ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

カズオ・イシグロ『日の名残り』

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ノーベル賞受賞作家の出世作
 今年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの出世作である。イシグロの作品はこれまでも好んで読んできたが、ノーベル賞を受賞したというので再び書棚から引っ張り出してきた。土屋政雄訳のハヤカワ文庫版で、およそ15年ぶり。
 ダーリントン・ホールの執事スティーブンスの一人称視点で物語は進められている。初め、戦前は館の主人はダーリントン卿で、戦後、卿の死後はアメリカ人の富豪ファラディ氏が主人となった。
 ファラディ氏は、アメリカに一時帰国する留守の間、車を貸すから旅行に行ってはどうかとスティーブンスに勧める。スティーブンスは当初は唐突な提案に戸惑っていたが、手薄になっていた雇人の補強のためもあって、かつて女中頭をやっていたミス・ケントンに会うべく西へと旅に出る。
 物語はこの6日間の旅の中で、ダーリントン郷に使えた時代の回想と、旅の途中の見聞とが往復しながら進む。つまり、戦中と戦後が行ったり来たりしているわけである。
 ダーリントン郷は、あの時代、台頭するナチス・ドイツとの宥和政策を目論見、ダーリントン・ホールにキーパーソンを招いて議論を進める。この間、スティーブンスは卿に従い執事として館を切り盛りしていく。
 本書の一つの楽しみは、日本人にはなかなかわかりにくい貴族の館の執事という仕事柄とその立場が詳しく描かれていること。また、女中頭も大勢の召使いを使いこなす上で重要な役柄なのだが、スティーブンスとミス・ケントンとの微妙な関係が物語を面白くしている。
 しかし、読み進んでいくうちに、この物語が単に古き良き時代を懐古調に彩っているのではないことに気づかされいく。特に終盤に至って物語は複雑になっていく。
 スティーブンス演じるところの執事というものがなかなかややこしいのである。このことに気づくと、この物語は俄然高尚になっていき難解さを増していく。つまり、「偉大な執事は、紳士がスーツを着るように執事職を見にまとい」続けているのである。
 初めて読んだときもそうだったが、このたびも訳が素晴らしいことに感心した。私は原書と並べて読んだわけでもないし、そもそも原書を味わい深く読む能力などないが、この土屋訳は原書が素晴らしかったのだろうと容易に察せられたし、この日本語訳がなかったらこれほど楽しく読み通せたものかと感じ入ったものだった。土屋訳については、何しろあの丸谷才一と柴田元幸が褒めていたことで折り紙付きだろう。
 小説の面白さが詰まっていたし、イギリスを描いてこれほどの傑作もないものだろうと思わせられた。
(ハヤカワ文庫)