ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

リニモ

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(写真1 走行中のリニモ)

愛知高速交通東部丘陵線

 リニモとは、リニアモーターカーによる鉄道路線の愛称。HSSTによる磁気浮上式の鉄道路線としては日本で初めて。2005年の愛知万博で建設され、その後も実用路線として営業運転が行われている。
 路線名は、愛知高速交通東部丘陵線。地下鉄東山線の終点藤が丘駅から愛環(愛知環状鉄道)の八草駅との間を結んでいる。全線8.9キロ。駅数は9。
 藤が丘駅。1面2線の地下ホーム。5月9日11時55分発。編成は3両で固定されている。アルミ合金製。2扉車で、セミクロスシート。窓が大きく明るい車内。

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(写真2 車両先頭から見たリニモの路盤。案内は側面にあるU字型の鉄板をつかんで行っているらしい)

 さすがに静かだし揺れもない。当然だが磁気浮上式の最大の特徴。無人運転である。一つ目のはなみずき通で地上に出た。スピードがわかる。最高速度は100キロだと言うから無人運転でこれはすごい。これもリニモの特徴で、勾配にも強い。
 丘陵を切り開いた路線らしく、見晴らしがとてもいい。長久手古戦場などと気になる駅。次の芸大通では左にトヨタ博物館があった。やがて愛・地球博記念公園。万博跡地が公園に整備されている。万博で使用されたパビリオンも幾つか残っているのだろうか。それらしい建物が見えた。広大な敷地で、開催期間中に訪れた時にはこれほどだったとは気がつかなかった。
 そうこうして終点八草。乗車時間は17分ほど。
 とてもしゃれた鉄道というのが率直な印象。鉄輪式などとは違って、実際にちゃんと車両が浮いている磁気浮上式のリニアは大きな特徴を持つが、今一つ普及しないのは建設コストが膨大なためであろう。また、電力消費も大きいらしい。

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(写真3 右窓に見えた万博記念公園付近)

城北線

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(写真1 城北線勝川駅。まるで工事が中断しているような様子。左は中央線の高架)

中央本線勝川-東海道本線枇杷島間を結ぶ

 中央本線勝川駅と東海道本線枇杷島駅間を結ぶ路線。中央本線から東海道本線名古屋以西に向かう短絡線である。中央本線から金山あるいは名古屋で乗り換えて枇杷島に向かうと、乗り換え時間を含めないで18分ほど、乗り換え時間を含めると20数分はかかるだろうが、城北線なら16分である。このルートが機能すれば時間短縮ばかりか金山や名古屋での混雑も軽減できるだろうから効果は大きいはず。
 しかし、現実には現地を訪れてみるとびっくりすることばかり。
 中央本線勝川駅から城北線勝川駅は歩いて7分ほど離れている。それも、城北線の施設が見えてくると唖然とする。高架の線路が中央本線に近づいたところで途中でぶち切れているのである。ちょっと異様な状態だ。工事が中断されたまま放置されているように思える。

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(写真2 勝川駅のホーム。1両のディーゼル)

 高架線路に登るように階段を登っていくと片側1線のみすぼらしいホーム。いかにも仮駅の様子だ。しかも架線はなくディーゼル車なのである。大都市圏で未電化とは珍しくはないか。調べてわかったが、どうやらこの路線だけのようである。しかし、ちゃんと複線になってはいる。
 7時06分発。1両の枇杷島行き。ワンマン運転。途中で多少の乗降はあったが、朝の通勤時間帯なのに満席になることはなかった。枇杷島は名古屋から一つ西寄りの駅。言ってみれば名古屋のど真ん中。実際、沿線はマンションがびっしりと建ち並んでいる。
 城北線の運行は東海交通事業という会社。一風変わった名称だが、JR東海の子会社。それにしては城北線に対するこの冷遇ぶりはなぜなのであろうか。朝夕はともかく、日中は1時間に1本程度の運転間隔。とても乗客を呼び込もうとしたダイヤとはなっていない。
 そもそも城北線は、岡多線から瀬戸線へとつながる計画だったところ。愛環(愛知環状鉄道)から高蔵寺を経て勝川へと至る環状線の一角を構成するはずのものだったらしい。
 前後の事情はわからないが、それが計画が縮小されてしまったもののようだ。貨物線としても構想されたようだが、貨物線を旅客線に転用するのはJRの得意技だが、JR東海はどうして積極的に踏み込まなかったのだろうか。中途半端な状態で放り投げているように思われて仕方がない。
 そうこうして枇杷島7時22分の到着。ホームは名古屋方面に向かった位置にあった。そうすると、そのまま名古屋まで一駅運転を伸ばすことも可能だし、いっそ、名古屋であおなみ線につなげることもできそうだ。
 城北線は全線11.2キロ。駅数6。私はこの線に乗るのは10数年ぶりだが、少しも事情は変わっていないように思われたし、旅行者にはちょっと位置づけのわかりにくい路線ではあった。

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(写真3 東海道線に乗り入れたように枇杷島に到着した城北線列車)

愛知環状鉄道

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(写真1 東海道本線と接続する岡崎駅0番線愛環線ホーム)

東海道線岡崎-中央線高蔵寺間を結ぶ

 愛知環状鉄道(通称愛環)は、東海道本線の岡崎駅と中央本線の高蔵寺駅間を結ぶ第三セクター鉄道。全線45.3キロ。駅数23。旧国鉄の岡多線を前身に1988年全線開業した。計画線の瀬戸線の一部を含めている。岡多線の当初建設計画では岡崎と多治見を結び全線59.1キロだったが、このうち約20キロが未成線となっていた。
 路線は、岡崎から名古屋の東部、愛知高原にほど近いところを反時計回りに半周ほどしており、名古屋から放射状に伸びる鉄道各線が多いのに対し、部分的ではあるが外環線として貴重な存在となっている。
 岡崎駅(愛知県岡崎市)。5月8日。愛環は0番線ホーム。東海道本線から乗り継ごうとすると簡易な自動改札があるだけ。片側1線のホーム。2両編成。10時24分の発車。
 発車するとほんのちょっとだけ東海道本線に沿って進みすぐに右に離れた。北野桝塚では多数の車両が留置されていた。三河豊田などとトヨタの工場群が右窓に続く。新豊田は豊田市の中心か。愛環はトヨタとその関連工場従業員の重要な足となっているのであろう。

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(写真2 愛環線車窓風景。どこまでも住宅が広がり名古屋圏の大きさが実感できる)

 車両は手入れが行き届いてきれいだ。ボックスシートになっていて、平日の日中なのに乗客はそこそこ。沿線には大学が多いようで、学生の姿が目立つ。
 八草はリニモとの接続駅。愛知万博では輸送の大きな力となった。続いて瀬戸市。名鉄瀬戸線新瀬戸駅は階段を降りると左手前方にあった。ここから先は岡多線ではなく、瀬戸線の計画部分ではないか。
 そうこうして高蔵寺(愛知県春日井市)。途中寄り道をしたが、一直線に乗って来れば11時38分到着のはずで、約1時間10分のところである。なお、この日は乗る機会はなかったが、朝夕にはほんの数本だけだが中央本線に乗り入れ名古屋へ直通する列車があるようである。
 調べてわかったが、愛環は沿線にトヨタがあり、学校も多いようで業績は悪くないようだ。第三セクターとしては優等生ではないか。

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(写真3 高蔵寺駅1番線に到着した愛環線電車)

名鉄全線に乗る!

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(写真1 名鉄名古屋駅。線路は2本だけ。1日に1千本の列車が通過する過密ダイヤ)

20路線444.2キロ275駅

 名鉄(名古屋鉄道)全線を乗りに出かけた。これまでも一度以上は全線に乗ったことはあるのだが、改めて乗ってみた。5月8日から10日までの3日間にわたって、名鉄ばかりではないが名古屋地方の鉄道をJRを除く私鉄を中心に乗った。大半が名鉄だった。
 それでわかったこと。中京というか、東海というか、それなりに定義によって少しずつ異なるようだが、わかりやすく一口に縮めて言えば大名古屋圏と言うことか。東京圏、大阪圏に次ぐ大都市圏だから当然だが、とにかく大きいということ。圏内の人口は1千万ほどか。
 その大名古屋圏で名鉄は、旧国名で三河から尾張、美濃にまたがり、現在の愛知県の全域から岐阜県に渡って四通八達していた。人々のいるところに名鉄が路線網を伸ばしたのか、名鉄が走っていたので発展したものか、いずれにしても名鉄の役割は大きいように思われた。
 名鉄は、営業距離が444.2キロに及び、路線数は20に達する。営業距離は近鉄、東武に次いで大手私鉄第3位である(東京メトロを除く)。
 名鉄の路線網は、中心の名鉄名古屋から、大きくは東の豊橋、西の名鉄岐阜、北の犬山、南の常滑へと伸びている。豊橋から名鉄名古屋を経て名鉄岐阜へと至る名古屋本線を幹線に多くの支線が枝を伸ばしており、路線数は実に20にも達する。
 名鉄名古屋。JRの名古屋、近鉄名古屋駅とも隣接し、大ターミナルを構成している。ただ、名鉄名古屋駅は地下駅にわずか3面2線のホーム。このホームに朝の通勤時間帯立っていると、ほぼ2分間隔で列車が発着している。猛烈な過密ダイヤで、ホームにはホームドアもないからちょっと恐いくらいである。何でも、1日の通過列車本数は1千本にもなるというから凄まじい。
 豊橋、常滑方面が4番線、名鉄岐阜、犬山方面が1番線で、島式1面2線の2番線3番線は降車専用ホームである。
 列車を待っている発車ホームの対面上部には、行き先別の表示が掲示されていて、足もとには整列乗車のラインが引かれている。行き先表示と整列乗車ラインは同じ色に色分けされている。4番線なら、紺色で岡崎・豊橋方面、青色で大江・太田川方面、緑色なら河和・内海/中部国際空港方面といった具合である。
 これに、快速特急、特急、快速急行、急行、準急に各駅停車と列車種別があり、さらに特急には一般車と特別車という車両のグレードも種別されていて、はなはだ複雑。特別車には有料のミューチケットが必要となっている。。
 こうした状況を満員のホームで観察していると、茫然としてくる。これほどの過密ぶりは東京にもないくらいだ。名鉄名古屋駅は通過列車ばかりで、この駅止まりや折り返しという列車はないようである。それは、これほどの過密本数をさばく上で必要欠くべからざることだったのであろう。
 名鉄の路線網あるいは名古屋周辺の地図が頭に入っていないと、やってきた列車がどこに向かうのか、とっさには戸惑う。豊橋方面に向かおうとしていて、豊明行きという列車が入ってきたのでどのあたりに行くのか、知立の手前かその先か、近くにいた大学生に尋ねたら本線なのにわからないと素っ気ない返事だった。乗ってわかったが、知立の三つ手前だった。ちなみに、この知立は名鉄で重要な分岐点で、本線上にあって三河線との接続駅となっている。

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(写真2 名鉄岐阜駅の改札口。行き先表示には、普通犬山、快特豊橋、普通須ヶ口、特急中部国際空港、急行新羽島などと並んでいる。ホームは2階建てで、列車は数分間隔で発着している)

 豊橋のような行き止まり駅はともかく、起終点駅として重要な位置を担っているのは、犬山。小牧線のほか、犬山線が合流し、広見線と各務原線が発着している。同じように名鉄岐阜も大きな駅。ホームが2階建てになっていて新しい駅舎。駅前を岐阜市内線が走っていたのはもはや昔のこと。本線の起終点であるばかりか、各務原線、竹鼻・羽島線も発着している。
 運行形態も奇抜と言えるほどだ。車両運用のせいでもあるのだろうが、碧南という三河線の終点で列車を待っていたら新鵜沼行きという特急列車があったり、尾西線の終点弥富では東岡崎行きの特急があったり、西尾線と蒲郡線が連絡する吉良吉田からは佐屋行き特急が出ていたが、この地方に明るくないと佐屋ってどこ?ということになりかねない。
 名鉄名古屋の過密を分散している役割を担っているのが金山で、次の神宮前では知多半島に向かう、河和線、途中の富貴から分岐する知多新線、太田川で常滑線が分岐し、さらに空港線へと伸びている。中部国際空港ではこれまでに二度国際線で出発したり到着したりした経験を持っているが、空港連絡ダイヤはかつてに比べると格段に増強されているよだった。
 名鉄は、小さな線区も多いからこれらを乗りつぶそうとするとはなはだ難儀。三河線は梅坪から猿投へと4.2キロ3駅延びているし、その梅坪からは豊田市始発の豊田線が分岐している。変わっているのは瀬戸線で、他の名鉄とは一切交わっていない。また、広見線は新可児から御嵩間は運転系統が変わっていた。西尾線は吉良吉田が終点なのだが、西尾から先吉良吉田まではまるで別の線のように運転系統が変わっていて、連絡も悪くて1時間以上も待たされた。

 それにしても、名鉄は、名鉄名古屋の前後はもとより、どこかで事故が発生すると、その影響は多方面に及び、復旧には随分と時間を要するだろうと懸念された。それは、ダイヤが過密であるばかりか、車両運用が複雑で広範囲に及んでいるからだと思われた。

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(写真3 吉良吉田駅。西尾線の終点であり、蒲郡線との接続駅である。ここが始発の特急佐屋行きは、何と西尾線・名古屋本線・津島線・尾西線と4つの路線を渡っていく)

大雄山線

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(写真1 大雄山駅前にある熊に跨がり鉞を担いだ金太郎の像)

天狗と金太郎に出会えるか?

 大雄山線は、小田原駅と大雄山駅を結ぶ伊豆箱根鉄道の路線。全線9.6キロ、駅数は12。当初は、道了尊で知られる最乗寺への参詣客向けに開通したが、近年では沿線に大工場が進出してきたことや、住宅地の拡大に伴う発展を示してきており、営業距離10キロに満たない小さな路線ながらちょっとした優良路線となっている。
 なお、伊豆箱根鉄道は、伊豆地区では三島駅と修善寺駅を結ぶ駿豆線を運行しているが、箱根地区の大雄山線と両線は交わることはない。これはこの二つの路線が独自に発展してきたからで、現在はいずれも西武の傘下。ちなみに、会社名を地元では〝いずはこ〟と縮めて呼ぶらしい。

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(写真2 大きな天狗の面が掲げられた小田原駅改札口)

 さて、大雄山線小田原駅。1面2線のホーム。5月1日12時24分発大雄山行き。3両の電車。
 小田原駅で、大雄山線は最も南東側、つまり海側に位置しており、発車すると緑町を経て東海道線をくぐり、井細田、五百羅漢を過ぎて小田急線をくぐった。五百羅漢では左に王宝寺が見えた。帰途に寄りたいと思った。
 単線が川沿いに走っており、なるほど大きな工場や住宅地が展開している。休日の日中にしては、乗降客がそれなりにある。富士フイルム前などと言うそのものずばりの駅もあった。
 そうこうして終点大雄山。12時45分着。約20分のところ。駅前には熊に跨がって鉞を担いでいる金太郎の像があった。ここは足柄なのである。駅所在は神奈川県南足柄市。また、天狗で知られる道了尊の最乗寺はここからバスで10分ほどらしい。この駅に降り立ったのは2度目だが、結局、今回も寄らずに折り返した。

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(写真3 大雄山駅の様子)

小田急全線に乗る!

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(写真1 小田急小田原駅ホーム。明るい大屋根が特徴だ)

3路線120.5キロ70駅

 令和最初の日の5月1日、小田急に乗りに出かけた。たまたまそうなっただけで、特に令和と意味づけたわけでもない。ただ、令和となっても旅に暮らすのかという感慨は多少持った。
 小田急(小田急電鉄)は、1923年設立の小田原急行鉄道が前身。小田原線、江ノ島線、多摩線の3路線を有し、総営業キロ数は120.5キロ。
 まずは小田原線から。新宿と小田原を結ぶ路線で、全線82.5キロ。駅数47。もとより新宿が起点だが、相互直通運転を行っている千代田線から乗り継いだので代々木上原から乗車した。
 10時35分発急行小田原行き。10連休の最中であり満席。そうでなくともいつでも上りも下りも混んでおり、下北沢や成城学園前などを通り首都圏でも人気の路線。また、ロマンスカーで知られるように東京と箱根を結ぶ観光路線でもある。
 和泉多摩川で多摩川を渡った。次の登戸はJR南武線との接続駅。10時58分新百合ヶ丘で着席できた。ここから多摩川線が分岐している。続いて町田ではJR横浜線とクロス。ここまでが東京都内。
 小さな川を渡って神奈川県に入り相模大野。人口70万を超し政令指定都市とは言いながらよそ者には今一つへその見えない相模原市にあって、この周辺はそれこそへその一つ。古くは軍の施設が多かったところで、相武台前にその名が残る。陸軍士官学校があったところである。
  相鉄線と交わる海老名を過ぎたあたりからやっと田畑が増えてきた。厚木を出て相模川を渡った。
 なお、小田原行きの列車に乗っていては気づきにくいが、新松田付近には通称松田連絡線と呼ばれる線路があり、御殿場線の松田駅に連絡できるようになっている。「ふじさん」号という特急が新宿から直接御殿場まで運行されている。
 そうこうして終点小田原12時15分の到着。新幹線や東海道線、大雄山線と接続しておりとても賑わっていた。

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(写真2 江ノ島線列車がスイッチバックする藤沢駅の様子)

 一方、帰途は相模大野から江ノ島線。27.6キロ、駅数17。10両編成の快速急行で、途中の停車駅は中央林間、大和、湘南台、藤沢。田園都市線と接続する中央林間のほか、相鉄線や横浜市営地下鉄と接続する湘南台が大きくなっていたのにはびっくりした。
 藤沢は2面4線の頭端式ホームで、すべての列車はここでスイッチバックする。急行は終点片瀬江ノ島までノンストップ。しかし、竜宮城のような名物駅舎は改修工事中とかで塀で囲われ何の風情もなかった。
 次ぎに、新百合ヶ丘からは多摩線。10.6キロ。駅数は8。唐木田行きで、発車すると本線を跨いで右にカーブした。黒川を過ぎたたりで右に京王線が寄り添ってきてそのまま並走した。
 多摩ニュータウンに入り、小田急永山、小田急多摩センターと続く。京王線のホームが隣り合っている。
 京王線はそのまま橋本へと向かうが、小田急は左にそれて次の唐木田が終点。団地が多く、夕方だったのだが、気のせいか灯りが少なく感じられた。

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(写真3 多摩線終点唐木田駅)

アンドリュー・ワイエス展

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(写真1 会場の美術愛住館外観)

美術愛住館で

 美術愛住館は、地下鉄丸ノ内線四谷三丁目駅から徒歩数分。堺屋記念財団の創設で、2018年の開館。堺屋太一とその妻で洋画家の池口史子の業績を伝えつつ展覧会を開催している。館長は多摩美大教授の本江邦夫。

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(写真2 会場で配布されていた開催案内のパンフレットから引用。絵は「オルソンの家」)

 このたびの特別展は開館一周年記念としてアンドリュー・ワイエス展。1階と2階の展示室に、ワイエスが終生追求してきた<オルソン・ハウス>と<クリスティーナの世界>を中心に40点の作品が展示されていた。オルソン・ハウスはクリスティーナ姉弟の住まいである。
 展示されていたのは大半が習作。代表作「クリスティーナの世界」に至る手や肘などが緻密に描かれており、ワイエスの制作過程がわかるようだったし、画家とはここまで習作を重ねるものなのかと感心させられた。
 ワイエスの作品は、静寂さと孤独が感じられる。徹底した写実で、それを確かなデッサン力が支えているようだ。非常に奥深くてじっくりと観てかないと味わいを捨てかねないようだった。
 ワイエスが好きで、ニューヨーク近代美術館などでたびたび目にしてきたが、このたびの展示作品も既視感にとらわれて動かなかった。
 なぜかと思ったら、今回の展示作品はすべてが丸沼芸術の森からの貸し出しであるとのこと。埼玉県の朝霞にある丸沼芸術の森ではワイエス展をかつて観たことがあって、それで知っている作品が多かったのだろう。それでもワイエスに魅力は増すばかりでいつまでも印象深いものだった。

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(写真3 「クリスティーナの世界」習作=会場で販売されていた絵はがきから引用)