ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

東御市梅野記念絵画館を訪ねて

f:id:shashosha70:20180825100212j:plain

(写真1 カフェから眺望した風景。奥は浅間山)

開館記念20周年記念展開催中

 別所温泉に泊まった翌日は、東御市(とうみし)梅野記念絵画館を訪ねた。この美術館を見学することは、当初からこのたびの旅行の大きな目的の一つだった。
 美術館は、上田からしなの鉄道で三つ目、田中が最寄り駅。ただし、公共交通の便はなくて、しかも丘の上にあって歩くと1時間以上もかかるというし、タクシーなら片道2千5百円もするとのこと。それで、さらに調べてみたら、幸いなことに毎月第三日曜日に限って美術館から送迎があるとのこと。制約はあるがこの送迎車を利用することにした。
 同じように考えた人がいて、田中駅前から迎えのワンボックスカーで9人が一緒に美術館に向かった。なるほど、結構な登り坂で美術館まで15分ほども要した。
 美術館は、台地を切り拓いた芸術むら公園と呼ばれる一角にあってとてもロケーションが素晴らしい。

f:id:shashosha70:20180825100435j:plain

(写真2 梅野記念絵画館外観)

 ここまでしてこの美術館を訪ねたかったのは、折から開催中の展覧会に非常なる関心があったからで、「美に焦がれて蒐集もまた芸術である 洲之内徹・大川栄二・梅野隆の眼展」と題し開館20周年記念展が開かれているのである。
 洲之内も、大川も、梅野も希代の美術コレクターとして知られ、それも財閥でも名家でもない在野の目利きが戦後こつこつと蒐集してきたコレクションが中核となっているところに特徴がある。
 洲之内のコレクションは絵画全点が宮城県立美術館に収蔵されているし、大川が集めた作品は郷里群馬県桐生市に設立した大川美術館に収められているし、梅野のコレクションも東御市が建設した美術館に寄贈されて今日に受け継がれている。
 私は、宮城県美にも、大川美術館にも何度も足を運んだことがあって、そのコレクションの幾つかは馴染みがあるほどなのだが、このたびこの三人に焦点をあて、そのコレクションを一堂に展示するという画期的な企画の妙に賛同して会場を訪れたのだった。学芸員の力量が発揮された展覧会だと言えよう。
 宮城県美からは有名な「ボアソニエール」(海老原喜之助、1934)はじめ、私の大好きな「赤帽平山氏」(佐藤哲二、1929-30)が来ていたし、大川美術館からは松本竣介「ニコライ堂の横の道」(1941)があったし、牧野善雄「霧の中のクロムウェル」(制作年不肖)が実に魅力的だった。
 迎える梅野美術絵画館のものとしては、美術館の骨格をなしている青木繁の一連の作品のほか、作者不詳になっていた「西洋婦人」が私には印象深かった。

f:id:shashosha70:20180825100701j:plain

(写真3 学芸員の方が解説して下さった)

 学芸員の女性が会場を案内して下さったのだが、その話によると、「西洋婦人」は研究を進めているのだが未だ作者を特定できないのだということだった。モデルの女性はスラブ系ではないかとも。私にはどこかで見たような印象があったが、学芸員の方が見てわからないものを、ずぶの素人の私が勝手な感想を述べることでもないし黙ってみていた。
 また、年齢順に洲之内、大川、梅野の三人はお互いに交流があったとのこと。一枚の絵が懇願されて梅野から洲之内へ、そして大川へと渡ったこともあるという面白いエピソードも披露して下さった。
 一方、この美術館で素晴らしいのはカフェ。私はミュージアムカフェが大好きで、美術館を訪れると時間の許す限りカフェでくつろぐことにしているが、このたびも見たばかりの絵画の絵はがきをミュージアムショップで購入し、早速1枚したためたのだった。私はこのために住所録と切手を常に持参しているほどだ。
 カフェの大きな窓からは眼下の明神池越しに浅間山が眺望できた。また、周辺は芸術村になっていて、アート・ヴィレッジといった宿泊施設もあって、ゆったり滞在するのも良さそうだった。

f:id:shashosha70:20180825100851j:plain

(写真4 「西洋婦人」(作者不詳)=美術館で販売されていた絵はがきから引用)