ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

浦賀水道四つの岬・灯台

日本海峡紀行

(写真1 洲埼灯台から見た三浦半島)

浦賀水道を渡る③

 浦賀水道を囲む四つの岬・灯台。1日目に三浦半島の剱埼灯台と観音埼灯台を訪ね、2日目には房総半島の洲埼灯台と富津岬を踏破した。
洲埼灯台
 三浦半島久里浜港から東京湾フェリーで房総半島金谷港へ浦賀水道を渡って、まずは洲埼灯台(すのさきとうだい)へ。
 金谷港からJR浜金谷駅までは徒歩8分ほど。内房線で館山へ。勝山や岩井、富浦などと海水浴や釣でにぎわう路線だ。24分。館山は温暖な地らしく鮮やかな明るい駅舎。洲埼灯台へはここからバスが出ている。館山湾を囲むように小さな半島といった趣き。32分で洲埼灯台前。

(写真2 バス停から見上げた洲埼灯台)

 丘の上に灯台の頭が出ている。帰りのバスの時間を確認して灯台へ。徒歩7、8分。よく整備された階段を登っていく。房総半島南西端(北緯34度58分31秒、東経139度45分27秒)である。

(写真3 灯台からは富津方面もしっかりと見えた。それほど、突き出ているということ)

 実に見晴らしがいい。浦賀水道が眼前に広がっている。両腕を広げると、180度の眺望だ。三浦半島が剱崎から観音崎まで見渡せる。房総半島側も富津岬の先までも広がっている。
 対岸の剱埼灯台とこの洲埼灯台を結ぶ線が湾口だが、ここ洲埼灯台の方がほんのわずかだが緯度が低い。つまり、南だということ。

(写真4 白堊の洲埼灯台。ややずんぐりしている)

 灯台は、白い円塔形。ややずんぐりしている。塔高は約15メートル。一般的には表示されていないが、太さは、例によって自分の両腕をいっぱいに広げて測ったところ約10ヒロ。身長の170センチから勘案すると約17メートルということ。太い方だ。海面から灯火までの灯火標高は約45メートルとある。つまり、30メートル近い断崖の上に建っているということになる。ここもそうだが剱埼も観音埼も高い断崖の上に建っていたから、さほど高い塔高は必要ではない。それに水道を照らしているから、光の届く光達距離も18.5海里(約34キロ)程度だ。
 初点銘板はなかったが、地元の教育委員会が設置した看板によると、大正8年(1919年)12月15日の初点灯とある。明治期灯台ではないが、100年を超す歴史があり、国登録有形文化財に指定されている。
 この灯台を訪れるのは三度目だが、前回から6年ほど経って、階段が新たに設けられたり、展望台が設置されるなどの整備が行われていたが、これも登録文化財への指定を機に行われたものかも知れない。そう言えば、バス停から灯台までの途中に新しい住宅が数軒も建っていて様変わりの様相だった。
 帰途、館山駅に戻って、名物の鯨弁当を買おうとしたのだが、電車の時間が迫っていて、用意が間に合わないとのことで諦めたが、大変残念だった。甘塩っぱく煮付けられた独特の味が思い起こされた。

富津岬

 館山駅から青堀駅まで戻り、バスで富津岬(ふっつみさき)へ。ただし、バスは富津岬公園の入口までしか行かず、公園口から岬の突端まで約2キロ。30分歩かねばならない。猛烈に蒸し暑くてこれは辛い。それにしても、このたびの4岬・灯台の訪問は歩くことが多くて、10分以内は先ほどの洲埼灯台だけ。残る剱埼も観音埼も20分の距離。日頃は1時間程度は登りでも頑張って歩いて行くが、この蒸し暑さでは20分でも辛い。それに、多少は体力も落ちてきているようだ。また、この公園内の道はほぼ一直線。嫌になるほど単調。

(写真5 五葉松の姿をした富津岬展望台)

 岬の先端には五葉松のような形をした展望台がある。明治百年記念とある。高さは5階建てくらいか。階段はあるのだが、ヘトヘトに疲れた身にこの階段は辛い。
 最後の気力を振り絞って登ると、まさしく絶景である。要するにこの富津岬は砂州なのである。だから、灯台を建てようとはしなかったものであろう。
 眼前には東京湾と浦賀水道が間近に一望できる。対岸の観音埼灯台が驚くほど近い。10キロほど。房総半島最西端(北緯35度18分4秒、東経139度47分8秒)である。三浦半島最東端の観音埼灯台と比べると、緯度で3分20秒ほど違う。経度も3分ほどの差。

(写真6 砂州が弧を描いて伸びている)

 砂州が弧を描いて伸びている。かつて訪れた際には、岬の先端からさらに砂州が一直線に伸びていて歩いて渡れたものだったが、潮の流れで変化したものらしい。

(写真7 浦賀水道に浮かぶ第一海堡)

 岬のすぐ前には平べったい島が見える。海堡である。二つあって右が第一海堡である。約1.5キロしか離れていない。面積は23,000平方メートルとある。上陸は不可とあった。
 なお、同じ浦賀水道ながら、房総半島側は船舶の交通量が、三浦半島側に比べてやや少ないように思われた。航路がずれているのかも知れない。

(写真8 岬の後背地は砂州が伸びた富津公園)

 背後に目を向けると、富津公園となっている富津岬の全容が望まれた。白砂青松、長い砂州であることがわかる。砂州全体の延長は5キロとのこと。2キロ程度で不満を言っていてはいけなかったのである。(2022年7月8日)