ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

今野敏『棲月 隠蔽捜査7」

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竜崎伸也 大森署署長最後の事件

 本作は、竜崎伸也を主人公とする警察小説のシリーズ長編7作目。大森署署長としては最後の事件となった。実は、私自身は、竜崎が大森署を去って神奈川県警刑事部長に着任した『清明 隠蔽捜査8』はすでに読んでいたから、シリーズの順序としては逆になってしまった。
 竜崎は、そもそも警察庁のキャリア官僚だったのだが、警察庁長官官房総務課長だったときに警察庁の方針に逆らったとして階級は警視長のままながら警視庁大森警察署の署長に左遷されていた。
 しかし、竜崎は警視あるいは警視正あたりが就くのが一般的な所轄の署長を臆することなく務めていて、左遷されても職を辞することもなかったから変人と思われていたが、大森署でも原理原則を貫き、私利私欲が全く見られず、部下からも次第に信望を集めていた。また、そういう職務姿勢は警察庁本庁の再評価にもつながっていったようだ。
 いつものように出勤すると、管内を走る私鉄が止まっているという。原因はシステムダウンだととのこと。竜崎はすかさず副署長に対し署員を鉄道会社にやらせ、原因と復旧のめどを直接調べるよう指示する。ただ、副署長らは鉄道会社のシステムダウンについて一所轄が対応すべきものか戸惑ったのだが。
 続けて竜崎は警視庁本部の伊丹刑事部長に携帯で電話をし、生安部長と連絡を取ってシステムダウンの状況を訊いてみてくれと頼む。伊丹とは同期のキャリア組で、しかも幼なじみ。。
 続いて、大手町に本店がある大手都市銀行でもシステム障害が発生したことが判明した。ここにも竜崎は署員を派遣して状況を把握するよう指示する。支持を受けた副署長らは、鉄道はまだ管内を走っているから大森署の対応もわかるが、大手都市銀行については管轄外だといって当初面食らっていた。
 竜崎は、「気づいた者が着手する。そうでなければ、警察の機構を十分に活用することはできない」と。偶然の可能性はあるが、警察官が希望的観測で手をこまねいているわけいるわけにはいかないというのが竜崎の考え。
 そうこうして、大森署を管轄する第二方面本部と本部の生安部から続けざまに横やりが入る。方面本部長は所轄は所轄の管轄を守れ、生安部長は所轄が出過ぎたまねをするなというものだった。
 しかし、竜崎はサイバーテロの可能性も視野に入れていたのだが、生安部としては、所轄が本部よりも先に着手したことが気に入らないようだった。
 そんなさなか、伊丹から電話があり、「おまえの異動の噂が出ているらしい」というのだった。「キャリアに異動はつきものだ。二、三年に一度異動があると言ってもいい。だから、竜崎は覚悟ができていた。そのつもりだった。今伊丹の話を聞いて、自分が予想以上に動揺していることに、竜崎は驚いていた」し、「俺は、大森署を去りたくないんだ。」とまで思ってうろたえていた。およそ竜崎らしからぬことではあった。
 ここで面白いのは妻の冴子との会話だ。冴子に異動の噂が出ていると話し、少々うろたえていると率直に語ると、冴子は「大森署があなたを人間として成長させたの」と言うのだった。とにかくこの冴子の人物像がとてもいい。怖いもの知らずの竜崎に対しあくまでも率直だし、適切な判断を下している。
 一方大森署管内で殺人事件が発生した。被害者は少年で、リンチ事件のように思われた。
 鉄道会社や銀行のシステム障害はサイバー攻撃の様相も出てきて、いち早く対応した大森署に対して本部のサイバー犯罪対策課から協力要請があった。
 物語は、この二つの事件がパラレルに進むのだが、やがて捜査が進むにつれて二つの事件が交差する場面が出てきて驚愕の事実が明らかにされていく。
 ともあれ、二つの事件は竜崎の読みが当たって解決する。また、竜崎には神奈川県警刑事部長の内示が正式に出ていて、二つの事件は竜崎にとって大森署署長として最後の事件となったのだった。神奈川県警刑事部長ということは、警視庁刑事部長伊丹とはキャリア同期が同列になったということであり、左遷が解かれたということもである。
(新潮文庫)

長良川と長良川鉄道

シリーズ 川は鉄路の友だち

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 (写真1  清流に寄り添って進む長良川鉄道=2012年9月8日)

日本三大清流の一つ

 長良川は、福井、岐阜県境に近い大日ヶ岳に発し、濃尾平野を流れ、途中、揖斐川と合流し伊勢湾に注いでいる。三重県、愛知県を経ている。全長166キロ。木曽三川の一つであり、四万十川、柿田川と並んで日本三大清流の一つである。
 長良川鉄道は、美濃加茂市の美濃太田から郡上市の北濃を結ぶ。路線名は旧国鉄から継承した越美南線。全線岐阜県で、全長は72.1キロ、駅数は38。
 長良川鉄道は、鉄道名に河川名がついていていかにも川は鉄路の友だち。実際、全長のうち約50キロは長良川に沿っている。

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(写真2 起点の美濃太田駅に停車中の北濃行き列車)

 美濃太田駅で高山本線の3番4番線ホームの隣に短いホームが1本あって、ホームの端に駅事務所もある。
 美濃太田を出ると、途中、美濃市あたりまでは田園風景である。刃物で有名な関を経て湯の洞温泉口を過ぎて長良川が車窓に入ってきた。

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(写真3 大勢の鮎釣りの姿が目立つ)

 流れが速い。なるほど清流というにふさわしい。鮎釣りが大勢いる。鮎の数よりも太公望のほうが多いのではないかと思われるほどだ。列車の運転はなかなかな気が利いていて、眺めのいいところにさしかかると減速してくれる。
 1時間半ほどして郡上八幡。ごっそり下車した。沿線中最大の観光地である。街中至るところ清流が流れている。はなはだすがすがしい。お城もあり、夏の盆踊り郡上踊りが有名である。
 郡上大和を過ぎたら長良川が見え隠れするようになった。盆地が狭まり山が深くなったと思ったらそうこうして終点北濃。美濃太田から約2時間。駅前にも長良川が流れていた。構内には転車台があって、いかにも終着駅の風情が残っている。この転車台は現在はすでに使われていなく登録有形文化財だということである。
 無人だが、駅舎には「花まんま」という食堂があって、近所の主婦グループがやっていて、うどんやクルミ弁当などを売っていた。

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(写真4 かつての北濃駅。因縁のラーメン屋の看板=1994年6月18日)

  実はこの店には苦い思い出があって、10数年前に降り立ったときには、ここはラーメン屋だった。この店の親父が横柄な男で、はなはだ不愉快になったのだった。せっかく清流にすがすがしい気持ちで着いた終着駅で、ひどい仕打ちを受け暗澹としたものだった。全国すべての終着駅で降り立ったことがあるが、これほど気まずい終着駅もないものだった。もっとも、二度目で温かいおもてなしがあって帳消しにしてくれたが。

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(写真5 登録有形文化財の転車台)

錦川と錦川鉄道

シリーズ 川は鉄路の友だち

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(写真1  どこまでも右窓に錦川が続く錦川清流線。路線名に恥じない素晴らしい景観=2017年5月25日

錦川と並行する錦川清流線

 川は鉄路の友だちということでは、錦川に沿って走る錦川鉄道は代表例だ。路線名が錦川清流線というのもうなずける。
 錦川は、別名岩国川と呼ばれるように、島根県との県境に近い山口県の北東部に発し、大きな蛇行を繰り返しながら錦町で南下して瀬戸内海に注いでいる。有名な錦帯橋は下流でこの川に架かる橋である。長さ110キロ。
 錦川鉄道錦川清流線は、ほぼ全線が錦川に沿って走っており、岩徳線の川西から錦町の間を結んでいる。旧国鉄・JR西日本の岩日線で、全長32.7キロ、駅数は13。ただし、すべての列車は岩国発着である。
 錦川清流線は、岩国駅0番線からの発車。1番線の端を一部切り取ったようなホーム。岩国を出るとすぐに西岩国。なかなか趣のある駅舎で、かつてはここが岩国駅だった時代もあった。また、錦帯橋にはここが近い。
 次いで川西。ここまでが岩徳線で、つまりここからが錦川清流線。そして最初の駅が清流新岩国駅。山陽新幹線新岩国駅と近接している。私はここが御庄駅と名乗っていた時代にここで新幹線に乗り換えたことがあるが、二つの駅は徒歩で10分近く離れており、しかも、新岩国は新幹線駅にありながら当時はまだ駅前は閑散としていた。次にここを通った時には駅名は清流新岩国に変わっていた。
 ここから山地に分け入り、右窓に錦川が現れる。そして、列車は行けども行けども右手に錦川を見て並行して走っている。

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(写真2 車窓からでも川底がはっきりと見える)

 線名その名の通りに清流である。川底が車窓からでもはっきりと見える。緑が美しく、乗っていて清々しくなる。

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(写真3 5段に流れ落ちる清流の滝)

 なかなかサービスのいい鉄道で、ところどころで車内放送で観光案内もしてくれる。北河内と椋野(むくの)間では左窓に滝があり、やや速度を落としてくれた。5段の滝で、清流の滝と名付けられているという。

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(写真4 唯一列車交換が行われた北河内駅)

 また、北河内では列車交換のため3分ほど停車していた。単線ながらこれが唯一の列車交換で、それほど運転本数が少ないということにもなる。
 どこまで行っても錦川は右窓にあり、広い川幅なのだが深さはさほどないようで、清流に対岸の景色が映っている。私は、川は鉄道の友だちという言葉をよく遣っていて、全国には素晴らしい川の景観を車窓に見せてくれる路線は少なくないが、これほど終始川と寄り添って走っている路線も少ない。

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(写真5 錦川清流線終着駅錦町=1998年7月3日)

 それが、ついに川を渡ったと思ったら、終点錦町だった。岩国から57分、川西からなら48分のところだった。片面1線のホームがあるだけだったが、ホームには岩日線時代の鉄道信号機が残っていた。
 なかなか落ち着いた終着駅で、きれいな駅舎となっており、町の情報拠点の役割も担っているようだった。
  ところで、岩日線は錦町よりもう少し先まで工事が進んでいたのだが、ついに開業することがなかった。ところが、面白いことにこの未完に終わった路盤を利用し、「とことこトレイン」なるゴムタイヤの遊覧車を走らせているらしい。訪れた日は平日のため運行されていなかったが、なかなかユニークな事業を行っているものだと感心した。それも運行距離が6キロもあるというから素晴らしい。
 折り返し列車の都合があってゆっくりできなかったが、もう少しぶらぶらしたいという気にさせる終着駅だった。

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(写真6 錦町駅に停車中の錦川清流線列車)

絵本『がんばれ!あかい しゃしょうしゃ』

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アメリカの絵本

 遊びに来ていた孫を連れて行った本屋で、車掌車を描いた絵本を見つけた。海外の絵本を揃えたコーナーだったのだが、〝しゃしょうしゃ〟の文字が目に入った。手には取ったものの、買うかどうかについては多少の躊躇がなかったわけでもなかったが、孫に読んで聞かせるという言い訳を自分自身にしてレジに並んだ。それにしても、いかに車掌車好きとは言え、絵本にまで手を出すとはいささか重病か。
 先頭は大きな黒い蒸気機関車。赤とグレーの貨物車2両、黄色とオレンジ色のタンク車2両、石炭車2両、材木を積んだ長もの車などと続き最後が赤い車掌車。沿線の子どもたちは蒸気機関車などには手を振っているのに、車掌車は最後だから子どもたちの関心が届かない。しかしあるとき、列車が急な山にさしかかったところ、機関車は登り切れなくて坂の途中で止まってしまい、列車はずるずると後退していった。すると、車掌車は力一杯ブレーキをかけて踏ん張ったのだったという筋立て。
  ここで大事なのは、車掌車にブレーキが付いていたということ。ブレーキの付いていることが車掌車の車掌車たる所以なのである。この絵本の作者はよくぞ車掌車の構造と機能を知っていた。
 作中の車掌車は赤い色をしているが、アメリカの車掌車には多彩な色があるようで、ブルー、イエロー、グリーンなどと鉄道会社によって異なるようだが、レッドがもっともポピュラーのようだ。
 アメリカでも車掌車は姿を消しつつあるようだが、車掌車に対する根強い人気があるようで、数多くの車両が保存されているとのこと。
 それにしても、絵本にまで車掌車が登場するとは、よほど子どもたちにも車掌車が支持されているということもであり、日本では折角の保存車両も次第に廃車処分にされている現実を考えると、大変羨ましいことだ。
 また、アメリカの車掌車は、長距離を走ることを考慮して、洗面台、トイレに加えベッドやソファも付いていたらしい。こうなるともう〝移動書斎〟にしたいという私が理想とする車掌車ではないか。1両購入したいが、アメリカから送ったのでは運賃が高いだろうななどと馬鹿なことを考えていた。
 原題はTHE LITTLE RED CABOOSE 。作マリアン・ポター、絵ティポル・ゲルゲイ、発行はランダムハウス。マリアンの父親は鉄道会社に勤めていたところから機関車や鉄道が出てくる作品が多いらしい。ランダムハウスはアメリカのよく知られた大手出版社。本書は1953年の刊行。日本語版は訳こみやゆう。2018年の刊行。
(発行PHP研究所)

江の川と三江線


シリーズ 川は鉄路の友だち

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(写真1 いつまでも左窓に江の川が続く)

どこまでも左岸に鉄路

 鉄道は川沿いに走っている場合が多い。ただ、川は鉄道にはお構いなしに自然の地形に沿って流れているから、川に沿えなくなると線路はトンネルで抜け、橋で渡る。
 しかし、三江線はどこまでも律儀に江の川から離れず走っている。江の川は大きく蛇行しながら流れている川だから、三江線もまた蛇行している。このため、江津から三次まで100キロを超す路線ながら、直線に引き直せば60キロで済んでいるらしい。川は鉄路の友だちとはいいながら、これほど仲のいい路線も珍しい。
 江の川は、広島県の阿佐山に発し、中国山地を貫きながら三次を経て島根県の江津で日本海に注いでいる。長さが194キロもあり中国地方最大の河川である。
 一方、三江線は、江津と広島県の三次を結んでいた鉄道路線だった。全長108.1キロ、駅数は35。2018年4月1日付で廃止された。一般に鉄道は端っこだけ廃線になる場合が多いから100キロを超す路線の全線一括廃止はさすがに珍しい。ただ、輸送密度は運行中の全国のJR路線で最下位だった。
 三江線にはこれまでに二度乗ったことがあって、二度目には初めて乗ってからちょうど20年が経っていたが、車窓に変化が少なく二度の印象がほとんど変わっていなかったことに少々驚いた。また、このたびノートをひっくり返してみたところ、撮った写真の位置まで同じだった。
 江津は、山陰本線の鳥取-下関のちょうど中間に位置し、三次と結ぶ三江線の起点。山陰と山陽を結ぶ陰陽連絡線の一つである。

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(写真2 江津3番線で発車を待つ三次行き列車)

 当時のノートをひもといてみると、真冬に乗った際には、あたりはまだ真っ暗なホーム。3番線。1両のワンマンディーゼル。乗り込むと車内は暖かくなっていた。凍てつくような寒さではないがこれはありがたい。乗客は女子高生と二人。
 江津を出るとすぐに江の川の手前で右に大きくカーブした。この先、三江線はずうっと江の川と一緒に走って行く。
 三江線は不便な路線で、三次まで乗り継いでいける列車は日に3本しかないし、中間の浜原まででも5本しかない。
 6時00分発のこの列車の次の江津発は12時34分までない。それも浜原止まり。それで不思議に思うことは、高校生などどうやって通学列車として利用しているのかということ。
 1本乗り遅れてしまったら次はしばらくないわけだが、それでも、6時30分川戸で高校生が二人乗ってきたし、6時48分の石見川越で女子高生が二人乗ってきた。この時点で乗客は私のほか高校生五人。
 6時53分、夜が白々と明けてきた。曇っている。江の川が左窓に見える。つまり、列車は江の川の左岸を走っているわけだが、そう言えば、列車は江津を出てからまだ一度も江の川を渡っていない。
 大河なのだが、川は緩く蛇行していて線路もカーブが多く、列車のスピードは上がらない。対岸を車が猛スピードで通り過ぎていく。
 7時09分石見川本で高校生が全員下車した。江津行きの列車と交換となった。夜が明けた。
 「がんばろう三江線」という標語があり、三江線活性化協議会などという表示もあった。このときすでに三江線の廃線が俎上に上っていたのであろう。
 一般に、線路は山間部でも平地を選んで敷設されているのが一般で、川と並行している場合が少なくない。一緒に並べなくなると、線路は橋で対岸に渡ったりトンネルで逃げる。車窓風景に川が多いのもこのためで、それも右に左にと位置関係を変える。
 ところがこの三江線は、どこまで行っても江の川は左にばかり見えている。これは希有な例であろう。川の流れに任せて線路が敷かれているからであろう。町も川岸にできているからなおさらそうなっているものであろう。
 7時35分、明塚を過ぎたあたりでついに江の川を渡った。つまり、発車してから1時間半も列車は左岸ばかりを走ってきたことになる。この先では、江の川は左窓に右窓にと動いた。

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(写真3 はるか眼下に集落が見える宇都井駅。ホームまで116段もの階段を登らなくてはならない)

 8時04分石見松原で初めて私以外に一般人が乗ってきた。宇都井8時19分。遙か眼下に集落が見える。ホームは谷を渡る橋に設けられており、「日本一高いところにホームがある駅」なそうである。つまり、地上からということだが、その地上からホームまでの階段の段数は実に116段にも達する。エレベータもエスカレータもないようだから、なかなか大変だ。

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(写真4 三次到着の直前に渡った江の川。100キロも遡ってなお大河である)

 そうこうして江の川を長い鉄橋で渡って9時21分三次到着。江の川はここまで遡ってもまだ川幅が広い。3時間を超す路線。100キロでこれはいかにも緩慢。
 三次は、広島県北部の中心都市で、三次盆地が広がっている。三次駅は三江線の起点であるほか、芸備線の中間駅である。また、福塩線も府中以北の運行ではすべて三次発着となっている。山間のこの都市にあろうことか私はこれまでに二度も泊まったことがある。鉄道の要衝なのである。しかし、三江線がなくなってはその必要も薄いものとなるだろう。

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(写真5 三江線の終着駅だった三次。芸備線との接続駅である。このときには工事中だったから現在は新しい駅舎になっているのかもしれない)

四万十川と予土線

シリーズ 川は鉄路の友だち

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(写真1 予土線車窓の名物は四万十川にかかる沈下橋)

トンネルと鉄橋の連続

 川は鉄路の友だちである。
 鉄道は川に沿って敷かれている。川は自然の地形に沿って流れているから、川に沿えなくなると、線路はトンネルで抜け、橋で渡る。車窓に川を眺めながら進む鉄道旅は楽しい。町はまた川に沿って生まれているし、時に川はしばしば境になり国を越える。日本は川に沿った路線が多いから様々な表情を楽しむことができる。
 四万十川は、高知県の西部を流れる。全長196キロは四国内で最長。不入山に発し、土佐湾に注ぐ。日本三大清流の一つとして知られる。
 並行する路線は予土線。土讃線の若井から予讃線の北宇和島を結んでいる。全長76.3キロ。

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(写真2 予土線の中間あたり土佐大正駅)

 予土線が四万十川と並行するハイライトは、土佐大正-江川崎間であろう。しかし、予土線は左窓から右窓へまた左窓へなどとしばしば車窓からのながめを変える。頻繁にトンネルをくぐり川を渡っているのである。
 楽しみは沈下橋。増水に備えて欄干の付いていない独特の構造の橋で、四万十川の名物である。沈下橋はこの先もたびたび車窓を豊かにしてくれる。
 途中、半家(はげ)という面白い読みの駅が出てくる。

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(写真3 髪の薄い人なら怒りそうなハゲ)

夏のユリ

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(写真1 タカサゴユリ)

凜として美しく

 コロナが流行しだしたころは、専門家の解説では、コロナは暑さに弱いといっていなかったか。だから、夏になれば下火になるといい、第二波は晩秋に来るとも。しかし、感染者数だけからすればすでに第二波が訪れているように思われる。
 そのことはともかく、遅かった梅雨がやっと明けたと思ったら、一気に猛暑が続いている。旅には出られないし、家にいては暑いだけだし、まことにやりきれない。
 朝の散歩は、少しでも涼しいうちにと思い5時には家を出ている。ただ、8月も半ばになって朝日の昇るのがやや遅くなったように感じられる。もう秋が近づいているのである。
 この時期、木に咲く花はまことに少ない。花も夏の暑さは苦手なのであろう。元気なのはサルスベリくらいなもの。フヨウも咲き出している。
 ユリの花が咲いている。ユリは種類が多いようで、長い期間にわたって入れ替わり立ち替わり咲いている。
 最近見かけるのは、まず、タカサゴユリ。テッポウユリにも似ているが、正直その違いはわからない。タカサゴユリの方が少し大ぶりかもしれない。台湾原産で、高砂族にちなんで高砂百合とよばれるようになったともいわれる。シンプルだが、凜とした美しさがある。

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(写真2 カノコユリ)

 可憐に群がって咲いているのはカノコユリ。鹿の子模様から連想して名づけられたらしい。

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(写真3 これはオニユリ)

 これはいかにも夏に強そうなオニユリ。斑点が特徴だ。
 これら3種とも7-9月が夏期だが、このいずれも香りは弱い。初夏に咲いていたカサブランカのような派手さはないし、香りも強い芳香を発するカサブランカなどにはかなわない。