ABABA’s ノート

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映画『MINAMATA』

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(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)

写真家ユージン・スミスを描く

 写真集『MINAMATA』で水俣病を世界に告発したアメリカの写真家ユージン・スミスを描いている。また、この映画は、ドキュメンタリーではないが、写真集『MINAMATA』に至る軌跡が丁寧に綴られている。
 1971年ニューヨーク。ユージンは数々の戦争写真を『LIFE』に発表しアメリカを代表する報道写真家と目されていたが、この頃には、酒浸りの日々が続いていた。
 アイリーンと名乗る若い日系女性がユージンを訪ねてきて、日本の熊本県にある水俣に行き、公害に苦しむ人々を写して欲しいと依頼される。アイリーンが参考のために持参した写真には水俣病の衝撃的な断片が映っていた。
 意を決したユージンはアイリーンを伴って日本に出向く。水俣では、家を借り移り住む。立派な暗室も設けた。
 初め、人々は顔は写すなと言い、自分の身体を恥じて取材に非協力的だった。ユージンは遅々として進まない取材に隔靴掻痒としていた。
 しかし、取材が進むにつれて、ユージンの写真が水俣病闘争を行っている人々にとって後押しするものとする理解が広まる。他方、チッソは、アメリカの著名な写真家による写真が世界に流布されることを恐れて、チッソはユージンに5万ドルを渡しアメリカに帰るよう買収する。
 この買収に応じないユージンの態度を見たチッソ派の人間はユージンの家に放火し、ネガフィルムの抹殺を実行する。
 この一連の妨害を受けて、報道写真家としてのユージンの心に火がつく。ここでユージンは、被害者の人々に対し、私の取材に協力してくれと呼びかける。そうすると、被害者たちは恐る恐る一人ひとり承諾の手を挙げる。ユージンの写真によって自分たちの惨状を世界に知ってもらおうとしたのだった。結局、ユージンは、MINAMATAの取材のために、3年間も現地に滞在し続けたのだった。
 ユージンの写真が、LIFEに掲載されるや世界に衝撃が走る。水俣病の惨状が世界の知るところとなったのだった。
 それまで、チッソは因果関係を認めず、賠償にも応じる姿勢を見せていなかったのだが、チッソは一転妥協に動いたのだった。
 LIFEの誌面でセンセーションを巻き起こした写真がいくつか重要なエピソードともに採り上げられていた。
 1枚は、チッソの公害垂れ流しの象徴である、チッソ工場の配水管が直接海に排水されている様子を写したもの。もう一枚は、母親が脳性麻痺の娘を抱いて入浴している写真。
 私はユージン・スミスを知らないが、このユージンを演じたジョニー・デップが素晴らしかった。まるで本人かと見まごうリアリティだった。
 なお、アイリーンはユージンと結婚し、アイリーン・美緒子・スミスとなった。アイリーン役は美波が演じた。
 写真集『MINAMATA』は世界に衝撃を与え、公害問題の一里塚となったが、この映画『MINAMATA 』が世界に何をもたらしたのか、その評価はつまびらかではないが、劇中で一つ看過できない言葉があった。國村隼演ずるチッソの高位の人物が「たかが被害者は数人だろう」とうそぶいていたことだった。
 水俣の後にも福島原発事故などと公害や災害が発生し、地球環境が汚染される一方であることをこの映画は改めて知らしめている。
 2020年アメリカ映画。監督・脚本アンドリュー・レヴィタス。