ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

映画『ドリーム』

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(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)
感動的な映画
 実に感動的な映画だった。いい映画を観たという満足感が強かった。
 人種差別が取り上げられているのだが、今さらというところが微塵もないし、エピソードが巧みでまったく陳腐化されていないことに率直に感心した。
 1961年のジョージア州ハンプトンにあるNASA(アメリカ航空宇宙局)のラングレー研究所が舞台。この時代、ジョージア州のような南部には人種差別が色濃く残っていたし、また、アメリカはマーキュリー計画を掲げ、NASAは有人宇宙飛行計画においてソ連との間で熾烈な競争を行っていた。
 主人公は、ここで働くキャサリン、ドロシー、メアリーの三人の黒人女性たち。キャサリンは天才少女だったし、三人とも数学者として才能豊かなのだが、与えられている仕事はあくまでも下働きの計算係だし、臨時雇いの身分。
 キャサリンが配属されたのはタスクグループ。ラングレーの中枢なのだが、職場は白人の男性ばかり。まともな相手もしてもらえないし、仕事も検算のような単純な計算ばかり。
 ある時、書類に重大なミスのあることを発見したキャサリン。声に出しても誰も取り上げてくれないだろうし、無断だったのだが大きな黒板に正確な計算式を書いていったのだった。
 これを見たグループ長は、キャサリンの能力を次第に認めていくのだが、キャサリンがたびたび長い時間席を外すことを咎めると、キャサリンは「このビルには私たちが使えるトイレが一つもないし、colored(字幕では非白人用と訳していた)のトイレは800メートルも離れたところにしかないのだ」と訴える。
 一方、ドロシーは大勢の黒人女性たちが計算係として働くチームを率いていたのだが、ラングレーにIBMのコンピュータが導入されるや、単純作業しかしない計算係はいずれ不要になることを察知、いち早くプログラミングなどの勉強を始める。その頃、コンピュータは導入したものの使えるものは誰もいなかったのである。
 また、エンジニアの道を志していたメアリーは、数学の学位は持っていても、エンジニアとしての基礎教育を受けていないメアリーに受験資格はなく、しかもその教育は白人が通う学校でしか行われていなかったのだが、その門戸をこじ開けようと努力していた。
 こうしたエピソードが巧みに盛り込まれている。人種差別を声高にヒステリックに叫ぶのではなく、ユーモアたっぷりに仕事と生活を表現していて、観ているものにとって堅苦しさはないしかえって温かくなってくる。
 ガガーリンに先を越されたNASAは、全米注視の中、国家の威信をかけて挑戦を続けているのだが、キャサリン、ドロシー、メアリーの三人の黒人女性たちも差別と偏見に逆らいながら国家のために最大の努力を惜しまないのだった。
 この映画を観ていて、アメリカとは何なのだろうかと考えていた。
 NASAのような最先端にあり高学歴の技術者や職員で構成される集団でありながら差別や偏見を自らただそうとはしないアメリカ。
 差別や偏見に苦しみながらも国家のプロジェクトを積極的に進めようとするキャサリン、ドロシー、メアリーの三人の黒人女性がいるアメリカ。
 そこにはアメリカの健全さと強さが見られたのだが、トランプ大統領はこの映画をどのように見たのだろうかとも思ったのだった。こじつけではなくて、率直に。
 有人宇宙飛行計画で難産の末アメリカはグレン中佐を初めて地球周回軌道に乗せ無事帰還に成功したのだが、帰還の計算式を完成させたのはキャサリンだった。
 映画で流れる音楽は終始ジャズだったのだが、グレンが無事離陸した最高潮のときのバックがマイルス・デイヴィスのAutumn Leaves(日本では枯葉と訳されている)で、とても印象的だった。
 なお、この映画は実在の人物をモデルにしていて、三人の黒人女性はいずれも成功した人生を送ったとラストシーンで紹介されていた。
 監督・脚本セオドア・メルフィ