ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

浦賀水道 海峡の町

日本海峡紀行

(写真1 燈明堂に近い浦賀港の港口)

浦賀水道を渡る④

 海峡は、海峡を渡ることがまずは魅力だが、海峡の町も楽しみ。
 三浦半島側は横須賀であり、房総半島側は金谷である。
 このたびの浦賀水道二日がかりとなった海峡の旅では、途中、横須賀に泊まった。すべての行程を日帰りとすることもできたのだが、強行軍を嫌って2日とした。
 横須賀は、首都圏に住むものとして何度か訪れたことはあるのだが、泊まるほどのこともなくていつも日帰りだった。
 しかし、いつもあわただしく日帰りするのと違って、泊まってみると新しい魅力があるのだった。
 浦賀。浦賀駅に降り立つと、正面に旧・浦賀ドックの屏があって、「1853年浦賀に黒船来航」と題する黒船来航時の大きな絵が掲げられている。
 ここからわが国開国の緒を開いたのである。幕末、咸臨丸がアメリカに向け出港したのもこの港だったし、浦賀ドックは駆逐艦等数多くの戦艦を建造してきた。なお、浦賀ドックはその後住友重機械工業浦賀造船所となり、現在は、造船事業から撤退し、造船所跡は住重から横須賀市に無償譲渡とされている。
 浦賀は、天然の良港で、東京湾の重要な港として栄えてきた。深い入り江が特徴で、港口からの奥行きは約1.5キロ。江戸期には、廻船問屋が軒を並べていたらしい。

(写真2 浦賀の渡し。こちらは西渡船場)

 深い港を横切るために〝浦賀の渡し〟として親しまれている渡船が現在も運航されている。幅は東西に233メートル。所要わずか3分で、対岸で合図を送れば船を回してくれる仕組み。料金は400円(市民200円)。利用する人が多くて、この日も船が行ったり来たりしていた。

(写真3 まるで御座船のような浦賀の渡しの船)

 渡し船といえば、尾道水道の渡船や江戸川の矢切の渡しなどが有名だが、現在も現役で活躍している渡しというのも風情があっていいものだ。

(写真4 復元された現在の燈明堂)

 浦賀港でもう一つ注目は〝燈明堂〟という江戸時代につくられた和式灯台のこと。慶安元年(1648年)の建築で、油を燃やして灯りにしたという。浦賀港の入口に位置し、日本初の洋式灯台観音埼灯台が明治2年(1869年)にできてその使命を終えた。現在の燈明堂は平成元年(1989年)に復元された。がっしりした木造建築で、往時は灯台守が常駐していたという。
 横須賀は、かつて鎮守府や海軍工廠があって帝国海軍の拠点だったし、現在でも海自があり防大もあり、アメリカ海軍の軍港もあって日本を代表する軍都である。
 京急の横須賀中央駅が横須賀の町の中心であろうか。大変にぎやかな町で、びっくりしたほどだった。夕食に寿司を食べたいと思ったが、いい店が見つからなかった。軍港ではあるものの、漁港ではないのだろう。

(写真5 横須賀のどぶ板通り)

 それで、ふと思いついて、〝どぶ板通り〟へ行ってみた。横須賀中央からもほど近いのだった。アメリカ海軍の兵隊が遊んでいることで知られる通りだが、なるほど、横文字の店が多いし、店の佇まいもそのように思われた。バーやハンバーガーの店などが多いようだった。ただ、夜7時頃と宵の口で時間が早かったせいか、まだ、あまりにぎやかさはなかった。

(写真6 JR内房線浜金谷駅)

 一方、浦賀水道を渡った金谷。こちらは小さな集落がある程度で、にぎやかなところはなかった。
 金谷港から徒歩8分ほどでJR浜金谷駅。また、ここからさらに8分ほど歩いたところに鋸山(のこぎりやま)ロープウエー。標高330メートルの山を3分で登る。

(写真7 鋸山ロープウエーの展望台から見渡した浦賀水道。平たく見えるのは観音埼灯台付近)

 展望台からは、東京湾と浦賀水道が一望にできる。絶景であり人気の観光地である。ロープウエーを降りたところからはハイキングコースが開けている。この日も平日だったが、遠足らしい地元の小学校の生徒たちと、対岸から渡ってきた中高年のハイカーたちが元気よく歩いて行った。