訳) 

映画『スーパーノヴァ』

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(写真1 映画館に掲示されていたチラシから引用)

最愛にして大親友

 二人の男。年上の作家タスカーとピアニストのサム。20年来一緒に暮らしているパートナーである。
 二人は休暇を取ってキャンピングカーで湖水地方の旅に出る。
 晩秋であろうか、美しい風景が広がる。穏やかな起伏の山々と湖面が鏡のように輝く湖が広がるイギリスの景観である。
 道中、サムが買い物をしているあいだにタスカーがいなくなってしまった。自分がどこにいるのかもわからなくなっていたのだった。
 タスカーの認知症が進んでいることは、お互いが口にこそ出さないのもののわかっていた。
 サムは、いつまでも一緒にいたいと願っていたし、タスカーを施設に入れるなどということは考えもしなかった。
 タスカーは、私はお荷物になることを願わないし、元の私を覚えていて欲しいといい、サムは「最愛にして大親友」だと語っていた。
 あるとき、サムはタスカーのノートを見る。そこには原稿の下書きが書かれていたのだが、途中から何も書かれないページが続き、ひと言、soryとだけ書かれていた。また、タスカーの荷物には自死をするための薬が隠されていたことに気づく。
 タスカーは、「自分でコントロールできるうちに決断したい」「私は君を苦しめている]「私を愛しているなら許して欲しい。逝かせてくれ」と訴える。
 ラストシーン。二人は手を取り合って窓辺にたたずんでいる。画面はゆっくりとフェードアウトしていく。これで映画は終わったかと思ったら早とちりで、すると、サムがピアノを演奏している場面に移る。弾いているのはエルガーの<愛の挨拶>だった。とても余韻が長く続いた。
 美しい映像。静かに流れる。シナリオがいいのだろう、語り合う言葉がとてもいい。
 一緒にいつまでもいたいと思うことが愛なのだろう。そう思わせてくれる。同性愛に対する偏見が恥ずかしくなるような映画だった。
 スーパーノヴァとは、超新星のこと。私もいつの日か大宇宙からやって来たのだ。
 主演した二人がとにかく名演だった。この自然な演技があったからこそこの映画は美しくなった。タスカーを演じたスタンリー・トゥッチは『プラダを着た悪魔』で、サム役のコリン・ファーズも『英国王のスピーチで』で知っていた。ついでに、<愛の挨拶>は『レディ・マエストロ』のラストシーンでも演奏されていた。なお、どうでもいいようなことだが、エルガーはイギリスの人。<愛の挨拶>をピアノで演奏するのは珍しくはないか。元々はピアノ曲だったのだろうか。エルガーその人はヴァイオリニストだったのだが。
 これほどしみじみとした情感溢れる映画も少ない。
 ハリー・マックイーン脚本・監督。2020年イギリス映画。

映画『ライトハウス』

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(写真1 映画館に掲示されていたチラシから引用)

人間の極限を描く

 ライトハウスとは灯台のこと。
 舞台は、18世紀か、ニューイングランドの孤島の灯台。この孤島に二人の灯台守が渡ってくる。一人は初老の灯台守トーマス・ウェイクで、もう一人が灯台守の経験のない青年のイーフレイム・ウィンズロー。期限は4週間の契約で、報酬は千ドルと悪くない。
 ウェイクは灯台長のような役割で、ウィンズローをことごとくこき使う。水槽を洗い、壁を磨き、石炭を運ぶ。過酷な労働で、ウィンズローをいじめ抜く。ウェイクは灯りを守る役割に徹していて、灯室には鍵をかけておりウィンズローも入らせない。
 ある日、仕事の邪魔するカモメを追い払うが、ウェイクはカモメは不吉だからかまうなと警告するが、ウィンズローとカモメとの仲は悪くなる一方で、ついには殺してしまう。
 日が経つにつれウィンズローの気はすさんでいき、ウェイクとのあいだは険悪となっていく。
 ついには衝突もするが、明日には任期を終えて帰れるという前夜酒を飲んで迎えの視察船を見逃してしまう。
 嵐が続き、船が接岸できる様子にはない。ウェイクによれば、7カ月も帰れなかった事例もあるという。
 浜で人魚を見つける。人魚の誘いにつられて人魚を抱いてしまう。狂気が迫ってきている。
 ウィンズローの過去が露わになり、ウェイクの嘘も明らかとなっていき、やがて凄惨な争いとなる。
 孤島での生活。いつ来るとも知れない支援。二人の関係は険悪となり、人間の極限が描かれていて、終始息が詰まる。聖書の言葉が重要な意味を持っているのだが、私には残念ながらわからなかった。
 舞台となった灯台のこと。白色円塔形のレンガ造。どっしりとした存在感がある。デザインは欧米によくある伝統が感じられた。外壁を白く塗色している場面があったが、このような業務も灯台守自身が行ったものであろう。レンズは高さが2メートル以上もある大型のフレネル式だった。つまり、大型灯台ということになる。夜間、灯台の灯りが暗闇をさいて光っていた。
 画面は四角い。モノクロ。この映像がこの映画を第一級のものとしていた。鳴り止まない霧笛。人間を極限に追い詰めていく素晴らしい映画言語だった。
 また、ウェイクを演じたウィレム・デフォー、ウィンズローのロバート・パティンソン、出演者はこの二人だけなのだが、この二人の名優による鬼気迫る演技は特筆ものだったし、この演技がなければこの映画の緊張感は得られなかったであろう。
 ロバート・エガ~ス監督。2019年アメリカ映画。
 

ベートーヴェンのピアノコンチェルト

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(写真1 内田光子ピアノによるベートーヴェンのピアノコンチェルト全集のCD外装)

内田光子による全集

 自宅に籠もった生活が続いているから音楽はよく聴いている。これまでも音楽は好きで、朝のコーヒーを飲みながらCDをかけていた。ただ、それもこれまではクラシックでも、ジャズでも何でもありだったが、このごろでは多少は系統だって聴くようにしていて、先ごろまではベートーヴェンのピアノソナタを楽しんでいた。それで、ヴィルヘルム・ケンプのCD全集を購入して全32曲を繰り返し聴いていた。
 このごろでは、ピアノ協奏曲に手を伸ばしている。これもCD全集を購入していて、内田光子のピアノに、オーケストラはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、指揮クルト・ザンデルリングである。
 ベートーヴェンにピアノコンチェルトは5曲しかなく、全集もCDは3枚。
 第1番。提示部が長い。3分もある。ピアノの演奏がなかなか出てこない。第1楽章は流麗で、第3楽章になって軽やかになった。
 第2番も提示部は長い。この時代のコンチェルトの流儀だったのかもしれない。第1番も第2番も1795年ごろの作曲で、シンフォニーの第1番よりもやや早い年代。オーケストラの演奏はシンフォニーかと思うほどに力強い。ちょっとおかしな比喩だが。
 第3番はさらに提示部は長くて3分30秒もあった。このあたりは演奏者のやり方にもよるのだろうが。それも、オーケストラの演奏がいったん途切れてからピアノの演奏が始まった。これにはちょっと驚いた。このあたりは、ピアノコンチェルトを代表する名曲として人気が高いラフマニノフのピアノコンチェルト第2番が、いきなりピアノの演奏で始まりすぐさまオーケストラが追いかけてくるところとでは大きな違いだ。これは1900年の作曲だから、100年経ってピアノコンチェルトも随分と流儀が変わったものであろう。
 第4番は曲全体にドラマ性があったが、その分、ピアノが弱くなったように感じられた。

 第5番にいたってコンチェルトとしての完成度が高まった。提示部ばかり気にするようだが、第5番ではオーケストラのタクトが振り下ろされるやすぐさまピアノの力強い演奏が始まった。<皇帝>の愛称がついているほどに人気の高いコンチェルトだが、なるほどと思わせられた。1809年の完成で、この年代は、シンフォニーなら第5番<運命>や第6番<田園>と同じ時代。ソナタなら第23番<熱情>も同年代だ。重厚であり雄大。
 音楽好きではあるが、音楽ファンというほどのものでもなく、いわんや格別の造詣があるわけでもない。ただ、漫然と聴いているだけ。しかし、美術もそうだろうが、数多く見ていく、数多く聴いていくと、それなりに鑑賞力がついていくのではないか。まあ、評論家になるわけでもないから、必死になることではないが。
 ベートーヴェンにピアノソナタが32曲はともかく、シンフォニーの9曲に比べてもコンチェルトの5曲は少ない。自分で作曲した曲を自ら演奏したというピアニストでもあるベートーヴェンにしてこれはどうしたことか。
 しかも、第1番や第2番ではオーケストラの編成も小さいようだ。これは、ソナタに限らずコンチェルトにおいても、貴族の館などで演奏することを想定して作曲したからではないかと言われている。
 そう言えば、ハンガリーの首都ブダペストに音楽史博物館というのがあって、そこには古い時代からのピアノが展示されていた。初期のころのピアノは鍵盤の数も少なく、小さなものだった。リストもハンガリーの出身だが、ピアニストあるいは作曲家がピアノの発展を促していったものであろう。とくに、ベートーヴェンにおいてその姿勢は顕著だった。
 ピアノを独奏した内田光子。私には演奏家の違いや、演奏のスタイルなどわかろうはずもないが、内田さんの演奏はとてもきちんとしたもので、丁寧なものと感じた。世界的ピアニストに対してずぶの素人が生意気なことだが。

大・タイガー立石展

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(写真1 展示室の様子)

POP-ARTの魔術師

 千葉市美術館で開催されている。
 タイガー立石こと立石紘一(1941-98)の生誕80年の大回顧展となっていて、POP-ARTの魔術師というキャッチフレーズのもと絵画からイラスト、絵本、マンガ、彫刻などと出品点数は200点を超し、画業の全体像がわかるようだった。
 とくに注目したのは、<明治青雲高雲><大正伍萬浪漫><昭和素敵大敵>の三部作。1990年に描かれた油彩で それぞれの時代を反映した人物や出来事が描かれている。

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(写真2 <明治青雲高雲>の展示の様子)

 いずれも壁画のような大作揃いで、<明治青雲高雲>には西郷隆盛、坂本龍馬、福沢諭吉、明治天皇、鹿鳴館、日本海海戦、東郷平八郎、乃木希典、樋口一葉、正岡子規、石川啄木らが描かれているほか、高橋由一<鮭>や青木繁<海の幸>、赤松麟作<夜汽車>などと当時を代表する絵画の名作が引用されている。

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(写真3 <大正伍萬浪漫>の展示)

 また、<大正伍萬浪漫>には、菊池寛らの人物像のほか、竹久夢二<黒船屋>や中村彝<エロシェンコ氏の像>、岸田劉生<麗子像>などと大正ロマン主義が表現されている。
 さらに、<昭和素敵大敵>には、山本五十六、スターリン、ヒトラー、東条英機、双葉山、マッカーサー、松本清張、三島由紀夫、吉永小百合、田中角栄、松下幸之助、岡本太郎、昭和天皇らに加え、美空ひばりは古賀春江の<海>のポーズで描かれている。また、原爆や新幹線、満員電車、安保デモ、三億円事件などと社会風刺が多く取りあげられている。

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(写真4 <昭和素敵大敵>の展示)

 この三部作。見ていて面白い。吉田茂はちゃんと葉巻を持っている。しかし、春日八郎は歌うときにギターを弾いたっけかと思う。こんな見方読み方をしていると時間の経つのを忘れてしまうほどだ。
 しかし、一方で、この絵は何なんだろうかとも思う。時代絵巻なのか。それにしては、<昭和素敵大敵>に敗戦の日の皇居前広場がないし、70人ほどの人物が描かれ、太宰治もいるし坂本九もいるのに湯川秀樹が見当たらない。あるいは見落としかもしれないが。どの事件どの人物を取りあげるかは作者の自由だが、視点がわかりにくくて俗っぽい。また、風刺にしてはパロディが弱い。ただし、大作ではある。

 

堀江敏幸+角田光代『私的読食録』

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食と読書の案内

 食にまつわるエピソードを小説やエッセイなどから拾って紹介している散文集。
 月刊誌に堀江と角田が交互に書いた連載100回分が収録されている。1回分が文庫3ページと短く、どこで栞を挟んでもいいようで読みやすい。拾い読みしてもいいようだが、面白くて結局最後まで読み通した。
 とくに印象に残った箇所に付箋を挟んでいったら6つになった。読み返してみると、食べ物の中身のことよりも、取りあげられた本そのものに興味がわいたし、既読ながら新しい視点が面白かったものなどが残った。
 一つ二つ引いてみよう。
 「湯豆腐、おでん、ビール、熱燗」(川上弘美『センセイの鞄』) 食べものの描写がうまい作家は古今多々いるが、川上弘美もそのひとり。老教師とツキコさんが再会した駅前の一杯飲み屋。二人はそっくりおなじものを注文する。まぐろ納豆、蓮根のきんぴら、塩らっきょう。居酒屋の風情というものが、この注文によって見えてくる。まず、注文すると「よろこんで!」と店員が叫ぶようなチェーン店でないことがわかる。かといって、今どきの、若い男の子たちが活発に働く、メニュウが手書き筆文字の、笊豆腐を塩で食べるような店でもない。まっとうな、理想的な正統的居酒屋であることが、最初の三品から、すでにわかってしまう。
 この小説を読んでいると、ひとり、という孤独は、なんと身軽ですがすがしいことか、と思えてくる。ひとりで生きることはさみしいことでも悪いことでもないと、ツキコさんたちが教えてくれるのだ。<角田>
 「病むためでなく健やかであるために食べる」(池澤夏樹『きみのためのバラ』) 池澤夏樹は失われていくまっとうさの奪回に真剣に向き合っている作家だと私は勝手に思っている。まっとうさというのは、人間らしいまともさである。むずかしい言葉でそれについて論じることもあるし、ひどくわかりやすい言葉で書いてくれることもある。
 この短編集に通底しているのは、人間の健全な体温だ。意味のないマニュアル会話と正反対に位置するもの。意味不明といってもテロや暴動のそれではなく、祖先や生まれ変わりといった人知を超えたもの。人とのあいだの断絶ではなく、一瞬だとしても、つながり、そうして、ひどく無力な人間たちが魔法の力もないのに奇跡を起こす。さりげなく、でも力強い奇跡。
 今、食べものにまっとうさを求めようとすると、マクロビデオティックとかオーガニックとか、ちょっとだけヒステリックな響きが混じり、そのせいかどうかちっともおいしそうに私には感じられないのだけれど、ここに登場する料理はそのどれもとも関係なく、そして真のまっとうさを感じさせる。しかもすべてがおいしそう。こぼれたコーヒー豆で淹れられたコーヒーすら。それで、はたと気づくのである。本来私たちは、病むためではなく健やかであるために食べるのだ、と。わかり合えないと知るためではなくわかり合えると思って他人とかかわるのと、まったくおんなじに。<角田>
 本文の末尾には、各回を担当した執筆者名が三文判のように押してある。堀江、角田両人とも守備範囲は広く、しかも一流の作家。ただ、ざっくりとした感想では、角田に私自身の好みが多かったように思う。堀江は体質的に酒はまったくたしなまないそうで、だから、好みが合わなかったからでもないだろうが。まあ、酒が出てこない食というものも何かわびしい。
 しかし、食を書かせればこの人だろうとページをくくる前から自分なりに想像していた内田百閒と開高健がそれぞれ紹介されていた。しかも、百間先生については2編も取りあげられていた。どちらも堀江の担当だったが、酒豪百間先生の人物像が百間先生の文章を引いて生き生きと紹介されていた。どうやら、酒を飲める飲めないはまったく関係のないことだったようだ。的外れなことを堂々と書いてしまったが。
 最後にもう一つ。太田愛人『辺境の食卓』が取りあげられていたのはうれしかった。「雨期こそ、ジャムの月」と題したエッセイで、北アルプスで伝道活動に携わりながら、地場で採れる果樹や山菜、山鳥や川魚など、土にまみれた本来の匂いに満ちた食材を用いて土地の文化や気候にあわせた食生活を楽しみ、その日々の模様を信者たちへの通信に書き綴ったとあり、聖書の中の荒れ果てた辺境のイメージや、言葉そのものにまつわる負の響きをあっけらかんとくつがえす、ほとんど「豊かな辺境」としかいいようのない世界を提示してくれる名著だと紹介している。<堀江>