ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

逢坂冬馬『同士少女よ敵を撃て』

f:id:shashosha70:20220201153247j:plain

独ソ戦下赤軍女性狙撃手たち

 独ソ戦下、ソ連赤軍に編成された女性狙撃手たちが描かれている。
 すさまじいまでの戦闘描写、狙撃のリアリティ、ディテールの深さが見事で第一級の物語であり、とにかく面白くて傑作である。
 ドイツ軍によって村を焼かれ、親を殺されたような少女たちが全国から集められた。10数人。中央女性狙撃兵訓練学校である。復讐心に燃える少女たちを狙撃手に仕立てようというわけである。復讐心が根深いほうがいい。
 ここからの訓練は過酷で、1年の訓練期間を経て卒業できたのはわずかに4人だった。
  セラフィマ、イワノフスカヤ村の出身。18歳。シャルロッタ、モスクワの貴族の娘。ヤーナ、最年長。アヤ、カザフ人。配属先は最高司令部予備軍所属狙撃旅団第三九独立小隊。つまり、最高司令部直属の狙撃専門小隊である。教官長イリーナが隊長として加わったほか、ウクライナ出身、コサックのオリガは別動。
 この訓練の描写は精緻で、詳細なディテールには感心する。入隊時、戦う目的を問われると、セラフィマは敵を殺すためと逡巡することなく答えていた。
 セラフィマらが初めに投入されたのはウラヌス作戦。スターリングラードを包囲するドイツ軍をさらにそのドイツ軍もろとも「逆包囲」するという前代未聞の反攻作戦である。
 とにかく狙撃描写にリアリティがある。次に引いてみよう。
 一般的に述べて銃の有効射程とは、銃の種類ごとにスペックで決まるというようなものではなく、それぞれの銃の、「個体差」とでも呼ぶべき性質に大きく左右される。型番が同一の銃であっても、ライフリングや銃身の歪みの有無により工作精度には差が生じるため、命中性能が同一ということはあり得ない。そしてその銃を取り扱うものが適切にメンテナンスを行っているか否かによって、銃にはさらなる個体差が生じる。
 平均的な銃を一般的な歩兵が取り扱った場合、SVT-40の有効射程は500メートル程度が限度であり、実際の交戦距離は300メートル以内に留まることが多い。
 一方、狙撃兵に与えられるSVT-40は、試射において特に精度の優れたものを選別されたものであり、あらゆる兵科の中でも最も銃の整備に心血を注ぐ。そしてその選ばれた「個体」を手に、長距離射撃に特化した訓練を受けた者を狙撃兵と呼ぶ。
 それでも実戦で想定する射程は850メートルが限界で、しかもそれは高度差がない場合の限界だった。
 戦場で、上官から君は何のために戦う?と問われると、セラフィマは「見方を守り、女性たちを守るためであります」と答えていた。
 また、ベテランのイリーナは「敵を殺したことに何も後悔はないが、未だに、最初に殺した人間の顔は忘れられない」と言い、別の場面では「通常の技術者は失敗を繰り返して熟練に近づく。だが我々の世界に試行錯誤は許されない」とも。さらに、「狙撃兵の高みには、きっと何かの境地がある。旅の終わりまで行って旅の正体が分かるように」とも。
 戦闘はソ連の勝利に終わったが、戦前60万人を数えたこの大都会で、生きて戦闘終結を迎えた市民はわずかに9000人であった。凄惨な戦いであったわけである。
 スターリングラードの攻防については、レニングラード包囲戦とともに独ソ戦の重要な戦闘として知られている。私は、かつて詳細な戦史ノンフィクションであるアントニー・ビーヴァーの『スターリングラード』を堀たほ子さんの訳で読んで知っていたが、女性狙撃手が戦闘に投入されていたことについては忘れていた。
 面白い物語を編みだしたものだ。フルシチョフも政治委員として戦場に出ていた。
 ただ、とても長い。単行本500ページに近い。スターリングラードの戦いが終わって、ケーニヒスベルグの戦いに舞台は移ったが、いったんここで物語を切って、第1部第2部とするような構成があっても良かったのではないかと思えた。魅力的なストーリーは続いていたし、緊迫感も色あせてはいなかったのだが。
 なお、本書は第11回アガサクリスティー賞大賞受賞作である。
(早川書房刊)