ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

独特の風情漂う城崎温泉

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(写真1 城崎温泉を象徴する大谿川沿いの景観)
海内第一泉
 このたびの丹後半島周遊では、宿は城崎温泉に取った。兵庫県豊岡市にあり丹後半島からははずれるのだが、豊岡から山陰本線でわずかに二つ目。
 城崎温泉駅に降り立つと、土産物屋が並んでいる駅通りがあり、少しして川沿いの通りに出る。
 大谿川という小さな川だが、柳の並木があり、その名も柳通りという両岸に旅館が軒を連ねている。数多くの橋が架かっていて、城崎温泉を象徴するような景観であろう。
 左岸つまり北柳通りを上流に進むと、途中に「海内第一泉」の石碑があった。つまり、日本一の温泉場ということだが、開湯1300年の歴史を有し、なかなかプライドの高いことである。江戸時代の温泉番付によれば、西の関脇に位置づけられているという。ちなみに大関は有馬温泉である。
 城崎温泉には独特の景観があると同時に、温泉街全体が独自の統一された運営で成り立っている。
 すぐに気づくことだが、城崎温泉にはどこの温泉場にもあるような大規模な温泉ホテルがない。せいぜい3階程度の木造旅館が大半である。これが独特の景観を豊かにしている。そしてネオン輝く歓楽街というものがない。これも山奥の温泉場でもなしはなはだ珍しい。

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(写真2 外湯の一つ「一の湯」)
 そして、いかにも城崎温泉らしいのが外湯つまり共同浴場の存在である。草津温泉も外湯が人気だし、別府も別所もそうだ。湯布院もそうだったか。しかし、城崎は徹底していて、旅館の中には内湯を持たなく、客には外湯を使ってもらうところが少なくないらしい。私が泊まった宿はまことに小さな旅館だったが、源泉掛け流しの内湯があるといって謳い文句にしていたほどだった。
 城崎温泉に外湯は7箇所ある。客は旅館にチェックインするとパスを渡される。それを首からさげて外湯巡りをするというわけである。浴衣や丹前を着て下駄の音をカランコロンさせながら歩くというのが城崎温泉らしいところ。風情がいや増すようだ。
 ただ、外湯も含めここの温泉場のやり方は相当に変わっている。四つある源泉から集められたすべてのお湯はいったん集中配湯管理施設のタンクに集められ、そこから町内に張り巡らされた配管で各戸に送られるということである。
 つまり、源泉ごとの違いがなくなるわけで、これはいかにも味気ない。1972年からこうなっているようだが、このやり方は合理的ではあるが、温泉を楽しむということではいかがなものか。野沢温泉も外湯巡りが人気の温泉街だが、7つある外湯はすべて源泉が違っていて、様々なお湯を楽しめたのだった。
 しかも、ここの外湯は朝の始まりが7時なのである。随分と遅いではないか。私は7時前に出立したから、結局朝風呂は使えなかった。私は日頃朝晩と風呂に入るのが習慣で、そういう者がわざわざ温泉に来て朝湯に浸かれなかったということは残念至極だった。
 結局、外湯には二つに入った。食前の初めに極楽湯、食後に一の湯だった。二つの風呂でお湯をなめてみたが、なるほど味は無色無味無臭で、まったく変わりなかった。当然だろうが、やっぱり面白くない。
 一の湯は、外湯とは思われないほどの立派な建物で、大きな湯船が一つあった。表示によると源泉温度は58.4度とあった。寒さで体が冷え切っていたからちょうどいいようにも思えたが、すぐになれるともう少し高い温度が欲しくなった。帰りがけに係に人の確認したが42.5度ということだった。
 集中給湯だから外湯ごとの個性は持てないのだろうが、せめて湯温だけでも外湯ごとに替えるような工夫が欲しかった。あるいは、浴室に湯船を複数もうけて、それぞれに温度の異なる湯船にすることもいいだろう。実際、そういう風にしている温泉地は数多い。

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(写真3 「海内第一泉」の石碑)