ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

浦賀水道の入口剱埼灯台

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(写真1 三浦半島の東南端に立つ剱埼灯台)
三浦半島 岬と灯台巡り
  先日のこと、三浦半島の岬と灯台巡りを楽しんだ。何度も行っているしわざわざ出かけるほどの距離でもないが久しぶりではあった。
 三浦半島は東を東京湾、西を相模湾に面し、東京から電車で1時間ほどのところ。東京や横浜に向けた宅地化が進み、逗子、葉山、横須賀、城ヶ島などと観光地も多く、古くから開けた地域である。
 半島は、対岸の房総半島に比べればさほど大きなものではないが、人口は60万人ともいわれ、歴史とロマンに溢れていて、そして何よりも画然とした半島性つまり半島としての形状的独立性も高く、豊かな海岸線を持っており個性ある岬と灯台が大きな魅力となっている。
 8月28日。初めに向かったのは剱崎。京浜急行で品川から特急電車で約1時間半。終点三崎口の一つ手前三浦海岸が最寄り駅。この日は平日の午前だったが電車はほぼ10分間隔である。やはり大都市圏である。
  駅前から京急バスに乗車。すぐに三浦海岸に出たが、よく知られた海水浴場である。夏を惜しむかのようにまばらな海水浴客がいた。海岸を離れ丘に登っていくと約20分で終点剱崎。ちなみに沿道は砂地の畑が多かった。かつては三浦大根が有名だったがこの頃はどんな作物が多いものか。
 運転手さんに灯台への道順を尋ねると、信号を左折すればあとは道なりだという。なるほど、その通りに進むとすぐに灯台の上部が見えてきた。どこまで進んでも住宅が点在している。さすがは三浦半島である。

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(写真2 灯台の上部。第二等フレネル式レンズ。実効光度48万カンデラ、光達距離約32キロ。灯質は毎30秒に白2緑1閃光の複合群閃である)
 高みに達するといきなり灯台が眼前にそびえ立った。剱埼灯台である。ここまで徒歩で18分。岬としての剱崎は突端に向かっているという印象が途中までなかったが、灯台に着くといかにも劈頭に立つという爽快感があった。
 剱埼灯台は、真っ白な六角形の塔形で、コンクリート造でなかなかがっしりとしている。灯高が16.9メートルありなるほど大型灯台だ。平均海面から灯火までの高さを示す灯火標高も41.1メートルもある。そのせいか、足下を洗う波浪の音が届かなかった。もっとも、この日は風もないほどに弱かったから波も静かだったのかもしれない。
 三浦半島の東南端に位置し、眼前は浦賀水道であり、房総半島の洲崎灯台と結んで東京湾の入口となっている。座標は灯台の位置で北緯35度08分25秒、東経139度40分38秒である。
 剱埼灯台は、いわゆる条約灯台の一つである。つまり、幕末に欧米列強と結んだ江戸条約で灯台の設置を約束した八つの灯台の一つだが、なるほど、突端に立つと灯台の必要性がわかるようだった。初点は1871年(明治4年)1月11日で、設計はブラントンだった。石造だったという初代は関東大震災で倒壊し現在の灯台は再建された二代目。
 多数の船舶が往来しているが、雲がかかっていてくっきりとは行かなかったが対岸に長く横たわるように房総半島が見えた。ただ、400ミリの望遠レンズを向けたがいい写真にならなかった。正面は金谷か勝山のあたりであろうか。構内に設置されていた灯台を紹介する表示板によれば、晴れていれば伊豆大島や新島、さらに伊豆半島までも展望できるということである。
 ただ、灯台を取り囲むように背は低いものの樹木が茂っていてところどころで眺望が遮られていたのが残念だった。この樹木をもう少し剪定して見晴らしを確保すれば、岩礁に砕け散る激浪が足下を洗う様子や、断崖絶壁の先端に立つ爽快感が味わえたのではないか思われた。この日は平日でもあったからかほかに訪れている人もなく閑散としていた。

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(写真3 海側から見た灯台全景)