ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

映画『モロッコ、彼女たちの朝』

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(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)

モロッコ映画

 モロッコのカサブランカ。旧市街の路地を身重の若い女サミアが大きくなったお腹を抱えて歩いている。職を探しねぐらを求めて。
 どこの家も相手にしてくれない。イスラムの教えでは未婚の母はふしだらな女ということになり禁忌なのだ。だから実家にも帰れず、母には元気で暮らしていると偽りの電話を入れている。サミアは夜になっても途方に暮れて軒下で横になっている。
 通りの向かいで小さなパン屋を営んでいるアブラが見るに見かね思いあまってサミアを招き入れる。一晩だけの約束で。アブラは夫と死別し、小さな娘ワルダと細々と暮らしていた。パン屋に粉を配達に来る男の笑顔の誘いにも心を閉ざしたままだ。イスラム社会では夫の死を悲しむ権利もないし、未亡人であっても肩身が狭いようだ。
 サミアはパン作りが得意。サミア流のパンを作るとこれが人気。たちまち評判になって店がにぎわう。アブラもしばらくサミアを置いておくことにする。なお、ここでいうパンとは、日本のものとはまったく違っていて、モロッコ伝統のパンケーキのようなもののようだ。
 サミアが同居するようになってアブラに明らかな変化が訪れる。誰にも笑顔なんて見せたことがなかったのに化粧するようにまでなったのだ。
 アブラ、ワルダ、サミアに笑顔が見られるようになり、新たな絆が生まれる。
 やがてサミアが出産する。サミアは養子に出すつもりだ。名前すらつけようとしないし、おっぱいも飲ませようとしない。「私のせいでこの子は一生不幸を背負っていく」とかたくなだ。
 しかし、赤ちゃんを抱けばサミアにも母性本能が現れてくる。そして、サミアは、赤ちゃんを抱いて、ある朝、アブラたちにも別れを告げず一人去って行く。施設に行こうとするのか、一人で育てようと決意したのか、ラストシーンでははっきりとは示さなかったが、いつしかサミアは子どもの名をアダムと呼んでいたから、そのことが方向を暗示していたのではないか。なお、ここで呼ばれていたこのアダムが、この映画の原題である。
 日本で初めて公開されたモロッコ映画。監督は女性のマリヤム・トゥザニ。カサブランカの猥雑な魅力があり、イスラム独特の色彩が豊か。トゥザニはフェルメールが好きというが、その影響も感じられる。一つ一つのカットが絵になっているのである。
 とにかく静謐。音楽がない。しかし、カメラははなはだ雄弁である。
(2019年、モロッコ・フランス・ベルギー合作)