ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

釣島海峡と釣島灯台

日本海峡紀行

(写真1 眼下に釣島灯台と釣島海峡を望む)

連合艦隊の海峡

 釣島(つるしま)海峡とは、瀬戸内海の西部、斎灘(いつきなだ)と伊予灘を結ぶ海上交通路。愛媛県松山市の沖合、興居島(ごごしま)と中島との間に位置する。
 かつて、広島県呉市の泊地から連合艦隊の艦船は釣島海峡を抜けて伊予灘から豊後水道を経て外洋に出た。
 現在でも、瀬戸内海の東西を結び多くの船舶が行き交う海上交通路として重要な位置づけをになっている。潮の流れが速いことで知られ、海上交通難所の一つ。
 釣島海峡を渡る 釣島海峡上、西寄りに釣島という小さな島が浮かんでいる。松山の沖合5キロの位置にあり、興居島の隣り。周囲2.9キロ、面積0.36平方キロの小さな島。

(写真2 三津浜港の最寄り駅伊予鉄三津駅)

 幸い、松山の三津浜港からフェリーが出ている。三津浜港へは伊予鉄松山市駅から高浜線で約10分、三津駅が最寄り。駅から徒歩約15分、駅から直角に伸びる街路はなかなか風情がある。港湾関係の建物など往時を偲ばせている。洒落たカフェなどもあって、時間が許せばちょっと寄りたくなるようだった。

(写真3 三津浜港フェリーターミナル)

 立派なフェリーターミナルがあって、いくつかの航路があるようだ。その一つ、中島汽船の西線が釣島に寄る。午前9時10分発の中島本島や怒和島などを巡る航路で、釣島は三津浜港を出て最初の寄港地だった。

(写真4 釣島に向かう中島汽船のフェリー)

 瀬戸内海の島々を結ぶ船だから、外洋に出るフェリーとは違ってそこそこの大きさ。車両は10台ほど、乗客は30人ほどか。観光客らしき人はまったくいなくて、みんなくつろいでいる。船旅は、出航してしまえばほかにやることがなくて、ただ到着を待つだけ。ただ、航空機や鉄道とも異なって、船は広いからくつろげる。
 1階が車両甲板で、2階がイス席とカーペット席のフロア。3階がオープンデッキで、私は景色を眺めたいので終始このデッキにいた。

(写真5 船上から釣島遠望。右は興居島)

 三津浜港を出ると、右に興居島を見ながら進む。デッキで一緒になった地元の人に尋ねると、釣島は前方に見えてきた小さな島がそうだとのこと。

(写真6 釣島海峡に浮かぶ釣島全景=斜面は段々にみかん畑である)

 船上から見ると、真ん中がややくびれてひょうたん島のようにも見える。やがて釣島。釣島港は島の北側にあり、近づくと大きな汽笛を鳴らした。いかにも船らしい風情で、港に船の接近を合図したものであろう。三津浜港からわずか25分だった。9時35分着。ぴったり定刻だった。

(写真7 フェリーを出迎えてくれたおばさん)

 ここで下船したのは私一人。船着場にはおばさんがいて、ボーディングブリッジなどないから甲板から直接下船する客の世話をしていた。
 このおばさんがとても話し好き。釣島は過疎化が進んでいて、現在の住人は年寄りばかり24人とのこと。かつては小学校の分校もあったのだが、現在は廃校になっているとのことだった。

(写真8 かつてタコ漁で栄えた名残の蛸壺)

 伊予柑など柑橘類の生産とタコ漁が主産業だが、10年ほど前になるか、タコがぷっつり捕れなくなったとのこと。なるほど、蛸壺があちこちに積まれている。
 柑橘類の栽培とタコ漁は、仕事の時間が重ならないのでとても都合が良かったらしい。つまり、朝、タコ漁を済ませ、昼からはみかんの栽培が行えたというわけである。
 また、この釣島周辺は好漁場として知られ、釣り客でにぎわってきたのだが、コロナ下のことで、岸壁での釣は禁止しているとのことだった。

(写真9 釣島灯台全景。いかにもブラントン設計の特徴が出ている)

 釣島灯台 釣島を訪れたのは、もちろん釣島海峡を渡りたいという念願のほかに、釣島灯台を踏破したいというのも大きな目的。釣島灯台は灯台ファンなら一度は訪れてみたいと思うところなのである。
 港から灯台を目指した。わずかばかりの集落を抜けるとすぐに灯台への登り坂。海水淡水化プラントを過ぎるとすぐに灯台に着いた。港から15分ほど。途中に小学校の廃校跡があった。なお、釣島は井戸があって水も汲めるのだが、大潮が来ると水に塩分が混じるので、淡水化装置は必要なのだと。これもくだんのおばさんの話。

(写真10 初点銘版。明治六年六月一五日初點とある。下のプレートは経産省指定近代化産業遺産=平成20年度)

 灯台は、白堊の円形で、半円形の付属舎がついている。いかにも日本の灯台の父ブラントンの設計であり、幕府が英国と結んだ、いわゆる大坂条約5灯台に追加2灯台の一つである。明治6年の初点灯で、歴史的文化財的価値が高いAランクの保存灯台となっている。石造で、150年近い時を経て建設当時の初代がそのまま現役だというから素晴らしい。御影石の石造だから劣化が少ない。なお、この御影石は倉橋島などから運んだらしい。

(写真11 退息所。往時のまま残されているのが素晴らしい)

 また、この釣島灯台のさらに素晴らしいことは、吏員退息所など旧官舎や倉庫など付属施設が往時のまま残されていること。これほど整った状態で明治期の灯台が現代に伝わっているのは珍しいのではないか。
 灯台からは島を一周した。周囲わずかに3キロほどである。反時計回りに巡ったのだが、島内は道路がきちんと舗装されている。

(写真12 島の周りはぐるっと島ばかりである)

 灯台からの眺めも素晴らしかったが、小さな島のこと、どこから見ても瀬戸内海の美しい島々が望める。島影が重畳と連なっているのである。これほど瀬戸内海に島が多いとは初めて実感した。
 眼下に目を向ければ、海峡を船舶がひっきりなしに走っている。なるほど、釣島海峡は交通量の多い海上交通路なのである。

(写真13 速い潮の流れ。まるで川のようだ)

 ところどころで潮が流れているのが見て取れる。まるで川のようだ。潮流が速いとはこういうことかと理解できた。また、海の澄んでいること。丘の上から見てこれほど澄んでいるということも感嘆するほどだ。

 

(写真14 みかんの花。柑橘類の香りが島中に漂っている)

 斜面に目を変えれば、一面のみかん畑である。みかんの白い花がちょうど咲いていて、柑橘類の香りを漂わせている。みかん畑はネットで覆われたり、ビニールハウスになっているところもある。いずれも鳥など生育を妨げるものから守っているのであろう。

(写真15 港にある待合所)

 のんびり歩いたせいでもあるが、島を一周するのに2時間半ほどを要した。さすがに疲れて港の待合所で休憩した。
 実は、釣島と松山を結ぶ船は1日2便しかない。9時半に着いて、帰りの便は16時02分までない。6時間30分も間がある。このことは覚悟はしてきた。それにしても待ち合わせ時間が長い。島には、灯台とみかん畑しかない。
 しかし、待合所で横になっていると、身動きのとれないこういう時間もなかなか貴重でいいものだなと思ったりもしていた。とにかく、眼前に広がる釣島海峡が美しくて、往来する船をぼうっと眺めているとのどかさを通り越して自分を見つけたような気分になった。
 島には売店などないことはあらかじめ知っていたから、水とおにぎり2個だけは持参していた。しかし、ペットボトル1本の水は飲み干してしまっているし、冷たい水が欲しいと思ったが、水道はないし自動販売機もなかったのだった。
 そうこうして、帰りの船便が近づくと、朝、到着した際に出迎えてくれたおばさんがやって来て、乗船券の販売などをやってくれた。
 で、おばさんに、ここには自動販売機もないんだねと話しかけたら、自宅に戻ったらしく、冷たい缶飲料を2本も持ってきてくれた。貴重なものだろうし、何度もお礼を言っていただいた。
 ふとしたことで気がついた。この釣島及び釣島灯台に関する紀行文が見当たらないのである。近年刊行された日本全国の灯台を紹介した刊行本にすら載っていないのである。
 なるほどと思った。釣島はあまりにも不便なのである。松山からならほとんど1日がかりだし、それも松山に1泊はする必要がある。
 それにしても、ブラントンの設計で、明治期建設のAランク保存灯台で、近代化産業遺産にも指定されているにもかかわらず訪れる人が少ないのははなはだ残念だ。もうすこし注目されていいのではないかと思った。くだんのおばさんの話しによると、来島する人は全国からあるのだという。しかし、それも珍しいくらいなのではないかと思った。
 もっとも、くだんのおばさんの話しによると、島の生活にさほどの不便さはにじんではいなかった。病院に行ったり大事な買い物があれば松山は片道わずか25分のところ。日常の生活物資は週に2度届く宅配便で十分にまかなえる。魚は目の前の好漁場で調達して新鮮だし、野菜も自家栽培で十分。島を出て行ったこどもたちは、松山あたりにいるらしいから、いざというときにも心強い。何やら楽園のように思えてきた。(2022年5月24日取材)

<釣島灯台メモ>(灯台表、燈光会資料、ウィキペディア等から引用)
航路標識番号[国際標識番号]/4901[M5436]
位置/北緯33度53分6秒 東経132度38分3秒
名称/釣島灯台
所在地/愛媛県松山市泊町
塗色・構造/白色塔形、石造
レンズ/LB-H40型
灯質/単閃赤白互光 毎16秒に赤1閃光、白1閃光
実効光度/赤120,000カンデラ、白310,000カンデラ
光達距離/赤20海里、白18海里
明弧/7度~25032度
塔高/10.3メートル
灯火標高/58.2メートル
初点灯/1873年(明治6年)6月15日
管轄/第六管区海上保安本部松山海上保安部