ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

エイジングビーフとハンバーガー

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(写真1 エイジングビーフのステーキ)
ニューヨークの食
 ニューヨークの食に対する評価は必ずしも芳しくないが、果たしてどうだろうか。人種のるつぼといわれるように様々な人々が暮らしているから食も多種多様なことは確か。
 そういう中でこれはニューヨークというものを二つ。
 一つは、近年評判のエイジングビーフ(熟成肉)。あのまずい食べ物の代表例だったアメリカの牛肉が劇的に変化したといわれている。
 では、エイジングビーフとはどういうものか。ドライとウエットの2種類があるがここではドライについて。一言でいえば長期乾燥熟成させた牛肉のことだが、庫内管理が難しいらしい。庫内温度を数度、湿度は80%程度に保ち、しかも庫内の風を循環させることが肝要で、熟成期間は30日前後というのが一般的らしい。これによってアミノ酸が増加し旨味も増すというもの。

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(写真2 キーンズステーキハウス)
 こうして熟成させた肉を食べさせてくれるというので評判のステーキハウスを訪ねてみた。入ったのは西36丁目で5番街と6番街の間にあるキーンズという店。真っ白なテーブルクロスがびしっと敷かれていてなかなか高級感がある。
 まずは赤ワインを頼んで、しかる後にじっくりとメニューを検討した。あうでもないこうでもないと値段を睨みながら結局選んだのはプライムニューヨークサーロイン。焼き方はミディアムレア。
 出てきた料理を見てびっくり。アメリカでは毎度のことながら結構なボリュームがある。重量を尋ねてみたら6.5オンスだという。約185グラムということになる。
 なるほどサーロインだが肉はやわらかいし旨味がある。肉に厚みがあるのだが、どこまでもやわらかい。しかし、びっくりするほどの旨さでもない。だから、残りもう少しというところで飽きてきてしまった。率直で申し訳ないが。
 なお、勘定書きを見るとチップを含めるとちょうど100ドルとなった。まあ、こんなところか。
 二つ目はハンバーガー。これぞアメリカを体現する食べ物だろう。もちろん、マクドナルドやバーガーキングなどは日本同様子どもたちにも人気だが、ここでは大人向けのハンバーガー屋を訪ねてみた。

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(写真3 バーガージョイントのチーズバーガー)
 西56丁目のバーガージョイント。パーカーニューヨークという高級ホテルの中にある。かつてはル・パーカー・メリディアンという名前だったが、変わったようだ。
 56丁目から57丁目へとまたがる2階吹き抜けの輝くようなロビー。こんな高級ホテルのハンバーガー屋かと戸惑うが、フロントの脇の黒っぽい厚手のカーテンくぐると、何とも庶民的なハンバーガー屋。表示が出ているわけでもないからちょっとわかりにくい。しかし、昼夕問わず近隣のサラリーマンで賑わっている。今年行ったら東欧と思われる観光客もいた。どこかのガイドブックに出ていたのだろう。
 メニューは簡単。単純にハンバーガーかチーズバーガーか。これに何を挟むか。トマト、レタスなどと叫ぶ。そして飲み物も一緒に。また、フライドポテトなどのサイドも。夕方ならビールも出る。そして名前を聞かれる。これはニューヨークの習慣で、スターバックスコーヒーなども同じ。注文を間違えないようにという配慮。
 さて、出てきたハンバーガー。びっくりするほどの大きさ厚さではない。ただし、パテはあくまでも厚い。そして熱くジューシー。肉汁が垂れてくる。思わずよだれも垂れる。

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(写真4 バーガージョイントの店内)

アメリカ美術のホイットニー美術館

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(写真1 エドワード・ホッパー「早朝の日曜日」)
ハイライン南端に新築移転
 鉄道廃線跡を公園化したハイラインの南端出入口の直ぐそばにある。ワシントン・ストリートとガンズヴォート・ストリートの角である。地下鉄は14thSt.駅だが、道順にちょっとまごつくかも知れない。
 アッパー・イーストサイドから新築移転し2015年にオープンした。前の建物もなかなかユニークなものだったが、新しい建物もガラスをふんだんに使った立派なもの。8階建てで、展示は5階から8階。
 私は最上階から下るように見ていったが、アメリカ美術のコレクションが素晴らしい。アンディ・ウォーホル、ジョージア・オキーフなどとあってアメリカ近現代美術に関心があるものなら垂涎ものだ。

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(写真2 ホッパーの作品が6点も展示されていてホッパー好きには堪能できた)
 特に、エドワード・ホッパーについては、6点も展示されていてホッパー好きとしては堪能できた。
 複数の場所に散っていたが、集めてみると次のような作品に出会えた。なお、タイトルは私の翻訳だから日本で流通しているものと合致しているかどうかはわからない。
 朝日を浴びる裸の女(1961)
 イーストリバーのアパートメント(1930)
 午前7時(1948)
 ケープコッドの夕方(1934)
 踏切(1922-23)
 早朝の日曜日(1930)
 あくまでも静謐。孤独を感じさせる。見慣れた景色を単純化して切り取ったという印象が強い。ホッパーが見たアメリカということだが、大胆な色彩の配置の中にもホッパーのぬくもりが伝わってくる。
 途中階にはベランダあって、屋外展示が行われていたほか、ハドソン川の対岸にはジャージーシティも見えたし、マンハッタンの街並みも至近に見られた。

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(写真3 屋外展示も行われていたベランダ)

NYの新名所ハイライン

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(写真1 高架鉄道跡地を公園化したハイライン)
貨物専用線の廃線跡を公園化
 ニューヨーク(NY)で新名所となっているのがハイライン(High Line)と呼ばれる公園。
 かつてウエストサイド線と呼ばれていた貨物専用線は廃線となったまま長らく放置されていたが、高架部分を公園化した。
 マンハッタンの西側、ハドソン川沿いに南北に伸びており、北は34丁目から南へ14丁目のガンズヴォート・ストリートまで全長2.3キロ。
 私は北側から歩きはじめたが、とても見晴らしがいい。高さ9メートルの高架線跡地だから当然で、右手はハドソン川となっており、左手にはミッドタウンの高層ビル群が伸びている。線路がそのまま残っているのも廃線跡らしくていい。

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(写真2 沿線には広大な車両基地。おびただしいほどの編成が留置されていた)
 歩きはじめてすぐに車両基地が見えてきた。ペンステーションのものであろうか、30本もの留置線が横一線に広がっていて、おびただしいほどの編成が留置されている。壮観である。車両から判断すると、AMTRAKとLIRR(ロングアイランド鉄道)のようだ。
 ハドソン川の対岸にはニュージャージーが見えるし、左には摩天楼が続いている。様々なデザインの個性的なビルが多くて見飽きることがない。エンパイアステートビルも見えた。
 人気の新名所らしく大勢の人々がのんびりと散策を楽しんでいる。ちょっと風は冷たいが絶好のプロムナードだ。ところどころには地上と結ぶ階段が設けられているし、トイレも設置されていた。
 廃線後しばらく放置されていたその環境を見せようというのか、草がボウボウと伸びていたり、あるいは木立になっているところもあった。
 ハイライン沿線は人気で、再開発が進んでいるようで、沿線のビルの様子がすぐ目の当たりにできるのも楽しかった。

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(写真3 廃線をビルが跨いだものであろう、線路がビルの谷間を突き抜けていた)

3年ぶりのニューヨーク

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(写真1 都心部では工事中の高層ビルが数多く見られ、まるで建築ラッシュの様相だった)
ニューヨークの表情
 結局、ニューヨークには17日から7日間滞在した。日付変更線をまたぎ機中泊も含めれば24日に帰国したから7泊8日の長い旅となった。
 ニューヨークは3年ぶり。3月は初めて。もちろん雪も初めて。連日、気温は零度前後だからとても寒い。ニューヨークの寒いことは想像していたが、これほど寒いとはとても思わなかった。
 しかし、街は明るい。特に若い女性たちが闊歩していて気持ちがいい。東京よりもスマートフォンの普及率は高いようだが、東京のようにスマートフォンを片手にだらだらと歩いている姿は見かけることは少ない。必要最小限の様子がわかる。何よりも足早だからスマートフォンに目をやっている余裕はないに違いない。
  景気は引き続きよいようだ。あちこちで高層ビルの工事が行われている。これまで見てきたニューヨークでは、古いビルも内装をやり替えていつまでも使っているという様子だったが、このたび訪れると古いビルを壊して建て替えている様子も見られた。超高層ビルの建て替えは随分と大変だろうと思われた。建て替えが始まったということは、ニューヨークの建築需要は数十年はしばらく続くのではないか。
 これはニューヨークに限らず、欧米に共通することではあるが、古いものでも使えるものはいつまでも大事に使っている。日本のようにすぐに壊して新しくするという様子にはない。

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(写真2 地下鉄は施設や設備は古いものはそのままだが、ゴミはないし車内もきれいだ)
 地下鉄も古いままのものがそのままガタゴトと走っている。ニューヨークの地下鉄の発達ぶりは東京の比ではなく、都心部を走っている路線だけでも24もある。これは複々線も含めてのことだが、ローカル線とエクスプレス線が4線並行あるいは上下2段となっている駅もある。
 よくガイドブックにはニューヨークの地下鉄は汚くて危険だと書いてあるが、古いものはそのままだが、汚いわけでもないし、危険も感じない。深夜などにはそういうこともあるのかも知れないが、旅行者が利用している分にはそういう懸念はいらないのではないかと思われた。
 古いものということでは、木製のエスカレータがまだ動いていた。ニューヨークきっての繁華街、マディスンスクエアガーデンにある、ニューヨーク最大にして人気の高いデパートメイシーズのことで、いささかあきれるほどだった。私が初めてニューヨークを訪れた43年前にもこのエスカレータはあって、その時にすでに踏み板が木製なのに感心していたが、それがそのまま生き残っていたとはさすがに驚いた。
 繁華街はとにかく賑やかだ。人通りが多い。辻辻には警察官が配置されているし、路上の清掃も行きどいている。ただ、工事箇所の多いことは難点だが。
 アップタウンになると、高級住宅地が並んでいる。とはいっても戸建てはなく大半がアパートだが、きちんとした服装をした門衛がいるし、窓はピカピカに磨かれているし、内部は窺うしかないが、おそらく映画で見るような様子のであろうと思われた。

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(写真3 高級住宅街の通り)

大雪のニューヨーク

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(写真1 大雪に見舞われた21日のニューヨーク)
帰国便が欠航
 先週はニューヨークに旅行した。
 計画では、21日にニューヨークを発って22日に帰国している予定だったが、21日の帰国便が大雪のため欠航となってしまい、結局、2日間足止めされて24日になって帰国した。
 21日に起きてみると夜来の雪が激しく降っていてみるみるうちに大きな積雪となっていた。前日20日のテレビでは21日の大雪が予報されていた。しかも、20日夜半過ぎにはジョン・F・ケネディ国際空港閉鎖は決まっていたようだった。
 それで、航空会社へ電話して翌日つまり22日の便への振り替えを依頼しようとしたのだが、電話はいつまでも経っても話し中ばかりで繋がらない。昼近くなってやっとつかまえられたのだが、22日の便はすでに満席で、キャンセル待ちの受付も中止しているという。それで最大早い便を探してもらったら、23日出発の便に1席だけ空席が残っているという。間一髪というところ、2日遅れながらともかく帰国便は確保できた。
 しかし、あろうことか、ホテルも満室で、こんどは延泊ができないことになってしまった。泊まっていたホテルは、大きなホテルなのにどうしたことか。これはほとほと困った。キャンセル待ちをかけて3時間も粘ってやっと空室を確保した。同じ部屋は使用できずホテル内をトランクを引きずって移動した。

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(写真2 木立の多い通りは雪が積もっていた)
 やれやれとなって、外へ出てみると、横殴りに雪が降っている。湿り気の強い大きな雪だから積雪も早い。ただ、人通りも多いし、雪かきもしているから歩道に積雪は少ない。また、融雪剤であろうか、白く丸い粒が撒かれている。あるいは路面の滑り止めかももしれない。
 傘をさしている人は半分もいない。襟を立てて黙々と歩いている。取り立てて騒いでいる様子も見かけられない。空港が閉鎖されたことをのぞけば、交通機関への影響はまったくないようだ。もっとも、ニューヨークは市内の足はバスのほかには鉄道は地下鉄が大半だが。
 雪は21日の夕方には小降りとなり、22日には快晴となった。たった1日だけの極端な変化である。
 部屋に閉じこもっていても面白くもないし、ニューヨークの雪景色を見に散策に出かけた。
 繁華街はそうでもなかったが、セントラルパークは一面の雪景色となっていた。雪のニューヨークは初めてのことで、これはこれで風情のあるものだった。

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(写真3 一面の雪景色となったセントラルパーク)

 

畑村洋太郎『技術の街道をゆく』

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技術者への提言
 著者は東京大学名誉教授。「失敗学」の提唱者として知られる。失敗に学び、同じ過ちを起こさないようにするということだが、境界領域の広い学問で、原因究明をしっかりと行うことはもちろん、得られた知識を社会に広めていくことが肝要だと提唱している。
 著者は日本の各地をまわって技術の現場を訪ね歩いてきていて、「実際に現地を訪れ、そこで現物に触れ、現場の人たちと議論をする」現地・現物・現人の3現が基本で、司馬遼太郎にあやかって技術の街道をゆくにしたとのこと。
 とにかく訪ね歩いて得られた知見を丁寧に解説していて極めて啓蒙的である。技術者への提言も含まれていて大いに参考になるのではないか。
 例えば第3章「津波の跡をゆく」では、著者は三陸の津波についてかねて強い関心を持っていて、 学生時代の産業実習で釜石を訪れ、新婚旅行は三陸海岸で津波の足跡をたどることだったほど。
 3.11の直後にも岩手県宮古市の田老を訪れた。定点観測が目的で、田老にはかねて万里の長城とまでいわれた大防潮堤が築かれていて津波襲来に備えていた。防潮堤は総延長2.4キロ、X字の構造になっていた。
 しかし、立派な防潮堤があったのにと考えるのは見当違いで、「防潮堤が津波を押しとどめるための構造物だと考えられているからである。そこに誤解がある。防潮堤は侵入してくる水の量をできる限り少なくし、住民が避難する時間をかせぐための構造物なのである。したがって、いくら高い防潮堤があるからといっても、「津波が来たら逃げろ」ということに変わりはないのである。ここが肝心である。」
 「どんなに高い防潮堤を築いても、住民が逃げなければ意味がない。もしかすると、田老の防潮堤は住民の人たちに間違って理解されていたのかもしれない。防潮堤の高さに安心して、肝心の「逃げる」ということに意識が向かわなくなっていたのではなかろうか」。このように指摘している。
 紙幅の都合上長く引くのもいかがかと思われるので、ここからは本書各所にちりばめられている「畑村語録」を少々乱暴だしランダムになるが拾い出してみよう。
 ・技術の失敗と技術の継承は切っても切れない深い関係がある。
 ・技術は伝えようとしても伝わらない。
 ・人間は3日、3月、3年、30年という周期で失敗を繰り返す。
 ・(被災した地域を見た気がついたことは)神社の分布の重要性である。……これらの神社は、津波の最終到達地点上に建っているのではないかと思われる。
 ・知識と行動を結びつけて、緊急の場合でも即座に体が動くようにするためには、日常的な訓練が欠かせない。
 ・技術はまったくのゼロから突然現れるわけではない。他分野での経験の蓄積や物理モデルの共有から生まれてくる技術、というものもある。……これは、応用とは違うものだと筆者は考えている。
 ・いま目の前にあるものを見て時間軸を逆にたどり、「どのように作られたのか」「どんなことが起きたのか」と考えていくと、今という時点での静止画的な断面図から想像や推察を駆使して、生き生きと動く立体図をつくることができる。こうした「時間軸を入れる」という見方が大事だと筆者は思っている。
 ・技術者はしばしば、本質安全を制御安全と取り違える。事故はそこで起こるのである。
 ・人間は問題解決については一生懸命よく考える。しかし、ひとたび問題が設定され、その解決について考え始めると、その問題が解決すべき問題だったのかどうかは考えなくなるのである。……問題をいかに解決するかも重要なことだが、それ以上に、問題をいかに設定するかも重要なことである。
 ・「危険にはフタをする」というその考え方が、別のさらに大きな危険を呼び込むことになるを、日本人はそろそろ学ばなくてはならない。
 ・これからの日本の技術者は、お手本のない世界で、利益の源泉を自分で探してくる必要がある。それには、Howだけで考えるのではなく、Whatでも考えなくてはいけない、ということである。つまり、「ものを作る」よりも前に、「考えを作る」必要があるのである。
(岩波新書)

コーヒーを淹れる

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(写真1 我が家のコーヒー道具セット)

コーヒーは好き。
 ただし、うんちくがあるわけでもないし、格別のこだわりを持っているわけでもない。
 それでも、毎日欠かさず飲む朝食後のコーヒーは自分で淹れる。淹れ方と豆あるいは粉はその日の気分次第。
 大概の場合はペーパードリップで淹れる。この場合、ドリッパーは三つ穴のものと円錐形のものと使い分けるが、特に濃いコーヒーが欲しい場合以外は普段は三つ穴のものを使う。
 また、ネルドリップも使う。粗挽きの場合には香りも出るしいいようだ。ただ、ネルドリップは使用後の手入れが厄介だ。もっとも、私の場合はよく水洗いして乾かしておくだけだが。
 お湯は95度くらいが理想だといわれるが、私は沸騰させて一呼吸置いてすぐに使う。お湯の温度を測って使ったことはない。沸騰させても100度に満たないようだから、ほんとうはそのくらいがいいのだろうが。
 お湯はじょうろのような形をしたコーヒードリップで注ぐ。口が細くて狙った通りに注ぐことのできるものがいいようだ。
 注ぎ方には様々な講釈があって最も気を遣うところのようだが、私は円を描くようにじっくりと行う。中央が膨らむようにここは慎重にかつさっと行う。
 豆は馴染みのコーヒーショップで購入する。豆で購入し家で挽く場合と、挽いてもらって粉で購入する場合と両方を使い分けている。
 挽いてもらう場合は、同じ豆を中細挽きと中粗挽きの2種類にする。馴染みの店では6番とか8番と番号で呼んでいる。挽き具合の度合いなのであろうが、詳しい意味はわからない。
 同じ豆を中細、中粗と淹れ分けるが、中細で淹れる場合、中粗で淹れる場合、それぞれに好みがあって、時には中細と中粗とを半々にミックスする場合とがある。そして、この半々というのが好みの味になる場合が多いようだ。それなら初めから7番で挽いてもらったらいいではないかと指摘されそうだが、それももちろんやってみたが、なかなかうまくいかないのだった。
 豆で購入した場合には、家のコーヒーミルで挽くが、これの挽き具合はなかなか簡単ではない。使っているのは電動ミルだから、一、二、三と数えながら挽いている。
 コーヒーを淹れることはなかなか奥行きがあるようで再現性が悪い。同じ豆、同じ条件で淹れても味が微妙に違う。喫茶店はどうやっていつも同じ味を出せるものだと感心する。
 豆は酸味の強いものは好まない。だからモカは苦手だ。どちらか言えば酸味よりも苦味のある系統が好きだ。もっとも、根がいい加減だから結局何でもいいのだけれども。コーヒーには、砂糖は入れないがミルクは加える。ポーションになっているものを使用しているが、そこはこだわっていて、植物油脂性のものは使わず、乳脂肪由来のものを使っている。普段は乳脂肪分17%のものだが、濃くて苦いコーヒーを淹れたときには45%のものを使うこともある。
 ただし、ぬるいのだけははっきり言って嫌いだ。もっとも、私の場合、コーヒーに限らず、味噌汁でも、ラーメンでも、あるいは風呂でもぬるいのはいただけない。

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(写真2 コーヒー豆は専門店から豆と粉で購入している)