ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

映画『護られなかった者たちへ』

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(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)

大震災から10年の時空を越えて

 東日本大震災から10年。これも震災を描いた映画の一つだ。
 被災した登場人物が語る。「あの震災がすべてを変えた」と言い、「何で生き延びたのか」「生きて良かったのか」と自問する。
 重要なシーンが二つ。
 一つは、小学校の体育館に設けられた震災直後の避難所周辺の様子。(この場面、当時のニュース映像を流用したのかと思われるほどのリアリティだった。セットなのだが、瓦礫の山などがしっかりと復元されていた)。
 大勢の住民が避難している中で、ぽつんと一人うずくまっているのは、若い男利根泰久(佐藤健)。利根は働いていた水産加工会社が壊滅した。カンちゃんと呼ばれている小さな女の子もまたそういう一人。カンちゃんは母を亡くした。逃げるときに母がこれを着て行きなさいといった黄色いジャンパーを大事に身につけている。
 この二人を温かく見守ってくれているのはおばあさんの遠藤けい(倍賞美津子)。けいは独り身だったし、幸い家も流されずに済んだ。その家にけいは利根とカンちゃんを招いて一緒に暮らす。ラーメンを分け合って食べる様子はまるで家庭の団らんのようだ。
 けいは二人に〝笑顔〟〝笑顔〟と呼びかけ、笑顔なら誰かが手を差し伸べてくれると語り、いつも仏頂面でとがってばかりいた利根もいつしか笑顔を見せるようになっていた。
 二つ目のシーンは、生活保護を扱う社会福祉事務所。
 けいの暮らしは困窮していた。食べるものも満足にないような生活。それで、利根とカンちゃんは生活保護を受けたほうがいいと諭す。しかし、けいは、初め、ひとの世話を受けるのは嫌だといって敬遠していたのだが、二人の説得にあってやっと福祉事務所を訪れる。登場人物の名ではなく演じた役者の名前で記せば(映画を観ながらなのでメモが追いつかないので)、対応したのは永山瑛太、吉岡秀隆、緒形直人らだった。
 やがて、けいが自宅で死んでいた。餓死していたのだ。生活保護を受けていたはずなのになぜか、不審に思った利根とカンちゃんは福祉事務所を訪れ、理由を問いただす。すると、永山演ずる職員が、けいが自分で申請を取り下げたのだと説明する。緒形演ずる職員が「(被災者だからといって)何でもひとのせいにするな」と怒鳴る。利根は激高するが……。
 9年後。放火の罪で服役していた利根が出所してくる。
 折から、ロープでがんじがらめにして廃屋に放置し餓死させるという慄然とする殺人事件が発生する。被害者は、永山瑛太演じる福祉事務所の職員。続いて同じようなやり方で緒形直人演じるやはり福祉事務所の職員も餓死しているのが発見された。二つの事件は似たような手口から連続殺人事件と断定される。
 捜査に当たっているのは、宮城県警捜査一課の刑事笘篠誠一郎(阿部寛)。笘篠もまた津波で妻と息子を亡くしていたのだった。
 笘篠は、利根を犯人と見立て捜査を進めていた。笘篠の捜査の過程で、被災から9年を経た実情があぶり出され、生活保護の問題が浮き彫りにされていく。
 一方、利根は避難所で知り合った女の子カンちゃんがその後どうしているのか気になって探していく。
 利根とカンちゃんが再び交差したところで映画は衝撃のラストへと向かう。
 この映画で感心したのは二つのこと。
 一つは、登場人物たちの〝目〟の表現。異様なほどの輝きを持っていて、目が深奥を探り、意識化を如実に表現していた。これこそが映画言語であろう。
 もう一つは、利根が出所後勤めだした溶接工業所のリアリティ。利根は溶接士となって働いているのだが、トーチを持って行っている溶接の様子は、まるで実在の溶接士が行っているのかと思わせられた。専門的には半自動マグ溶接というのだが、なんでも、石巻市にある実在の鉄工所が実名で登場していたそうで、利根を演じる佐藤健はここで溶接の特訓を受けたということである。
 ディテールをとことん突き詰めた演出が映画の完成度を高め、社会性の高い映画に終始緊張感をもたらしたものであろう。
(2021年、瀬々敬久監督)