ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

映画『ドライブ・マイ・カー』

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(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)

難解な映画

 西島秀俊演ずる演出家兼俳優家福悠介。ウラジオストックに出張のため成田空港に着いたところ欠航とのこと。やむを得ずいったん帰宅すると、妻は男を連れ込んで浮気の様子。仕方なく静かに家を出てホテルに泊まることに。妻の浮気は以前からうすうす感づいていた。
 ある日、出がけに妻が「今晩帰ったら少し話せない?」と家福に告げる。しかし、話しの中身が気になって、家福はわざと帰宅を遅らせた。すると、妻は室内に倒れていた。クモ膜下出血で、すでに手遅れで死んでしまった。
 家福の愛車は赤いSAAB。長いこと乗っていてメンテナンスも怠らない。車に乗っているときは、舞台のセリフを吹き込んだカセットテープを常に聴いている。妻とはセックスはするものの、冷めていて家福は燃えない。
 2年後、家福は車で広島に赴く。広島国際演劇祭に参加するためで、地元の求めに応じたのだった。
 地元では、車の運転は自分で行うことは規定に適わないとうことで、家福は渋々承諾する。ドライバーとして出てきたのは三浦透子演ずる渡利みさきという若い女性。とても滑らかな運転で、家福も感心したほど。
 舞台のために出演者のオーディションを行ったところ、実にユニークな役者が揃った。中には岡田将生演ずる高槻耕史もオーディションに参加してきた。高槻は妻の浮気相手ではなかったのか。家福は一瞬ひるんだが、かまわず採用した。
 家福の演出は独特。全員に全員分のセリフを暗記させる。何度も何度もセリフを読ませる。それも棒読みのように。セリフは日本語のみならず英語あり、韓国語あり、手話ありという具合で多言語。ただ、これが滑らかにつながっていることは面白かった。
 ドライバーの渡利は実に寡黙。家福も寡黙だから、張り詰めた映画になっていた。
 渡利と一緒に車に乗っているうちに、家福に変化が現れる。私が早く帰れば妻は一命を取り留めたのではないか、自分が殺したのではないか。妻ときちんと向き合ってきたのか。
 渡利にも暗い過去があって、正しく傷つくべきだったと自分を責める。
 寡黙な暗い映画を作るなら西島と三浦は出演者として最適だ、そのように受け止められた。
 それにしても難しい映画だった。チェーホフの「ワーニャ伯父さん」が劇中劇として出てくるのだが、さっぱりわからなかった。
 ただし、笑う場面など一つもなかったのに、それだけに画面に緊張感があって179分という長い映画が苦にならなかった。
 ところで、原作は村上春樹と喧伝されていた。原作村上春樹とする宣伝効果は大きかったに違いないが、これはどうだったか。
  村上にこんな難しい小説を書けるはずがないという頑迷な先入観があったからだろうが、実際、原作は村上の同名小説だが、原作とは随分と違っていた。もとより映画が原作と同じである必要はないが、映画は随分と高尚だった。脚本が良かったのだろう。
 監督濱口竜介、脚本濱口竜介、大江崇允。