ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

オペラの楽しみ

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(写真1 鑑賞会の様子)
座談とCD鑑賞会
 高校時代の仲間たちが輪番に話題を提供する集まりが先日あった。もう10数年も続いていて、かつては仕事に関することが中心だったが、古希も過ぎたこの頃は趣味の話題が多くなった。
 隔月に開催していて先日はオペラの楽しみがテーマ。出席は18人。千倉睦男君が持参したCDとその曲にまつわるエピソードを話してくれ、CDの再生は長岡満男君が開発したスピーカーシステムで行われた。
 「フィガロの結婚」や「魔笛」、「椿姫」、「カルメン」などとポピュラーなものを含めて10曲ばかりを紹介してくれたが、その素晴らしさが二つ。
 一つは、解説してくれた千倉のうんちくで、選りすぐったものであろう持参したCDも古今の名盤が集まり貴重なものが多かったし、再生してくれた長岡のスピーカーも素晴らしかった。
 この日は曲としてはさわりを紹介するだけにとどまっていたが、パリやウィーンのオペラ座で生のオペラを鑑賞したことはあったが、日頃はオペラには縁遠い者にとってオペラの歌曲に接する貴重な機会だった。
 ベッリー二の「ノルマ」では、ソプラノに私でも知っているマリア・カラスに加え、ジョーン・サザーランドのCDもあった。好き好きのことだろうが、カラスよりもサザーランドの方が雰囲気もあって素晴らしかったように私には思えた。
 千倉は高校時代からのクラシックファンらしく、これまでに聴いたレコード・CDは1000枚にも上るという。大好きな「英雄」などはCDを30枚も持っているというから驚く。本人によれば、演奏家の違い、録音の違いが興味深いのだという。
 一方、これらのCDを奏でてくれたのは長岡。今や「長岡スピーカー」で知られる音響技術開発者だが、この日は最新のスピーカーシステムを持参してくれた。
 長岡は10年もスピーカー開発に取り組んでいて、これまでに製作したスピーカーは100を超すという。こうなると定年退職後の余技とも思えないほどだが、この日持参したスピーカーはナンバリングが100を超え、ついにブレークスルーしていてこれまでの最高傑作だということだった。
 実際、澄み切った音が素晴らしかった。開発当初は低音部に良さがあったが、この日の演奏では高音部、それも金属音に至るまで美しく奏でていた。
 日本とアメリカで特許を取得していて、変わっているのはその形状と材料。つまり、スピーカーの函がなくて、覆っているのは何とサラダボール。チタン製1個、ステンレス製2個を使用し、その上を覆う制振材にはシリコンシーラントと細目砂を使用しているとのこと。名付けてミラクル・リアル・サウンド。
 長岡によればこれまでのスピーカーと違って「ピントが合っている」ということなそうで、なるほど、余計な音が入り込まない純粋な音のように聴けた。つまり、音源がそのまま聴いている者の耳に届いているという感じだ。とくに、歌劇の演奏では、ソプラノの声をまるで劇場で直接聴いているような印象だった。まさしくミラクルでありリアルであった。
 幾多の音楽を聴いてきた千倉も長岡のスピーカーに対し「不思議なほど混じりけのない素晴らしい音だ」と感心していた。
  それにしても、音楽を巡って二人のマニアがうんちくを傾け発揮し合うというのもなかなかいいものだった。

カズオ・イシグロ『日の名残り』

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ノーベル賞受賞作家の出世作
 今年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの出世作である。イシグロの作品はこれまでも好んで読んできたが、ノーベル賞を受賞したというので再び書棚から引っ張り出してきた。土屋政雄訳のハヤカワ文庫版で、およそ15年ぶり。
 ダーリントン・ホールの執事スティーブンスの一人称視点で物語は進められている。初め、戦前は館の主人はダーリントン卿で、戦後、卿の死後はアメリカ人の富豪ファラディ氏が主人となった。
 ファラディ氏は、アメリカに一時帰国する留守の間、車を貸すから旅行に行ってはどうかとスティーブンスに勧める。スティーブンスは当初は唐突な提案に戸惑っていたが、手薄になっていた雇人の補強のためもあって、かつて女中頭をやっていたミス・ケントンに会うべく西へと旅に出る。
 物語はこの6日間の旅の中で、ダーリントン郷に使えた時代の回想と、旅の途中の見聞とが往復しながら進む。つまり、戦中と戦後が行ったり来たりしているわけである。
 ダーリントン郷は、あの時代、台頭するナチス・ドイツとの宥和政策を目論見、ダーリントン・ホールにキーパーソンを招いて議論を進める。この間、スティーブンスは卿に従い執事として館を切り盛りしていく。
 本書の一つの楽しみは、日本人にはなかなかわかりにくい貴族の館の執事という仕事柄とその立場が詳しく描かれていること。また、女中頭も大勢の召使いを使いこなす上で重要な役柄なのだが、スティーブンスとミス・ケントンとの微妙な関係が物語を面白くしている。
 しかし、読み進んでいくうちに、この物語が単に古き良き時代を懐古調に彩っているのではないことに気づかされいく。特に終盤に至って物語は複雑になっていく。
 スティーブンス演じるところの執事というものがなかなかややこしいのである。このことに気づくと、この物語は俄然高尚になっていき難解さを増していく。つまり、「偉大な執事は、紳士がスーツを着るように執事職を見にまとい」続けているのである。
 初めて読んだときもそうだったが、このたびも訳が素晴らしいことに感心した。私は原書と並べて読んだわけでもないし、そもそも原書を味わい深く読む能力などないが、この土屋訳は原書が素晴らしかったのだろうと容易に察せられたし、この日本語訳がなかったらこれほど楽しく読み通せたものかと感じ入ったものだった。土屋訳については、何しろあの丸谷才一と柴田元幸が褒めていたことで折り紙付きだろう。
 小説の面白さが詰まっていたし、イギリスを描いてこれほどの傑作もないものだろうと思わせられた。
(ハヤカワ文庫)

グループ窓の展覧会

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(写真1 会場で呉炳学氏の作品を前に左から成川雄一、呉炳学、三浦千波の皆さん)
情熱がぶつかり合う
 グループ窓の展覧会が神田神保町の檜画廊で開かれている。
 構成メンバーは、戸田忠祐、呉炳学、西條紀子、成川雄一、三浦千波の5氏。
 私は、かねて知己を得ている三浦さんからの案内で会場を訪れたのだが、会場に一歩入ってびっくりした。個性と個性が響き合い、ほとばしる情熱がぶつかり合っている様子のなのである。
 しかも、聞けばメンバー構成が面白くて、呉氏93歳、戸田氏89歳、成川氏80歳などと高齢で、若年は三浦さんの60歳。
 グループの成り立ちはわからないが、お互いに響き合う者たちが切磋琢磨して集まっているという印象だ。グループ展はここ3年続けて開催していてこれが3回目だとのこと。
 最高齢の呉さんの作品は豊かな色彩に大胆なタッチが特色で、大きな構想が感じられた。とても90歳を超した方の絵とは思われない力強さだった。また、三浦さんも個展で見せていたものとは印象の違う作品を出品していて、こちらも女性とは思われない大きな筆運びで、同じ会場で並べてみると、呉さんと三浦さんの絵は似たような系譜のようにも見えたが、この印象は見当はずれであろうか。
 会場で呉さんにお話を伺ったところ、93歳の今日も毎日描いているとのこと。せめて95歳までは続けたいと控え目な希望を述べていた。呉さんは具象画だが、「抽象がないと具象がまとまらない」と述べていて、具象と抽象を一緒に併せ持ったセザンヌの絵が好きだと語っていた。

京都五重塔巡り④東寺

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(写真1 美しい姿を見せる東寺五重塔)
日本一の高さの五重塔
 四つある京都の五重塔巡り。四つ目の最後はいよいよ東寺。京都を、というよりも日本を代表する五重塔であり、京都のシンボルでもある。
 東寺(とうじ、教王護国寺とも呼ばれる)は真言宗全体の総本山。造営中のところ嵯峨天皇から下賜され、空海が826年創建した。以来、弘法太子信仰の高まりもあって多くの貴顕や権力者の援助を受けて栄えてきた。世界文化遺産に登録されている。
 東寺は南区所在。東京から大阪へ新幹線で向かうと、京都を出てすぐ左手に東寺の伽藍が見え、五重塔が一際高くそびえ立っている。京都の印象を強くするランドマーク的存在である。京都駅から徒歩15分ほど。電車なら近鉄奈良線で京都から一つ目東寺からは徒歩10分ほど。

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(写真2 東寺の正門である南大門)
 九条通に面した南大門(重文)から入ってみる。この門は東寺の正門で、一層だし、二層になっている知恩院や南禅寺の三門のような巨大さはないが、がっしりした印象を受ける。ちなみに門に掲げられてあった提灯にははっきりと東寺と寺名が書かれてあった。東寺とは単なる通称ではないようだ。ただし、宗教法人としての登録は教王護国寺なそうである。なお、両脇で睨みを利かしているはずの仁王像はなかった。そのスペースはあったからどうなったのであろうか。
 南大門をくぐると、すぐ右手に五重塔が見え、正面には堂宇が並んでいる。これらの建物は柵で仕切られていて、中に入るには、広い砂利道を回り込んで拝観受付を通らなければならない。
 五重塔(国宝)は庭に面して建っていて、瓢箪池と呼ばれる池面にその姿を写していた。実に美しく堂々たる五重塔である。高さは54.8メートルあり、日本一高い五重塔である。五層の屋根は逓減もなく、下からほぼ同じ大きさだから、なおさらすらりと高くすっきりとした美しさとなっている。様式は純和様である。
 初めのものは826年空海によって創建されたが、その後4回も消失し、現在のものは5代目で、1644年徳川家光によって寄進されたという。
 内部には金剛界四仏像と八大菩薩像が安置されているらしいが普段は公開されていない。特別公開が行われているらしいが、残念ながら滞在中には実施されていなかった。
 境内には五重塔に近く金堂(国宝)があった。内部が拝観できたが、実に大きな空間で、本尊の薬師如来座像と脇侍である日光月光両菩薩像(いずれも重文)が安置されていた。中尊は高さが10メートルもあるというほどに巨大で驚いた。
 金堂の隣には講堂(重文)。ここも内部が公開されていて、五仏座像(重文)、五大菩薩座像(国宝)、五大明王像(国宝)、梵天・帝釈天半跏像(国宝)、四天王立像(国宝)が安置されていた。須弥壇を取りまくように配置されていて、これが空海の説く立体曼荼羅なのであろう。壮観である。
 なお、この先には食堂(じきどう)もあるのだが、これらの伽藍は一直線に並んで配置されていたが、何か特別の意味があるのであろうか。
 京都に四つあるすべての五重塔を一気に巡ったこのたびの旅。もとより宗教施設なのだが、内部が公開されていないから有り難みにはやや欠けるのも止む得ないが、一方で建築物としての美しさには感嘆した。
 かつての京都には100もの五重塔が建っていたらしいが、その大半は火災によって消失している。地震で倒壊したものもあったのだろうが、現存する五重塔をみると、日本人の建築技術には驚嘆するばかりだ。

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(写真3 東寺の伽藍。正面に五重塔。右奥が金堂、手前は講堂)

京都五重塔巡り③法観寺

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(写真1 街の賑わいの中に佇む五重塔)
通称〝八坂の塔〟
 四つある京都の五重塔巡り。三つ目は、いわゆる八坂界隈にあるところから通称八坂の塔と呼ばれ親しまれている法観寺の五重塔(重文)である。東山区所在。清水寺から東山の西麓沿いに北へ坂を下っていくと、二寧坂の坂が尽きたあたり、街の中に塔の頭がひょいと見えた。ちょっとわかりにくいところにあるが、八坂神社方面から来れば高台寺の少し先である。
  街に中に佇むようにあるのが独特の情緒を醸し出している。しかも、塀はぐるっと回っているのだが、境内はさほど広くないようで、五重塔だけでいっぱいいっぱいのようだった。実際には太子堂や薬師堂もあるらしいが。訪れたのが夕方だったこともあって、街には灯が点り京の街並みにとけ込んだ夕景となっていて、情感が深く漂っていた。
 法観寺は、臨済宗建仁寺派の寺院。東大路通を挟んで近隣に建仁寺があるから、その末寺なのであろう。山号は霊応山である。
 五重塔は、1440年に再建されたものだが、最初のものは589年聖徳太子によって建立されており、お寺に掲示してあった解説版によれば、日本で最も古い塔だったとのこと。
 塔の高さは46メートルで、京都では東寺に次ぐ高さ。純和様である。礎石は創建当時のものがそのまま使われているとのこと。
 素晴らしいのは塔内に入れること。この日は平日の夕方だったのでかなわなかったが、週末には通年で中に入って参観できるらしい。しかも、二層目までなら登れるということ。画期的である。京都に限らず大方の五重塔は内部に入れてくれないから法観寺のやり方は素晴らしい。
 内部には、大日如来を初めとする五智如来像が安置されているというから、直接拝める機会はありがたいものであろう。また、境内の薬師堂には本尊の薬師如来のほか日光月光菩薩や十二神将像などが安置されているという。
 もっとも、五重塔は、一般的には必ずしも五階建てになっているもののほうが少ないのだそうで、ましてや一般人を登らしてくれるというのは極めて珍しいこと。
 そう言えば、西安の大慈恩寺にある大雁塔は648年創建の仏塔だが、最上階まで登らしてくれたものだった。日本でも親しみの持てる公開に工夫がないものかと考えたものだった。

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(写真2 夕暮れに独特の情感を醸し出す八坂の塔)

京都五重塔巡り②仁和寺

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(写真1 美しい佇まいを見せる仁和寺五重塔
名刹の美しい五重塔
 四つある京都の五重塔巡り。二つ目は仁和寺。右京区所在。京都の北西に位置し、嵐電北野線の御室仁和寺駅で下車すると、正面にいかにも立派なお寺が見える。徒歩数分。
 仁和寺は、真言宗御室派の総本山で、888年宇多天皇によって完成した。宇多天皇は出家し宇多法王となって寺内に御座所(御室)設けたところから御室御所とも呼ばれた門跡寺院で、大変格式が高い。世界文化遺産に登録されている。

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(写真2 京都三大門の一つ巨大な二王門)
 まず正面にあって見上げるように高いのが二王門(重文)。知恩院の三門、南禅寺の三門とともに京都三大門の一つに数えられる。同時期に建立された知恩院や南禅寺の三門が禅宗の様式が見られるの対し、仁和寺の二王門は純和様とされるが、いずれにしても高さ18.7メートルと巨大で、左右に金剛力士像が睨みを利かしている。
 入ってすぐ左が塀に囲まれた御殿になっており、勅使門や宸殿などを見るといかにも宮廷風である。
 まっすぐ進むと中門があり、伽藍中心部へを入っていくとすぐ右手に五重塔(重文)。1644年の建立で、三代将軍徳川家光の寄進による。高さは36.18メートル。
 すっきりした美しい佇まいだ。これは、屋根の大きさが下から上までほぼ均一な造りで、醍醐寺のように下から上に少しずつ小さくなっていくいわゆる逓減されていないからだろう。
 塔をぐるっと一周してみたところ、初層正面に梵字の額が掲げられていたが、これは大日如来を示すものだという。
 五重塔の向かいが観音堂だが現在は修復工事中で、まっすぐ進むと金堂(国宝)に突き当たった。慶長年間造営とされる御所の紫宸殿を移築したもので、現存する最古の紫宸殿ということである。こういうところにも、門跡寺院の中でも最高位だったという格式が知れるのだった。堂内には本尊である阿弥陀三尊像(国宝)が安置されているということだったが、直接には拝めなかった。

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(写真3 御所の紫宸殿を移築したものだという国宝金堂)

京都五重塔巡り①醍醐寺

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(写真1 歴史を感じさせる佇まいの国宝醍醐寺五重塔全景)
京都最古の五重塔
 このたびの京都旅行では、京都にある四つの五重塔のすべてを巡った。これらの五重塔はこれまでにも一再ならず訪れたところが多いのだが、滞在中に四箇所すべてを回ったのは初めてのことだった。
 五重塔は、もとより仏塔こと。五重の屋根を持つからその名があるわけだが、仏舎利のストゥーバに起源があるらしい。寺院にとって中核となる重要な宗教施設で、かつては多くのお寺に五重塔はあって、京都だけでも100にも上ったらしいが、その大半は火災によって焼失したとのこと。現在でも全国には60もの五重塔があるということである。
 初めに訪ねたのは醍醐寺。伏見区所在。秀吉が〝醍醐の花見〟を主催した場所として知られるが、京都の南東に位置する。往きはあらかじめ時間がわかっていたので、京都駅八条口から京阪バスで醍醐寺行きに乗った。約30分。だいぶ山深くなって到着した。
 醍醐寺は、真言宗醍醐派の総本山であり、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が874年に開基したとされる。本尊は薬師如来。世界文化遺産に登録されており、広大な寺域を擁する堂々たる大寺院だった。

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(写真2 堂々たる仁王門)
 総門を入ると、左手に醍醐寺の塔頭三宝院がある。門跡寺院で、門の一つに唐門(国宝)というのがあった。黒漆塗りで、扉に桐紋、その脇に菊紋が金箔で配されていて、豪華豪壮。
 石畳を進むと西大門。堂々たる仁王門で、仁王像は1134年の造立で重要文化財に指定されているが、やや風化が激しいように感じられた。
 門をくぐって砂利道を進むと伽藍が展開していて、まず、左手に金堂(国宝)。平安後期の建立とされ、実にどっしりとして立派な本堂だった。本尊は薬師如来座像で、両脇侍の日光・月光菩薩立像とともにやさしく鎮座していた。三尊ともに重文だが、直接拝顔することができ、係員が詰めているわけでもないしその開けっぴろげさに驚いた。
 金堂を過ぎるといよいよ五重塔(国宝)が右手に見えてきた。951年に建立された京都府下最古の五重塔であり木造建築物である。
  広い境内の木立の中に佇んでおり、時代を感じさせるゆかしさも荘厳である。すらりとした印象にはやや弱いがどっしりとした安定感がある。五重の屋根の大きさは下から順にきれいに逓減しているようだ。塔高は37.4メートルとある。高いところにあるから定かではないが屋根に乗っている相輪も大きいように思われた。
 ある紹介によれば、醍醐寺五重塔は法隆寺五重塔(国宝)、瑠璃光寺五重塔(国宝)とともに日本三大名塔の一つだということである。実際、なるほどとうなずかせる貫禄が感じられた。
  なお、境内には霊宝館という宝物殿があり、ここには薬師堂にあった薬師三尊像(国宝、金堂の薬師如来座像とは別物)が安置されていて、幸い特別公開の期間だったから直接拝むことができた。また、ここには国宝69,419点、重文6,522点が収蔵されているというからすごいものだ。
  帰途はバス便が良くなく、地下鉄東西線醍醐寺駅まで歩いた。美しい住宅街を抜けるようになっており、幸い下り坂だった。徒歩10数分ほど。

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(写真3 国宝金堂正面)