ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

宗谷本線の車掌車転用駅舎

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(写真1 下沼駅。大きな目が描き込まれている。赤い花のプランターが置いてある)

車掌車は生き続ける

 宗谷本線には、車掌車を転用した駅舎が多い。笹田昌宏著『車掌車』には9駅も載っていて、このたびの北海道鉄道旅行では、時刻表索引地図にあらかじめ印を付けておいて、該当する駅が近づくとカメラを構えて車窓から撮影した。
 高速で通過する特急列車の窓からの撮影だから、きちんとした写真にはなかなかなりにくかったが、それでも車掌車の存在を確認できたことは幸いだった。結局、撮影できた駅は6駅。私は進行方向右窓側の席に陣取っていたから、左側にあった駅は気がついても撮影できなかった。
 撮影できた駅を順に見ていこう。なお、列車は稚内から旭川方面に向けて走っている。

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(写真2 上幌延駅。だいぶ塗装が傷んでいる。駅前には民家も見られる)

 

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(写真3 歌内駅。ここも塗装は傷んできている。周囲に民家は見当たらない)
 なお、ここの一つ手前に問寒別という駅があって、茶色くきれいに塗装が施されていたが左窓のため撮影できなかった。

 

 

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(写真4 筬島駅。きれいに塗装が施されている。換気用の樋がある。駅前には自動車が駐車されているほか、住宅も見られる)

 

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(写真5 紋穂内駅。塗装の劣化が進み駅名も読みにくいほど。駅前にはなにも見えない)

 

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(写真6 智恵文駅。残念ながら写真は傾いてしまったが、外壁はきれいに塗装が施されている。屋根の上に出ている煙突は換気用か)

 なお、この日の列車では進行左側にあった勇知駅については撮影できなかったが、かつてこの駅を訪れたことがあり、その際の写真が2枚手元にある。
 勇知は稚内から三つ目の駅。1枚は2009年10月13日の撮影で、この時は駅舎の塗装が剝げかかっていた。2枚目は2016年3月28日に再訪した際のもので新たに塗装が施され生まれ変わっていた。

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(写真7と8 勇知駅2009年10月13日<上>と2016年3月28日<下>)

四日市あすなろう鉄道

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(写真1 分岐駅日永駅。手前が1番線内部行き列車で、奥が3番線四日市行き)

生活の足ナローゲージ

 これは珍しい軌間762ミリのナローゲージ(狭軌)の鉄道である。内部線と八王子線の二つの路線があり、このうち、内部線はあすなろう四日市駅から内部駅間5.7キロ8駅を結んでおり、八王子線は、内部線の途中、日永駅から分岐し一駅1.3キロ西日野駅間を結んでいる。
 そもそも、四日市あすなろう鉄道とは、元は近鉄の路線だったもので、近鉄の廃線表明に対し、四日市市が存続を求めて四日市市と近鉄が設立した第三セクター企業で、四日市市が第三種鉄道事業者として路線を保有し、四日市あすなろう鉄道が第二種鉄道事業者として運行している。いわば、公有民営方式の鉄道。会社名の、あすなろうとは、明日に向けてとナローゲージを結びつけた造語。

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(写真2 あすなろう四日市駅10番線で発車を待つ西日野行き列車)

 あすなろう四日市駅は、近鉄四日市駅の改札外1階に位置し、1面2線のホーム。番線は近鉄からの連番で、9番10番。
 内部行きと西日野行きの列車が交互に出ているようで、まずは10番線から西日野行きに乗車。土曜の夕方だったのだがまずまずの乗客。
 沿線は住宅地。乗客は通勤通学と買い物客が大半。ナローゲージだから車内はやや狭い。前向きの座席が2列に並んでいる。清潔な車両だ。

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(写真3 西日野駅)

 わずか8分で終点西日野到着。八王子線は四日市から4駅3.1キロの区間である。
 すぐに引き返して日永に戻った。内部線との分岐駅で、2面3線のホームがあり、片側1線の1番線が内部行き。島式ホームの2番線が四日市行きで、3番線は八王子線の上り下り。日永を出るとすぐに右にカーブするようになっている。

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(写真4 内部駅で発車を待つ折り返し列車)

 すでに夜になっているが、乗客もまばらなホームで一人列車を待っているこういう時間が私は好きだ。激しく旅情を感じるのである。もっとも、こんなところで何をやっているのだろうと、自責の念に駆られないわけでもないが。
 内部行きに乗車。四日市から乗ってきた乗客であろう、帰宅途中の乗客の姿だ。内部駅は小さな駅舎とホームがあるだけの終着駅。折り返し列車が夜のしじまに発車を待っている。
 ところで、ナローゲージ鉄道は今や数少なくて、一般旅客用の鉄道としては、全国で同じ三重県下の三岐鉄道北勢線があるだけ。しかし、乗ってみると、朝夕の混雑時間帯はわからないが、さほどの狭さを感じないし、新都市交通などよりは快適だし、乗客定員も多いのではないか。すくなくとも、あすなろう鉄道は沿線住民の足として定着しているように思われた。

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(写真5 ナローゲージ車両の車内)

いよいよ函館へゴール

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(写真1 森駅から見た駒ヶ岳と左に噴火湾)

最長片道切符の旅北海道版第5日最終日

 森では駅前のホテルに泊まったらちょうど夏祭りの最中だった。旭川では神輿が出ていたし、稚内では花火大会だったし、このたびの旅では時節柄各地で夏祭りに遭遇した。
 最長片道切符の旅北海道版第5日。最終日。森から函館までは62.3キロ、1本の列車で一気にゴールだ。
 森は、噴火湾(内浦湾)に面し、駅からは夜来の雨もあがって駒ヶ岳がきれいに見えている。全国の駅にはホームから望める秀逸な景色がいくつもあるが、この森駅から眺望する駒ヶ岳は第一級のものであろう。列車の本数も少ないし、利用者も少ないから静かな旅情を感じさせる。森駅には2面3線のホームのほかに、1番線と2番線の間に側線が1本入っており、列車を待つ間にも長い編成の貨物列車が抜けていった。北海道では貨物列車にたびたび行き交うし、北海道は貨物列車がよく似合う。
 8月9日。8時00分発函館行き。3番線。長万部から来た普通列車。1両のディーゼルカー。私は車両のことにはあまり詳しくはないがキハ150形か。北海道は電化されていない路線が多いから、キハとはよく出会う。ワンマン運転。森といえばイカめし。駅前にその店があるのだが、残念ながら8時開店とかでまだあいていなかった。
 列車はいわゆる砂原(さわら)回り。森から函館に向かうについては、森-大沼間には、駒ヶ岳を円の中心にして駒ヶ岳経由の本線と、砂原回りの別線と二つのルートがあり、砂原回りは35.3キロと本線経由の22.5キロに比べやや長い。最長切符としては当然砂原回りを取る。ただ、この砂原回りは本数が少なくて、日にわずか6本しかない。なお、運賃計算は、JRの旅客営業規則第69条第1号の規定に従って本線経由で計算することとなっている。営業キロと運賃計算キロが異なる区間なのである。
 ともあれ森を発車した列車は、右窓に駒ヶ岳を仰ぎ見ながら東麓を時計回りに噴火湾沿いを走る。駒ヶ岳は二つのピークを持っていて、列車の進行によって刻々と変化する。また、左右とも車窓は樹木に遮られて見晴らしは必ずしもよくない。防雪暴風から鉄道を守るためのものだからいかんとも仕方がない。

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(写真2 渡島砂原駅。残念ながら砂﨑灯台は見えなかった)

 渡島砂原。このあたりから砂崎灯台が見えるはずで目を凝らしていたが、見落としてしまったようだ。波打ち際の砂浜に立つ珍しくも小さな灯台で、一度訪ねたことがあるが、大きな波がくれば被りそうだし、そもそも背の低い灯台だからどれほどの役に立つものか。ただし、噴火湾に入ってくる船舶にとっては重要な役目なのであろう。湾の入口を結ぶ対角線上は室蘭のチキウ岬である。
 大沼が右に見えだしたがこれも樹林に阻まれてすっきりとは見えない。きれいに見えたのは勘違いしがちだが小沼。ともあれ大沼駅で本線と合流。この駅で下車した西洋人の男女がいたが、見ていると、隣のホームに停車中の本線の下り列車に乗り換えていた。バックパッカーだったが、大沼公園に行きたいのであろう。それにしても時刻表をよく知っている。
 さて、大沼からは仁山、新函館北斗と続き七飯に。上り列車に乗っている限りでは何の問題もないのだが、下り列車の中には大沼-七飯間で異なるルートを走る列車がある。通称藤城線と呼ばれる区間で、仁山と新函館北斗の両駅は通らない。新幹線駅である新函館北斗をパスしてしてしまう列車があるというのもにわかには信じがたいが、日に3本ある。こういうところは、全線乗りつぶしの者にとっては厄介だ。しかも、この区間には独自の営業キロさえないという変わりよう。

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(写真3 七飯付近で左窓に見えた別線の高架。下り線専用である)

 ともあれ、仁山を経て新函館北斗に至って右前方遠くに函館山が見えだした。函館が近い。七飯付近で左に鉄道の高架線が見えた。知らなければ何のための高架か見当もつかないであろうが、これが藤城線である。

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(写真4 五稜郭を出ると函館駅へとがたがたとポイントを渡りながら長いアプローチを進んでいく)

 五稜郭で旧江差線である道南いさりび鉄道が分岐していき、長いアプローチを経て函館駅へと入っていく。青森駅や長崎駅もそうだがポイントをがたがたと渡りながら多数の側線に広がっていく終着駅特有の旅情が感じられて私は好きだ。函館駅はもとより行き止まりの終着駅である。

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(写真5 到着した函館駅6番線ホームでシャッターを押してもらった)

 そうこうして9時48分6番線到着。この瞬間が5日間にわたった最長片道切符の旅北海道版の終着である。ホームで若い男性にシャッターを押してもらい記念に写真を撮った。私はこれまでに、JR全線完乗や全鉄道全線踏破などの節目を経験してきているが、このたびの旅は、鉄道旅としてはそれほどの規模のものでもないが、感慨深さということでは最も激しいものを感じたのだった。
 結局、このたびの最長片道切符の旅北海道版は、稚内を振り出しに8月5日から9日まで5日間にわたり、9線区、1,492.1キロの乗車に及んだ。

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(写真6 最長片道切符北海道版の切符。途中下車印で一杯になった)

 この間、乗り継いだり、乗り換えたりして途中下車した回数は18回に及んだ。そのつど、切符に途中下車印を押してもらったから最後には券面があちこちの印で一杯になった。ただ、この間には無人駅も少なくなかったし、押してくれなかった駅もあったから全部の駅が揃ったわけではないが、何かにぎやかで誇らしげだった。
 稚内への前乗りのためも含めると6泊7日の旅となったし、その全てが移動で毎日ホテルが変わったからなかなかきつい旅だった。ただ、この頃のホテルはコインランドリーを常備しているところが多く、夏でもあったし着替えが多くなくて済んだのは幸いだった。

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(写真7 最長片道切符北海道版の路線図)

ひたすら函館本線で小樽から長万部、森へ

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(写真1 小樽駅4番線で発車を待つ倶知安行き列車)

最長片道切符の旅北海道版第4日

 小樽には寿司屋通りがあるというほどに寿司屋が多い。何でも100軒ほどもあるらしい。全般に北海道にはうまい寿司屋が多いが、私の好みで言えば小樽のほか釧路、函館といったところにいい寿司屋がある。当然だが全て港町。滅多に行けるところではないが、二度行って二度とも大当たりだったのは羅臼。私が好むのは、もちろん寿司がうまいことのほか、酒も良く、親爺との会話が楽しめることも。その上、値段。
 小樽にはこれまでに6回泊まったことがあって、そのつどうろうろと探し回ってきた。知っている店もなくはないが、このたびは泊まったホテルのフロントにいた女将らしい女性に「安くてうまい、観光客なかんずく中国人の寄りつかないような店」という難問を突きつけたら二つ三つ候補を挙げてくれたのだが、そのうちの一つ目に入ってみたらこれが大当たり。
 店は、カウンターが8席ほどに小上がりがあって小ぢんまりとしている。夫婦で営んでいる。こういう店はいい。初めに酒と肴をつくってもらってゆっくりとやっていた。親爺はおしゃべりではないが相づちは悪くない。全国各地の観光地で手に入れたものであろう通行手形が壁一面にぶら下げてある。旅行が趣味らしい。カウンターには先客が一人だけいて、50歳くらいの男性。常連らしいがとても話し上手。ほかに客もいないし話が弾んだ。
 この先客が握りは特上を頼んだ方がいいと薦めるのでその通りにしたらこれがすごい。ウニ、イクラにアワビ、トロ、ツブ貝、ホッキ貝、ホタテ、ヒラメなどとあっていかにも豪華。値段が心配になるがこれで驚くことにたったの2千円。私がホテルの女将に頼んだ注文通りの店だった。
 さて、最長片道切符の旅北海道版第4日。小雨。この頃では乗る人が少なくなった函館本線でひたすら長万部から森を目指す。この日は寄るところがあって小樽出発は遅くなり15時05分の普通倶知安行き。
 函館本線とは、函館から長万部、小樽、札幌を経て旭川とを結ぶ全線458.4キロ(別線含む)の路線。北海道最長で最古の主要幹線。ただし、現在では、長万部から室蘭本線と千歳線を介したルートが道南と札幌と結ぶ主要幹線となっており、長万部-小樽間については通称〝山線〟と呼ばれローカル線化している。
 1両のディーゼルカー。ワンマン運転。これが満席。本数が少ないからでもあるのだろう。倶知安(くっちゃん)まではそれでも日に12本あるのだが、長万部までは倶知安乗り継ぎを含めても4本しかない。
 小樽を出て蘭島を過ぎたら海岸から離れ余市に。ここでたくさんの乗客が降りた。ニッカウヰスキーの工場があるからで、観光スポットになっているのである。私もかつて見学したことがあるが、60度ほどの強い原酒を飲んだ記憶がある。

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(写真2 かつてここで運転中止になったこともある然別)

 車内が静かになって然別(しかりべつ)。私はこの駅に思い出があって、何年前になるか、函館本線を長万部から下ってきた際、豪雨になってこの然別で運転中止となったことがあったのだった。北海道を鉄道旅行していると、暴風雪に立ち往生したり、様々な場面に遭遇して北海道の自然の厳しさを知ることになったものだった。

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(写真3 倶知安駅。「G20観光大臣会合」の幕が張られている)

 少しして倶知安。16時30分着。16時55分発長万部行きに乗り継ぎ。北海道らしいいい名前。印象深くて、小学生の頃、北海道の地名で最初に覚えた名前ではなかったか。沿線で大きな町で、ジャガイモの産地であり観光の町として知られる。駅舎には、「G20観光大臣会合」の大きな幕が掲げられていた。今年10月25-26日に開催されるようだ。函館本線〝山線〟の中心でもある。
 雨が強くなってきて窓外がほとんど見えない。これから比羅夫、ニセコと進むのだが、今回も駄目だったかとがっかりする。つまり、この付近で左窓に羊蹄山(1,898メートル)、右窓にはニセコアンヌプリ(1,308メートル)が望めるはずなのだが、この絶景を目の当たりに出来たのは、ここを通った4回中1度しかない。いかにこの山中の自然が厳しいものか。
 山を下って長万部に着いたら雨は小降りになっていた。18時30分着。当初の計画ではこの長万部に泊まりたかったのだが、旅館・ホテルはどこも満室だった。7軒くらいしかない町ではあるが、それにしてもどうしたことかと問いただすと、学生が200人も合宿するのだということだった。
 ところで、現在建設中の北海道新幹線は、新函館北斗から延伸し、長万部、倶知安、小樽とほぼ函館本線に沿って札幌に至る計画。そうすると、倶知安、小樽あたりは観光地としてさらに開けるのではないかと期待される。特に倶知安周辺は、温泉も多く、夏は清涼だし、冬もスキーなどのスポーツもあってリゾート地として一層人気が高まるのではないか。ただし、新幹線が開業すると、〝山線〟は並行在来線の措置により、JRから切り離されて第三セクターに転換されてしまうこととなっており、鉄道ファンとしては寂しくなってしまう。なお、北海道新幹線の札幌延伸開業は2031年春の計画。
 長万部で宿を確保できなかったのでさらに函館本線を森へと向かう。私の旅の流儀では、夜は極力列車に乗らないこととしている。夜のしじまを走る列車にも独特の風情があっていいものだが、車窓の楽しみは減る。
 しかし、今回はやむをえず長万部19時03分発特急スーパー北斗20号。〝山線〟から乗り継いだ乗客が4人いた。このうち一人は小樽から一緒だった。ちなみに調べてみたら、小樽を3時00分に出て札幌そして室蘭本線経由で来ると、長万部到着は18時01分となり、〝山線〟を鈍行で来るのよりも30分ほど先着する。営業キロ数は〝山線〟の方が30キロほど短いがそういうこと。
 左窓に見えるはずの噴火湾も真っ暗で、森19時44分着。
 結局、最長片道切符の旅北海道版第4日は、函館本線だけを乗り通し、203.0キロ、約4時間40分の乗車だった。晴れ男を自認している私だが今回も〝山線〟には勝てなかった。

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(写真4 暗くなり始めた長万部駅)

室蘭線-千歳線-函館線

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(写真1 室蘭本線が発着する岩見沢駅)

最長片道切符の旅 北海道版第3日

 岩見沢に泊まったのは6年ぶり二度目。当地には申し訳ないが、格別の観光スポットがあるわけでもないのにまさか岩見沢に再び泊まろうとは思いもよらなかった。
 その理由は、初めてのときもこのたびも同じで、室蘭本線に乗るため。
 室蘭本線は、長万部と岩見沢を結ぶ本線211.0キロと東室蘭-室蘭間7.0キロの支線で構成されているのだが、本線は苫小牧-岩見沢間で運転系統ががらりと変わる。
 長万部あるいは室蘭-苫小牧間は、千歳線を介して道南と札幌を結ぶ幹線として電化され、多数の特急列車が運転されている。
 これに対して、苫小牧-岩見沢間は全線非電化であり、本線上乗り入れてくる列車は区間運転を含めても1本のみ。運転本数も少なくて、苫小牧から岩見沢に直通する列車は普通列車だけ日に6本のみ。私はこの区間に乗るのはこれで3度目だが、苫小牧からであれ、岩見沢からであれ、その先の連絡を考えるといつでも苦労する。
 岩見沢発の列車は5時57分発が始発で、旭川に宿を取ったのではこの列車に接続できないのである。また、その次が9時03分発で、さらにその次が12時52分発といった具合で、運転間隔はとても緩慢。隅っこの盲腸線のような路線ならともかく、曲がりなりにも大都市圏の幹線でこれは冷遇といわざるを得ない。JR北海道の将来計画によると、苫小牧-岩見沢間は自力での経営維持は困難だということである。
 ともあれ、8月7日水曜日、最長片道切符の旅北海道版第3日。曇り。蒸し暑い。岩見沢駅は、石炭輸送の中心として栄え、幌内線の起点だったこともありかつて鉄道の要衝だった歴史を踏まえ立派な駅舎。赤煉瓦の外壁が美しく、全国のJRで初めてという公募型コンペでデザインを選定しており、グッドデザイン賞を受賞している。複合施設で、駅業務のほか市民交流のセンターともなっている。

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(写真2 列車は右窓に広大な石狩平野を見ながら進む)

 片側1線と島式2面4線のホームがあり、室蘭本線は1番線からの発車。5時57分発糸井行き。ディーゼルカー2両の編成。
 発車するとすぐに広大な石狩平野が開ける。平野部の東の縁に位置する。沿線は田んぼが中心。近年の北海道産米の評判はよく、稲穂が青々と茂っていた。
 岩見沢を出ると函館本線と左に離れていき間もなく志文。ここはかつて国鉄有数の赤字路線だった万字線の起点でもあった。
 栗山では60代の女性が二人手を取り合っていたが、このうち一人が列車に乗り込んできてしきりにお辞儀をしている。ホームの女性は涙ぐみながらハンカチを振っている。どういう関係で、どういういきさつなのかはわからないが、この頃では見かけることが少なくなった鉄道ならではの別離の風景である。
 追分では石勝線とクロスしており、千歳・札幌方面と、新夕張・新得方面に乗り換えることができる。

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(写真3 沼ノ端駅。ここが下り線ホームで、右奥に見えるのが上り線ホーム)

 やがて沼ノ端。7時16分着。ここで千歳線に乗り換える。駅舎が新しくなっており、線路を跨ぐ立派な自由通路ができていた。沼ノ端開基120年を記念して今年の2月に完成したものらしい。またその開基を記念して若い女性のブロンズ像と安全の鐘もあった。ここから眺めると、片側1線と島式1面2線のホームがあり、今降り立ったのは2番線で、3番線が千歳線、1番線が千歳線と室蘭本線の下りとなっている。
 1番線ホームは朝の通勤時間帯に入って混み出している。千歳までなら15分ほど、札幌まででも1時間である。7時34分発の到着した列車は6両で、なるほど大都市圏の編成である。また、室蘭発の特急はここ沼ノ端にも停車するようだ。
 南千歳が近づいて新千歳空港が左窓に見えてきた。ここからは室蘭本線に加え釧路方面からの石勝線や新千歳空港発の列車も加わって大幹線の様相で、運転密度が一挙に高くなった。
 線区上は白石で函館本線に入っているが、札幌8時34分着。乗り換えはないがここで途中下車。市内散策。

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(写真4 右窓に石狩湾が見えてきた)。右奥に見えるのは小樽の高島岬か)

 札幌13時43分発の快速エアポートで再び函館本線。銭函に至って石狩湾に出た。右奥に小樽の高島岬が遠望できる。
 小樽築港、南小樽と続き、そうこうして小樽14時15分5番線到着。ちょっと早いが今日はここまで。第1日第2日が強行軍だったからまあいいだろう。
 結局、最長片道切符の旅北海道版第3日は、岩見沢から小樽まで3線区163.2キロ、実質約3時間の乗車だった。

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(写真5 名駅舎の風格が漂う小樽駅)

網走-釧路-新得-富良野-旭川-岩見沢

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(写真1 海に最も近い駅北浜.。左がオホーツク

最長片道切符の旅 北海道版第2日

 網走では、駅の真正面にあるホテルに泊まった。ところが、網走というところは、飲食店街は離れていて、駅の周辺にはほんとうに少ない。網走も肴はうまいということは知っていたが、タクシーで出掛けるほどの気力もなくて、やっと駅の近くで1軒点いていた灯りを見つけた。中華料理店で、案の定混んでいる。小さな店だが親爺が一人で切り盛りしていて、料理が運ばれてくるまで随分と待たされた。生ビールがうまかったことを除けば、空腹を満たすだけのような夕食だった。
 8月6日火曜日。最長片道切符の旅北海道版第2日。朝起きてみれば快晴である。とても爽やか。日中はともかく朝晩はエアコンが要らないというのはいかにも北海道らしくありがたい。
 今日は4っつの線区を乗り継ぎ最終的には岩見沢を目指す。まずは釧網本線。列車本数は少なくて、網走から釧路まで乗り通せる列車は日に5本しかない。そのうち最も早い1本で網走6時41分発釧路行き普通列車。2番線から1両のディーゼルカー。ワンマン運転。
 発車して間もなく海岸に出た。左窓がオホーツク海である。朝日がまぶしい。車内はまずまず混んでいる。大半が観光客のようだ。
 16分で北浜。海に最も近い駅として知られ、観光客に人気。ここの待合室にはまるで千社札のようにおびただしいほどの名刺が張られている。駅舎内にはカフェもある。二人連れの若い女性が降りた。しかし、ここで下車してしまうと次の列車まで4時間も間があるがどうするのだろう。
 次が原生花園。ここも色とりどりの花が咲き乱れていて人気の駅だが、この列車からは誰も降りなかった。
 左窓にばかり目がいきがちだが、右窓に目をやれば地面すれすれに沼が広がっている。濤沸湖である。それが延々10キロほども続いている。つまり、線路は海と湖の狭い間を縫うように走っているということになる。
 また、このあたりは、冬ならば流氷が見られる。他所では滅多に見られない風景で、釧網本線のハイライト区間である。
 やがて知床斜里。海岸線はここまで。乗客の大半が下車した。知床観光の玄関口である。今日の天候なら風もないし、知床岬を巡る観光船も運航されているのではないか。
 なお、ここ斜里町議会の議長は、かつて私が勤務していた会社のOBだった。体格のいい大きな人だったが今はどうしているか。
 左窓に斜里岳が遠望できる。1,547メートルあり、日本百名山の一つである。車両の窓が二重になっている。寒冷地仕様で、もちろん寒さを防ぐためのもの。厳冬期北海道の鉄道旅行で困るのは窓ガラスが水滴で凍り付いて景色が見えなくなること。布で拭いたくらいでは曇りは取れなくて、それで、私は台所用品である金属製のタワシを常に持参していた。これでごしごしやっていると、地元の人たちが苦笑いしたり感心したりしていたものだった。この頃ではそういう必要も感じないが、温暖化しているのだろうか。

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(写真2 畑の中にポツンと1軒の家。煙突が立ちしゃれたつくり)

 川湯温泉に向けて25‰の登り。車窓からはうかがい知れないが、右に屈斜路湖、左には摩周湖があるはず。摩周で乗降が多かった。大半は地元の人たち。ここから釧路川が右に並行してきた。標茶(しべちゃ)の次ぎに五十石という駅があったはずだがいつの間にか廃駅になっていた。それで次の茅沼までの間が大きく開き、駅間距離が14キロにも広がった。

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(写真3 釧路湿原を流れる川ではカヌー遊びが見られた)

 このあたりから釧路湿原に入っていて、塘路、細岡と茫漠として風景が広がる。冬季には運がよければタンチョウも見られる。しかし、夏のこの時分にはカヌーを楽しむ人たちの姿が見えた。塘路の駅前ではカヌーツアーのガイドが客待ちをしていた。また、ここにはユースホステルもあって、北海道旅行を楽しむ若者たちでにぎわっていたものだった。ツアーガイドに聞いたら、ユースホステルは今も営業しているとのこと。
 湿原を抜けると東釧路。根室本線との合流点で、釧網本線はここまでが線区。166.2キロ。ただし、全ての列車は次の釧路が発着。10時00分着。
 釧路は道東の中心となる大きな駅。乗り継ぐ次の列車まで1時間半ほどの間があり、遅い朝食と早い昼食を兼ねて駅前の和商市場へ。釧路随一のマーケットで、観光客の姿が多い。これも釧路名物のような〝勝手丼〟を食べた。まず初めにごはんをどんぶりに購入し、あちこちの店をのぞきながら好きな具を載せていくやり方。私は、イカ、タコ、カンパチ、牡丹エビでどんぶりを作った。新鮮な魚ばかりだからうまい。なお、大好物のシマアジを頼んだら、そんな魚は知らないと素っ気ない返事だった。
 釧路からは11時24分発特急スーパーおおぞら6号で根室本線をまずは新得へ。左窓の太平洋が荒れている。それにしても窓ガラスの汚れがひどくて、景色がよく見えないし、写真を撮ることもままならない。
 海岸線を離れると、広大な十勝平野へと分け入る。池田は十勝ワインで有名だが、かつてはここから北見との間を結ぶちほく高原鉄道が出ていた。冬の季節に乗ったことがあるが、どこまでも一面の雪原で、冬の北海道の厳しさを知ること以外は車窓はやや単調だった。
 十勝地方最大の都市帯広。やがて広大な貨物駅が見えてきて、おびただしいほどのコンテナが積まれていた。その中で本線に隣接するようにゲージの狭い線路がチラッと見えたが、あれは日本甜菜製糖の専用線の名残だったか。ちょうどこのあたりで列車が運転停車したから気がついた。

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(写真4 新得駅前にある〝火夫の像〟)

 そうこうして新得13時29分着。ここで石勝線が分岐しているのだが、私はあくまでも根室本線を行く。ただし、新得から東鹿越までの狩勝峠越えは災害のため不通となっており、代行バスが出ている。
 バス発車時間までの間に名物の新得そばで腹ごしらえ。真っ黒なそばでそば粉は7割の歩合だという。ややもそもそしていた。また、駅前にはいかにも鉄道の要衝らしく〝火夫の像〟があって、蒸気機関車時代の峠越の困難さがうかがい知れた。
 13時58分に発車したバスは、すぐに狩勝峠越えの登攀に入ったが、眼下には鉄道で日本三大車窓と呼ばれる雄大な風景が広がっていた。落合、幾寅と一つずつ鉄道駅をなぞりながらバスは進む。落合はまるで廃駅のようなたたずまいだったが、幾寅は、高倉健が主演した映画『鉄道員』で幌舞という駅名で舞台になっただけに観光客の姿も見えた。

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(写真5 映画『鉄道員』で幌舞駅として登場した幾寅駅)

 やがて東鹿越。ここでバスからの連絡を待っていた普通列車に乗り継ぎ。15時13分発。右窓にかなやま湖というダム湖が見えた。
 左に芦別岳を主峰とする夕張山地を眺めながら富良野盆地を進むとやがて富良野。北海道のへそと呼ばれる人気の観光地である。列車はそのまま根室本線を滝川まで進むが、私はここで富良野線に乗り換え。あくまでも最長距離を選ぶ。

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(写真6 富良野から乗った富良野・美瑛ノロッコ号)

 富良野からは富良野・美瑛ノロッコ4号という観光列車に乗った。窓が開け放たれており、風が通ってとても気持ちがいい。もちろん見晴らしもいい。右窓に十勝岳が見えている。その向こうは大雪山ということになる。富良野を出た時にははがらがらに空いていたが、進むほどに乗客が増えてきてついに美瑛で一杯になった。大げさでなく9割が中国人観光客だった。ラベンダー畑が人気のようだった。
 そうこうして旭川。17時46分着。新旭川からぐるっと道東と十勝を一回りしてきたようなものだ。私は函館本線に乗り換え、岩見沢に向かった。右窓にはもう夕陽が落ちかかっていた。こういうときが最も旅情をかき立てられセンチメンタルになる。18時59分着。岩見沢駅のホームには巨大な馬の木彫があった。農耕馬のようだが、馬産地なのであろう。
 結局、最長片道切符の旅北海道版第2日は、ほぼ12時間を超す乗車で、乗車距離は4線区571.0キロに及んだ。

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(写真7 岩見沢駅ホームに展示してある馬の巨大な木彫。ばんえい競馬の寄贈とある)
 
訂正 8月10日付最長片道切符の旅北海道版記事中、経路のうち網走(釧網本線169.1キロ)東釧路とあるのは、166.2キロの過ちでした。訂正してお詫び致します。

最北端の稚内からオホーツクの網走へ

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(写真1 稚内駅ホームで最長片道切符北海道版出発の記念撮影)

最長片道切符の旅北海道版第1日

 稚内には前日の内に入っておいた。旭川から鉄路で到着したのだが、本当は空路稚内空港に降り立ち、稚内駅は処女のようにとっておきたかったのだが、航空便は希望した日時は全て満席だった。まあ、稚内は4度目だし、新鮮さにこだわるほどのことでもない。
 稚内はちょうど夏祭りの最中で、泊まったホテルのそばで花火が打ち上げられていた。ドン、ドンと大砲のような大きな音がして、大輪の花が次々と夜空に舞った。湯上がりの浴衣姿で外で観ていると冷え込んできた。20度を少し超す程度らしい。稚内も今年の夏は暑いようだが、朝晩はさすがに随分と涼しい。
 稚内駅は数年前に建て替えられて新しくなった。日本最北端の駅として装いも新たにしたようだ。ホームが片側1線のみというのはやや寂しい。ホームの柱には函館から703.3キロ、東京から1547.9キロなどと表示がある。
 また、ホームの柵には「日本最北端稚内駅北緯45°25′03″」との木版が掲げられていたが、これは旧駅舎の玄関脇の壁に掲げられていたものではなかったか。また、旧駅舎時代には、線路は駅舎からさらに北へ伸びて車止めになっていて、稚泊航路へつながっていた往時を偲ばせていた。現在は、駅前の広場にその線路の一部が残されている。
 8月5日。さあ、いよいよ最長片道切符の旅北海道版の出発だ。最初は宗谷本線。9日までの長い旅の始まりである。ホームで記念撮影。若い女性にシャッターを押してもらった。
 6時36分稚内発旭川行き特急サロベツ2号。1日に3本しかない旭川方面行き特急の最初の1本。4両編成。青みがかったヘッドが特徴だ。宗谷本線は、旭川駅から稚内駅を結ぶ全長259.4キロの路線。非電化で、特急を含めて稚内発着の列車は、下りが6本、上りも7本に過ぎない。

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(写真2 右窓に見えるはずのサロベツ原野越しの利尻山=8月4日撮影)

 稚内を出ると、クマザサの生い茂る丘陵地帯を列車は走る。天候は曇り。抜海、兜沼などと走っていて、いつもなら右窓に利尻山が海に浮かぶように見えるはずなのに、霧が濃いのかまったく姿を見せない。利尻富士と呼ばれる美しい山容が、宗谷本線のハイライトなのに残念だ。昨日は旭川から稚内に向かった列車からは美しい姿を堪能していたのに。続いてサロベツ原野も見えてくるはずなのにこれも明確ではない。サロベツ原野の先に見える利尻山は、北海道絶景車窓風景ベスト5の一つと言えるはずだが、今日は楽しませてくれない。

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(写真3 悠久の流れ天塩川)

 その分、上幌延を過ぎたあたりからか、天塩川に寄り添うように進む。大河である。悠久の流れである。利尻山が宗谷本線のハイライトだとすれば、天塩川はもう一つの絶景である。宗谷本線と並行している区間は120キロにも及ぶのではないか。
 ところで、宗谷本線には、車掌車を駅舎に転用した例が多くて9駅も数えるようだ。それで、あらかじめ時刻表地図に印を付けておいて、該当する駅が近づくとカメラを構えて撮影を試みた。そうすると、8っつの駅で撮影に成功した。高速で通過する列車の窓からの撮影としては画期的成功率ではないか。
 音威子府(おといねっぷ)。何と旅情をかき立てる駅名か。かつてはここから天北線が分岐していて、オホーツク海岸沿いに南小樽へと向かっていた。また、日本海側には羽幌線もあったから、一筆書きで稚内を回ってくることができた。
 初めてこの音威子府駅を利用したときには、往きは宗谷本線で、帰途は天北線にしたのだった。しかし、すでに国鉄合理化の真っ最中で、駅構内には合理化反対の赤旗が幾本も翻っていた。SLの大きな雪像があったから、真冬だったのであろう。
 名寄。ここで途中下車。9時23分着。わずかの乗り継ぎ時間を利用して名寄公園に寄ってきた。かつてはここで名寄本線と深名(しんめい)線が接続していた。両線ともに乗ったことがあって、名寄本線ではオホーツクの流氷が見られたし、深名線は途中朱鞠内(しゅまりない)湖の湖畔を走り、とても幻想的なものだった。
 10時01分発旭川行き普通列車。快速列車で1両。車窓には田んぼが増えた。サロベツ原野付近では酪農が多かったから、大きな変化だ。

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(写真4 『塩狩峠』の舞台塩狩駅)

 途中、塩狩では駅に入る直前塩狩峠の木柱が立っていた。塩狩峠とは、その名の通り、石狩と天塩の境にあり、天塩川水系と石狩川水系の分水界でもある。三浦綾子の小説『塩狩峠』の舞台となった。
 標高は高いようには感じられなかったが、塩狩を出ると長いトンネルを下って平野になった。永山の手前で石狩川を渡った。
 永山で各駅停車に乗り換え。11時16分着。この一つ先の新旭川で石北本線へと乗り継ぐのだが、新旭川には生憎と快速は停車しない。
 長い待ち合わせ時間を利用して昼食と思い、駅前に出てみたがそれらしい店は見当たらない。駅からしばらくまっすぐ歩いて行ったら、途中に農協があり、その建物の一角がそば屋になっていた。それで、もりそばを頼んだのだが、これが実にうまい。そばもいいしつゆもいい。聞くと、江丹別産だという。思わぬところでいいそばに出会ったものだ。

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(写真5 宗谷本線と石北本線の分岐新旭川駅)
 さて、永山12時00分発。すぐに新旭川12時07分着。12時11分発上川行きに乗り換え。。わずか4分しかなかったが、3番線に着いて4番線に跨線橋で渡った。新旭川は旭川から二つ目の駅。石北本線はこの新旭川と網走をむすぶ234.0キロの路線。全ての列車は旭川発着で運転されており、旭川からなら特急列車に乗れるのだが、新旭川-旭川間が重複区間となってしまう。これが一筆書きのつらいところ。
 上川までこのまま進み、上川で特急大雪1号に乗り継いだ。13時17分着の13時27分発。上川駅には、髙梨沙羅選手のスキージャンプW杯通算優勝回数世界新記録を讃える横断幕が張られていた。

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(写真6 北海道標高最高地点上越信号場。かつては駅だった名残で駅舎が残っていた)

 少しして登攀を開始した。中越、上越と二つの信号場が続く。かつてはどちらも駅だったところ。上越信号場は北海道における標高最高地点である。643メートル。日本一高い地点である小海線野辺山駅の1.345メートルに比べ約半分ほど。
 下っていくと、奥白滝信号場までの間が石北トンネルで、白滝を挟んで上白滝、旧白滝、下白滝と3駅が3年前廃駅になってしまった。1日に停車する列車はわずか1本だったし、秘境駅としては知られていたが、乗降客もいなかったようだからやむをえないか。
 列車は山間を走っており、左右の車窓に変化はない。そうこうして遠軽。かつての名寄本線の始終点駅だった。紋別に向かう際に何度も利用したが、ここはスイッチバック駅で、列車は進行方向を反転した。

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(写真7 女満別を過ぎて左窓に見えてきた網走湖)

 留辺蘂、北見、美幌などと続き、女満別を出ると左窓に網走湖が見えた。もう網走は近く16時35分に到着した。
 結局、この日は線区の数としては宗谷本線と石北本線の二つだけだが、489.7キロほぼ10時間の乗車となった。駅前のホテルにチェックインしたあともしばらくからだが揺れていた。

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(写真8 第1日目の終着網走駅)