ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

長崎 港町の路面電車

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(写真1 3系統赤迫行きと4系統崇福寺行きが停車中の蛍茶屋停留所)

九州の路面電車を訪ねて①

 長崎は路面電車の似合う街。港町の路面電車として函館と長崎は双璧であろう。
 4つの系統があり、重複区間も含め営業距離は21.1キロ。ただし、線区上は5路線11.5キロとなっている。経営は長崎電気軌道株式会社。
 市民の足としてすっかり生活にとけ込んでいるほか、観光客にとっても長崎駅前を中心に平和公園や大浦天主堂などと主要なスポットを巡って便利。
 運賃は大人120円だが、一日乗車券なら500円で気兼ねなく乗降できる。

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(写真2 崇福寺に停車中の1系統赤迫行き電車)

 1系統は、赤迫から平和公園、長崎駅前、新地中華街、思案橋などを経て崇福寺に至る。なお、長崎では2018年8月に停留場名の改称を行っていて、この崇福寺もかつては正覚寺下だった。ほかにも松山町を平和公園としたり、築町を新地中華街とするなど観光客向けに利便性を向上させた名称変更を行っている。
 3系統は、1系統同様に赤迫を出て長崎駅前で左折して分かれ、市民会館を経て諏訪神社や蛍茶屋へと至る。
 4系統は、国宝崇福寺のある崇福寺から思案橋、めがね橋、諏訪神社から蛍茶屋へと至る。
 5系統は、石橋から大浦天主堂を出て新地中華街では1系統へと乗り継ぎができ、西浜町から4系統と合流する。
 なお、2系統がないが、調べてみると、案内にはないが、早朝などごく一部の電車に運行があるようだ。
 路面電車のいいところは、バスなどと違って路線がわかりやすいこと。バスではどこへ連れて行かれるか不安になることもあるが、路面電車ではそういうこともない。電車に乗っていったり来たりしているだけで街の様子が知れる。運行本数が多いし、停留所の間隔も短いから気のついたところで下車すれば良い。また、車内で、地元の人々の会話をそれとなく聞いているのもローカル性があって楽しいもの。
 長崎では、3時間もあれば全路線に乗ることができる。そういうことであっちへ行ったりこっちで降りたりしていたが、電車の中で隣になった若い女性に道順を尋ねていたら、教えてくれた停留所で一緒に降りて方角を指し示してくれた。たまたまだったのか、わざわざだったのかわかりかねたが、いずれにしてもとても親切なことで感激だった。こういうふれあいも路面電車ならではだろうか。

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(写真3 長崎駅。駅前で路面電車1系統、3系統が発着している)

旧久木野駅跡のヨ8955

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(写真1 旧久木野駅跡に保存されているヨ8955)

九州の車掌車を訪ねて④

 肥薩おれんじ鉄道水俣駅から、水俣市のコミュニティバスみなくるバスに乗って山間へと分け入ること約50分、愛林館前下車。
 ここは、水俣市久木野ふるさとセンターで、農産物加工などを学ぶ宿泊研修施設であり、地元の素材のみで作った菓子や料理が評判だ。
 この愛林館前に据えられていたのが車掌車。実は、ここは、かつての山野線の久木野駅があったところで、この前の道路にかつて線路が敷かれていたらしい。
 現在は、ホームに模した台があり、ヨ8000形車掌車ヨ8955が展示されていた。塗装に経年変化は見られるもののおおむね良好に保存されており、内部もきちんと清掃が行き届いていた。ヨ8000形らしく、トイレも付いている。製造銘板には三菱重工昭和53年とあった。またここには、信号機や転轍機などの設備も保存されていた。久木野駅跡の石碑があった。

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(写真2 久木野駅跡の石碑)

 山野線は、水俣駅から肥薩線の栗野駅を結んでいた全線55.7キロの路線で、久木野駅は水俣から四つ目、この先にはループ線があり、熊本-鹿児島県境越えとなっていた。1988年の廃線で、そうなると、この車掌車は廃線になるわずか10年前の製造ということになる。
 愛林館の沢野亨館長にお話を伺ったら、ご自身若いころは鉄道ファンで、国鉄全線踏破を目指していたころもあったという。ループ跡も近いところから廃線派が時々訪ねてくるが、車掌車を見に来た者は初めてだったと苦笑いしていた。
 なお、周辺を歩いてみたら、明治10年西南戦争激戦地の立て札があって、往時を偲ばせた。また、バスの待合所は、久木野駅前バス停と往時のままとなっており、のどかな山間の集落はどこか時間がゆったりと流れているように思わせられた。

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(写真3 水俣市久木野ふるさとセンター愛林館)

南島原駅のヨ8001

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(写真1 ワム8000に連結されて南島原駅構内に留置されていた車掌車ヨ8001)

九州の車掌車を訪ねて③

 長崎県島原半島を走る島原鉄道で起点の諫早駅から終点の島原外港駅を目指していたところ、南島原駅を発車してすぐ構内のはずれに貨車が2両連結されて留置されているのが車内から目撃された。予想していなくて、咄嗟のことにシャッターを切った。
 1両は、有蓋貨車でワム80001とあり、車体には「救援車」と大きく白ペンキで書かれている。
 もう1両が車掌車。外見からしてヨ8000形である。走行中の列車からは確認することができなかったが、後日調べたところところヨ8001だとのこと。

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(写真2 車掌車ヨ8001。ちょうど車両番号の部分が運悪く隠れている)

 ただ、旧国鉄から譲渡されたものだが、2両ともに車籍編入はされておらず、工事車両として使用されてきたものらしい。あるいは災害対策などで出動するものかも知れない。
 また、この駅は、島原鉄道の車両基地になっており、構内には黄色に塗色された多数の客車が留置されていた。
 鉄道旅では車掌車を見つけることも楽しみの一つ。ものの本からあらかじめ下調べをしていくのだが、時にはこの南島原駅のように文献では見当たらないような場合もあり、乗っている列車の窓から発見するようなことも時にはある。

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(写真3 多数の車両が留置されている南島原駅構内)

源じいの森のヨ9001

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(写真1 高速貨物専用として開発されたヨ9001)

九州の車掌車を訪ねて②

 源じいの森とは、福岡県田川郡赤村にある自然公園。研修宿泊施設や温泉などがある。平成筑豊鉄道田川線に同名の駅があり、その駅から徒歩1分。
 敷地に入ると、研修宿泊施設の脇に車掌車は展示されてあった。車体はブルー。高速貨物列車のみに許された塗色である。これは、日本で初めて常用で時速100キロ走行ができる高速貨物専用の車掌車として開発されたもので、1968年に2両製作されたうちの現存する1両。

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(写真2 ヨ9001を解説する看板)

 現場には、「日本初の100㎞/hで走行ができる車掌車」との看板があり、「筑豊地区の石炭列車に連結されて活躍していました」と記載されてあった。
 ところで、笹田昌宏著『車掌車』によれば、この車両が当地に保存された当時は、車体に黄色の帯が巻かれていたようだ。これは、当初、100キロ走行車両として開発されたものの、その後の試験運転でカーブでの走行性能が基準を満たしていないところから、結局、100キロ走行はできないこととなり、65キロでの速度制限を示すために黄帯が巻かれたということらしい。
 折角、100キロ走行ができる高速貨物列車用車掌車として開発され栄光の青色塗色が施されていたものの、速度制限を示す黄帯が巻かれるという残念な運用となったわけで、そういうことでか、高速性能を必要としない石炭列車に転用されたものであろう。

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(写真3 右下は田川線の線路)

直方市汽車倶楽部の車掌車

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(写真1 2両並んでいる直方市にある汽車倶楽部の車掌車)

九州の車掌車を訪ねて①

 汽車倶楽部は、福岡県直方市にあるNPO法人。
 1999年の開設で、蒸気機関車59647の保守を行っている。静態保存だが、ピカピカに磨き上げており、線路さえあれば今にも動き出せる状態が保たれている。趣味の人たちが休日に集まって作業をしており、市内の小学校の生徒たちに体験してもらって好評を得ている。

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(写真2 汽車倶楽部が保守保存している59647蒸気機関車)

 私も運転台に乗せてもらったが、全てのパーツが使用可能な状態に整備されている素晴らしいもので、いくつになっても男はSLにはわくわくするものだということを再確認した。
 直方市は筑豊炭田の中心。筑豊本線直方駅は石炭を積んだ貨車が行き交ったところで、往時、転車台には23列もあってSLが60両も在籍していたという。この転車台は国内最大級だったらしい。
 言わば直方の発展を支えてきたのがSLということになるわけで、汽車倶楽部の活動は歴史遺産を後世に伝えていく役割を担っているとも言える。
 ところで、車掌車はちょっと離れた場所に他の車両などと一緒に留置されていて、一般に見学できる状態にはなかったが、無理を言って見せてもらった。
 2両あり、ともにヨ8000形と思われた。前後に張り出した庇が特徴で、車両番号も製造銘板も見当たらなかったが、ものの本によれば1両は18046号車であるようだ。

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(写真3 直方駅は広大な構内があって往時を彷彿とさせている。駅前には魁皇の立派な像があった)

フェルメール遍歴

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(写真1 オランダ・ハーグのマウリッツハイス美術館の外壁に掲示されている「真珠の耳飾りの少女」の垂れ幕。手前に佇んでいるのは家内

魅せられて世界各地へ

 フェルメール好きだから、随分と世界中の美術館でフェルメール作品を見てきたが、オランダのハーグ(正式にはデン・ハーグ)にあるマウリッツハイス美術館で「真珠の耳飾りの少女」を初めて見たときの感激は忘れない。開館の1時間も前から並んでいて、オープンと同時に一番乗りで2階の展示室に迷わず駆け込んだ。展示室はあらかじめ調べておいた。家内と二人だけの静寂な展示室で青いターバンを巻いた少女がふっと振り向いて私たちにほほえんでくれた。まるで、今そこに少女がいるかのような感覚だった。できれば連れ去りたいという衝動を抑えるのに苦労したほどだ。それはここがマウリッツハイス美術館だったからではなかったか。それほどの存在感だった。
 この展示室には、「真珠の耳飾りの少女」の真後ろには「デルフトの眺望」も架けられていた。フェルメール作品では数少ない風景画の名画だが、まるでさりげなくてしばらく気がつかなかったくらいだ。おそらくフェルメール作品ほど静かに集中できる環境で見たい絵もないのではないか。微細だし、作品の世界に浸っていたくならせるからで、そういう意味で欧米の美術館は鑑賞者本位に運営されているように思われる。
 欧米の美術館に行って感心することは、自由な鑑賞環境だ。まるで絵に触れられる近さで見ることができるし、写真を撮ることも自由というところが少なくない。もちろん、押し合うほどに混んでいることもないからゆったりと鑑賞できることも喜ばしい。

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(写真2 メトロポリタン美術館のフェルメール作品のコーナー)

 フェルメール作品を数多く所蔵しているのは実はアメリカで、3都市4美術館に12点もある。
 このうちニューヨークのメトロポリタン美術館は、パリのルーブル美術館と並んで世界的にも巨大な美術館だが、フェルメール作品は5点もある。ニューヨーク観光の目玉にもなっている人気の美術館だが、フェルメール作品が展示されている部屋は奥まったところにあり、案内図を頼りに探していかなければ容易にはたどり着けない。そういうこともあってか意外にいつでもそんなに混んでいない。ただ、気をつけなければならないことは、5点揃っていることの方が少なくて、何かが貸し出されている場合がある。これは他の美術館においても往々にしてあること。よくよく調べていく必要がある。
 アメリカではワシントンのナショナル・ギャラリーがいい。中央駅であるユニオン駅や国会議事堂からもほど近い。この美術館は観光コースには入っていないようで、大方の場合空いている。だからゆったり鑑賞できるし、メトロポリタン同様写真を撮るにも自由だ。しかし、コレクションはすばらしくてしかも粒選りのものが並んでいる。
 フェルメール作品は3点あるいは4点ある。おかしな曖昧な書き方をしてしまったが、このうち「手紙を書く女」と「天秤を持つ女」の2点は一致して真作と認められているのだが、残る「赤い帽子の女」と「フルートを持つ女」の2点は識者によって評価が分かれているようだ。
 確かに、「赤い帽子の女」と「フルートを持つ女」は、2点ともに同じモデルのようだし、そのことはともかくそもそも私には女には見えない。もっとも、「赤い帽子の女」については近年真作とする評価が有力らしいが。
 しかし、1点数十億円もするフェルメール作品のこと、真作か否か美術館にとっても大きな問題だ。
 それにしても、フェルメール作品はなぜにこうももてるのだろうか。日常の一瞬を切り取って物語性があるし、光と影の使い方が絶妙で、緻密さが高い。神秘性があるという言い方もあるだろう。17世紀の画家だが、初期のころの作品はともかく、宗教性が弱いことも我々日本人にはことのほか親しみやすい。寓意性もあるのだが、絵の鑑賞を損なうほどにややこしくはない。そして、約35点という希少性も人気を高めているのかも知れない。
 実は家内もフェルメール好きで、このことでフェルメール行脚は随分とはかどった。海外旅行に行って好き嫌いが分かれないというのはこれはうれしいこと。どこを見るか、主導権を奪われないというのはありがたい。まあ、たいていの場合、ショッピングの時間さえたっぷり確保しておけば問題はないのだが。フェルメールを見に行こうということが旅行の動機付けにもなったから、このことでもフェルメールはありがたい。

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(写真3 ワシントン・ナショナル・ギャラリーに展示されているフェルメール作品。「手紙を書く女」を中央に左に「赤い帽子の女」、右は真作かどうか評価が分かれている「フルートを持つ女」)

フェルメール全点踏破へ

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(写真1 アムステルダム国立美術館でも「牛乳を注ぐ女」は人気)

残るは1点

 お前もかと言われそうだが、フェルメールが好き。
 そのことだけが目的ではないが、海外旅行などで美術館があればたいがいはいる。それも、フェルメールを展示しているとなればなおさら。もちろん、日本にフェルメールが来ていれば、一度見たことのある絵であろうが必ず駆けつける。
 そういうことで、もう20年以上にもなるか、内外を問わずあちこちの美術館でフェルメールを見てきた。先週も上野の森美術館で開催されていたフェルメール展を見てきたばかり。
 ヨハネス・フェルメールは、17世紀オランダの画家。43歳という短い生涯で遺した現存する作品はわずかに30数点と言われている。それも、世界7カ国14都市、17の美術館に点在している状況。
 また、フェルメール作品は希少価値が高くて、真作の見極めに論争が続いている。内外の主な美術評論家、フェルメール研究者らによると、異論なく一致してフェルメール作品と認められているのが32点で、これにほぼ真作であろうとするもの3点加えても合計35点。とても寡作だったのだ。識者の中には最大で37点、厳しく見て32点という人もいる。また、フェルメール作品には贋作も多いようで、真贋論争も活発。
 私自身は、もとよりフェルメール研究者ではないし美術評論家でもなく、精査したわけでもないが、大方の専門家の意見に同調するとザックリと35点ではないかとみている。乱暴なことだが、いかにもフェルメールらしくないものを外したらこうなった。
 ものの本を参考に調べてみると、オランダに2美術館7作品、ドイツ4美術館6作品、オーストリア1美術館1作品、フランス1美術館2作品、イギリス4美術館5作品、アイルランド1美術館1作品、アメリカは4美術館12作品となっているほか、個人蔵が1作品ある。また、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館所蔵の「合奏」は盗難に遭って現在行方不明となっている。
 残念ながら日本には一つもなくて、一時、世界の絵画を買いあさって世のひんしゅくをかった日本だったが、フェルメールには手が出なかったもののようだ。

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(写真2 「真珠の耳飾りの少女」を収蔵しているオランダ・ハーグにあるマウリッツハイツ美術館)

 このような事情にあるフェルメール作品。幸い、私は旅行好き。随分と世界のあちこちを訪ね歩いてきた。オランダのハーグにあるマウリッツハイス美術館、アムステルダム国立美術館にも行く機会があったし、フェルメール作品のおよそ三分の一を収蔵しているアメリカにはたびたび足を運んでいて、ニューヨークのメトロポリタン美術館やフリック美術館、そしてワシントンのナショナル・ギャラリーも訪ねた。
 フェルメールファンが多い日本のこと、フェルメール作品を含む展覧会がたびたび開催されていて、何でもこの50年の間に20回も開かれてきたとのこと。これまでに展示された作品数は実に23にも上るらしい。「真珠の耳飾りの少女」は3度も来日しているし、2012年の時などファンが殺到し長蛇の列だった。
 高い貸出料だろうし、収蔵もとの美術館にしてみれば日本は上得意なのではないか。それに日本の美術館にしても、フェルメールさえ呼べば展覧会は成功なのだからおいしい話だ。
 そういうことで、フェルメール作品をどれほど見ているものか、このたび一覧表をつくって整理してみた。
 フェルメールの真作と定評となっている35作品に限ってみると、私はその全てに見たという記憶がある。ただし、いつどこで見たのか記録を調べて精査してみたところ、期日場所が特定できないものが4点あった。私は美術館で絵を見て気に入ったものがあるとその作品の絵はがきを買う習慣があるのだが、1点を除き絵はがきを保有していた。つまり、見たという記憶は確かなのではないか。
 そうは思われるが、記憶はあやふやなもの、期日場所が特定できないものは見たことにカウントしないようにした。特にフェルメールの場合似たようなモチーフ、同じような構図のものが多いから要注意だ。
 そうしていたところ、このたび上野の森美術館で開催されているフェルメール展に期日場所が特定できない1点が含まれていた。「取り持ち女」がそれで、これで残るは3点ということになった。
 このうち、「合奏」は現在行方不明だし、「音楽の稽古」は英国王室の所蔵であり、いずれも自由に見ることができない。
 結局、一般人が自由に見ることができて記録も絵はがきもないというのは「窓辺で手紙を読む女」1点のみとなった。ドレスデン国立絵画館所蔵によるものだが、日本には2回も来ているし、記憶もしっかりしているのだが、いかんせん記録がない。ただし、ドレスデンには行ったことはないのも確かなこと。
 私は、もとよりフェルメール全点踏破を目指しているわけではないからしいてこだわる必要もないが、ここまで来れば全て見てみたい気は強いわけで、いずれドレスデンに出掛けることもあるかも知れないし、作品が来日することもあるかも知れない。

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(写真3 3点が展示されているワシントン・ナショナル・ギャラリー