ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

最長片道切符の旅 北海道版

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(写真1 稚内→函館間が最長となる片道切符=使用開始前の状態)

稚内から函館へ一筆書き1,492.1キロ

[序曲]
 昨日9日まで1週間にわたり北海道に旅行した。このたびの旅行では、北海道内を一筆書きに最長片道切符で巡った。5日に稚内を出発し9日に函館に到着した。所要4泊5日だった。もちろん途中下車はしたものの鉄道三昧の旅だった。
 鉄道は、JRは全国の全線を全二周もしたし、私鉄も含めた日本全国全鉄道全線を制覇しているし、次は、究極の鉄道旅行と言われる最長片道切符の旅が念願だった。
 ただ、これには、北海道から九州に至るまで巡るにはざっと40日ほどもかかるようだし、現役時代には到底不可能で、退職後の楽しみにとっておいていた。
 退職に併せて様々な役職からも離れるように算段してきたものの、しかし、逃げ切れない役職もあったり、退職後も細切れなから所要があったりして、不義理を気にしているうちに時間がどんどん経っていった。
 また、いざ、最長片道切符のルート探索を初めても、モデルケースはあるもののこれがなかなか難題で、廃線があったり、新線が開業したり、災害による長期の不通区間があったりと、そのつどルートを見直さなければならず、いつしかお手上げの状態となっていた。
 それで、日本列島を鉄道で外周することはどうだろうかと考えた。これならば一筆書きにしなければならないという制約もないし、好きな岬も併せて回れるという楽しみもある。しかし、ざっと考えただけでも、この列島外周鉄道旅行は、JR以外の路線も少なくないし、一筆書きにならない分鉄道運賃も高いものとならざるを得ないし、日数も随分とかかりそうだ。そして、何よりも、震災からの復旧が未だなっていない区間をネグってはできないという強い思いもあって早々と断念していた。 
  一方で、そんなこんなをぐずぐずと腐心していることとは別に、夏の北海道に出掛けてみたいと時刻表をくくっていた。北海道には毎年のように訪れているし、今さら積極的に見たいところもないのだが、のんびりと鉄道旅を楽しみたいと夢想していたのだった。
 それで思いついたのが北海道内最長片道切符の旅。北海道内を一筆書きで回ろうというわけである。列島を縦断する最長片道切符の旅の北海道版である。
 すぐに検討を始めた。ルートづくりは容易で悩むようなこともなかった。何しろ、今のJR路線は合理化が進んで鉄道地図はすかすかである。
 ところで、最長片道切符とは、ルートが途中で重複しないで、当然、同じ駅を二度通らずに発駅から着駅まで最長となる片道乗車券のこと。いかにして遠回りをするかということであり、鉄道ファンでもなければ呆れるようなことである。なお、ルート上の途中下車は自由である。
 究極の鉄道旅行とも呼ばれ、多くの好事家が最長ルートを研究し実践してきた。有名なのは鉄道紀行の泰斗宮脇俊三さんで、その紀行分『最長片道切符の旅』は、国鉄全線完乗を記した『時刻表2万キロ』とともに今や鉄道紀行の名著である。また、近年ではNHKのテレビ番組で関口知宏さんが列島縦断を成し遂げている。

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(写真2 北海道最長片道切符ルート図)

 私が作ったルートは次の通りである。
 ・区間=稚内→函館(片道1,492.1キロ8路線)。これはJR北海道在来線13路線2,387.1キロの62.5%となる。
 ・経路=稚内(宗谷本線255.7キロ)新旭川(石北本線234.0キロ)網走(釧網本線169.1キロ)東釧路(根室本線253.8キロ)富良野(富良野線54.8キロ)旭川(函館本線96.2キロ)岩見沢(室蘭本線67.0キロ)沼ノ端(千歳線56.6キロ)白石(函館本線242.6キロ)森(函館本線東森経由62.3キロ)函館
 ・運賃 16,830円(なお、この運賃は大人の休日倶楽部会員として3割引となり、実際には11,780円だった)
 ただし、森-大沼間には、東森経由と大沼公園経由と二つのルートがあって、この間の運賃計算キロについては、最長区間である東森経由なら35.3キロのところ、JRの旅客営業規則第69条(特定区間における旅客運賃・料金の営業キロ又は運賃計算キロ)第(1)号の規定に従って、大沼公園経由の22.5キロとして計算することとなっている。このため、運賃計算上だけなら1,479.3キロとなるところ、実際には 最長区間となる東森経由で乗っているから、1,492.1キロとなっているのである。営業キロと運賃計算キロが異なることはままあるが、その差はここでは12.8キロ。
 こうした計算をした上で、経路を細かく記したメモ書きを持って秋葉原駅の窓口に出向いた。列島縦断ならともかく北海道内だけならたいした手間もかからないと思ったのだが、窓口の女性は悪戦苦闘で、しばしば席を外し、バックヤードで何やら相談している様子。このため発券までに90分も要し、私の後ろには長い列ができてしまった。急ぐ旅でもないし、切符は後日受け取りに来ると申し述べたのだが、そうもいかないと言って続けていた。
 やはり手間取ったのは森-大沼間のようで、コンピュータは発駅と着駅を入力すれば最短最安のルートを選ぶ。それで、窓口の女性は、森-大沼間では途中下車するのかと問うから、途中下車うんうんではなく、最長のルートで旅をするつもりなのだと伝えた。
 また、大沼-七飯間も厄介なルートで、上りと下りではルートが違うし、そもそも通称藤城線と呼ばれる下り線には独自の営業キロさえないのである。このたびは上り線経由だから事なきを得たが、普通列車の下りの場合は七飯を出ると新函館北斗、仁山の2駅は通らないから運賃計算のしようがないことになるが、どうやら仁山経由のルートを適用するようだ。
 なお、このたびの最長片道切符の旅では、北海道新幹線は含めないことにした。新幹線まで含めると、新青森まで伸びてしまい、道内で完結しないので敬遠した。
 また、並行在来線の措置として第三セクターに転換された道南いさりび鉄道についても、通過連絡運輸の規定を利用すれば、1枚の切符に含めることはできるのかもしれなかったが、初めからルートには入れなかった。
 そうやってできた切符は、券面を見ると、「稚内→函館」と大きく印字され、経由には宗谷・石北・釧網・根室線・富良野線・函館線・志文・千歳線と8線区もあり、コンピュータでは出力しきれなかったのか、千歳線のあとに手書きで函館線と記入してある。なお、志文とは室蘭本線上の駅名である。
  稚内には出発日の前日までに乗り込むことにした。ところが、稚内まで東京から鉄道を利用しようと思うと、東京6時32分発はやぶさ1号で出て、新函館北斗、札幌、旭川と特急を乗り継いで稚内到着が23時47分となる。いくら鉄道好きとは言え、17時間も乗り続けるのはいかにもつらい。それで、旭川まで飛行機で行き、旭川から鉄道に乗り継ぐことにしたのだが、夏休みの多客期のこと、希望の航空便が確保できない。家内からは、毎日が日曜日の男が何でこんな時期に旅行するのか、夏休みにしか出掛けられない人たちに譲りなさいとのご託宣。それもそうだとは思ったものの、すでに気持ちの上では汽車は動き出している、それで旭川にはさらに前日に入ることにして家を出たのだった。つまり、稚内まですでに二日がかりと言うことになるが、やはり稚内は遠い。
 また、苦労したのはホテルの確保。ルートは決まっているのだから、あとは時刻表をくくればいいだけのことだが、希望するところで宿が取れない。夏の北海道は人気なのだろう。それで宿泊する場所を手前にしたり先に延ばしたりして何とか日程を決定したのだった。

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(写真3 最長片道切符の旅北海道版の起点稚内駅=8月5日午前5時25分)

灯台紀行:門脇埼灯台と城ヶ崎海岸

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(写真1 門脇吊橋の手前から見た門脇埼灯台)

サスペンスドラマの舞台

 城ヶ崎海岸は伊豆半島中部の相模湾に面した風光明媚な海岸。海岸線は、溶岩が海の浸食によって削られた絶壁が9キロにもわたって連なっている。
 伊豆急の城ヶ崎海岸駅が最寄り駅。駅舎はログハウス風のとてもしゃれた建物。ホームには足湯もある。海岸へは、伊豆高原別荘地を抜けていくと近道。高級な別荘が建ち並んでいて、緩やかな坂道を下っていくと約20分で目的地。
 よく整備された公園になっていて、中心は門脇埼灯台と門脇吊橋。

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(写真2 下部は展望台になっている門脇埼灯台)

 門脇埼灯台はちょっと変わった形。展望台の上部に灯台がのっているという様子。いわゆる一般の灯台のように灯台の回廊を展望台にしたと言うことではなくて、展望台へはらせん階段で昇降する。展望台の位置で高さ17メートル。灯台の頂部までなら地上24.7メートルとなる。展望台はガラス張りになっている。そばからは灯台の頂部が見えない。
 そもそもの灯台は、昭和35年に初点灯したのだが、伊東市の要望により平成7年に現在のような形に改築されたとのこと。灯台には、新旧二つの灯台の概要を記したパネルが貼り付けてあって、それによると、新灯台は塔高がやや高くなり、光達距離も伸びている。

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(写真3 展望台から見た周囲の風景)

 展望台からの眺めはとてもいい。荒々しい断崖が連なっている様子がよくわかる。よく晴れていれば、大島はもとより、遠く房総半島の洲崎までも見えるのではないか。
 すぐそばには門脇吊橋がある。観光地ということでは灯台よりも人気があるのではないか。小さな入江を跨いでいて、長さは48メートルだが、高さは23メートルもあって、がっしりしていたから揺れることはなかったが、足がすくむ人はいるかもしれない。
 このあたり一帯は、サスペンスドラマの舞台としてしばしばテレビに登場していて、このことによっても人気が高まっている。実際、吊橋から灯台を望む風景は秀逸な絵になっている。まるで毎週火曜に放送されるドラマのイントロの曲が聞こえてきそうだ。それにしても、この手のドラマのラストシーンはどうしてこうも断崖になるのであろうか。

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(写真4 絶壁を跨ぐ門脇吊橋)

<門脇埼灯台メモ>(灯台表及び灯台に貼り付けてあった銘板等から引用。括弧内は旧灯台)
 航路標識番号/2434[国際番号M6303」
 位置/北緯34度53分4秒 東経139度08分4秒
 所在地/静岡県伊東市
 塗色・構造/白色塔形
 灯質/単閃白光 毎10秒に1閃光
 実効光度/10万カンデラ(10万カンデラ)
 光達距離/18海里(17海里)
 明弧/180度~62度
 塔高/24.9メートル(17.7メートル)
 灯火標高/43.7メートル(36.7メートル)
 初点灯/昭和35年3月(平成7年4月改築)

灯台紀行:爪木埼灯台

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(写真1 須崎半島突端に立つ爪木埼灯台)

伊豆半島南東須崎に立つ

 相模湾と駿河湾を分かつ伊豆半島にあって南端は石廊崎灯台であり、下田港沖合10キロほどのところににある神子元島灯台とともに大きな道標だとすれば、爪木埼灯台は伊豆半島南東の須崎半島の先端にあって、相模湾に入ろうとする船舶にとって湾の方向を誘う門灯のようなものか。まるで対岸のように大島が大きく見えている。
 伊豆急下田駅から日に4本と本数は少ないが東海バスのバス便があり約20分。終点爪木崎下車。終点近く途中には須崎御用邸がある。

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(写真2 バス停から見た小高い丘の上の爪木埼灯台)

 バス停からは、海に突き出た小高い丘のように見えていたが、それが半島の先端で灯台がちょこんと顔をのぞかせていた。
 徒歩10分ほど。実際にも小さな岬で、細い尾根を進むとまるで劈頭に立つように真っ白な灯台があった。円塔形で、塔高は17メートルと大きくはないが姿のいい灯台だ。灯塔に貼り付けられていた初点銘板によると、初点日は昭和十二年四月一日とあった。コンクリート造であろうか、表面はタイル張りになっていた。また、下部はむき出しのコンクリートだった。

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(写真3 南側から見た須崎半島と爪木埼灯台)

 大島が間近に見えるほか、右手前方の沖合には神子元島が見えている。神子元島灯台は、明治3年、いわゆる江戸条約によって建設された灯台。なお、灯台は断崖ぎりぎりに立っていて、海側から写真を撮ることは難しかった。
 後背に目を転じると、荒々しい磯になっていて、柱状節理によるものだという。俵磯と呼ばれているらしい。
 また、灯台周辺は、爪木崎自然公園になっていて、遊歩道などが整備されているようだった。また、ここはスイセンの群生地としても知られ、そういうところから、ここには、日本ロマンチスト協会によって恋する灯台プロジェクトで「恋する灯台」に認定された看板が立っていた。

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(写真4 海側から仰ぎ見た灯台の姿)


<爪木埼灯台メモ>(灯台表等から引用)
 航路標識番号/2441
 位置/北緯34度39分5秒 東経138度59分2秒
 所在地/静岡県下田市
 塗色・構造/白色塔形
 灯質/単閃白光 毎4秒に1閃光
 光達距離/12海里(約22.2キロ)
 明弧/180度~62度
 塔高/17メートル(地上- 塔頂)
 灯火標高/38メートル(平均海面- 灯火)
 初点灯/1937年(昭和12年)4月1日
 管轄/下田海上保安部

兵庫県川西市のヨ14047

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(写真1 喫茶店ジャーニーとして使われていたヨ14047)

シリーズ車掌車を訪ねて

 阪急宝塚本線川西能勢口駅から徒歩7、8分というところか、駐車場の入口付近に車掌車が置かれている。通りから見えるのだが、何か様子がおかしい。ここはジャーニーという喫茶店として使用されていたのだが、閉店になっていた。入口のドアには、「本年二月一杯で閉店」との張り紙があった。ここを訪れたのは2019年5月27日だったが、本年二月がいつの2月なのか、外装の痛み具合などからするとあるいは数年前かもしれない。
 私は、私が車掌車に関するバイブルのように重宝している笹田昌宏さんの『車掌車』でその存在を知ったのだが、ちょっと遅かったようだ。この駅は年中通っているのに途中下車しなかったことが悔やまれた。
 車体から車両番号は消えていたが、『車掌車』によれば、ヨ14047とのこと。なお、車輪は掘り下げた地中に線路を敷いて落とし込まれているとのこと。随分と丁寧に扱っていたわけだ。
 また、同書のグラビアによれば、喫茶店としてとてもいい雰囲気を醸し出しており、30年も続いた人気店だったとのこと。閉店の理由はわからなかったが、残念なことをした。私の夢は、車掌車を1台購入し、貨物列車に連結してもらい、書斎代わりに全国津々浦々をふらふらすることだが、それがかなわぬなら、喫茶店にでもしたいものだと念願していたから、ジャーニーの存在は気になっていたのだった。

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(写真2 ヨ14047の側面)

王子動物園のヨ6692とヨ14542

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(写真1 SLに牽引されて2両の車掌車が連結されている)

シリーズ車掌車を訪ねて

 神戸市立王子動物園は、阪急神戸本線王子公園駅から西へ徒歩2分。神戸市灘区王子町所在。なかなか大きな動物園で、ジャイアントパンダやコアラもいる。
 正面ゲートから入って、フラミンゴの前を左へと進むとほどなくふれあい広場。ウサギやヤギ、ヒツジなど小さな子ども向けの動物たちの一角にD51蒸気機関車がでんとあり、そのSLに引かれるように2両の車掌車が並んでいる。
 編成は、D51211+ヨ6692+ヨ14542。3両ともきれいに塗装が施され、外観はとても美しい。

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(写真2 ヨ6692外観)

 車掌車2両の内、ヨ6692は形式ヨ6000形。不足するヨ5000形を補完する形で製造されたもので、窓が三つというのが特徴で、これは車体長が6.4メートルと、ヨ5000形の7.0メートルに比べやや短い。これによって乗務設備を3人分から2人分に減らした。

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(写真3 ヨ6692の室内)

 展示車両は、室内は改造されてクロスシートとロングシートの客車用シートが配置されていた。

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(写真4 ヨ14542外観)

 次のヨ14542は、形式ヨ5000形。ヨ3500形に2段リンク化を行ってヨ5000形に編入したもの。外観はヨ3500形と同じで、窓が四つある。

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(写真5 ヨ14542室内)

 展示車両は、室内は改造されていて、テーブルに倚子や長椅子が配置されていた。
 2両とも開放されていて、きちんと清掃もされていて、自由に使用できるようになっていた。

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(写真6 車掌車2両を牽引しているD51211)

灯台紀行:江埼灯台

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(写真1 夕陽を浴びる江埼灯台)

明石海峡を照らす

 江埼燈台は、淡路島で明石海峡に面して立つ灯台。対岸は明石で、海峡は最狭部は幅がわずかに3.6キロ。大阪湾と播磨灘を分かつところであり、海上交通量が非常に多い。
 淡路島には明石港から旅客船で渡った。山陽明石駅から徒歩5分ほど。淡路ジェノバラインが明石港と淡路の岩屋港の間を結んでいる。旅客用でこのルートにはフェリーの運航はないようだ。
 日曜の夕方だったのだが、大半が常連客のようで、観光客の姿は目立たなかった。高速双胴船で、自転車とオートバイは乗船できるようだ。

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(写真2 巨大な明石海峡大橋)

 明石港を出ると斜めに海峡を横切っていく。すぐに明石海峡大橋が見えてくる。世界最長の長大橋で、全長が3,911メートル。海峡は流れの速いことで知られているが、この時間帯は潮流の影響はさほど感じられなかった。
 大橋が近づいてくるとその巨大さに圧倒される。それもそのはず、何しろ海峡を一またぎしているのだから。特に、海面上298.3メートルもある主塔の高さには感嘆するし、世界最長の中央径間もすごい。世界最大の鋼構造物であり、その製作に溶接技術があったことは言うまでもない。
 やがて船は大橋の下をくぐって岩屋港へと入っていく。この間わずかに10数分。料金は500円。なお、大橋の下をくぐった際に見上げた補剛桁の巨大さには感動した。
 岩屋港の周辺は街になっていた。ここから灯台までは4キロ弱ほどか。最悪歩くことも覚悟をしていたが、幸いタクシーが待っていた。
 タクシーなら海岸沿いをわずかに10分弱。小さな公園があって、5台ほど停められる駐車場もあって、目印となる高さ数メートルほどの灯台の模型もあった。その脇が灯台への登り口となっていた。
 タクシーには待っていてもらうことにして、さて、登ろうかとしたところ、階段を降りてきた初老の女性がいて、途中が薄暗くて恐くなり戻ってきたとのこと。それで、タクシーの運転手が、この旦那が今から灯台に登るらしいからついていったらいいと助言。
 然らばご一緒にということで登り始めたのだが、なるほど鬱蒼としている。しかし、そんなことよりも階段がきつい。それも階段の踏み幅が狭いから、まるでつま先だけで登っていくようで、とてもかかとまでは踏み込めない。全国の灯台にはこういう階段がままあるが、これはつらい。

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(写真3 灯台から見た明石海峡)

 階段も急なのだが、それでも10分とかからず灯台に。眼前に明石海峡があり、すぐ対岸に明石の街が迫っている。一緒に来た女性が、明石に住んでいて、毎日この灯台の灯りを見ながら暮らしているとのこと。それで、灯台から見たら自分の家がどのように見えているのか知りたくて、初めて訪れてみたのだということ。なるほど、女性の指さすマンションが視認できるほどに近い。
 海峡に灯台は必ずというほどにあるものだが、なるほど、これほど対岸の近い距離は珍しい。明石側は、海際までマンションが屹立しているように見えるし、すぐ右横には明石海峡大橋が勇姿を伸ばしている。

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(写真4 海側から見た灯台)

 灯台はずんぐりしたつくり。半円形のように見えるが、実際は円形の灯塔に付属舎がついたもの。真っ白な大型灯台だ。塔高はさほど高くはないからレンズが間近に見える。日本における灯台の父ブラントンの設計で、同じような形のものは北九州の部埼灯台などもそうで、全国で時折見かける。

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(写真5 レンズは第3等フレネルレンズ)

 灯台に貼り付けてあった初点銘板によれば、初点灯が明治四年(辛未)四月二十七日(旧暦)とあったが、これはいわゆる大坂条約で欧米列強と建設を約定した5基の洋式灯台のうちの一つで、御影石を使用した石造。最初の光源は石油ランプだったらしい。歴史的文化財的価値が高いところからAランクの保存灯台に指定されている。また、近代化産業遺産でもある。
 ちなみに、大坂条約の5基とは、この江崎のほか六連島、部埼、友ヶ島、和田岬の各灯台で、関門海峡から紀淡海峡まで瀬戸内海を結ぶような位置にある灯台である。
 灯台が建っているのは海抜40メートルほどの高台。眼下を通る船舶がよく見える。1日に1,400隻も通過するというほどに交通量が多い。この狭い海峡を通過する際には独自のルールがあるようで、全長50メートル以上の船舶は右側通行と定められているという。
 日が暮れてきたが、まだ灯台は点灯しない。くだんの女性の話によると、この灯台は白と赤が交互に光るらしい。光達距離は白光で18.5海里(約34.3キロ)というから、対岸はもとより随分と遠くまでを照らしている。
 来るときには大橋にばかりに注意がいって気がつかなかったが、帰途の船上から見たら、岬の中腹にある灯台がかすかに視認できたし、そのさらに高いところには通称大坂マーチスと呼ばれる大阪湾海上交通センターの白い建物が見えた。まだ灯台は灯りを灯していなかった。また、江埼の先に落ちる夕日が美しかった。

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(写真6 帰途の船上から見た江埼の先に落ちる夕日)

<江埼灯台メモ>((灯台表及び燈光会等が現地に設置した看板、ウキペディア等から引用)
 航路標識番号[国際標識番号]/3801[M5796]
 位置/北緯34度36分23秒 東経134度59分36秒
 所在地/兵庫県淡路市野島江崎
 塗色・構造/白色 塔形 石造
 レンズ/第3等不動フレネル式
 灯質/不動白赤互光 白色5秒 赤色5秒
 実効光度/白光6.2万カンデラ 赤光2.4万カンデラ
 光達距離/白光18.5海里(約34.3キロ)赤光16海里(約29.6キロ)
 明弧/61度~266度
 塔高/8.27メートル(地上- 塔頂)
 灯火標高/48.5メートル(平均海面- 灯火)
 初点灯/1871年(明治4年)6月14日
 管轄/海上保安庁第五管区海上保安本部神戸海上保安部

N響 夏 2019

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(写真1 演奏開始直前の客席の様子)

ロシアとフィンランド 北国の叙情

 NHK交響楽団の演奏会が7月19日、NHKホールで行われた。毎年夏恒例の一般向けの演奏会で、スポンサー岩谷産業。指揮はモスクワ生まれのディマ・スロボデニューク。
 今年の演目は二つ。1曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18。ピアノはマケドニア生まれのシモン・トルプチェスキ。
 ピアノ協奏曲第2番は、ラフマニノフの代表曲で、馴染みやすいメロディもあって親しめた。同じロシアの作曲家としてラフマニノフが尊敬するというチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番ほどではないにしても、印象的な出だしがあって、大胆にして繊細、ラフマニノフの魅力を引き出す情感豊かな演奏だった。
 特にピアノは力強くも闊達な演奏で、心の底に染みいるようなメロディを弾いてきれいな音に感心した。また、演奏中の仕草が独特で、天井を見たり、第一ヴァイオリンの方を振り返ったり、指揮者をのぞき見たりと忙しかった。また、万雷の拍手に誘われて弾いたアンコール曲は、日本古謡「さくらさくら」をアレンジしたもので印象深いものだった。
 2曲目は、シベリウスの交響曲第2番ニ長調作品43。これも好事家の間でシベ2と呼ばれて親しまれている曲で、時にミステリアスに感じさせる豊かなメロディーが印象的だった。ただ、交響詩「フィンランディア」のようなフィンランド人としてののアイデンティティーをことさらに感じさせるようなものには受け止めなかった。
 なお、1曲目の時もそうだったが、オーボエやフルート、クラリネットの演奏がよかった。特にオーボエなどはもう少し長い演奏ならより印象深かっただろうにと思われた。
 また、第3楽章と第4楽章は途切れなく続けて演奏されたから、第4楽章の演奏が終わっても拍手に間があいていた。
 このあたりは、この日の演奏会が定期演奏会のような好事家相手とは違って、スポンサー付きの一般向けの演奏会だからちょっと戸惑ったもののようだった。もっとも、一般向けだから、演目に著名なものが選ばれていて親しみやすかった。
 ところで、チェロの演奏者として、つい前々日にムジカーザでお会いしていた西山健一さんの姿が見られてとてもうれしかった。