(写真1 作品を前に三浦千波さんと展覧会の様子)
明るくなった画風
三浦千波は、ベテランの域に入ってきた実力派の洋画家。力強いタッチに豊かな色彩で知られ人気が高い。
この三浦千波の個展が銀座の兜屋画廊で昨日1日から開かれている。
会場に足を踏み込んだら明るい色彩が目に迫ってきた。随分画風が変わったという印象を持った。
実は、三浦さんとはかねて昵懇の間柄で、この数十年来その作品を見続けてきた。初期のころはこれが女性の絵かと目を見張るほどの力強い筆運びが特徴だったが、この頃では力強さはそのままに円熟味が増したように感じられる。
三浦さんは岩手県大船渡市の出身。3.11で実家が津波で破壊され、お母さんも九死に一生を得る災難だった。
そういうことで、震災以降三浦さんの画風は目に見えるように暗いものに変わっていった。そういう状態が数年は続いていた。三浦さん自身は「意識して震災をテーマにしているわけでもないが、筆を握ると自然にモノトーンになっていった」とかつて語っていたことがあって、画家の心象というものは如実にカンヴァスに現れるものなんだなと感じていた。
それが今年の個展では見事に明るさが表現されていて、震災以前の三浦千波に戻ったのだと感激していたし、戻るまでに5年も要したのだと画家の難しさに改めて感じ入っていた。
三浦さんの絵は、オレンジ色の使い方が特徴で、それが画面いっぱいに広がっているか、ほんの少しどこかに入っているかはともかくとして強いインパクトになっている。このオレンジ色を基調に緑や青、白などが大胆に組み合わされ、実に色彩豊かな画風を作りあげている。
三浦さんはここ兜屋で開催する個展を画業の中心に据えているようで、2年ごとに開催しすでに20回を数えるというからすごい。こういう銀座でも一流の画廊で長きにわたって個展を開催してきている実力というのは根強い人気に支えられているからでもあるだろう。
出品作品の中では「大船渡」と題された油彩が気に入った。他の作品のような強いタッチというのでもないが、ふるさとを描いたせいか、素直で包み込まれるような温かさが感じられて好ましかった。初めて見る作品で新境地かもしれない。
三浦さんは、毎日必ず筆をとるのだそうで、描き進むうちに構想が具体的になっていくと語っていて、実はデッサンはしないそうである。だから、(意図しない方に筆が走り)「失敗も多くて無駄が大きい」と笑っていた。
また、三浦さんは、画家が個展を開くというのは、自分作品が鑑賞者にどのように受け止められているのか、その反応を知ることができることでも貴重な機会だといい、アトリエにあったときとは違って、きちんと額装し作品として世に送り出すことが、次のモチベーションにもつながるのだと語っていた。
嵐電でぶらり京都観光
(写真1 嵐山駅で発車を待つ嵐電電車)
京都唯一の路面電車
京都を都心から洛西にかけてぶらつくには嵐電(らんでん)が便利だ。
嵐電とは、京福電気鉄道の嵐山線の愛称で、四条大宮を起点に嵐山との間を結ぶ全線7.2キロの嵐山本線と、帷子ノ辻で分岐して北野白梅町に至る3.2キロの北野線で構成される。なお、嵐電は西大路三条駅-山ノ内駅間などが併用区間となっている京都で唯一の軌道線(いわゆる路面電車)である。
嵐電には、線区上は終点になる嵐山から乗った。10月25日。嵐山駅は、渡月橋にも近く嵐山観光の中心に位置しており、周辺は観光客で大変な賑わい。目の前は世界遺産天龍寺である。
ホームには1両の電車。混雑時間帯には2両運転もあるようだ。車体は赤紫色で、嵐電カラーのようだ。ホームの端には足湯があって、高校生が足を浸けていた。私は手を入れてみたがぬるかった。
列車は約10分間隔の運転。発車してすぐに嵐電嵐山。かつて嵯峨駅前といっていたようにJRの嵯峨嵐山駅やトロッコ嵯峨駅にもすぐ。
鹿王院、車折神社、有栖川と続き帷子ノ辻。北野線の分岐駅で、嵐山から北野白梅町への直通運転はないようで、北野線はここから北野白梅町との間の区間運転である。
ここで北野線へ乗換。すぐに撮影所前。太秦(うずまさ)の東映太秦映画村の最寄り駅で、昨年開設されたばかりの新しい駅。
常磐、鳴滝、宇多野と続き次が御室仁和寺。世界遺産仁和寺は駅歩すぐで、かつては単に御室(おむろ)駅と名乗っていたが、仁和寺が世界遺産に指定されたところから駅名を変更したようだ。このほかにも嵐電では駅名を変更したところが多く、新駅の開業も含めて観光路線としての位置づけを強化したもののようだ。そのせいか、平日の日中ではあっても、乗降客が多く全線どこまで乗っていても乗客でほぼ満席である。
次が妙心寺で、ここも大きなお寺。たしか塔頭が100もあったはずだ。続いて龍安寺となり、ここも世界遺産である。とにかく世界遺産に限らず名刹古刹が続くから、乗り降り自由な一日乗車券(500円)は必携である。
等持院を経て終点北野白梅町。駅前には西大路が走り、少し北へ登ると世界遺産鹿苑寺(金閣寺)である。なお、かつては北野線はこの西大路を横切っていたはずで、終点は北野天満宮の脇だったと記憶している。
なお、乗っていて気がついたが、この北野線の区間は全線専用軌道だった。また、列車は沿線の住宅地をかすめるように走っている。また、帰途気がついたが宇多野-鳴滝間はびっしりと桜並木となっていて、春には桜のトンネルとして人気がある。
(写真2 住宅をかすめるように走る嵐電。いかにも路面電車の風情。運転席は中央にある)
いったん折り返して帷子ノ辻で再び嵐山本線に乗り継いだ。
次の太秦広隆寺駅と蚕の杜駅の前後は一般道路との併用区間となっていたほか、嵐電天神川を経て次の山ノ内駅から西大路三条駅の区間は併用区間が続き、いかにも路面電車の様相。
ここでほぼ直角に右折し左折して四条通へと入り、西院を経て終点四条大宮到着。目の前が阪急の四条駅で、乗り換えれば烏丸から河原町へ繁華街へと続く。
途中下車を繰り返していたので正確なところはわからないが、駅間距離が1キロ未満のところが大半だし、所要時間は嵐山本線が25分、北野線が20分程度ではなかったかと思われた。
(写真3 大半は専用軌道だが一部区間は併用軌道となっている。西大路三条駅付近)
京都観光人気第一位
(写真1 伏見稲荷の名物千本鳥居。おびただしいほどの朱色の鳥居が回廊となっている)
伏見稲荷に詣でる
京都はたびたび訪れているし、今さら見ておきたいところも少ないし、同行者の体調も考慮して市街中心をのんびりと巡った。
そういう中で家内共々一致して行ってみようとなったのが伏見稲荷大社だった。ここは二人とも初めてだったのである。
伏見稲荷へは京都駅からJR奈良線で二つ目稲荷駅が最寄り。京都の南東、東山三十六峰の最南端に位置する。
(写真2 外国人観光客の姿が目立って多くにぎやかな伏見稲荷)
駅に降り立つとすぐ眼前に朱色の鳥居や社殿が待ち構えている。大変な賑わいぶりで、特に外国人観光客の姿が目立って多い。欧米人、アジア系問わなくて全体の6割を超しているのではないか。何でも京都における外国人人気第一位の観光スポットらしい。若い女性たちには、この頃の京都観光の人気なのであろう、和服姿が多くて華やいだ雰囲気を振りまいている。
楼門をくぐって本殿へと至るが、すべて鮮やかな朱色である。朱色は魔力に対抗するというから好まれているのだろう。観光客の数が多いからだろうか、境内に厳かさは薄い。
本殿の脇を裏側に回り込むと千本鳥居が始まる。回廊となっているが、びっしり隙間なく並んでいて圧巻である。神社は稲荷山の西麓にあるのだが、鳥居はその稲荷山をどこまでも登っていくのかと思われたほどにおびただしい。崇敬者が奉納したものであろうが、何でも1万本もあるそうである。奉納者名と年月が記されているのだが、10年未満の比較的新しいものもある。
帰途は、にぎやかな門前町を通って京阪電車の伏見稲荷駅に出た。徒歩5分ほど。
京阪に乗ると、四条三条などと都心へは一直線である。河原町から錦市場などをぶらぶらした。
ほどよく疲れたところで喫茶店へ。京都にはいい喫茶店が多いが、選んだのはイノダコーヒ(コーヒーではない)の三条店。本店も近いのだが、私はいつでもここの楕円形のカウンター席が好きである。この席なら店員がコーヒーを淹れている様子が見えていい。大きなステンレス製ポットのネルドリップにしゃもじで熱湯を注いでいる姿が面白い。
(写真3 イノダコーヒ三条店の様子。しゃもじでコーヒーを淹れている姿が面白い)
特別展覧会「国宝」
(写真1 国宝展が開催されていた京都国立博物館平成知新館)
京都国立博物館開館120周年記念
先週は京都に旅行したが、この国宝展を見るのも大きな楽しみだった。
実に200件を超す国宝が展示されていていかにも豪華。美術工芸品で国宝に指定されているものは現在約900件というから、何と約四分の一が集結したことになる。しかも、展示は絵画や彫刻から陶磁器、漆芸、書、考古品など広範に及んでいたから見応えがあった。ただ、約2ヶ月の会期中4回の展示替えがあって、通期で出品されているもののほうが少ないくらいだったから、目当てのものが展示されていなくて残念なこともあった。
大変な混雑が続いていると喧伝されていたから覚悟して出かけたのだが、平日の夕方だったせいかさほどでもなく、じっくりと見ることができた。
注目したもの幾つか。
雪舟がまとまって展示されていた。秋冬山水図、天橋立図と並んで慧可断臂図が相変わらず断然良かった。慧可が達磨に弟子入りを請う場面で、決意を示すために自分の左手首を切り落として持参しているのが凄まじい。ただ、達磨の表情にはユーモアも感じられて不思議だ。なお、私が訪れたのは第Ⅱ期だったのだが、第Ⅰ期においては、雪舟作で国宝に指定されている6点全作品が展示されていたという。画家で国宝に指定された作品数がもっとも多いのが雪舟なのである。
彫刻では、12世紀大阪・金剛寺の大日如来座像がどっしりと穏やかな存在感の中にも厳しい眼差しがあって感心した。また、渡来ものだが、中国・唐時代の兜跋毘沙門天立像(東寺所蔵)がすらりと背が高くきりりとした美男ぶりが良く、中国における彫刻の世界がうかがい知れて興味深かった。
人気が高く長い列ができていたのが曜変天目茶碗(中国・南宋時代、京都・龍光院)。まるで宇宙のかがやきを見るような斑文があってなるほど素晴らしいものだった。なお、曜変天目茶碗は現存するもの世界に三つ(そのすべてが日本にあり国宝指定)しかないもの。
何しろ国宝ばかり展示されているわけだから枚挙にいとまがないが、好みでいうと、土偶で縄文のビーナス、仮面の女神、縄文の女神が揃って出品されていたのが圧巻だった。これらはいつ見ても不思議な魅力にとらわれるが、初めて見て感服したのは火焔形土器(新潟県十日町市篠山遺跡出土)と呼ばれるもの。縄文時代のものとは思われない造形の美しさがあり、しかもほぼ完全な形で残っていたことに感心した。なお、土偶でこれら4点の国宝が揃って展示されたのは初めてのことだとのことである。
(写真2 土偶。左から縄文のビーナス、仮面の女神、縄文の女神=会場で販売されていた絵はがきから引用)
不動まゆう『灯台はそそる』
灯台に寄せるほとばしる愛情
著者は灯台女子であり灯台マニアだと自ら名乗っているが、いやはや灯台に寄せるほとばしるほどの愛情が素晴らしい。灯台に関する知識も深くて、ちょっと古い表現になるがまるで灯台博士だ。
内容的には、灯台マニア養成講座であり、灯台知識基礎講座である。灯台の持つ奥深さに触れることができるが、本書の魅力であり重要なところは内容が極めて啓蒙的だということである。そういう意味では、本書は単なるマニア本を超えて灯台の社会的啓蒙講座でもある。
第1章がいきなり「灯台の愛し方」とあって、レンズのことなど灯台鑑賞のポイントがやさしく解説されていて灯台の魅力がふんだんに紹介されている。
ここまで読むと灯台に行ってみたくなるが、初めてでも楽しめる灯台が紹介されており早速実践講座へと入っていく。つい講座などと堅苦しく書いてしまったが、表現はやさしく丁寧だしとてもわかりやすい。しかも、灯台を訪れる道中に必要な6つの道具などというものまで紹介してあってとても親切。
次が基礎知識編。灯台の役割から種類、歴史、構造などとあって灯台の光源にまで及んでいる。
続いて、世界の灯台が紹介されているが、本書の特徴は「灯台守」について結構なページを割いて紹介していること。灯台守とは、灯台に住み込んで灯台の管理運用をする人たちのこととでも言えるのだろうが、現在は自動化によって常駐の必要はなくなっているとのこと。
本書は、現在では死語になりつつある灯台守について、どのような仕事であり生活だったのか、かつて灯台守だった人たちを探し出してインタビューしている。このこと自体が貴重なのだが、そのインタビューが灯台守の人たちに対する敬意とやさしさににじみ出ていてとても印象深いものとなっている。
そして、灯台はGPSの発達などによってその存立が大きく変化してきているもののようで、本書では灯台のあるべき姿にまで言及していて極めて啓蒙的な内容となっている。
それにしてもこの灯台女子はすごい。本書で取り上げられた灯台を数えてみたらざっと170基ほどにもなった。見落としもあるだろうし、重複もあるだろうが、いずれにしても著者は言及した灯台のすべてに実際に足を運んでいる様子で、美しい写真も収めている。
本書は灯台とは何か、その魅力を発信する内容となっているが、次作では是非灯台紀行を書いてもらいたいものだと思ったのだった。もちろん本書にもそのページはあったのだが、もっと本格的な紀行文が読みたいのである。
(光文社新書)
特別展「運慶」
(写真1 特別展「運慶」の会場入口の様子)
傑作が揃い圧巻
興福寺中金堂再建記念特別展として東京国立博物館で開催されている。
東大寺南大門の入口で睨みを利かせている金剛力士立像吽形・阿形2躯で親しまれ日本でもっとも著名な仏師であろう運慶の傑作が揃っていた。奈良・興福寺のみならず静岡・願成就院や神奈川・常楽寺などと全国から集まった運慶作として現存31躯とも35躯とも伝わる仏像のうち実に21躯が展示されていて圧巻だった。ほかにも父親の康慶や息子の湛慶などと慶派一族の作品もあって見どころが多い。何しろ運慶展としては史上最大規模だということである。
運慶のデビュー作といわれる「大日如来座像」(国宝、奈良・円成寺)は鋭い眼差しから緊張感が伝わってくるし、「毘沙門天立像」(国宝、静岡・願成就院)は生き生きとしていて誇張の少ない写実性が感じられた。
また、「八大童子立像」(国宝、和歌山・金剛峯寺)では6躯が出品されていたが、このうち衿羯羅(こんから)童子立像は可愛らしさまで感じられて表情豊かでリアルだったし、制多伽(せいたか)童子立像は目に力があり頬の肉付きも良くて生き生きとしていた。
運慶仏の魅力は、まずはその写実性であろうか。表情が豊かだしまるで実在の人物をモデルにしたように思われる。事実そうだったのかもしれないが、これは運慶の独創性であろうか。また、玉眼を多用していたのも運慶の特徴のようで、これによっていっそう表情が生き生きとしていた。
頂点は、「無著菩薩立像」と「世親菩薩立像(国宝、奈良・興福寺)の2躯であろう。見ていると感動が襲ってきて体が震えるようだった。ともに2メートル近い大きな一木造りということだが、圧倒的存在感があった。無著と世親は兄弟で、インドの僧とのこと。実在の僧をそのまま仏像に彫刻したのではないかとさえ思われた。
無著菩薩立像には慈しみがありやさしく語りかけながらどこかに愁いも感じられて難しくも不思議な魅力に溢れた仏像となっていた。また、世親菩薩立像には気難しさがありながらも何事も見透かす鋭い眼光が感じられた。
それにしても運慶仏は、仏像としての有り難みがひしひしと伝わってきて、いつまでも拝んでいたい気持ちになったと当時に、これは彫刻作品としてはもうミケランジェロやロダンを超えているのではないかとさえ感じ入ったのだった。そうすると、運慶は平安末期から鎌倉初期の人だが、我々は千年近くも前から世界を超える彫刻作品とともあったということにもなろう。
(写真2 運慶作「無著菩薩立像」(部分)=会場で販売されていた絵はがきから引用)
映画『ドリーム』
(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)
感動的な映画
実に感動的な映画だった。いい映画を観たという満足感が強かった。
人種差別が取り上げられているのだが、今さらというところが微塵もないし、エピソードが巧みでまったく陳腐化されていないことに率直に感心した。
1961年のジョージア州ハンプトンにあるNASA(アメリカ航空宇宙局)のラングレー研究所が舞台。この時代、ジョージア州のような南部には人種差別が色濃く残っていたし、また、アメリカはマーキュリー計画を掲げ、NASAは有人宇宙飛行計画においてソ連との間で熾烈な競争を行っていた。
主人公は、ここで働くキャサリン、ドロシー、メアリーの三人の黒人女性たち。キャサリンは天才少女だったし、三人とも数学者として才能豊かなのだが、与えられている仕事はあくまでも下働きの計算係だし、臨時雇いの身分。
キャサリンが配属されたのはタスクグループ。ラングレーの中枢なのだが、職場は白人の男性ばかり。まともな相手もしてもらえないし、仕事も検算のような単純な計算ばかり。
ある時、書類に重大なミスのあることを発見したキャサリン。声に出しても誰も取り上げてくれないだろうし、無断だったのだが大きな黒板に正確な計算式を書いていったのだった。
これを見たグループ長は、キャサリンの能力を次第に認めていくのだが、キャサリンがたびたび長い時間席を外すことを咎めると、キャサリンは「このビルには私たちが使えるトイレが一つもないし、colored(字幕では非白人用と訳していた)のトイレは800メートルも離れたところにしかないのだ」と訴える。
一方、ドロシーは大勢の黒人女性たちが計算係として働くチームを率いていたのだが、ラングレーにIBMのコンピュータが導入されるや、単純作業しかしない計算係はいずれ不要になることを察知、いち早くプログラミングなどの勉強を始める。その頃、コンピュータは導入したものの使えるものは誰もいなかったのである。
また、エンジニアの道を志していたメアリーは、数学の学位は持っていても、エンジニアとしての基礎教育を受けていないメアリーに受験資格はなく、しかもその教育は白人が通う学校でしか行われていなかったのだが、その門戸をこじ開けようと努力していた。
こうしたエピソードが巧みに盛り込まれている。人種差別を声高にヒステリックに叫ぶのではなく、ユーモアたっぷりに仕事と生活を表現していて、観ているものにとって堅苦しさはないしかえって温かくなってくる。
ガガーリンに先を越されたNASAは、全米注視の中、国家の威信をかけて挑戦を続けているのだが、キャサリン、ドロシー、メアリーの三人の黒人女性たちも差別と偏見に逆らいながら国家のために最大の努力を惜しまないのだった。
この映画を観ていて、アメリカとは何なのだろうかと考えていた。
NASAのような最先端にあり高学歴の技術者や職員で構成される集団でありながら差別や偏見を自らただそうとはしないアメリカ。
差別や偏見に苦しみながらも国家のプロジェクトを積極的に進めようとするキャサリン、ドロシー、メアリーの三人の黒人女性がいるアメリカ。
そこにはアメリカの健全さと強さが見られたのだが、トランプ大統領はこの映画をどのように見たのだろうかとも思ったのだった。こじつけではなくて、率直に。
有人宇宙飛行計画で難産の末アメリカはグレン中佐を初めて地球周回軌道に乗せ無事帰還に成功したのだが、帰還の計算式を完成させたのはキャサリンだった。
映画で流れる音楽は終始ジャズだったのだが、グレンが無事離陸した最高潮のときのバックがマイルス・デイヴィスのAutumn Leaves(日本では枯葉と訳されている)で、とても印象的だった。
なお、この映画は実在の人物をモデルにしていて、三人の黒人女性はいずれも成功した人生を送ったとラストシーンで紹介されていた。
監督・脚本セオドア・メルフィ