ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

内田洋子『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』

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「本が本を連れてくる」

 モンテレッジォは、イタリア北部、トスカーナ州の山深い寒村。ここの村人たちは、かつて、貧しさから逃れ現金収入を得るために村を出て本を担いで行商して歩いたという。それはどういうことだったのか、非常なる興味を抱いて本書の物語は進む。
 そもそも何で本だったのだろうか。まずはモンテレッジォを訪ねる。村には大きな石碑があり、籠を肩に担いだ男。籠には外に溢れ落ちんばかりの本が積み入れてある。碑文には、「この山に生まれ育ち、その意気を運び伝えた、倹しくも雄々しかった本の行商人たちに捧ぐ」とあった。
 格別の特産品などもない貧しい村。出稼ぎなどもするうちに本が重宝がられるようになっていったようだ。1858年には850人の村民のうち71人の職業が本売りだったとする村勢調査の結果があるという。
 行商人が扱う本は庶民に好評だったという。書店の扱う本が専門書やら高級書が多かったのに対し、興味深い本が多いし、露店で売っているわけで手にとって見られたし、行商人の話す情報も喜ばれたようだ。
 行商人たちによれば、一番よく売れた町はボローニャだったという。これについてはうなずける。ボローニャは人口39万と日本で言えば県庁所在地ほどのサイズの古都だが、井上ひさしは『ボローニャ紀行』で、この都市には、37の博物館と映画館50、劇場41、図書館が73あるのだと書いていた。ヨーロッパ最古の大学もボローニャだったはず。
 また、行商人が津々浦々から集めてくる読者ニーズ情報は、出版社にとっても貴重なものだったという。
 このモンテレッジォを著者が知るきっかけとなったのは、ヴェネツィアの古書店だったという。この下りも随分と魅力的。
 「棚揃えは、書店主の人となりだろう。常連たちは本を探しに来るようで、実はアルベルトと喋りたくて訪れている。地元の客だけでなく、他都市からも美術や建築の専門家たちが来ているようだった。それぞれが、最近読んだ本や見聞きした情報、共通の知り合いの噂話などをしている。ときには横で本を見ていた別の客も加わって読後感想を熱心に述べあうことになったり、話題が飛んで新作映画や旅先での話になったりもするのだった。」
 ここで著者はモンテレッジォを知ったわけだが、それは著者が言うように「本が本を連れてくる」ようなことだったのだろう。
 現在のモンテレッジォは、人口わずかに32人で、小学校も中学校もない。このような僻地の村で現在も夏になると本屋週間が開かれる。村の外に出ていた人たちも戻ってくるし、作家も書店主も集まり、人口は200人にふくれあがる。
 村祭りの中心はもちろん本で、広場の屋台に本が山と積まれる。呼び物は〝露天商賞〟の発表だ。
 1953年から始まっていて、「イタリアで刊行された本の中から、分野を問わず翻訳書も含め、本屋たちが最も売れ行きの良い本を報告して決まる。文芸評論家も作家も記者も出版人も関わらない、本屋だけで選出する文学賞だ」。第1回の受賞はヘミングウエイの『老人と海』だった。今日の日本で言えば本屋大賞のようなものか。もっとも、日本の本屋大賞は新刊本だけが対象だが。
 ところで、著者は、くだんの古書店について、「ヴェネツィアの本好きたちが集まる書店」といい、「休憩所というか、中継点というか。他所の人で溢れる町で、地元の気心の知れた人たちから便利に利用されている。知る人ぞ知る店なのだ」と紹介していて、「客の出入りが頻繁な書店というのも、居心地の悪いものである。けれどもまた逆に、息を潜めて試し読みしなければならないような店も辛気くさい。照明で煌々と照らされすぎることもなくまた暗すぎず、広くもなく狭くもない店内に、二、三人ほどの客。そして店主。あとは本」。
 これも井上ひさしからの引きだが、井上さんは『本の運命』だったかで、行きつけの床屋、馴染みの居酒屋があるように、行きつけや馴染みの本屋も持っておくのがいいと書いていた。
 このことで、私にも学生時代、ほとんど毎日のぞいている馴染みの本屋があった。新刊のほか新刊古書も扱っている面白い店で、女将さんが店番をしていた。予約注文制の本なども頼んでいたのだが、入荷しても引き取りに行けない。その本屋は駅前の細い通りにあったから店の前は毎日必ず通る。すると、女将さんは私の顔を見るなり声をかけてくれて、お代はいつでもいいから本を持っていきなさいといって頼んでおいた本を渡してくれたものだった。
 本書を読んでいて、あまりにも楽しくて、面白くて昔を思い出していたし、ますます本が好きになる。「本を選ぶのは旅への切符を手にするようなものだ」とあったり、モンテレッジォの本売りについても「神様から選ばれた特使」と讃え、「次の読者に物語を届けてくれる」と感謝を述べているなど、宝石のような言葉がちりばめられている。
 また、本書の魅力は、もちろん本の中身なのだが、本全体のブックデザインもとてもいい。目にやさしい活字だし、ページをくくるのがいとおしくなるような用紙だし、4ページごとに挿入されているカラー写真も読書を豊かにしてくれている。版元は小さな出版社のようだが、いかにも本好きが丁寧に造った本という印象が強くて、機会があればモンテレッジォを訪ねてみたいものだと感じ入った次第だった。そう言えば、ボローニャもいつか訪ねてみたいと念願していながら、もう10年にもなるのにまだ実現していない。
(方丈社刊)

碓氷峠越え

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(写真1 復元された旧軽井沢駅舎)

軽井沢から横川へバスで

 このたびの甲斐から信濃を回る旅では、帰路の終盤には、新幹線を使わずに碓氷峠を越えた。
 かつての信越本線は、北陸新幹線の開通に伴う並行在来線の措置により、峠越えとなる横川駅と軽井沢駅の間は線路が途切れている。
  高崎から横川までは信越本線がそのまま残り、軽井沢から上田方面は第三セクターしなの鉄道に移管されたものの、横川-軽井沢間は、利用者が見込めないことと、急勾配の峠越えのため車両の運用等から運転費用も大きいことなどから切り捨てられていた。
 このたびは、横川からの登り勾配ではなく軽井沢からの下りとなるものの、碓氷峠越えはどうなっているのか実際に乗ってみた。
 この間の交通をになっているのは、JRバス関東の路線バス。軽井沢-横手間を結んで運行している。
 しなの鉄道で軽井沢に到着。1面2線の頭端式ホームで、峠側が渡り廊下になっていて、階段を使わずそのまま改札口に向かえた。なお、かつてはしなの鉄道移管後も横川駅と鉄路はつながっていたが、現在は結ばれていない。また、新幹線駅とは頭端側の階段で連絡されている。
 駅舎は、旧軽井沢駅舎が復元されて利用されている。旧軽井沢駅舎記念館を改築したものでとても味わいがある。昨年10月から使用されている。

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(写真2 カーブの連続となる峠越え)

 駅前にバス乗り場があって、JRバス関東は5番乗り場。8月19日14時15分発横川駅行き。大型バスがほぼ満席である。ほとんど駆け込むように乗ったから、どのような乗客か顔ぶれはつまびらかではないが、観光客は少ないように思われた。紙袋をいくつもぶら下げていかにもアウトレットで買い物をしてきたといった女性もいた。
 定刻に発車したのだが、夏休みの日曜日だしすぐに大渋滞に捕まった。ただ、峠越えの国道に入るとスムーズに流れた。
 つづら折りにカーブの連続だが、かつて信越本線で越えた最大で66.7 ‰もの急勾配は感じられず、せいぜい30‰程度ではないか。これが横川側からの登りなら峠越えもそれなりに感じられたのであろうが。また、途中、信越本線の遺構にもまったく気がつかなかった。
 そうこうして横川駅14時49分、定刻の到着だった。停留所は、碓氷峠鉄道文化むらのゲート前だった。
 ここからは高崎まで信越本線となる。名物の峠の釜めしを買おうとしたらすでに売り切れだった。現在に至るも人気なのであろう。それで、そばを食べたのだが、これが実にうまい。全国あちこちで食べているが、これほどうまい駅そばもないもので、五指に入るのではないか。いったいに駅そばは始発駅や乗換駅がうまいものだが、ここのうまさには感動した。

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(写真3 横川駅の峠の釜飯の店。釜飯は売り切れでそばが実にうまかった)

これも車掌車?

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(写真1 清里-野辺山間で目撃したこれは車掌車?)

小海線車窓から目撃

 先日、小海線の旅をした際、清里駅を出て野辺山駅との間左窓に車掌車らしきものが目撃できた。
 JR最高地点の標柱を撮影しようとカメラを構えていたところ、大きな標柱を過ぎて間もなく貨車が見えたのだ。とっさにシャッターを切ったのがこの1枚である。
 貨車であることは間違いないものと思われるが、ただ、普通の貨車にすれば窓がついていて、郵便車とかそういうものにも見えなくはないが、どうもわからない。
 調べてみると、車掌車に詳しい図書やウエブサイトにも記録はないし、ヨ29500を改造したようにも見えないこともないが、やっぱりデッキがないから車掌車と決めつけるには無理があるだろう。
 そうは思いながら、車掌車を探し回っていると、こんなところにも気になって、我ながらいやはやご苦労なことである。

高橋弘希『送り火』

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芥川賞受賞作

 後味の悪い小説だ。面白くないとは言わないが、読んで楽しくもない。芥川賞受賞作だから読んだけれども、そうでなかったら手に取らなかっただろう。
 ただ、文章はうまい。濃密な描写できちんとしている。ただし、やや硬質だ。とても三十代の作品とは思われない。なぜかと考えて、難しい漢字が多用されているのだと受け止めた。この頃は漢字を避けて平仮名を多くする傾向があるから、これはかえって異質だ。
 僅かに、些か、捲る、鶏鳴が響く、纏めて、などとあると、かつては遣っていたから読むに難しくはないものの、この頃ではよほどの年配でもないと普段遣いはしないとは思う。文体に特徴のあることは大事だが、この効果はどうなのか、そのことで積極的な意味が見いだせなかった。ましてや、橋架を渡るなどと遣っては無理が強くて、自分の言葉になっていないようにすら感じられた。まさか、ワープロで変換して、難しそうな漢字を選んだわけでもないだろうが。
(「文藝春秋」9月号所収)

池澤夏樹『終わりと始まり2.0』

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率直な時評で人気のコラム

 朝日新聞に連載されてきた時評を中心としたコラム集の第二集。2017年末までの4年分が収録されている。
 連載が一か月に1度という頻度がいいようで、世の動きを一か月ごとに区切り、その中からテーマを選び、それに関わる情報を収集して、考えたことをコラムにまとめるというやり方でやってきたと著者は述べていて、言わば「一か月を単位として現代史を追ってきた」ということ。
 時評が中心だから内容的には、東日本大震災のこと、原発事故のこと、憲法のこと、沖縄のこと、トランプ大統領のことなどに関することが取り上げられている。いろいろなことに及んでいるから、いろんなことを考えさせられる。
 「名誉ある敗北」(2013年8月6日)で、戦争責任を問うことは大事である。どこで誰がどう間違ってあんな結果になったのか、そこに至る判断の一つ一つが検証されなければならないとした上で、
 「その一方で、恥辱の思いをどう扱って我々は今に至ったのか、それを考えることも必要ではないか。
 「若い論客が卓見を述べている。『永続敗戦論』(太田出版)で白井聡は、日本人は「敗戦」をなかったことにして「終戦」だけで歴史を作ってきたと言う。強いアメリカにひたすら服従、弱い中国と韓国・北朝鮮に対しては強気で押し切る。その姿勢を経済力が支えてきた。彼が言う「永続敗戦」は戦後の歴史をうまく説明している。経済力の支えを失った今、我々はやっと事態を直視できるようになった。
 「これからの衰退の中で名誉ある敗北を認めることができるだろうか。安倍政権のふるまいと選挙の結果を見て思うのは、我々があまりにも欺瞞に慣れてしまったということである。」と結んでいる。
 日本人は責任をとらない国民とはよく指摘されることだが、言い逃れの多いことも国民性で、小出しに言い逃れをするから終いには大きな墓穴を掘ってしまう。それにしても、敗戦を終戦と言い換えるなどは図太い言い逃れだ。
 「弱者の傍らに身を置く」(2014年8月5日)で、昭和天皇は史上初めて敗者として異民族の元帥の前に立たされた。この人について(名著『レイテ戦記』で戦争責任を追及した=筆者)大岡昇平は「おいたわしい」と言った。一人の人間としての昭和天皇の生涯を見れば、大岡の言葉はうなずけるとした上で、
 「八十歳の今上と七十九歳の皇后は頻繁に、熱心に、日本国中を走り回っておられる。訪れる先の選択にはいかなる原理があるか?
 みな弱者なのだ。
 「今上と皇后は、自分たちは日本国憲法が決める範囲内で、徹底して弱者の傍らに身を置く、と行動を通じて表明しておられる。お二人に実権はない。いかなる行政的な指示も出されない。もちろん病気が治るわけでもない。
 しかしこれほど自覚的で明快な思想の表現者である天皇をこの国の民が戴いたことはなかった。」と結んでいる。
 あまりに率直で、この連載は朝日だから続いたのであって、毎日はともかく、読売ではこうも長くは続かなかったのではないか、そのように思えたのだった。
(朝日新聞出版刊)

池内紀・松本典久編『読鉄全書』

 

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鉄道ものアンソロジー

 タイトルが断然いい。読鉄(よみてつ)とはふるっている。鉄道趣味世界も幅は広くて、鉄道の写真撮影を趣味とする撮鉄(撮り鉄)、鉄道に乗っていることが楽しい乗鉄(乗り鉄)から車両派や廃線派などとあってそれぞれに一派一家を構えているが、読鉄というカテゴリーはこれまでなかったのではないか。私も、鉄道紀行に限らず、小説でも鉄道の情景が出てくるだけでうれしくなるから読鉄ではあるだろう。
 鉄道紀行や、鉄道の場面が出てくるエッセイなどを集めたアンソロジーである。それも、内田百閒や阿川弘之、宮脇俊三といった鉄道ものの泰斗から、吉田健一、小林秀雄、五木寛之、伊丹十三などと実に多彩な顔ぶれ。41本50編が収められている。
 全編に通じているのは、鉄道好きには名だたる文章家が多く、鉄道を書くと皆さん筆が走るようだということ。
 だから例示するに枚挙にいとまがないのだが、一つ二つ引いてみよう。
 南伸坊の「へんな「鉄道好き」(2017)に面白い下りがある。
 「お座敷列車というのに乗ったことはないけれども、私の理想の座敷列車は、夜になったら押し入れから、ふとんを出して畳に敷いて寝るようなお座敷列車だ。障子をあけなければ、ただの旅館の部屋みたいになっているのが理想。最近出来た豪華和風寝台車みたいなのより、ほとんど旅館の部屋。……。旅館の部屋そのまんまの空間が、じつは猛スピードで疾走している。」
 続けて、「そういえば、鉄道好きの友人、関川夏央は貨物列車の最後尾についているあの車掌車の車両、あれを仕事部屋にしたい……だったか、いやあの車掌の部屋に住みたいだったかと書いていた。似てる気もするけど全然違うかな。」
  とあって、私も断然同意できる。貨物列車の最後尾に車掌車を連結してもらい、貨物列車の行くところそのままにふらりふらりと旅をするのが私の理想であって、これぞ究極の移動書斎だろうし、読鉄の世界だろう。
 沢野ひとしの「夜のしじまの中で聞いた夏の汽笛——白山郷まで」がいい。この人の文章はいつでもしじみとしている。
 中国でふとしたことで知り合った女性の生まれ故郷を訪ねて内蒙古(モンゴル)のハイラル(海拉爾)を訪ねた話。
 「旅はまだ見たことのない風景への憧憬、新たな美との出会いが大切かも知れないが、人とのふれあいもないと、ただの色褪せた写真のような風景の中で終わってしまうものだ。……。たとえ何もない寒々しい荒涼たる風景の地であっても、愛する人と旅をすれば輝いて見えるものだ。」
 「列車の旅は旅情を誘う。森や海や山や川を渡っても、ポツンと小さな人家を見ても、それだけで和み、また切なくなる。
 地平線の見える大地が延々と続いている。この大地に赤い夕陽がぶるぶると音をたてるように落ちてゆくのだ。」
(東京書籍刊)

スティーヴン・キング『刑務所のリタ・ヘイワース』

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(写真1 『刑務所のリタ・ヘイワース』所収の「ゴールデンボーイ」)

映画『ショーシャンクの空』原作

 アメリカ映画『ショーシャンクの空』をテレビで見たところとてもいい映画で味わい深かったので原作を手に取った。すでに原作を読んでいた映画を観ることはたびたびあるものの、映画を観てから原作が読みたくなるということは私の場合はまれ。
 妻とその愛人を殺した罪で終身刑となったアンディ・デュフレーンがショーシャンク刑務所に入所してきた。この時30歳。身だしなみがよく、金縁メガネをかけ、爪はいつも短く切ってあった。ポートランドの大銀行の副頭取で、信託部門の責任者。若くしてすごい出世だった。
 物語は、やはり終身刑で服役中のレッドの語りで進む。レッドはすでに40年も服役していて、刑務所内ではよろず調達屋として重宝がられている。
 そのレッドにアンディがロック・ハンマーを手に入れて欲しいと依頼してきた。この時がレッドとアンディの初めての接触だったのだが、アンディは石が好きなのだという説明だった。もっとも、このハンマーで脱獄のためのトンネル掘っていったら、600年はかかるというのがレッドのその時の感想だった。
 それからしばらくして次ぎにリタ・ヘイワースのポスターの注文がきた。アンディは堅物だとばかり思っていたから、そのアンディから悩ましげなリタ・ヘイワースのポスターが欲しいと言われてレッドはにやりとしたものだった。
 刑務所の生活が詳細に描かれている。アンディは誰に媚びることもなく毅然としていたから古株の乱暴者から見れば生意気だったし、優男だったから女役を求められてきたがアンディは言われるがままにされることはなかった。
 執拗な攻撃にも抵抗したから傷だらけになり顔の形が変わるほどだったがアンディはひるまなかった。時には鋭い抵抗も行って相手を負傷させることもたびたびだったから、懲罰房を食らうこともしばしばだった。
 しかし、いつしかアンディに手を出そうとする者がいなくなった。アンディの数少ない話し相手はレッドだった。レッドにアンディは自分は無実で、すべての偶然が重なって貶められたと語ったが、レッドは入所者の大半が自分は無実だと主張することを知っていた。
 再審を請求しても退けられるだけで、いつしかアンディの服役は19年に及んでいた。この間、アンディは持ち前のビジネスマンとしての才覚を活かして所内に図書室を設けたし、銀行における経験を使って刑務所長ノートンの投資顧問となっていた。
 新しく入所してきた若い男が、前にいた刑務所で耳にしたことだと言って、医者の妻とその愛人を殺したことがあったが、何とその医者が犯人に仕立てられたと自慢話をするのを聞き及んだ。
 医者と銀行員の違いはあるが、その話はアンディの事件とそっくりであると判断したアンディはノートンに再審請求の手続きをするよう依頼する。
 ところが、ノートンはアンディが刑務所の外に出てしまえば、アンディに任せていた投資話が明るみに出てしまうことを恐れ、アンディの再審請求を握りつぶしてしまったのだった。ことここに至って、アンディはついにあることの決行を決意する。
 ここから先へ進むことはこれから読む人の興趣を削ぐことになるので触れないが、ロック・ハンマーとリタ・ヘイワースのポスターが重要な役割をになっていることだけは書いておこう。
 レッドの語りがしみじみとしていてとても印象深い。何といってもアンディの生き様に共感があるからだが、これほど心温まるラストシーンもないものだった。
 なお、映画と小説は同じである必要はさらさらないが、小説はイメージを膨らましながら読み進むのに対し、映画はイメージが具体的に提示されるから、映画を観てから原作を読むよりも、読んだ原作の映画を観た方が楽しみは大きいように思われた。もちろん本作に限ってのことだが。
 なお、本作は新潮文庫『ゴールデンボーイ』所収。浅倉久志訳。