ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』

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現代アメリカ文学の傑作

 ブルックリンが舞台。そのブルックリンが豊穣な物語を編んでくれた。
 マンハッタンの保険会社で働いていたネイサン・グラスは、停年を前に生まれ故郷のブルックリンに終の棲家とすべく戻ってきた。3歳のときに一家がブルックリンを離れてから56年ぶりだった。
 初めは何をしたらいいのかも思い浮かばない日々の中で、足繁く通ったのはブライトマン・アティックスという古本屋。経営者は派手な振る舞いの同性愛者ハリー・ブライトマン。
 この店でネイサンは、甥のトム・ウッドと出会う。7年ぶりだったが、トムは大学院をやめてブライトマンの店で店員をしていた。
 こうして、ネイサン、トム、ハリーの3人を軸に物語が進む。登場する人物造型が魅力的だし挿入される逸話がじつに秀逸。
 小説の面白さが詰まっている。離婚あり詐欺あり、同性愛ありと物語が転ぶが、伸びやかでいやらしさはなく心温まる。しゃれた会話があり、ボキャブラリーが豊富で、読んでいて思わず傍線を引きたくなる。
 娘レイチェルへの許しを乞う手紙。簡単に書けるものと踏んでいたがといいながら「人から許しを乞うのは厄介な仕事である。それは強情なプライドと涙ながらの悔恨との、微妙なバランスの上に成立する行為であり、相手に向かってすっかり心を開くのでないかぎり、どんな謝罪もうつろな嘘に響く」とある。
 とくに気がかりはトムの姪ルーシーの登場。つまりネイサンは大伯父さんということになる。わずか9歳半の女の子が一人でニューヨークまで訪ねてきたのだが、この出現によってトムやネイサンばかりかハリーまでもが家族を考えることとなる。
 いかにもオースターの小説という感じ。時折出てくる社会時評は辛辣なのだが、全般に心温まる物語の運び。
 ちなみに、タイトルのフォリーズとは、愚行の意。ネイサンが人生を振り返りつつ執筆している文章自体が数々の愚行が中身というわけである。
 とにかく柴田元幸の訳がいい。
(新潮文庫)