ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

村上春樹『古くて素敵なクラシック・レコードたち』

LPの膨大なコレクション

 村上春樹といえば、LPの膨大なコレクションで知られ、ジャズやクラシックに造詣が深い。
 高校時代からLPの蒐集が始まったようで、そのコレクションは1万5千枚というから驚く。コレクションは1960年代半ばから。
 村上のコレクションに対する姿勢が面白くて、演奏家や作曲者で選ぶことはもちろんだが、名盤などにはこだわらず〝ジャケットが素敵だから〟といって手に取ることも多いらしい。ジャケットが良ければ中身もいいはずだというのが持論。
 当たり前のことだが文章がとてもいい。こういう軽い文章を書かせると村上は抜群にうまい。いくつか拾ってみよう。
 「ブラ3」(ブラームスの交響曲第3番をこう呼んでいる)で、オットー・クレンペラー+フィルハーモニア管のディスクについて、クレンペラーは実に「正々堂々」という印象のブラームスだ。美しい楷書体というか、とにかく一点一画をおろそかにしない。破綻も弛みもない優れた演奏だ。
 ベートーヴェン交響曲第5番で、アルトゥーロ・トスカニーニ+NBC響の演奏について、ハードボイルドまでに正確なテンポ、ほぼ残響なしでむき出しにされた楽器群。喧嘩腰の最終章。……
 CDも含めると40枚以上ディスクがあるというベートーヴェンピアノソナタ第32番について。ピアニストにとっての最高峰ともいうべき、このソナタには、古今東西数多くのピアニストたちが腕によりをかけて挑んだ。緩やかで長い第二楽章を最後までどれだけ深く引っ張れるか、そこで演奏の値打ちが違ってくる。確かに、この曲は非常に高い演奏技術をピアニストに要求することで知られている。ただ、こうしてみても、ベートーヴェンのピアノソナタといえば、第8番悲愴や第14番月光、第17番テンペスト、第23番熱情などの人気が高いが、村上のLP購入の理由は世間の評判に惑わされてはいないということがはっきりしているようだ。
 村上には、10年ほど前になるか、『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮社)という本があって、村上のクラシック通についてはかねて知るところだったが、本書を読んで造詣の深さには驚くばかりだ。
 同書で今でも印象に残っているところは、村上のインタビューに答えて、小澤は、〝徹底してスコアを読み込むことだ〟と語っていたことだったが、本書の中でも、譜面を深く読み込む能力と紹介している。
(文藝春秋刊)