ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

東急全線に乗る

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(写真1 東急渋谷駅地下5階の3番線4番線ホーム。右の車両には東横線90周年の表示)
人気路線広がる
 旅が好きで鉄道も好きだから随分とあちこちで鉄道に乗っているが、少ないのが足もとの鉄道。もちろん一度は全部を乗っているし、たびたび乗っている路線も少なくないのだが、記録をとりながら起終点をきちんと乗っているということは意外に少ないもの。これには、乗ろうとすればいつでも乗れるし、車窓にも目新しさもないだろうとうのが大きな理由。
 しかし、乗ってみれば変化もあるだろうし、随分と久しぶりというところも少なくない。ということでまずは東急に乗りに出かけた。2月13日火曜日。なお、東急には、東急ワンデーオープンチケット(660円)というのがあって、東急全線が1日乗り放題だった。
 東京急行電鉄、通称東急電鉄、略称東急。東京都の南西部から神奈川県にかけての路線が多く、沿線はすべからく首都圏の住宅地として人気が高い。もとより大手私鉄で、総営業距離は97.5キロと100キロに満たなく、大手私鉄16社中11位だが、業績はすこぶるよく、売上高(単体)は東京メトロ、近鉄に次ぐ(JRは除く)。つまり、営業キロ当たりの売上高が多いということになり、これは1位。
 路線としては、鉄道線が東横線(渋谷-横浜24.2キロ)、目黒線(目黒-田園調布6.5キロ、田園都市線(渋谷-中央林間31.5キロ)、大井町線(大井町-二子玉川10.4キロ)、池上線(五反田-蒲田10.9キロ)、東急多摩川線(多摩川-蒲田5.6キロ)、こどもの国線(長津田-こどもの国3.4キロ)となっており、ほかに軌道線として世田谷線(三軒茶屋-下高井戸5.0キロ)があり、鉄道線7、軌道線1ということになる。
 東急の拠点は渋谷駅。そもそもこの駅の変化は大きくて、首都圏の大ターミナルの中でも最大の激変ぶり。
 驚くなかれ、東急は渋谷駅をすべて地下化してしまったのである。まずは東横線に乗ろうとしたのだが、ホームは何と地下5階だった。渋谷はその名の通り谷間だし、地下鉄副都心線に直通しようとしてこういう構造になったものであろう。
 それにしても、同じ渋谷駅で東横線から地上3階にある地下鉄銀座線に乗り換えようとすると、10分では足りないと言われているが、それもそうなのかも知れない。もっとも、地下鉄の駅なのに3階にあるというのも渋谷らしいのではあるが。
 東横線は2面4線のホーム。4番線から11時29分発の元町・中華街行き。西武線+副都心線からの直通列車で、みなとみらい線へ直通する。かつて東京に住んでいた人でも、ちょっと離れて暮らしていたら、何で西武線の電車が横浜へ行くのだといぶかるに違いない。
 列車の走行は極めてスムーズ。車両も線路もメンテナンスがいいのだろう。スピード感もある。沿線には古くからの住宅が途切れることなく続いている。
 横浜12時00分ちょうどの到着。東横線はここまで。かつて東横線は高島町から桜木町まで延びていたが、この先みなとみらい線につなげるために大胆にも廃線にした。そのまま乗車していて終点元町中華街12時09分着。

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  (写真2 小田急本線と向かい合っている東急田園都市線中央林間駅)
 ここから田園都市線に移ろうとするのだが、そのためには、いったん横浜まで戻り、相鉄線、小田急線と乗り継ぎ、やっと田園都市線中央林間に。ここから渋谷までは約1時間を要するから東京の通勤距離は長い。
 ここで乗った列車が久喜行きとある。何と東武伊勢崎線まで直通していて、乗車距離は94.8キロにまで達し、乗車時間は2時間を越す。東京メトロ半蔵門線を経由し東京を抜けていくわけで、首都圏の通勤区間を結ぶ生活路線としては最長ではないか。
 13時12分の発車だが、私はすぐに長津田で下車しこどもの国線に乗り換えた。長津田駅でこどもの国線の扱いが面白くて、ホームは改札外にあった。線路の保有が第三種鉄道事業者である横浜高速鉄道で、東急が第二種鉄道事業者として運行しているという関係からなのであろう。
 それでもホームは通し番線で7番線から。小さなホームで2両のワンマン運転。14時01分の発車。途中に恩田という一駅があり14時08分の到着。
 すぐに折り返し長津田から二子玉川へ。この先渋谷まではつい先日乗っていたばかりで、この部分ははしょって大井町線に乗り換え。このあたり近年急速に開けてきた人気の住宅地である。
 大井町線は二子玉川が起点だが、列車は溝の口発着となっており、この間2.0キロは線路は別々だが田園都市線と並行している。
 14時48分の発車。すでに多摩川は渡っており、東京の南辺を東西に結んでいて、途中、自由が丘、大岡山などと高級住宅街が続いている。二子玉川を出ると自由が丘で東横線、大岡山で目黒線、旗の台で池上線とクロスし、東海道新幹線、東海道本線をくぐって17分で大井町。京浜東北線との接続駅である。
 ここからいったん折り返し旗の台で池上線に乗り換え。上下にクロスしており、しかも対面式ホームだから乗り換えるのは要注意。15時19分蒲田行きに乗車。ここも17分で蒲田到着。4面4線の櫛形ホームを持つ大きな駅で、東急多摩川線が並んでいる。また、京浜東北線との接続駅でもある。
 蒲田からは15時43分発の東急多摩川線で多摩川へ。15時55分着。すぐに15時59分発の目黒線に乗車。都営地下鉄を経由し浦和美園行きとある。目黒は地下ホームで16時15分の到着。
 すぐに折り返し大岡山、旗の台を経て池上線で残っていた五反田行きに乗車。戸越銀座などを経て五反田16時57分着。
 これで鉄道線7路線を乗ったが、これでわかったこと。東急という鉄道会社は他社線との相互乗り入れも多いし、実に大胆な路線変更を行っていると言うこと。つまり、鉄道事業経営に随分と柔軟である。拠点の渋谷駅をまるで通過駅の扱いにしたことなどもそうだ。
 乗っていては、車窓風景を楽しむということもさることながら、途中の一駅や二駅くらいは下車して沿線を散策しようと目論んでいたのだが、結果的には乗り通しだった。
 こういうことだから、「あなたの旅は乗っているばかりでつまらない」と家内から敬遠されているが、こうなるととても否定できないのだった。
  なお、軌道線である世田谷線は過日乗ったばかりだったから今回は止めた。

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(写真3 池上線と大井町線が上下直角にクロスしている旗の台駅。こちらは池上線五反田方面ホーム)

みやこうせい『MY MARAMUREŞ』

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マラムレシュ写真集
 ルーマニアで出版されたみやこうせい写真集である。〝私のマラムレシュ〟とタイトルが付されている。
 みやさんは、エッセイスト・フォトアーティスト。1937年生まれ、岩手県盛岡市出身。ルーマニア文化功労章受賞。
 マラムレシュとは、ルーマニア北辺の村で、北はウクライナに接する。
 巻頭に見開きで大きな写真。雪景色の中に村人が集って何やら市を開いている様子。これはもうブリューゲルの世界ではないか。たった1枚で、というよりもたった1回のシャッターでマラムレシュの自然と生活を描いている。実に魅力的な作品だ。
 ページをくくると、村人の生活が描かれている。笑顔が大きい。山間の村らしく、羊が生活の中心にいる様子だ。雪に閉ざされた空間。しかし、不思議なほど明るい。これはもうフォークロアだ。
 少女が深い谷の斜面に立って羊番をしている様子の写真。何と詩的なことか。写真を通して作者の情感が伝わってくるようだ。
 写真は、大胆な構図が特徴だ。表情が豊かだ。一瞬を鋭く切り取ったようにも思える。しかし、旅行者がたまさかシャッターチャンスを得たというような写真ではないようだ。
 本書巻末の解説〝みやこうせいとマラムレシュ〟によれば、みやさんが初めてマラムレシュを訪れたのは1965年のことだったとのこと。たまたま訪れたその村で、みやさんは村人の家に招かれおもてなしを受けたという。
 以来、何度もマラムレシュに足を運んだのであろう。これはどこかで読んだのだが、みやさんは百数十回もルーマニアを訪れているらしい。
 ある作品などは、年に一度一瞬しか現れない現象をつかまえるべく5年も同じ月日同じ時間同じ場所に通ったなどということもあったらしい。
 本書はモノクロ画像だが、本書にはカラー版もあるらしい。それも読んでみたいものだと思った。
(ISBN976-606-8265-24-7)

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ヒレカツの蓬莱屋

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(写真1 蓬莱屋外観)
とんかつ仲間
 とんかつ好きの仲間で年に二、三回食べ歩いている。
 今回は御徒町の蓬莱屋。台東区上野三丁目所在。御徒町駅南口徒歩1分。松坂屋の裏手あたり。
 なかなかの老舗で、東京で初めてヒレカツを出した店と言われている。
 暖簾をくぐると右手にカウンター席。奥にはお座敷もあるようだ。
 メニューを見てちょっとびっくりする。ロースはなくてヒレしかないのである。なるほどとは思う。評判通りなのだ。小津安二郎が好んだらしい。ほかにメニューは一口カツなど。
 否応なくヒレカツを頼む。同行の者三人皆同じ。カウンターの中では、親爺らしき男とその息子あるいは弟子らしき男。
 昼食にはまだ早い時間だったせいかあまり混んではいなかったが、あげるのにやや時間がかかっていた。見ていると二度揚げしているようだ。
 出てきた料理はこんがりと揚がっている。やはり二度揚げしたもののようだ。形は丸みを帯びてやや20センチほどと細長い。例えはよくないが、たくあん漬けのようだ。形だけは。
 口にしてみると、からっと揚がっている。決してべとべとしていないし、衣だけが高温で揚がったようにがさがさしているわけでもない。
 肉はとてもやわらかい。芯まで揚がっているが、堅さはない。なるほどうまい。ヒレながら肉に旨味がある。その旨味を最大限活かす揚げ方と言うべきなのだろう。
 ソースは一種類で、カツにもキャベツにも直接かけるやり方。昔ながらだがこれはこれでよい。なお、味噌汁はそばちょこのような食器で出されたのは面白かったし、味にも酒粕が含まれているように感じられた。
 ただ、私はとんかつはロースの方が好きなので、この店でロースをやったらどうなのだろうと想像してみた。材料も揚げ方もよく吟味しているようだから、これはこれでうまいものが出てくるのではないかと思われた。
 食べているうちに店は混んできた。いろいろと聞いてみたいこともあったが、忙しそうだったので遠慮した。

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(写真2 蓬莱屋のヒレかつ)

テレホンカード

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(写真1 手元にあるテレホンカード)
緊急時に重宝
 携帯電話の普及でこの頃ではすっかり使用することも見かけることもなくなったテレホンカード。公衆電話自体が少なくなったから当然といえば当然で、子どもたちにはもはやテレホンカードそのものを知らないかもしれない。
 テレホンカードとは、公衆電話で使用できるプリペイドカードで、50度数100度数などと磁気カードになっている。
 携帯電話のなかった時代、とても重宝したもので、硬貨切れを気にすることなく電話をすることができた。
 中には、あらかじめ登録されている番号を自動的に呼び出してくれるカードもあって、これなど、どういう仕組みになっているものか、一般の呼び出しでは話し中になっている混み合った番号でも優先して繋がったものだった。
 30年以上前にもなるか、爆発的に普及した時代には、カードの表面を自由に印刷することもできたからプレゼント品としても好まれた。
 記念品としたり、ノベルティとして使われたりした。開店記念や結婚記念、中にはホールインワン記念などというものもあった。ちょうど名刺と同じようなサイズであり名刺代わりに配っている人もいた。
 今では見向きもされなくなったようなテレホンカードだが、実は、私は日頃から必ず1枚は携帯している。
 その理由は緊急用で、大きな災害などがあると、一時的にせよ携帯電話が混み合って繋がらない場合がある。そういう場合公衆電話なら繋がる。経験したことはないが、そういうことらしい。家族の安否などを確認したい場合には必需品となる。そういうことで、家族にも必ず1枚は持たせてある。
 また、携帯電話は持っていても、外出先で電池切れはよくあること。日頃は携帯電話などかかってくることはあってもかけるこのない私でも、テレホンカードがあれば小銭がなくても電話がかけられるからありがたい。
 つい最近、ある人から「余っているテレホンカードがあるがいらないか」という誘いがあった。
 年中使っているわけではないが、必ず持ち歩いている者としてはありがたい申し出、早速数枚いただいた。
  なお、記念品としていただいたカードはなかなか使いにくいもの。そういうカードが引き出しの奥になどしまわれているもの。この際、引っ張り出して探してみるのもいいかもしれない。

いよいよ春だ

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(写真1 近所の公園で咲いていた椿寒桜)
早春の花
 三寒四温ではあるが確実に暖かくなってきていて、近所の公園ではついに早咲きの桜が咲いていた。
 椿寒桜という品種で、桜の園芸品種だということである。上海から持ち込まれ、原木は愛媛県松山市にあるということである。花は桜にしては濃い紅色で、むっちろと密集している。初美人という別名があるらしい。
 この花が咲いたということは、もう2週間もすれば桜は一斉に開花するのではないか。

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(写真2 品のある優しさが感じられるオトメツバキの花)
 椿も咲いていた。もう少し早くから咲いていたのかも知れない。これまで気がつかなかった。
 私の好きなオトメツバキで、私が春の本格的な訪れを感じる花である。淡いピンクの色合いといい、まるで和菓子のような整ったかたちといい品のある優しさを感じる。
 沈丁花も早春の花。ツンとした品のいい香り。芳香が強くて吸い寄せられる。

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(写真3 香りがいい沈丁花の花)

独特の風情漂う城崎温泉

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(写真1 城崎温泉を象徴する大谿川沿いの景観)
海内第一泉
 このたびの丹後半島周遊では、宿は城崎温泉に取った。兵庫県豊岡市にあり丹後半島からははずれるのだが、豊岡から山陰本線でわずかに二つ目。
 城崎温泉駅に降り立つと、土産物屋が並んでいる駅通りがあり、少しして川沿いの通りに出る。
 大谿川という小さな川だが、柳の並木があり、その名も柳通りという両岸に旅館が軒を連ねている。数多くの橋が架かっていて、城崎温泉を象徴するような景観であろう。
 左岸つまり北柳通りを上流に進むと、途中に「海内第一泉」の石碑があった。つまり、日本一の温泉場ということだが、開湯1300年の歴史を有し、なかなかプライドの高いことである。江戸時代の温泉番付によれば、西の関脇に位置づけられているという。ちなみに大関は有馬温泉である。
 城崎温泉には独特の景観があると同時に、温泉街全体が独自の統一された運営で成り立っている。
 すぐに気づくことだが、城崎温泉にはどこの温泉場にもあるような大規模な温泉ホテルがない。せいぜい3階程度の木造旅館が大半である。これが独特の景観を豊かにしている。そしてネオン輝く歓楽街というものがない。これも山奥の温泉場でもなしはなはだ珍しい。

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(写真2 外湯の一つ「一の湯」)
 そして、いかにも城崎温泉らしいのが外湯つまり共同浴場の存在である。草津温泉も外湯が人気だし、別府も別所もそうだ。湯布院もそうだったか。しかし、城崎は徹底していて、旅館の中には内湯を持たなく、客には外湯を使ってもらうところが少なくないらしい。私が泊まった宿はまことに小さな旅館だったが、源泉掛け流しの内湯があるといって謳い文句にしていたほどだった。
 城崎温泉に外湯は7箇所ある。客は旅館にチェックインするとパスを渡される。それを首からさげて外湯巡りをするというわけである。浴衣や丹前を着て下駄の音をカランコロンさせながら歩くというのが城崎温泉らしいところ。風情がいや増すようだ。
 ただ、外湯も含めここの温泉場のやり方は相当に変わっている。四つある源泉から集められたすべてのお湯はいったん集中配湯管理施設のタンクに集められ、そこから町内に張り巡らされた配管で各戸に送られるということである。
 つまり、源泉ごとの違いがなくなるわけで、これはいかにも味気ない。1972年からこうなっているようだが、このやり方は合理的ではあるが、温泉を楽しむということではいかがなものか。野沢温泉も外湯巡りが人気の温泉街だが、7つある外湯はすべて源泉が違っていて、様々なお湯を楽しめたのだった。
 しかも、ここの外湯は朝の始まりが7時なのである。随分と遅いではないか。私は7時前に出立したから、結局朝風呂は使えなかった。私は日頃朝晩と風呂に入るのが習慣で、そういう者がわざわざ温泉に来て朝湯に浸かれなかったということは残念至極だった。
 結局、外湯には二つに入った。食前の初めに極楽湯、食後に一の湯だった。二つの風呂でお湯をなめてみたが、なるほど味は無色無味無臭で、まったく変わりなかった。当然だろうが、やっぱり面白くない。
 一の湯は、外湯とは思われないほどの立派な建物で、大きな湯船が一つあった。表示によると源泉温度は58.4度とあった。寒さで体が冷え切っていたからちょうどいいようにも思えたが、すぐになれるともう少し高い温度が欲しくなった。帰りがけに係に人の確認したが42.5度ということだった。
 集中給湯だから外湯ごとの個性は持てないのだろうが、せめて湯温だけでも外湯ごとに替えるような工夫が欲しかった。あるいは、浴室に湯船を複数もうけて、それぞれに温度の異なる湯船にすることもいいだろう。実際、そういう風にしている温泉地は数多い。

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(写真3 「海内第一泉」の石碑)

天橋立を眺望

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(写真1 傘松公園から眺めた天橋立)
日本三景の一つ
 経ヶ岬からの帰途は、天橋立に寄った。丹海バスで経ヶ岬から天橋立駅に向かうと、少し手前に天橋立ケーブル下という停留所があった。最寄りの停留所である。

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(写真2 傘松ケーブル)
 通称傘松ケーブルと呼ばれており、麓の府中駅から展望台のある傘松駅までを結んでいる。1927年の開業と古く、正式には天橋立鋼索鉄道と言い、丹海バスと同じ丹後海陸交通の経営。全長0.4キロ、最急勾配は461‰。なお、蛇足だが、ケーブルカーすなわち鋼索鉄道は、鉄道事業法に基づくれっきとした鉄道である。また、このケーブルカーに並行して隣にはリフトも運行されていた。料金は同一で、乗客は好きな方を選べるようになっていた。
  15分ごとの発車で、車両はやや小さい。このことは後に調べてわかったが、ケーブルカーの車両として日本で一番小さいものらしい。
 発車してみるみる高度を上げていき、わずか5分で展望台へ。傘松公園となっており、ここから見る天橋立はあまりにも有名な風景だが、たしかに絶景である。
 天橋立とは、そもそも宮津湾と内海の阿蘇海を隔てている砂州のことだが、この眺望があって日本三景の一つと数えられるようになったのではないか、そのように思われる。
 砂州は、長さが3.6キロあり、幅はせまいところでわずかに20メートルという。松並木が広がっており、まさしく白砂青松である。歩いてもさぞかし風光明媚なものだろうと思うが、私は天橋立は三度目だが、歩いたことは一度もない。
 砂州は南北に伸びていて、傘松側から眺める橋立は北向きになる。ここからの眺めは、橋立が天に昇る昇り龍のように見えることから昇龍観と呼ばれているらしい。ここでは、いわゆる股のぞきが有名で、私もやってみたが、酔狂以上のものではなかった。
 帰途はリフトで降りて、バスで天橋立駅へ。途中寄り道が多くて約20分もかかった。天橋立駅は、この駅で降り立つのは三度目だが、新しいしゃれた駅舎に変わっていた。

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(写真3 しゃれた駅舎の宮津線天橋立駅)